先日なんと一目ぼれした二口さんと付き合うことになり、夢オチなんじゃないかって思う毎日を送っている。一方的に押しかけてアプローチをしていたけれど、何が彼にささったのかはわからず聞いても教えてくれなかった。……私の一目惚れみたいに、特にこれといった理由はないのかもしれないけれど。
付き合う前と変わったことは特にないが、ひとつ大きく違うのは伊達工に練習を見に行った帰りは決まって駅まで送ってくれるようになったこと。練習が終わったら近くのコンビニで待ち合わせをして、そこで二口さんと合流し一緒に帰っている。多分部員や先輩からの冷やかし対策だろうと思いながら、私もそれに助かっていた。何か言われても気の利いた面白い返しなんてできないから。
今日も練習が終わり、コンビニへと向かおうと校門を抜けたところで近付く足音に気付き後ろを振り向いた。
「あれ、青根さん……?」
「……ス」
視線を上に向けると少し焦った様子の青根さんが立っていた。
最初こそ口数が少なく萎縮していたが、二口さんと話している様子を見るに怖い人ではなさそうだと感じる。口下手なのかななんて思っているけれど、そこまで沢山話したことがあるわけでもないので勝手にそう思っているだけだ
「先生とのミーティングで……遅くなる」
「え、あ、二口さんがですか。待ってるので大丈夫ですよ、わざわざありがとうございます」
そうお礼を伝えると青根さんはほっとしたようにこくりと頷き校舎の方へと戻っていった。
多分青根さんは私のことを二口さんから聞いているのだろう。一緒に帰っていることを知ってわざわざ教えにきてくれたのかもしれない。部活終わりにすぐミーティングになったのなら、きっと連絡もできないと思って来てくれたのかも。
なんだろう、捨て猫とかを真っ先に助けそうな優しさを感じる。そんな青根さんの背中を見送り私はいつものコンビニへと向かった。
*
遅くなると聞いたので、スイーツを買ってイートインスペースで待つことにした。スマホゲームをしながら大好きなカップのシフォンケーキをつまむ。
スマホを見ればさっき青根さんと別れてから十五分ほど経っていた。まだかかるのかなとまたゲームの画面へとスワイプした。
「あれ、お前二口の」
「……あ、こんにちは」
不意に声がした方へ視線を向ければ、買い物袋をぶら下げた伊達工の先輩たちが立っている。もう卒業したから制服ではなく私服姿だったため、一瞬誰かわからなかった。なんだか新鮮だ。
「驚かせちゃったね、ごめんね」
「いえそんな大丈夫です、お久しぶりです。そうだ、茂庭さんあの時はありがとうございました」
「え?いや、俺何もしてないから。気にしないで」
そういえばバレンタイン以降茂庭さんと顔を合わせることがなかったため、お礼を言いそびれていた。今偶然にしろここで会えてよかった。
「二口のこと待ってんのか」
「はい。なんかミーティングしてるみたいで」
「なあ、気になってたんだけどよ。あのあとどうなったんだ!?」
「え、えっと……」
「おい鎌崎、あんま余計なこと言うとまた」
「先輩方、何してるんですか」
伝えてもいいのかわからず言い淀んでいると、食い気味な鎌崎さんを茂庭さんが制止する。その直後、先輩に負けず劣らずの身長である二口さんがその後ろへ静かに立っていた。
「ほらあ言っただろ!」
「やめとけやめとけ」
「二口お前、どうなんだ、付き合ってんのか?」
「……さあどうでしょうね。買い物袋下げてるなら用事済んでるんでしょ。もう出た方がいいんじゃないですか」
「ちょ、おま、いいだろ少しくらい!」
先輩方の背中を押しながらコンビニの外へと連れて行ってしまった。止めてくれていたのに道連れになってしまった茂庭さんと笹谷さんが少し不憫。
まだ残っているシフォンケーキを頬張りながら待っていると、少ししてから二口さんは疲れた顔で店内に戻ってきた。
「なんで少し目を離した隙に捕まんだよ」
「いやいや私ここにいただけですって。先輩方帰りました?」
「まあ……ちょーっと煽ったら怒った鎌崎さんを、茂庭さんと笹谷さんが連れて帰ったよ」
何を言ったんだろうと思いながら笑っていると、私のすぐ隣に二口さんも腰をおろした。
「遅くなってごめん」
「大丈夫ですよ、青根さんが遅くなるって教えてくれました」
「青根が?……まあ感謝しとくか」
「これ食べて待ってました!めっちゃ美味しいんですよ」
シフォンケーキにクリームをつけ得意げに見せると「甘い?」と聞く彼。「意外とクリーム甘さ控えめなんですよ」と伝えれば、ふーんなんてそれをじっと見つめていた。
「食べますか?」
「ん」
これは食べるって受け取っていいんだよね。でも使い捨てのフォークは今使ってるものしかないし、店員さんに言えばもらえるのかな。どうしようか悩んでいるとフォークを持っている手首を掴まれたその瞬間、くっと二口さんの香りが強くなり目を見開いた。
「ほんとだ、うまい」
「……へ?な、に」
この一瞬で何が起きたのか。さっきよりも余程近い距離の二口さんが意地の悪い顔で笑っている。フォークを見ればさっきまであったシフォンケーキが跡形もなくなくなっていた。それってつまりは。
掴まれていた手首の感覚と二口さんの香りとその距離をじわじわと思い出し顔が熱い。あまりにもこの一瞬の情報量が多すぎる。心臓のドッドッという大きな音が耳に障る、煩い。
「何、ドキッとしちゃった?」
「ドキッとなんて可愛いもんじゃないですよ!気絶するかとおもったぁ……」
恥ずかしさから語尾に向けて声が小さくなっていく。付き合ってまだ日が浅いのに、私の気持ちはもつだろうか。嫌ではなく寧ろ嬉しいけど、心臓に悪すぎる。
少しでも気を紛らわそうと最後のシフォンケーキを口に放り込んだ。美味しいはずなのに、まともに味もわからない。横から感じる視線に「なんですか」と空になったカップを見たまま伝えれば、彼は私の椅子の背もたれに腕をかけた。
「そんなんじゃいつまで経ってもキスできねーじゃん」
「ひぇ……っ」
私の耳元に唇を寄せ、周りに聞こえないようそう呟いた。不意の吐息がくすぐったくて、変な声が出てしまった。そんな私を見て彼はいたく楽しそうに笑っている。完全にからかっている顔だ。
「も、もう勘弁してもらってもいいですか……」
「んー……まあそうだな。とりあえず出るか」
「あ、はいっ」
勘弁してと言ったのは自分だけど、こうもあっさり引き下がられるとなんだか少しもやっとする。これはただのわがままだけど、嫌よ嫌よも好きのうちみたいなそんな感じ。
……でもやっと普通に呼吸ができる気がすると、空になったカップと飲み物を捨て二口さんの後を追った。
*
三月も終わりと言えど、朝方と夕方を過ぎた時間はまだ吐く息が白い。コンビニで暖まった手もすぐに冷えてしまう。友達といる時はポケットに手を突っ込んでいるけど、二口さんの前では少しでも可愛くないところは見せたくない。だから制服のニットを手が半分くらい隠れるまで伸ばし我慢する。
「まだ寒いですね。肉まんにすればよかったかなあ」
「食い物のことしか頭にねーじゃん」
「う……だって寒いとあったかいもの食べたくなるじゃないですか」
「まあそうだけど」
隣を歩いている二口さんを見上げるとちょうど視線が合う。ずっと見られていたのかなと思うとなんだか恥ずかしくてすぐに目を逸らした。
少しの沈黙のさなか、寒くて握りしめた指先に何かが触れる。冷えた指先を優しくほどくようにするりと手のひらが合わさった。絡まる指がこそばゆい。俗に言う恋人つなぎというやつだ。そのまま彼のポケットへと入れられ、冷えた手が直に温まる。
でも手だけではない、顔も熱い。こんなにしてもらってもいいのか、あまりに進展しすぎではないのかと恐る恐る彼の方を見た。
「なに」
「や……なんかちゃんと恋人みたいだなって……」
「はあ?ちゃんと恋人だろ」
「そうですけど、恋人なんですけど」
彼の手は私の手なんか簡単に包み込んでしまうくらい大きくて骨ばっていて、男の人だと改めて実感する。弾力がある自分の手とは大違いだ。
ただ手をつなぐだけでこんなに恥ずかしいのにキスなんてした日には心臓が何個あっても足りない。そんなことを考えていたら二口さんは少し屈んで私の顔を覗き込んだ。顔が、近い。
「さっき言ったこと意識してる?」
「いや全然キスのことなんてそんな」
「ははっ意識してんじゃん」
「もうー……しぬほどはずかしい」
誘導尋問みたいなものにすぐに引っ掛かるのをやめたい。でも手を繋いで、この近い距離で、それを意識しない方が難しいと思う。しようと思えばすぐできる距離なのだから。
「まあでも、冗談じゃないけど」
「え?」
二口さんは前を見て歩きながらそう口にした。
「そりゃ付き合ったんだから、キスしたいじゃん」
「ど、ドストレートな……」
「真っ赤になったり焦ったり俺に振り回されて表情ころころ変わるところ見たとき、今したらどういう顔すんだろうなって」
「ちょっと、待っ」
「してーなって、思うよ」
私ばかり好きの比重が大きいと思っていたから、怒涛の告白に頭が追い付かない。いつのまにそんなこと考えていたの。
でもそれがわかって嬉しいし、もちろん私だって考えたことがないわけじゃない。ただこの恋愛初心者にはハードルが高いというだけだ。
「まあでも無理矢理はしないから」
ポケットに入れていた手を出し、私の手の甲を彼の頬へと寄せた。「いいって言われるまで待つけど、そう思ってること覚えといて」なんて真剣な目で言うものだから心臓が跳ねる。なんでもう、そんな顔で言うの。ふざけてくれたら少しは軽く受け止められるのに。
……本当に大事にしてくれてるみたいじゃん。ずるいよ。
彼の名前を呼べば「ん、なに」と小首を傾げる。「こっち、この前の公園」なんてはっきりとは言わずにつないだ手を引っ張った。ホワイトデーのお返しをもらったあの場所なら、きっとこの時間はあまり人目につかないはず。
「どうした?」
着いてすぐ二口さんは疑問を口にする。
思った通り、夕方から少し遅くなったこの時間は閑散としていてふたりきりだ。おまけに屋根がついている建物のような場所は公園の奥にあるからパッと見で誰か判別はできないだろう。
私はつないでいた手を離し彼の前に立ってジャージの裾を掴んだ。
まだ言ってもいないのに緊張と恥ずかしさで心臓がきゅっとなる。彼を見上げれば私が言葉に詰まっているのを見て何かを察したのか、頬にかかっている髪を優しく耳にかけてくれた。
「ふたくち……さん」
「うん?」
それはいつものようなからかうでもない、ひどく優しい声色でそれはじわりと身体を熱くさせる。
勢いで来たものの、いざとなると声が震え上手く言葉が出てこない。さっき二口さんの気持ちも聞いたはずなのに、もし拒否されたらという考えが頭をよぎる。告白のときみたいに無駄なことを考えず言ってしまえたらいいのに。
かといってずっとこうしているわけにもいかないと腹を括った。
「私も……したいって、思ってます」
二口さんはふーんと小さく漏らし、私の頬へと手を添える。
やばい、心臓がどうにかなってしまいそうだ。
「本当にいいの?」
「はい、あの、恥ずかしいってだけで、したくないとかは絶対なくて」
「へぇ、焦っててかわい」
「えっ」
可愛いって言った?可愛いって初めて聞いたんですけど。小さい頃親に言われたくらいで、まともに言われたことないよ。ちょっと待って幸せが大渋滞起こしている。
彼の手が頬からあごの下へと滑り、ほんの少し上を向かされ視線が絡んだ。
あ、これは、と目を閉じれば何も見えない分他のところに敏感になる。腕に添えられた彼の手に少し驚いてジャージを掴んでいた手をぎゅっと握った。
瞬間、彼の香りがぐっと近づき唇に柔らかいものが触れる。ほんの一瞬のできごとなのに、その行為がいかに特別なのかと実感した。
目を開けようとしたその時、もう一度、角度を変えてもう一度、ついばむように唇が重なる。完全に目を開けるタイミングを失い身を委ねれば、三度目のキスのあと唇が離れると同時に彼の胸へと引き寄せられた。彼の香りに包まれ余韻も相まってくらくらする。
「あーもう無理」
「……え?」
「一回のつもりだったのに……もっとしたくなる」
腕の中にすっぽりと入ったまま彼の方を見上げれば、珍しく耳まで赤くしている。
二口さんでも照れるんだな、なんて心のなかで呟いたつもりだったのに声に出ていたらしく「るっせ」と頬を伸ばされた。きっと彼の精一杯の照れ隠しではないだろうかと思うと自然と顔がにやける。
「んだよ」
「へへ……二口さんも可愛いんだなと思って」
「見んな」
顔が見えないように私の後頭部に手を添え、彼の胸へと抱き締められる。本当に夢じゃなくて現実なんだなと再確認し、また頬が緩んだ。