「ねむれないんだ」


 微睡みに落ちるたびにもう聞こえないはずの雨音がうるさいほどに響くから、眠れなくって目を覚ます。それを何度も繰り返し、目の下のくまが消えなくなってしばらくした頃、肉体の限界がもたらした落とし穴のような眠りの中で夢を見た。
 夕暮れの誰もいない教室で、ふと顔をあげれば目の前で彼女が微笑んでいる。やわらかな声で「起きた?」と問いかけた彼女は見慣れたセーラー服で、あの日と何もかわらない。彼女のいない現実の方が非現実的だから、犬飼澄晴はそれを違和感なく受け止めた。初夏を過ぎた六月はもう暑く、髪の生え際に汗が少しだけ滲んでいる。カーテンが大きく膨らんで、そこから入る夕暮れの風が爽やかだ。
「起きたぁー……」
「よく寝てたね」
 大きくのびをする犬飼に、たのしげな声で鳩原が言う。のびをしたけどまだ起きる気になれなくて、そのままもう一度机につっぷした犬飼の髪の毛をふわりと優しく手が撫でる。ワックスつけてるんだけどな、なんていう不満を呑み込みながら、されるがままに目を閉じる。枕にした腕の中を血液が流れる脈の音、ふわふわと撫でられる髪が外耳と擦れるかすかな音。そんなものがやさしく耳朶をみたすから、そういえば最近ずっときいていたあの音がきこえないな、なんて不思議をおもう。
「はとはらちゃん」
「ん?」
「最近、ずっと雨降ってたよね」
「そうだね」
 髪をふわふわ撫でながら、やさしい声が落ちてくる。
「あたしも、ずっと雨」
 その声があまりにもやわらかだったから、なんだかせつなくなってしまった。晴れても曇ってもずっと雨。どうしてだろうとおもいながら、せめて虹くらい見たいよねえと呟くと、それはたぶんまだはやいんだよ、なんて答えが返ってくる。
 いつになったら虹がみられるの。そんなことはとてもいえなかったから、ただ犬飼はひとりごとのように言う。

「ねむれないんだ」
 おまえがいなくなってから。

 ふわんと不思議な反響とともに、頭を撫でていた手の感触がふっと消える。ゆっくりと顔を起こすと、そこはひとりの教室だった。額に汗が滲んでいて、身体にひどい倦怠を感じる。頭が揺さぶられるような眠気の中、最後まで意地悪だよなともういない彼女をなじった。


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