いつか愛おしい傷痕を


「春ですねえ」
 生ぬるい春夜の風を嗅ぎながら、審神者はほわりと穏やかに笑った。それにならって嗅いだ春の風は、すべて死に絶えたかのように凛と冷たい冬の空気と違ってごちゃまぜの生命の匂いがする。
 くぴ、と一口酒を飲む。甘いアルコールを飲み下すと、風味がふわんと鼻の奥まで香った。
 群青の夜空を見上げれば、まどかな月が雲に隠れておぼろに柔く光っている。その周りを瞬く無数の星を見上げながら、鶴丸は言った。
「死んだ人間は星になるって本当か?」
「さあどうでしょうね」
 こたえる彼女は、くす、とたのしげに笑う。
「こんなちっぽけな人間が太陽みたくなるのには、きっと何百年もかかってしまうと思いますけど」
「やっぱり迷信なのかねえ」
 さてねえ、と言いながら審神者は肩をすくめ、適当な声で適当なことをうそぶいた。
「でも神様も妖怪も科学では否定されていたのに今では政府公認なんだから、もしかするといずれ死んだ人間が恒星になる原理が発見されるかもしれませんよ。アンデル=ベルソンの創星法則、みたいな御大層な名前までつけられて」
「死んでからも超新星爆発やらブラックホールへの変貌やらが待ち受けているのか。きみらも難儀なことだなあ」
「あなたロマンがあるんですか、ないんですか」
 咎めるような言葉と裏腹な笑顔。まったく鶴丸は、とまったく怒っていない口調で酒を呷った彼女のおちょこに、間髪いれずとくとくと透明な液体を注ぐ。
「でもよく考えたら、星って凄まじい重さだよなあ。人間ひとりがそんなでかくなれるはずもないか」
「そうですね、地球の重さがだいたい六×十の二十四乗でしたっけ?」
「じゃあ六十キロの人間が、えーと、十の二十三乗人分だから……」
「万、億、兆、京の次だから……垓かな。あれ、垓だっけ? 一千垓人?」
「きみだったらそれより軽いだろうから……きみが一千三百垓人分ってところか?」
「想像しただけできもいですね」
「恒星だと地球よりもっともっと大きいからさらに人数が増えるのか。きみが二千垓人分ぐらい?」
「より一層きもくしないでください」
 くだらない話をしながら星を見上げた。春の生ぬるい風は星の光を燻らせて、その輝きは頼りない。このひとつひとつがそんなすさまじく大きいものだなんてとてもじゃないが信じられない。死んだ命の残り火がお情け程度に天にあると思った方が、まだ自然なくらいだ。
 人はあっさりと死ぬ。その想いを、その意志をまるで炎のように燃やしながら、けれど呆れるほど簡単に命は果てる。
 その命が何にもならずにただ消えるよりは、せめて夜闇を照らす光になったらいい。星の光はかすかだが、月も太陽も照らしてくれない闇夜をも照らす。

 春の気持ち良い夜風に揺られながら眠たげに目を細める少女を見て、いつかこの子も星になればいいと鶴丸は心から思った。墓の中でこの子が朽ちて腐ってどろどろに溶けていくのを見るくらいなら、遠い空に淡く光っていると思っている方がまだいい。
 くわあ、と彼女は大きなあくびをした。
「眠くなってきちゃった」
「そろそろ寝るかい?」
「んん」
 返事にもならない声を出し、彼女はこてんと鶴丸によりかかる。
「もう少しだけ、このままで」
 彼女の細い手が何かを探すように動いたから、その手を握ってやると嬉しそうに彼女は笑った。肩によりかかる頭の重みを、あたたかな体温を、柔らかな髪から香る甘い匂いを、鶴丸は目を閉じてゆっくりと記憶に焼き付ける。たとえ彼女が目の前からいなくなったとしても、できるだけ永い間憶えていられるように、願うように、祈るように。

 何度も浮かんだ言葉がまた心に浮かび上がった。
『きみが刀であればいいのになあ』
 きっと命が有限であるというそのことが鶴丸国永の愛するこの子を形作っているのだから、そんなことを言っても詮無いことだとはわかっているけれど。

 命は有限だから、いずれ別れの時は訪れる。誰かを愛するということは、自分に一生消えない傷を残すということなのだと鶴丸国永は知っていた。
 知っていながら、刀の神はあっさり恋に落ちた。この子の特別になることを望み、またこの子も鶴丸を望んだ。限りある命を鶴丸国永という一振りの刀の傍で過ごすことを選んだ。
 傲慢な神はその有限を呪う。けれど有限に惹かれた鶴丸が、その命の終わりを奪うわけにはいかなかった。たとえそれがどんな悲しみを生むのだとしても、限りある命が果てるその最期の瞬間までともにいたい。その有限が燃え尽きる瞬間を見ていてやりたい。

 けれど。

「なあ、きみ」
 呼びかけると、半分寝かかっていたらしい彼女は寝ぼけ声で「なに?」という。そのことだけでも愛おしくて、鶴丸は笑う。その肩を抱き寄せて額に唇を重ねると、審神者はくすぐったそうな声をあげた。
 そのまま、ささやく。
「きみは死んだら、せめて骸じゃなくて星になってはくれないか」
「頭わいてるんですか?」
「きみ、ムードってものを知らないかい」
「知ってますけど。春になったら変な気分になるのは神様もおんなじなんですね。うける」
 可愛くないことを言う愛しいその子の額めがけてでこぴんすると、涙目で痛いと抗議するから思わず笑った。

 きみがいつか星になるなら、きみが不在の世界でもどうにかこうにかやっていこうと思えるのに。
 せめてその輝きが、涙で滲んでしまわぬように。

 言えなかった独り言は空に溶けて、なかったもののように消えていく。


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