いつかの恋の記憶

あれから二週間、私は何故かまた閉店後のおにぎり宮に来ていた。今度はカウンターではなくテーブル席だけども。そしてもう一つ違うのは、目の前には治くんではなく侑くんがいるということだ。ここの店主である治くんはと言えば、奥で仕込みをしていると引っ込んでしまった。
なんとなく呼ばれた理由は察すれど、気まずいこの空気を私はどうしたらいいのかと考えあぐねている。なにか喋らないと先に進まないのになにも言葉が出て来なくて、私の口からは「えっと……」という声が漏れただけだった。

「ほんまにすんませんでした!」

侑くんは私の呟きに続き、机におでこをぶつける勢いで突然そう口にした。思わぬ謝罪とその声の大きさに肩が跳ね上がる。
今の言葉から治くんとの間でなにかあったのだろうと容易に想像できた。そうでなければあれだけ諦めないと啖呵切った後、こうして謝ることなんてないと思うから。

「あ、ごめん。なんか言いかけとったよな」
「ううん、大丈夫。何か言わなきゃと思ったけど何も出て来なかっただけだから」
「せやな……急に謝られてもわからんよな。それも悪い思うてる」

何についてなのかは大方想像はつくけれど。いつもは自信に満ち溢れてますーみたいな表情なのに、今目の前の彼は飼い主に怒られた犬のように小さくなっていてなんだかこちらまで居たたまれない。
カウンターの方をちらりと見ても治くんは出てくる様子はなく侑くんへと視線を戻した。

「いまさら謝っても無神経なことで傷つけたことには変わりないし、許してもらえるとも思うてへんけど」
「……うん」
「サムからアホみたいに怒られて、うっすらとやけど昔のこと思い出してん」

あの日侑くんが追いかけて来なかったからもしかしてと思ったけれど、やっぱり治くんが話をしてくれたんだ。
ぽつりぽつりと、侑くんが私に謝ったその理由を話し始めたので静かに耳を傾ける。

「正直サムに言われるまで昔のことはすっかり忘れとった。ほんまにごめん」
「……」
「大人になってからも傷つけてもうた」
「……うん。あの日侑くんから言われたこと私は全部覚えてるのに、忘れられてたのはさすがにショックだったけど」

そう伝えれば侑くんはまた「ごめん」と眉を下げた。

「でも、いまさらどうにかできるものでもないし。謝罪は受け取ったから、もう謝らなくて大丈夫だよ」

そう伝えると彼は少し複雑そうな顔をした。謝ってもらえたことでほんのちょっとは過去の自分が救われたのかもしれない。でもただ一方的に謝られてばかりだと正直居心地が悪くて、自分もこれ以上どうしていいか、どうしたいのかわからないのが本音だ。

「わかったならこれ以上近づかないで……って言いたいところなんだけど」
「……おん」
「そうはっきり突き放す気にもなれないんだよね」

その言葉を聞いてか、侑くんは少しだけ顔を上げる。その様子を見て私は続けた。

「もし思い出してたら、教えてほしいことがあるんだけど」
「おん、なんでも聞いて。嘘つかんから」
「あはは、疑ってないよ。……あの時、どうして俺じゃなきゃだめなのか、俺じゃなくてもいいって言ったのかなって」
「あー……」

侑くんはバツが悪そうな顔で声を漏らした。
まあ、自分から聞いといてだけどあまり掘り返したい内容ではないだろう。でもどうしてあの時その言葉を私に投げかけたのかどうしても気になった。侑くんは侑くんでしかないのに。
かといって本人が言いたくないことを無理矢理聞き出すつもりもない。

「無理にとは言わないよ。もし教えてもらえるなら、だから」
「いや言わして、こんなんで罪滅ぼしになるとは思うてへんし……大した理由やあらへんけど」
「うん」
「あの頃まあ恋愛なんか興味なかったいうのもあるけど、それよかいらついてたことあってん」
「……いらついてたこと?」

恋愛に興味がないというのは当時言っていたのを覚えている。だからまあそれはわかる。私が知りたいのはきっとそのもう一つのほう。彼がいらついていたという理由に隠されているのかもしれないと耳を傾けた。

「俺ら……サムもなんやけど、その頃から告白されることがぐっと増えてな。……やけど、間違う子が多かってん」
「間違う?」
「双子やろ、俺ら。告白ん時に間違える子も多かってん。ならどっちでもええやんて思うとったこともあったわ。多分、その時期やったんかなと思う」
「そっか……」

侑くんの話が本当なのであれば多感な年頃には酷な話だし、そういう理由なら当時の彼からあの言葉が出てきたのは納得できる。自分の好きな人なのに間違うって、結構……いやかなり失礼な話だと思うんだけど。

「だから、何も俺である必要なんかないやんて。苛立って誰彼構わず当たり散らかしとったことはあったと思う。きっとその時なんやろな……○○さんはなんも悪ないのにほんまにごめん」

そう言ってまた侑くんは頭を下げた。
……なんだ。自分を嫌っているからとか、私個人への嫌悪感だけで言ったわけではなかったんだ。当時の自分からしたらショックで、到底許せるものではなかったけれど。時間が経ち大人になってからこうしてひと悶着あって。……あの時の事情を知ったことにより胸のつっかえが取れたような気がする。
仕方ない……とまでは寛大になれないが、そうわかっただけで随分と違った。

「……私のことが個人的に嫌いっていう感情で言ったわけじゃないんだよね?」
「それは絶対ちゃう! さっきも言うた通り色んな人から間違われとったことと、単純に恋愛に興味なかったことが悪い方に噛み合ってしまってん……」

必死に否定する侑くんを見て「ふふ」と小さく声がもれた。そんな私を目の前にした彼は頭に疑問符を浮かべたような顔をしている。それもそう、今まで突き放すような態度をとったり、冴えない表情をしていた私が不意に笑ったんだからそんな顔もするよね。

「え、俺なんかおかしなこと言うた?」
「……ううん、なんでも」

思わず笑ってしまったのは、個人的な嫌悪感ではないと知ったうえで侑くんがそれを食い気味に否定したからだ。気持ちに少しゆとりができたことによって、こうも見え方が違うのかと単純な自分にも驚いた。

「私は昔のことだから水に流すよ、なんて言えるほど寛容な人間でもないけど。……それでもよければ、友達からとか」
「ええの!?」

私が言い終わるよりも早く、侑くんは食い気味に身を乗り出す。この切り換えの早さが彼のいいところなのかもしれないが、今はもう少し空気を読んでほしいところだ。

「や、あの、すまん。もう話しかけんといてとか言われると思うてたから……その、嬉しさが前に出てきてもうて……」
「あ、うん……もう少し空気読んでほしいかもとか思ったり……」
「引かんで! ほんますんません!」

そう言って謝る侑くんの姿を見て、昔からは想像できないなあなんて。それだけ私たちを取り巻く環境も変わり、大人になったということだろう。
呼び出されたときは憂鬱だったが、今となっては改めて話せてよかった。繋いでくれた治くんには感謝してもしきれない。

「ええ感じにまとまりそう?」

そう思っていると、奥の方からひょっこりと治くんが顔を出した。「ツムのおっきな声奥まで聞こえてきてん。あの声色は収集ついたかな思うて」なんて笑っていた。さすが双子とでも言うべきだろうか。

「治くんには何でもお見通しだ」
「えーかツム、今回のはでっかい貸しやからな。プリンじゃ足りんよ」
「わかっとるわ!」
「」









「うん、無事決裂したよ」
「え!?」
「そうなると思っとったわー」
「友達からって言うたやん!」

数年越しの彼からの告白がきっかけで、過去の出来事がまさかこんな風に進展するなんて想像もしていなかった。そして今みたいに冗談を言えることも。
どこか過去に縛られていた私の気持ちはこの柔らかな空間へとじわりと溶けていった。