そう言えば今日の占いは八位だっけ。良くもなく悪すぎるわけでもない微妙な順位だったけれど、ふざけていた学生とぶつかって階段から足を踏み外すなんて最悪にもほどがある。仕事も終わって帰るだけだったというのに。
こういう時、景色がスローモーションのように見えるなんてよく言ったもので。まるで信じてはいなかったけれど、まさか実体験することになるなんて思いもしなかった。
咄嗟に手すりを掴もうとしたが、上手く掴めず手が滑り景色が大きく揺れる。最悪、と思った矢先に私の視界は真っ黒に染まった。
「大丈夫か」
頭の上から聞こえた声に思わず「……え」と口から漏れる。
落ちて、ない。もしかしてあの状態から助かったの? 待って……大丈夫かって。
恐る恐る顔を上げれば眩しいくらいに顔が整っている男性と目が合い、支えてくれていることに今更気が付いた。
「す、すみませ……っ」
「助けるためとはいえ、勝手に触れてすまない」
「いえ! こちらこそ重いのにすみません。このまま下まで落ちてたらどうなってたこと……か」
そう口にしながら改めて下を見れば、自分が思っていたよりも滑り落ちていたことがわかり背筋がヒヤリとした。ローヒールでよかった。受け止めてもらっていなければ今意識があるのかどうかも怪しい。
事の重大さに気付き慌てて身体を起こそうとすれば、足首が痛くて上手く立てない。
「無理に体勢を起こそうとするな。少なくとも捻挫はしているはずだ」
目の前の男性はそう口にすると、私が体勢を整えられるようにゆっくりと起こしてくれた。
「あ、ありがとうございます」とお礼を伝え、自分が落ちてきた方を見上げれば青い顔をして立ち尽くしている高校生くらいの男の子の姿が見える。事の大きさに恐怖したのか、私と目が合えば震えた声で「ごめんなさい」と小さく呟いた。
助けてくれた男性から「念のため連絡先を交換しておいた方がいいだろう」との助言を受け、階段を降りたところでその男子学生と番号を交換した。相当まずいとおもったのだろう、別れ際まで頭を下げていてなんだかこちらも居心地が悪かった。……まあ、私も助けてもらわなければ今頃どうなっていたかもわからないので当たり前の反応だとは思うけれど。
「改めてありがとうございました。生きててよかったです、ほんとに」
助けてくれた彼に向き直りもう一度深々と頭を下げた。
「そうだな。痛みが引かなければ明日にでも病院へ行った方がいいと思うが」
「はい、そうします。あの、なにか助けてもらったお礼を」
「礼が目的ではないから気にするな」
さも当たり前のことをしただけだというように淡々と口にするが、命を助けてもらったと言っても過言ではない状況だったから。何か一つでもお礼を、と思ったが受けてくれそうにはない。
「でも、助けてもらった私が気が済まないので。お金でもよければ今、」
「不要だと言ったはずだ。お金であれば尚のこと遠慮する」
「……じゃあ次もしどこかで会ったら、そしたらお礼させてもらえますか」
「――そうだな、それならば覚えておこう」
偶然出会ったらなんて言ってしまったが、どこの誰かもわからない、もちろん生活圏もわからないので再度会う確率なんてないに等しいだろう。それならそこまで相手の負担にもならないはずと提案をすれば、案外あっさりと受け入れてもらえた。
多分もう会うことはないと相手も思っているからだろう。
最後に軽く会釈をして、ようやく帰路についた。
*
捻挫した次の日は湿布のおかげかそこまで痛みは酷くならなかったので買い物に出かけることにした。偶然会えたその時にでも、お礼を渡せたらとそう思って。
「んー、携帯灰皿だけっていうのも……」
助けてもらった時に彼からシガレットの香りがしたので、携帯灰皿だけは買おうと決めていた。だけどそれだけではなんとなく味気がなくて、雑貨屋の中をふらふら歩いていたがなかなかピンとくるものがない。
それはそうだ。相手の名前も、職業も、なにも知らないのだから。
「あ、そういえば」
ふと彼が手にしていた袋を思い出し、文具コーナーへと足を進めてシンプルなステンドグラス風のしおりを手に取った。見間違いでなければ私もよく行く書店の袋だったような気がしたから。
もし違ったら……その時考えることにして。この大きさなら鞄で持ち歩いても嵩張らないし、いつばったり出会ってもいいように私は普段使いの鞄へとそれを潜ませた。
*
『私が誘ったのに、遅くなっちゃってごめんね』
「仕方ないよ、仕事でトラブルあったんだから」
『うん……でももっと早い時間に連れて来たかったよ』
「でも来れたからいいじゃん、お腹空いたし注文しよ」
『そうだね、ありがと』
友達に誘われて来た期間限定のイベントカフェは、なんでもイケメンが多いと友達の会社で話題になっていたようで。事前に約束をしていたが、仕事のトラブルがありラストオーダーの三十分前になってしまった。比較的落ち着いているが、まだまだ女性客で賑わっているようにも見える。
「お待たせしました」
お腹を空かせた私たちは、声とともに運ばれてきたボリューム満点のハンバーガーに目を奪われる。そして料理をテーブルに並べ終えたローラースケート姿の店員さんが立ち去り際に「こちらで全てお揃いですか」と確認事項を口にし、はっと顔を上げた。
「はい、ありがとうございま……あっ」
店員さんを見上げた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは一か月ほど前に私を助けてくれた人で。まさかこんなところで出会えるとは思わなくて、思わずあっと声に出てしまった。
「……なにか?」
「あ、あの……いえ、大丈夫です」
「ではごゆっくり」
はっとしてあの時のお礼を言おうと思ったが、今は仕事中で。他のお客さんもいる中話しかけたら迷惑だろうと言葉を濁した。……が、友達はそんな私を見逃さなかった。
『なに、え、さっきの人知ってるの!?』
「や、そうだといえばそうだし……もしかしたらあっちは忘れてるかもしれないけど」
『詳しく教えてよ!』
私はご飯を食べながら一ヶ月ほど前のいきさつを話すと、友達は『なにそれ漫画? っていうか、あんたが無事でよかった……』と口にした。
今考えてもあそこから落ちれば、まず軽傷では済まなかっただろうから。行きずりの彼には本当に感謝している。
だからこそ声をかけられればよかったが、何しろ女性客も多く彼は仕事中だ。さっきの場では迷惑をかけてしまう。
かといって、話せるまでここに通うのはストーカーみたいだし。……せっかく会えたチャンスは逃したくないなあ。
『めもとか店員さん伝いで渡してもらったら?ナンパの手口みたいだけど、話せばわかるかもしれないしダメもとで』
「うーん……あまり気が進まないけど、」
『お礼渡したいんでしょ。ま、でもイケメンだからそれだけじゃないかもだけど』
「ちが……っ、やめてよー!」
確かにあの日助けてもらったことで、吊り橋効果なのか一目ぼれしそうだったけれど。きっと漫画みたいに上手くいくことなんかなくて、お礼を渡したらそこまでだろうと思っている。
本当はあの場でお礼として何か受け取ってもらえていたら、それで済んでいた話だから。それが少し延長しただけで、この先になにかあるかもだなんて期待はしていない。
私が絶世の美女とかであれば話は変わっていたかもしれないが。悲しいことに、いたって普通の会社員。なんなら今健康に生きてるだけで幸運だから。
『じゃ、行こっか』
「うん」
レジの担当は女性の人がしていて、お会計を済ませてからお客さんが並んでないことを確認し声をかけた。この前助けてもらったことと、電話番号を書いただけのメモを手にして。
「あの、すみません。もし大丈夫であれば、このメモを赤い髪の店員さんへ渡してもらうことはできますか?」
「……申し訳ございません。そういったことは一律お断りしております」
「あ、いえ全然。ダメもとだったので……」
内心当たり前だよなあと思いながらも、女性店員さんにはっきりと断られじわじわと恥ずかしさが募る。この人から見たら、すごくがつがつしてるように見られたんだろうなと思うと余計に。
「すみません」と言いながらメモをしまおうとすれば、すっとその感触が手から消えた。つられるように上を向けば、あの日の赤い髪の彼がそのめもを持っていて。思わず「あ、」と声に出てしまった。
「弥代、俺の知り合いだから問題ない」
「! そうでしたか。大変失礼しました」
「あ、いえそんな」
びっくりした、まさか覚えてくれているとは思わないし、気がついていたなんて。
レジでともせさんに電話番号を書いためもを渡す、一度は弥代に拒否られるが、本人が後ろからきてめもをもらう
意外にもよく会う、ということは生活圏が近いのだろうか
鼓動がやけに大きく感じる