うみにしずんでほねになれ
鳩原未来が三門市立博物館に行こうという時は決まって嫌なことがあったときだった。だから喫緊の用事がない限り犬飼澄晴はあえて明るい顔をして、まるでちょうど行きたいとおもっていたような顔で「いくいく」と言うのだけど、鳩原はいつものつくりわらいをへらりと浮かべ「ごめんね」と小さな声で謝るので黙殺するのが常だった。
三門市立博物館は市立を名乗るわりに随分と辺境にあって、バスに揺られて三十分ほど、誰も降りない停留所から歩いて徒歩五分のところにある。大きな硝子扉のむこう、受付にはほとんど寝ているようなおばさんがいつも座っていて、犬飼と鳩原が入ってくるとやや迷惑そうに左目を眇めて「こちらで入館料をお支払いください」と感情のこもらない声で言う。学生証と百円玉を差し出すと引き換えにパンフレットを渡されて、これで用は済んだとばかりに視線を逸らしてしまうので、いつも犬飼は目の前にあるゴミ箱に丸めたパンフレットを突っ込むのだった。
無言のまま歩くときもあれば、言葉をかわすときもある。犬飼は饒舌だと評されることが多いけれど、鳩原となら無言のまま何時間でも過ごすことができた。静かな空間に響く足音の反響をきくことは楽しかったし、二対の足の歩幅が随分と違うことも面白かったし、隣を歩く女の子が何を考えているのか予測することも愉快だった。そうして廊下を進んでいくと、ふと天井が高くなり第一展示室が現れる。
コンクリートを打ちっぱなしにしている殺風景なその部屋には無数のショーケースが飾られているが、ひときわ目をひくのが天井から吊り下げられているホッキョククジラの全身骨格標本だ。鳩原未来はそれを見上げ、開いた口から長いため息を吐く。肺が大きく膨らんで、それをゆっくり吐いていく。その大きな呼吸が二度三度と繰り返されることもあったし、ただ一度だけで終わるときもあった。そうして決まって「来世はクジラになりたいな」とこどもみたいな口調で言うのだ。それに対して犬飼は「おれも」というときもあれば、「クジラってシャチに殺されたりもするらしいよ」と水を差すときもある。どちらの反応であっても鳩原はただ微笑むだけで、こたえを返すことはなかった。
けれど今日、深呼吸を二度したあと、鳩原未来はただ黙ってクジラを見上げてしばらく眺めたあとにもう一度だけ短く息を吐いた。だから犬飼は「今日はクジラになりたくないの」と端的に問う。鳩原はふふ、と笑って返事をよこさなかった。鳩原未来は犬飼澄晴にとってブラックボックスだった。何かを言えば笑うことを知っているけれど、その心中は知れない。
普通はそうじゃない。犬飼にとってわからないことは人生の中でそうそうなかった。たとえば同級生が抱えている青い懊悩であったり、難易度の高い設問であったり、そういったもので悩む彼らを不思議な感慨でただ見ていた。要領がいい犬飼に、時折人は「おまえにはわかんないよ」という言葉を投げつけては犬飼を睨んだ。確かにわからない、と犬飼は微笑みながら思う。だっておまえら頭悪いじゃん。
クジラになりたい。それがどんな思いから発された言葉なのか、犬飼はよく知らない。鳩原未来のことを、犬飼澄晴は何も知らない。ご飯を何でも美味しそうに食べること、歩幅が結構小さいこと、へらりと笑うときの細める目のサイズと口の角度、それらを知っているけれど、鳩原未来という一個体の人間性を、犬飼は知らない。
ホッキョククジラの骨は、黒く塗装された天井に今沈みゆく過程のようにも見える。死んだクジラが冷たく暗い海の底で生態系を成すことを、教えてくれたのは鳩原だっただろうか。クジラの屍肉を食らうサメやヌタウナギなどの遊泳魚、残った肉をこそげとる甲殻類、硫化水素を生み出す微生物。もう生きていた頃の面影などない硬く白い骨の中、ぞっとするような密度で生きるコロニーのことを犬飼は思う。
「永遠になりたいんだよ」と鳩原は言った。「あたしがしんでも、そうやって残るものがあればいいなって思うんだ」
もうクジラになりたくない鳩原未来はただ骨格標本を見つめて微笑んでいる。桜の花びらの降り注ぐ、冷たい春の日のことだった。
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