薄氷を踏みぬいた
「鳩原」
思わず振り向いた。まるで他人行儀に、本来つくはずじゃないのに「鳩原さん」とむりくり呼んでいるような、その違和感を丸ごと肯定してくれるようにその呼び名はひどく自然だった。あたしの腕を掴んだままで、へらりと彼はわらってみせる。
「おれが」
しぼりだすような苦しげなこえ、わらっているのに泣いてるみたいなかお、痛みをこらえるみたいに掴んだ手の力はひどくつよくて戸惑った。
「鳩原のことすきだったっていったら、信じてくれる?」
あたしはこどもだった。そしてなにもしらなかった。薄氷の上を割れるとわかっていてもなお踏まずにはいられない、どうか割れないでほしいとかみさまに祈るようなその切実を、どうしていいかわからなかった。こそげ落ちた記憶はきっと彼をひどく傷つけるのがわかっていたのに、それでもどうしようもなく、あたしは気づかないふりをしてわらった。
「犬飼くんって、そういう冗談、いうんだね」
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