はあ、どうしてこんなことに。言ってしまえば共通点なんか同級生ってくらいじゃん。私はバレーに関わっているような仕事でもなければプロの世界に詳しいわけでもない。どうして……。
ふと顔を上げればおにぎり宮が目に入った。まだ営業しているかなと暖簾をくぐろうとすれば「お、びっくりした。いらっしゃい」と声をかけてくれた治くんとぶつかりそうになる。
「あえ、もしかしてもう閉店準備するとこだった?」
店内を覗けば、どう見てもお客さんはいない。タイミングが悪かった。
「今暖簾おろそ思うてたとこやけどええよ。しめのお茶漬けくらい出したるわ」
「え、嬉しいありがと」
「今日俺も行きたかってんけど、イベントでの注文がはいってな。中で待っとって」
「そうだったんだ残念。じゃあ失礼して」
治くんの横をするりと抜けてカウンター席へと座ると、外の寒さを忘れさせてくれる暖かさといい香りがする。
侑くんと双子である治くんのお店にくるようになったのは小さな偶然だった。
社会人になってから残業が続いたボロボロの身体で、ふらりと立ち寄ったのがおにぎり宮。まさか治くんのお店だとは思わず、顔を上げたときに驚いたのを覚えている。その時も閉店の十五分ほど前でちらほらとお客さんが少なくなっていたときだった。お茶漬けを出してもらい、他のお客さんが帰ったら暖簾をおろして昔話に花を咲かせたのがまた話すようになったきっかけでもある。
「で、おにぎりは何にする?今これらしかあらへんけど」
「んー……焼きおにぎりかなあ」
「これ飲んで待っとって」
「ありがとう」
出してもらったお茶を口にすればほっと一息つく。あれから変な気を張っていたんだなと改めて実感した。
お茶を半分ほど飲んだ頃に「どうぞ」とお茶漬け一式が乗せてあるお盆が目の前に置かれた。すぐにお礼を言ってお皿を見れば、多種多様な薬味の種類にどれから乗せようかなとわくわくする。
「いただきます」
「どーぞ」
「……沁みるー。あれ、いつもデザートってついてたっけ?」
「なんか疲れとる顔しとったからおまけ」
「なにそれ嬉しい、ありがとう」
「で、なんかあったんやろ。言える範囲で吐き出してもええよ」
……さすがに兄弟のことを話すのは気が引けるなあ。でもまあ名前を伏せれば誰のことかわからないだろうし、ちょっと気持ちの整理がてら話してみようかな。
治くんは色んなお客さんの話も聞いているだろうし、客観的な意見を言ってくれそうな気がする。
「ちょっと食べ終わるまで考えていい?」
「別に言いたないなら無理せんでも」
「うーん、ちょっと意見聞かせてほしいかも」
「わかった」
私はお茶漬けを口に運び、薬味を足して味を少しずつ変えながら全部食べた。当たり前だけどここのお茶漬けは最高のしめです。完食してからおまけしてくれたパンナコッタを口に含めば程よい甘さが広がる。あっという間にそちらも食べ終わり「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
前に話し込んでお会計を忘れてしまったことがあったので、話す前にお会計先でいいか聞くと治くんは「忘れても前みたいにあとでもええよ」と笑う。いやいやよくない。こんなに美味しいものいただいておいて、ツケはよくない。
一度レジの前に行きお会計を終わらせてまた椅子に座り直す。湯呑に残っていたお茶を一口飲んでから改めてその話を切り出した。
「……気持ち重い話になるんだけどさ」
「お、おう」
「例えば治くんがある人に告白したとき、別に私じゃなくてもいいでしょ。他の人にしたらって振られたとするでしょ。自分の目線で」
「おん」
「何年か経って、同じ人から逆に告白されたらどう思う。何事もなかったかのように」
「えぐう!ひとでなし……いやちゃう、ただのアホか」
「シンプルに全部悪口」
そう言って一歩後ずさる治くんに思わず笑ってしまった。それと同時に私がもやもやしていることはおかしいことではないと、そう肯定してもらえたようで少し安心する。
「……それが今日元気なかった理由?」
「うん、まあ。……学生の時のことだから覚えてないのも仕方ないのかなと思う反面、私は結構傷ついたのになって」
「んで、どうしたいん?」
「んーわかんないから治くんに話してみようかなって思った」
これで気持ちの整理がつくかと言えば難しいだろうけど。一人で悶々と考えるよりは、もしかしたら別の視点で考えられるかもしれないから。
「私が告白したことも振ったことも全く覚えてなくて正直むかついた。でも、あーやっぱりかっこいいんだなっても思ったよ」
「乙女心は複雑やんな」
「もう乙女とか言う歳でもないけど」
「確かに」
私の言葉にうんうんと頷く治くんに思わず「そこは否定してよ」なんてつっむと、彼はわざとらしくおどけていた。
「……どう足掻いても昔好きだなって思った部分は変わらないんだよね、悔しいけど」
「俺ならいっちゃん最初に『なーんも覚えてへんの?』って即言うてしまいそやけどな」
「やって、自分だけもやもやしとるの嫌やん」なんて治くんは口を尖らせる。
ただ思い出してはもらえなかったが、私も精一杯の嫌味を言い返したことを彼に話せば「やるやん、強ぉ」と噴き出して笑ってくれた。
「でも悩むってことは、まだ好きなんちゃう?」
「…………どうかな」
「その間は図星やん」
ストレートにそう言われ、一瞬言葉に詰まってしまった。すかさずそこに茶化すような治くんのツッコミが入る。
さっき答えた時も、今は好きではない、嫌いだという言葉が真っ先に出て来ないのが答えだろう。きっと心のどこかではまだ好きなんだと思う。悔しいけれど。
忘れようとする前に苦々しい記憶まで一緒に掘り起こされてしまったが、悲しい、虚しいという気持ちだけではないのも確かだった。……思いもよらない出来事に、なかなか認められなかっただけで。
「……あーあ、モヤモヤするね」
「そういう割にさっきよかすっきりした顔しとるけどな」
「あはは、そうかも。まだ完全にとは言わないけど、大分気持ちも落ち着いたよ」
「ならよかったわ」
「治くんのおかげだ。ありがとね」
「どういたしまして」
一息ついたところで後ろからガラリとドアの開く音がし、驚いて背筋が伸びた。もう暖簾はおろしているし閉店のスタンド看板も置いていたはず。だから安心して話していたのに。
後ろを振り向いて確認するのも不躾だと思いながら私は前を向いたまま治くんの様子を窺っていると、よく覚えのある声が店内に響いた。
「サムーなんかうまいもん食べさしてー」
「来るなら連絡くらい入れとけや」
「……って、あれ、〇〇さんやん!」
暖簾をおろしているところに入って来れる人なんて一握りじゃないか。まだ飲み会は続いてるだろうと思い勝手にその可能性を排除していた。
やばい、どうしよう。そう思った時にはもう遅くて、すぐ私に気が付いた侑くんは声を上げた。居たたまれなくなった私はあたかも用事があるような素振りで慌てて鞄を持ち立ち上がる。
「治くん、ごちそうさま。今日も美味しかった、ありがとね。じゃあこれから母親のところに行くから、侑くんもまたね」
「ちょお待っ」
よくもまあ、ありもしない予定が口からスラスラと出てくるなと自分に関心しながら侑くんの横をすり抜ける。治くんには申し訳ないけれど、一方的にお礼を言ってお店を出た。あとでごめんってメッセージを送っておこう。
ドアを閉めて足早におにぎり宮を離れるも侑くんが追ってくる様子はなさそうだ。
お礼を言った時に見た治くんの表情はあの大きい目をこれでもかとまん丸くしていて、私が相談したことの相手がわかってしまったのかもしれない。……それでもしかしたら引き止めてくれたのかも。
「……あー、申し訳ないことしたな。ごめん治くん」
まだ夜を楽しむ人たちの中、ぽつりと呟いた言葉は通りすがりの笑い声にかき消された。