気狂い水の補給


「鳩原ちゃん、ほんとーに飲まないの?」
「飲まないよ」
 オレンジジュースを無意味に飲み干しながら、そんな言葉の応酬を何度しただろうかと考える。続いてポテトチップスに手を伸ばして塩分を補給したあたしに、犬飼は「つまんない」とこどもみたいなため息をひとつついた。
「せっかくおれが飲めるようになったのにさあ」
「犬飼が飲めるようになったって、あたしまだ未成年なんだよ」
「ほぼ成人じゃん」
「ほぼ成人だけど、れっきとしたティーンエイジャーですから」
 もう一度、しかめた顔で「つまんない」とあたしを詰る。色素の薄い肌が、ほんのりと赤くなっていた。別に弱いわけじゃないけど、でも犬飼はわりと顔に出るタイプなんだな、と分析しながらオレンジジュースに手を伸ばすと、手にがんがんと缶チューハイをぶつける犬が一匹。
 待てとばかりに手で止めて、あたしは何度目か数えることもやめたその言葉を繰り返す。
「飲まないよ」
「アルコール入ってないよ」
「うそつき」
「成人式飲んでたくせに」
「飲んでないよ」
「うそつき」
 缶チューハイを勢いよく机の上において、犬飼はごろんと床に寝転がった。跳ねた透明なアルコールをティッシュで拭いて、目を閉じた彼に問いかける。
「寝る?」
「寝ない。ねえ鳩ちゃん」
「うん?」
 自分から呼びかけたくせに、はく、と一度口を開きかけてから犬飼はもう一度口を閉じた。頭の回転も早く弁舌家の犬飼がそんな風に言葉につまるさまは珍しくて、あたしは思わず彼を見る。ゆっくりと二度瞬きをして、あおい瞳で天井をすこし眺めてから、犬飼は小さな声でもう一度あたしを呼んだ。
「はとちゃん」
「はい」
「はとはら」
「なんでしょう」
 空調に、眠るように伏せた睫毛がふるると揺れる。大きく口を開きかけて、けれど一度閉じて。

「はとはら、みらい」

 その声はひどく静かだったのに、平淡な響きからは程遠いほどの切実を孕んでいた。思わずあたしは目を伏せる。
 あたしが彼をおいていったのはもう三年も前の話で、それなのにまだ時が止まっているようだ。何度も届かない声で名前を呼んでくれたのだろう、彼があたしを呼ぶ声には、いつまでたっても届かないかなしさとさみしさがどうしようもなくいつも滲んでいる。ずっと一緒にいる、今でさえ。
「……いぬかい」
 なんて言っていいのかわからずに、あたしはただ名前を呼ぶ。呼ばれた犬飼は目を一度閉じてから、勢いよく飛び起きた。机の上に置いたライチチューハイを勢いよく煽って空にして、机の上で汗をかいているビールの缶に手を伸ばす。
 長い指が、ぷしゅ、と小気味いい音を立てた。無邪気な顔でにこっと笑んで、一口ビールを口に含む。
 感じたのは、アルコールの匂い。体育座りをしたあたしの膝に手を当てて、ぐっと顔を近づける。名前を呼びかけた口を塞いで、触れた唇はひどく熱い。まるで雛に餌を与える親鳥のように、しゅわしゅわしたビールの苦みが口の中にそそがれる。
 ややあって離れ、ごく間近で犬飼がわらった。こどもみたいな無邪気な笑顔だった。少し眉を寄せて立ち上がり、口の中に含んだ苦い液体をシンクにぺっと吐き出すと、「もったいない」と大きな声でなじられた。


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