それはきっと相互通行
手の届かない白に焦がれている。初めて出逢った時から、ずっと。
優秀な近侍にたしなめられながらも今か今かと待ちわびていた第三部隊は大騒動とともに帰還した。多かれ少なかれ皆怪我を負い、その中でもひと際ひどい傷を負った者をなかば背負うように抱えながらも、どうにかちゃんと六振り残っている。
その姿を見た瞬間すっと蒼白になった審神者に向かって、部隊長の三日月宗近は厳しい声で言った。
「国永が重傷だ。手入れを」
いつも鷹揚にかまえる彼とは思えないほどの硬い声に、審神者はなんとか頷いた。そして震える小さな声で問う。
「検非違使ですか」
「ああ、出くわしてしまった。一度で済めば良かったのだがな」
連戦したのだろう、いつもの優雅な狩衣もほつれやよごれが目立って見える。なんとか小さくうなずいて、鶴丸を抱える和泉守と燭台切に「先に準備をしてきますから、手入れ部屋にお願いします」と言い置いて身を翻した。
うるさいほどの心臓と、今にも震えそうな足が厭わしくて、動け、動け、と必死に念じる。
「原因は検非違使との連戦ですね」
「ああ。一度きりであれば何とかなるかと過信した俺の誤りだ。あいすまん」
「いいえ、こちらの采配も悪かった。三日月のせいじゃありません」
頭を下げると、三日月はゆるりと首を振る。
既に他の者は手入れを済ませたが、鶴丸だけは今夜いっぱいかかってしまいそうだった。傷跡のすでにない三日月は、おぼろな月の光の中でぽつりとつぶやく。
「折れてしまうかと思った」
「…………」
ぎゅっと心臓を掴まれたかのように、痛い。それはおそらく心理的な痛みなのだけど、実際に誰かが口から手を突っ込んでぎゅうぎゅう無遠慮に握りつぶしているかのような、そんな実感と悪意を伴った痛みだった。
「練度があがってきた者の初の実戦投入だったからな。あやつはどうにも、面倒見がよすぎるきらいがある」
その日は初めて一振りの短刀を第三部隊に入れた日だった。生真面目で一撃の鋭い、そして何より粘り強いその性格を評価した結果だった。だが想定していたよりもはるかに強い敵は巌のように固く、その一撃の前には持ち前の粘り強さもきっと通らなかった。
それを庇った結果であったという。
「……誰一人怪我を負わないで、欠けないで帰ってこいって言ってるのに」
朧月の優しい瞳に、言うべきでない言葉が、感情が決壊しそうだった。
なんとかこらえた審神者に向かって、美しい平安の刀は目を細めて穏やかに微笑む。
「その言葉が国永を救っていたはずだ。きっと、何度も」
初めて出逢った時、その美しい鶴に心を奪われた。驚きを求める奔放さと、その中に潜む優しさや思慮深さに惹かれた。
美しいものはいいものだ。優しさは素敵だ。だけど何かに焦がれる気持ちはいずれ何かを手に入れたい、自分ひとりのものにしたいという気持ちに繋がり、きっとその素敵なものを自ら台無しにしてしまう。
だからどれだけその白に焦がれようが、必要以上に手を伸ばしてはいけないと信じていた。自分の手の届かない、だけど見つめることのできる距離に、いつだっていたいと心の底から願っていた。
―――だけど、こんな瞬間に。
(私のために生きてほしい、とか)
(私のために自分を大事にしてほしい、とか)
ため息をつく。とんでもなく自分勝手で甘ったれた、弱くて情けない気持ちだ。こんな気持ちを誰かに悟られたら、きっと自分は死んでしまう。恥ずかしさとかで。
手入れ部屋の清潔ながらシンプルすぎる布団の中で眠る、鶴丸の頬にそっと触れた。もう手入れは終わっていたからこのまま自分の部屋に帰ることもできるのだが、そうする気にはなれなかった。ちゃんと目覚めるのか、自分の目で確かめたかった。
白い頬はひどく冷たい。額にそっと手をやると、ぴくりと瞼が動いた。
「!」
慌てて手をどけるよりもはやく、鶴丸の手が素早く審神者の手を捉えた。その手の動きとは裏腹にゆっくりと目が開いて、まだ微睡みの中にいそうなふわふわした視線を審神者にむける。
ばくばくうるさい心臓の音を耳の奥に聞きながら、審神者はなんとか声を出した。
「びっ……くりした、気が付きましたか」
「なあ」
寝起きの掠れた声が言う。
「今は何時だ?」
「夜中。たぶん、丑の刻、ぐらい」
興味なさそうにうなずいて、鶴丸は二度瞬きをした。そして、まっすぐに審神者の瞳を見つめる。
「きみの声が聞こえた」
「独り言なんか言ってませんよ」
「いや、今じゃない。合戦場で」
すっと息が詰まった。何も言えなかった。
「きみが泣いてる声が聞こえたんだ。泣かしちゃいけないと思った」
鶴丸は審神者の手に絡めるようにして、ゆっくりとその手を握った。額や頬と違って、手はとてもあたたかかった。
「帰りを待ってくれている人がいるっていうのは、いいもんだな」
呟いて、鶴丸はとてつもなく幸せそうな顔をして、笑った。
「きみにお帰りなさいって言ってもらうために、俺は生きて帰らなくちゃならないと思ったんだ」
息ができなかった。やっとのことでどうにか息を吸い込んで、審神者は
ぎゅっと目をつぶる。
もしかしたらこれは、私の人生の中で一番うれしい言葉かもしれないと思った。ちゃんと記憶に強く刻み付けなくてはいけない、と強く思った。
鶴丸国永のあたたかい手を両手で握って、そっと頬にあてながら、万感の想いをこめて審神者はささやく。
「おかえりなさい」
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