「はぁ、はぁ…」
自分の体力のなさを呪った。日頃から適度に体を動かせとあれほど母親に言われていたのに。それを聞かず後悔する日が来るとは思わなかった。中庭は随分手前に関係者以外立ち入り禁止のテープが張られているため、一般の人たちが来ることはまずない。
……初めて角名くんに弱みを握られたこの場所へ、無意識に来るとは思わなかったけれど。
「…っ!?」
「掴まえた」
手首を掴んだその主は、ようやく巻いたと思っていた彼で。バレーでも日常生活でも冷静で、必死になるって感じじゃないじゃん。そっとしておいてほしいのに、どうしてこんなにも心を乱そうとするのか。
「なんで……離して!」
「離さない。話聞いてくれるまで、離さない」
ぐっと掴んだ手に力が入る。…残念ながらこの手を振り払う力は私にない。「わかったから、離して」と言えば、怪訝な顔をしながらも離してくれた。
私の気持ちをぶつけるとしたら、もうここしかないのかもしれない。今の角名くんならいつものように流さず、聞いてくれるかも。意を決して大きく深呼吸をした。
「…もう揶揄わないで。遊んでる女の子沢山いるくせに、思わせぶりな態度ばっかりとって」
「何言って…」
"特定の彼女つくらない"って言ったのも覚えてる。告白されても"面倒だ"って一蹴りしてることも治くんから教えてもらった。それなのに私の意思を無視して同じ係にさせたり、好きなお菓子をくれたり、今日なんか彼氏だなんて嘘ついて。私が角名くんを好きだからって、都合のいいパシリにしないでよ。
「待って、色々勘違いしてない?」
「何が」
「俺、遊んでる子なんてそもそもいない。特定の彼女つくらないのも面倒なのも、そりゃ好きな子以外は嫌に決まってるじゃん」
「…あの日股ドンしてたでしょ。綺麗な先輩に」
「あれは…あまりにしつこかったからいい加減にしてって言っただけ。だってキスか何かするところまで見た?」
「それは…見てないけど……」
そういうことだよ、と角名くんは呆れたように笑った。
そして彼がおもむろに懐から取り出したものは、先ほど北先輩に押し付けたクッキーで。聞けば北先輩から"預かり物"だと渡されたらしい。
「俺にくれようとしたんでしょ」
「……うん」
「ありがとう。北さんから、泣かせるなってお𠮟りも受けたよ。…本当にごめん」
「…じゃあ、もう解放してくれるってこと?」
「それは、できない」
思わずあっけにとられた。ここまで来てまだ揶揄うつもりなのかと。今までのことが誤解かもしれないということはわかった。でも私の気持ちを伝えたにも関わらず、今までの態度から替える気がないというの?
「まぁ、まさかここまでしても気付かないとは思ってなかったけど」
「え?何を…」
角名くんの大きな手が、私の頬にかかった髪をさらりと寄せて耳にかける。さっき助けてくれた時よりも距離が近く、彼の香りが鼻腔をくすぐる。心臓の音まで聞こえてしまうのではないだろうか、そう思うと自分の意志に反して顔にも熱が集まった。
「好きなんだけど。きみのことが」
「……へ」
「数ヶ月かけて、どれだけ外堀埋めたと思ってるの」
「そ、外堀って…」
言葉が見つからない。女遊びしてたと思っていた角名くんがそんなこと一切してなくて、思わせぶりな態度でからかっているだけだと思っていたのが私のことを好きだなんて。外堀埋めたってどういうこと?どこからどう信じていいのかわからず混乱した。
「せやでー。今角名が座っとる席やて、元は俺が引いたとこやしな」
「絡まれそうやからカフェもホールやらせたないって言っとったし」
「あの二人付き合うてるんやないかって、噂されるとこまでもってく言うてたもんな」
「せやな、噂が流れれば逃げられへん言うてたし大成功やん」
「はぁ!?ちょ、いつから…っていうか余計なこと言わないでくれる」
上から降る声に視線を動かせば、窓に寄りかかる侑くんと治くんの姿があって。ニヤニヤしながらこちらを見下ろしていた。角名くんはぱっと手を放し、先ほどまでの彼はどこへやら。顔を赤らめてあからさまに動揺していた。
「ぜーんぶ○○の誤解やし、安心してええで」
「元々"好きな子以外の女子は面倒で、告白されても彼女にする気がない"って言うんが角名やから」
「ほんとやめて」
角名くんがキッと睨むと「お礼は焼きそばとクレープでええで」「横に同じく。あ、でも俺は席代でたこせん追加で」なんて笑いながら二人は歩いて行ってしまった。先ほどとは違い、シンと静まり返る空気。二人の話が本当なら、逆に何を話したらいいのかわからなくなってしまった。
「えと…今の話、本当?」
「……できることなら忘れてほしいんだけど」
赤い顔を片手で隠しながら目を伏せる角名くん。こんな彼は初めて見るし、嘘をついているようにも見えない。
「席替え、治くんに交換してもらったんだ」
「…そうだけど」
「ホールやって欲しくなかったの?」
「俺もコスプレ姿見たいと思ってたよ。…でも他の人には見られたくないじゃん。実際絡まれてたし」
「……角名くんもびっくりするくらいかっこよかった。あの時はありがとう」
角名くんが隠していたことを知ってしまい、なんだか私も彼の弱みを握ってしまったような気分。視線を合わせず頬を赤く染めている彼を見ると、全身で先程の話が本当のことだと教えてくれてるようで嬉しかった。角名くんが裏でこっそりそんなことをしていたなんて、そんな風に想ってくれていたなんて、夢にも思わなかったから。
「ねぇ…ここまで恥ずかしいこと暴露されて、断るなんて言わないよね」
「…信じてもいい?」
「当たり前でしょ。何のためにここまでしたと思ってるの」
「ふふ、わかりづらいよ…」
「君が鈍感なだけでしょ」
先ほどとは違い、優しく手を握り角名くんの方へと身体を引き寄せられて。彼の胸に頭を預けた。私の後頭部に回された彼の手が髪を梳くように撫でれば、ずっとずれていたピースがようやく今ぴったりとハマったような気がした。速く動く彼の心臓に耳を傾けると、その緊張も伝わってきて。それに応えるように私も彼の背中へと腕を回した。