孤爪
「疲れた、甘やかして」「え、なに、やだ」帰宅してすぐに部屋着に着替え研磨のところに行けばその一言。なんでもいいから甘やかしてほしいのに。「なーんでよぉ」「うそだよ、ほらおいで」座椅子に座っている研磨は、手に持っていたゲームをテーブルに置いてこちらに手を伸ばしてくれる。彼の名前を呼びながら向き合うように抱き付いた。「重くない?」「ぜんぜん」「疲れたぁ」「なにやなことあったの」肩近くに顔を埋めれば背中に回る研磨の腕。安心したのか鼻の奥がつんとする。「身に覚えのないことでクソ上司に怒られた」「それはキレてもよかったんじゃない」「流石に無理」「ふ、だろうね」ただこうして聞いてくれているだけなのに、先ほどまで怒り狂っていた気持ちが少しずつ溶ける。勿論腹が立つことには変わりないけれど、気持ちは落ち着いてきた。とんとんと背中を叩く研磨の大きな手にどうしてこんなに安心するのだろう。「仕事辞めてもいいよ。生活するには十分だし」「……先のこと考えるなら自立していたいから」「言うと思った。ま、おれもいるし身体壊すまで無理しないでよね」「……ありがと」ハグはストレスを軽減させるって、本当かもしれないと身をもって知った夜。
灰羽
「最悪だよリエーフ、慰めて」「なになにどうしたの?はい、ここ座って」ソファーに座ったリエーフは自分の腿をとんとんと叩く。突然こんなこと言ってもすぐ「なに」と聞いてくれる優しい彼氏。好き。重いだなんだ気にしている余裕もなかった私はリエーフの顔が見えるように横向きに座り身体を預けた。鼻腔をくすぐる彼の香りに安堵する。「で、何があったんだよ」「……職場の先輩に気持ち悪いこと言われた」「は?」「つま先から頭まで見ながら、いい匂いするねだって。冗談でも気持ち悪くない!?職場でナンパみたいなことやめてほしい」「なに言ってんの俺の彼女に。そいつの股間潰してきていい?」勢いのまま伝えたけど思った以上に過激なことを真顔で言うリエーフを見て笑ってしまい、自分も少し冷静になった。でもその後彼は眉を下げて、優しく私を包み込む。「……でもさ、俺はそこに助けにいけないし、本当に危ないなら逃げてお願い」「……うん。幸いなことに、他の人はみんないい人なんだよね」「でもさぁ、心配だよ!こんなに可愛いんだもん」そう言ったリエーフの腕に少しだけ力が入る。本当に心配してくれているのだと不謹慎だが嬉しくもあって、彼が味方ということだけで心強い。「俺迎えに行ける日は行くから。圧かけてやる」「ありがとね、リエーフ」
治
「……ただいま」「おかえり、疲れてるやろ。ご飯食べた?」「食べてないけどもう寝たい」この忙しさも後一日。時計はもうてっぺんを超えそうだ。「さっき連絡くれたからお風呂沸いてんで。入って一緒に寝よ」「治ー……」彼に抱き付けば優しいボディーソープの香り。「お疲れ様。さ、お風呂いってき」「うん、ありがと」身体を洗って湯船に浸かれば襲い来る眠気。……入るまでは面倒だけど気持ちいい。うとうとすれば、お風呂のドアをノックする音がする。少しだけドアが開いて顔を出す治。「これ、おにぎり食べれるかな」「今?」「おん、小さい頃ジュースとかお菓子とかこっそり持ち込まんかった?」「やった!で」「「怒られた」」治と声が重なって思わず笑ってしまった。どうぞ、とお風呂の蓋に置かれた二つのおにぎりをひとつ取って治に渡す。「一緒に食べたい」「ありがとう」「へへ、いただきます」一口かじるとエビマヨが顔を出す。私の好きな具だ。「美味い?」「美味しいに決まってるじゃん」「追加でこれもサービスや。ちゃんとガムシロ入れとるから」「嬉しい……」「せやろ?ほら、ちゃんと食べて寝よな」行儀は悪いかもしれないけれど、治の優しさが身に沁みて少し泣きそうになった。
二口
「遅かったな、暗い顔して」「もうべっこべこにへこんだ」「なに、失敗でもした?」「なんでそんなすぐわかるの!」「いや、普通にわかるだろ」帰宅してめそめそしながら着替え、堅治のいるリビングに行けばそう揶揄われる。そんな気分じゃないのに。「まぁ、隣に座れよ」彼に促されるがまま座り、全体重をあずけるように彼に寄りかかった。「で、なにへこんでんの」「……提出したデータの数値ミスってるの気付かずに送っちゃった」「うん」「上司が気付いてくれたから、急いで修正して再送したから間に合ったけど、もう注意力散漫すぎる」「でもなんとかなったんじゃないの」「一応」「じゃあもういいじゃん」あっけらかんとそう言う堅治。いや失敗したら周りに迷惑かけるしへこむじゃん。何がもういいのかわからない。「別に失敗しない奴なんていないって。しかも気付いて修正までして正規のものは送れたんだろ?」「まぁ……」「失敗しても反省しないならまだしも、失敗して対処までして事なきを得た上で反省してるならもういいんじゃねーの」「っわ」そう言ってぐしゃぐしゃと私の頭を撫で回す彼。「もう、なにすんの!」「バカみたいに元気なのがお前だろ?……ま、頑張りすぎんなよ」急に優しくなる声色から、彼が心配してくれたことが伝わり胸の奥がじんとした。