君との距離は何光年


 星を見ながら酒を飲む。ほぼ、毎日。欠かすことなくずっと、同じ時間に。

「鶴丸」
 背後から聞こえる声に緩慢に振り返ると、寝間着姿でぱちくりと目をまたたかせて少女が立っていた。その姿を認めると、鶴丸は「よっ」ととっくりを手の先でつまんでひらひら振ってみせた。また飲んでいるんですか、と呆れたような言葉とは裏腹に声は柔らかく、表情も穏やかだ。
 よっこいしょ、と年頃の娘には似つかわしくない声を出しながら隣に座った審神者に対し、鶴丸はおちょこを渡してやった。
「眠れないのか」
「いや、十時くらいには寝たんですが、起きてしまって」
 近侍である一期一振が施した教育により、審神者の生活はすこぶる健康的である。はじめこそ「一時にならなきゃ寝られない」と悲鳴をあげていたが、今ではすっかり三日月と遜色のないほどの生活スタイルを保っている。
 何億年前に放たれたのかわからない、無数の星の光をうけながら鶴丸は笑った。
「わりと硬い酒だが、いけるか?」
「んー、じゃあちょっとだけください」
 リクエストに従うために、鶴丸は彼女の手からおちょこを奪い、半分より少し多いくらいに残っていた酒を一度に呷った。小さな器を彼女に返し、少しだけ注いでやる。
 審神者は目をじっと凝らして、まるで水面に何かを探し求めるかのように見つめる。その仕草が、実は視覚ではなく嗅覚をめいっぱい使っているのだと気付いたのはいつだっただろうか。
 探るように、試すように口をつけた彼女は、一瞬だけ顔をしかめた。だから味について感想を問うのはやめて、鶴丸も一口喉を潤す。
「寒くはないんですか」
「確かに寒いが、冷たい空気を感じるのも冬の醍醐味ってやつだろう」
「いや、私にとっての冬の醍醐味はこたつアイスですね」
「これだから現代のもやしっ子は」
 はあ、と白い息を吐きながら、きんと澄んだ空を見上げる。この間教えてもらったオリオン座は天高く瞬いていて、オリオン座の三つ星を西に辿ればおうし座が。東に辿ればひときわ明るいシリウスと、その構成するおおいぬ座。冬の大三角形と、プロキオンから辿れるこいぬ座。
 思わず笑い声が出た。
「どんな目があれば動物に見えるんだろうな」
「何がですか? あ、もしかして星座?」
 見上げる先を審神者も見上げた。彼女は以前、オリオン座しかわからないと言っていた。
「勉強したんですか?」
「退屈な時も多いからなあ」
 おうし座、おおいぬ座、こいぬ座。そらんじる様に指でなぞれば、審神者もくすりと笑って見せる。
「全然見えませんね。オリオンだってただの砂時計だけど」
「今も昔もロマンチストの考えることはわからないもんだな」
「ひぎっしょい」
「今のはなんだ」
「くしゃみです」
 うー、とうめいて少しばかし赤くなった鼻をさすりながら、彼女はぎゅっと身を縮める。
「べえっしょい」
「いくらなんでもそのくしゃみはないと思うぜ」
「生理現象に文句つけないでください。私が唾じゃなくってお花飛びそうなくしゃみしててもいやでしょう」
「乱みたいなのなら全然ありだぞ、早めにくしゃみの仕方を習ってきたらどうだ?」
「殴りますよ」
「くしゅっ」
 殴られた。やっぱり鶴丸はいじわるですとも言った。審神者と呼ばれ数多の刀を統べる立場にいながらも、少女はやはり少女だった。「寒い」と呟きながらぎゅっと身を縮こめたので、鶴丸はとっくりで後ろを示す。
 そこにあるのは鶴丸に与えられた自室だ。
「部屋に入るか?」
 予期していたのは「いいです」という返事だった。このままここで少し話して少し酒を飲んで、このまま布団に戻るだろうと思っていた。むしろ部屋に帰らせようと思って出した言葉に、審神者はきょとんと小首をかしげる。
「いいんですか?」
 言葉は似ているがニュアンスは違う。一瞬言葉に詰まったものの、「じゃあ遠慮なく」と立ち上がった審神者に向かって「驚いたか? 冗談だぜ!」とはさすがに言えない。言えば驚きの結果がもたらされるとは思うが、大事な何かを失ってしまいそうだ。主に信頼とか。
 部屋に入ると審神者はすぐさまストーブの電源をいれた。敷きっぱなしの布団の上に座り込んだ彼女に、押し入れから使っていない毛布を出して投げてやると、幸せそうにくるまりながらにっこり笑った。
「鶴丸の匂いがします」
「どんな匂いだ?」
「冬と春がちょうど半分になったくらいの匂い」
 まだ顕現してから一年と経たない鶴丸は、人の身で感じる春を知らない。ただそれを言った彼女があまりにも嬉しそうなので、思わず笑った。とっくりを携えて彼女の横に座ると、彼女はよいしょと手を伸ばして鶴丸も一緒に毛布でくるんでくれた。
「それにしても冷えますね」
 一生懸命その役目を果たそうと頑張る古い石油ストーブのやかましい音を聴きながら、審神者は言う。
「明日は最高気温で二度しかないらしいですよ」
「今日だって、燗にしてもあっという間に冷えちまうくらいの寒さだからなあ」
 あ、これ、冷じゃなかったんですか。とやや驚いた声。あっためた痕跡のかけらもないじゃないですか、本当に寒いんですね、と言いながら彼女は再び肩をすくめた。冷めた理由は、外気の冷たさだけが理由ではないけれど。

 毎日星を見ていた。晩夏の生ぬるい風が段々と秋風にかわり、やがて時折雪が降るほど外気が冷たくなっても、かたくなに。
 誰かに見咎められないよう、目当てと違う足音が聞こえればすぐさま部屋に引っ込んだ。星なんか見ていなかった。見ていたけれど、それが目当てではなかった。望んでいたのはたったひとつの足音だ。

 ―――鶴丸さん、眠れないんですか?

 記憶の中で、柔らかな声が空気をゆらゆらと揺らす。振り返ると、彼を呼び出したばかりの年端もいかない小娘が、きょとんと目を丸くして鶴丸を見つめていた。
 驚くことが好きだ。硬い鋼の身では感じられないすべてのことを、鶴丸国永は愛していた。鳥がさえずる朝の清々しさ。元気にはしゃぎまわる短刀たちの歓声。皆が寝静まった夜の、凛とした優しい空気。
 剣術を好む者は案外風流をも好む。鶴丸国永を振るった歴代の主達は、季節を慈しみ、花を愛で、雅を好んだ。だから鶴丸も、それらの存在を鋼の身ながら知っていた。人の身はなんと奇妙でおかしなことをするものだと思っていた。
 そんなものは、彼女の声が空気を揺らした瞬間に吹き飛んだ。これだ、と快哉を叫んだ。この胸を焦がすような感覚を求めて、人は様々なものに触れていたんだと理解した。

 ―――私も眠れないんです。一期さんが生活習慣にうるさくて、だけど私ずっと夜型生活してたから。
 それからたまに夜の散歩をするようになった。みんなが寝静まった透明な夜を、ただひとりを求めてあてどなく歩く。散歩をしながら彼女と会えることはめったになかった。けれど自分の部屋の前で酒を酌んでいれば、時折起きてしまうらしい彼女に遭遇することができた。
 一期の教育は、厳しいものの的確だった。不規則な生活で常に寝ぼけ眼だった彼女は、いつの間にやら毎夜十時に床に就き、毎朝六時に起きる健康っぷりを見せるようになった。朝ごはんもいっぱい食べるし、よく笑うようになった。本当によかったと思った。
 夜に会えることがめったになくなったからこそ、たまの邂逅が愛しかった。いつだって耳を澄ませていたから、彼女の足音はすぐにわかった。一緒に星を見て。言葉遊びを楽しんで。たまに彼女に怪談を聞かせて本気で怒られて。
 たまの邂逅が愛おしい。だけどどうしても彼女に会いたい夜は、こうして夜が更けてしまうまで酒を過ごしてしまう。
 とびきり熱く温めた日本酒が、すっかり冷めてしまうまで。

「寒い日ってつらいですよね。布団が冷たくて目を覚ましちゃう」
「ホットカーペットでも敷くか?」
「私だけっていうのはなんだか気が引けますね」
 猫がいたらあったかいんですが。と彼女は苦笑する。
「五虎退の虎を一匹借りたい」
「へえ、きみ、猫でも飼っていたのかい」
「実家で。最近はめっきり帰れないけれど、帰るとちゃんと忘れず甘えてくれるんです。実家に泊まる時は必ず猫を抱いて寝るし」
 同じ毛布にくるまりながら、楽しそうに彼女は話す。手を伸ばせばすぐに触れられるこの距離が、愛おしくて、もどかしい。この優しく綺麗な存在に、数多の人間を斬って殺して傷つけた自分が触れてもいいのだろうか。

 どこまでなら、許されるだろうか。

 彼女の手を取った。言葉が止まった。きょとんとした丸い目が不思議そうに鶴丸を見つめるだけだったから、細い指に自らの手をからませた。つるまる? と驚いたような声が聞こえたけれど、彼女は手を振りほどこうとはしなくて。

 どこまでなら許されるのか。
 今はまだ聞けないな、と思った。


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