研磨が彼女との記憶を辿る話*

『ごめん、研磨の気持ちがわからないよ』

彼女が高校を卒業する最後の日、そう言っておれは振られた。

多分その時も彼女のことは好きだった。ただ実際言われた時は"そうか"くらいにしか思わなくて、ピンときていなかったんだと思う。付き合う前の生活にただ戻るだけだと。

ひとつ年上の彼女は高校を卒業してすぐに働くと言っていた。けれどどんな職種に就くのか、どこで働くのかも全く知らなくて。…聞けるチャンスなんかいくらでもあったのに。おれは彼女の何を知っていたんだろう。

別れを告げられ、何の関係もなくなってからそう思っても手遅れで。かける言葉も見つからず、一歩先に社会に出て大人になる彼女の背中をただただ見送ることしか出来なかった。


その後部活で三年生を送る会をした時、付き合っていることを知っていたクロと夜久くんには一応別れたという報告はして。
その時の二人の反応はよく覚えている。"は?"という顔をしたクロと、納得がいかないとでも言うように顔を顰めた夜久くん。
夜久くんに至っては何か言いたそうにしていたが、無理に聞くことでもないので自分から問いかけることはしなかった。

―――――…

それから一度も彼女へ連絡するきっかけもなく部活、勉強、ゲームに追われた。おれは連絡先を削除しなかったためトーク画面はあの時のまま。たまにアイコンが変わっていて、連絡先はそのままなのだと心のどこかでほっとしていた。

気が付けば別れを告げられた卒業式の日を迎え、晴れて大学生になった。ある程度自由になってからは自分のやりたいことを突き詰め、プロゲーマーや配信者など肩書きも増えて。勿論それによって、他人との交流を避けられない場面も多かった。あからさまに向けられる好意もあったが、どれも自分にとって心地良いものではなくて。○○の時のように付き合いたいと思えるような人には出会わなかった。

食事の場では、○○は何でもきれいに食べていたなとか。うさぎのキャラクターを見れば、○○が集めていたなとか。日常の様々なことをきっかけに、何故かあの頃よりも彼女を思い出すことが増えた気がした。別れてから数年が経っているというのに。

「この前の…って研磨、どうした?」
「あ、ううん。別に」
「あの子気になってんのか?珍しい」
「違うってば」

……○○は美味しそうにご飯食べてたなって思い出しただけ。そう言うとクロは怪訝な顔をして呟いた。

「お前、まだ○○のこと好きなのか?」
「は?そんなわけ……」

途中まで言いかけるも"ない"とは何故か言い切れなかった。なにかと彼女と重ね、彼女のことを思い出している。思い出補正という言葉もあるが、ずっとそれだけではない気がしていた。……これを好きと言わず、なんと言うのだろう。

「…研磨、そういうとこあるよな」
「ねぇ、なにが言いたいの」
「べっつにー?」

にやついた顔で手元のグラスをくるくると回すクロ。これはおれを揶揄っている時の顔で。不服ながら言い返す言葉もないため、黙って自分のグラスへと視線を落とした。

―――――…

"話がある"

珍しくクロからそう連絡があった。用件を聞いても直接言いたいと、一切教えてくれず。疑問に思いながらも当日クロが予約した個室の居酒屋へと向かった。

「黒尾で予約してるんですけど」
「はい、ご案内いたします」

店員さんについていき「どうぞ」と襖が引かれるとそこにはクロはいなくて。

「え……けん、ま?」
「……あの、黒尾の予約はここで合ってますか?」
「ええ、こちらで承っておりますが…確認致しますか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
「ではメニューをご覧になってお待ちください」

タン、と閉められた静かな襖の中。数年ぶりに思わぬ人物と二人きりになると、誰が思っただろうか。少し大人びた彼女を見て、なんと言葉にしていいかもわからず視線を泳がせた。毎日何千、何万人相手に配信しているというのに、今の方が余程緊張する。「とりあえず…座ったら?」という彼女の言葉にハッとし、向かい側へと腰をおろした。
襖の外から聞こえてくる店員さんやお客さんの声。何か話せばいいんだろうけど、気の利いた言葉が出てこない。いつもどうやって話しているのかを忘れてしまったかのように。

スマホが振動し画面を見ればクロからのメッセージ。すぐに開けば"少しは前払いしてあるから、足が出た分は研磨が払ってな。ちゃんと話しなさいよ"という言葉と親指を立てたキャラクターのスタンプが送られてきていて。余計なことを…と思っていたら、おれがスマホを見たすぐ後に○○も自分のスマホを取り出して見ていた。誰からの連絡だろう、なんて自分には気にする資格すらもないのに。

「……とりあえず、最初の飲み物選ばない?揃ってから選ぼうと思ってたから」
「あ、うん」
「私はノンアルコールのカシオレにするね、研磨は?」
「おれもノンアルコールのアップルピーチジンジャーで」
「ふふ、やっぱりりんご好きなんだね…て、ごめん」

何で謝るの、と言おうとした瞬間に襖が開いて店員さんがお通しを持ってきた。最初のドリンクと簡単に摘まめるものの注文を受けすぐさがったため、また二人の空間に戻る。

「……あのさ、おれと二人だと彼氏とか心配しない?」
「今はいないから、大丈夫だよ。研磨こそ大丈夫?」
「おれの心配はいらないよ」
「…そっか」

今は、という言葉がちくりと刺さる。少し前まではいたのかなとか、どんな人と付き合っていたんだろうとか。おれの知らない空白の期間を埋めていた人がいたんだと思うと、胸が締め付けられるようだった。……何を思っても今更でしかないけれど。

こんこんと襖を叩く音がし、ドリンクとおつまみがテーブルに置かれた。あとはもうこちらから呼ばない限り店員さんが来ることは殆どない。話すなら今。クロの"ちゃんと話しなさいよ"という言葉を思い出すも、いざとなったら何を話したらいいのか何を伝えたらいいのか出てこない。

「……あのね、衛輔くんから聞いて研磨の配信少し覗いたよ。登録者も同接もすごい人数だね」
「あ、ありがとう」
「好きなことで沢山の人の目に留まるって、簡単にできることじゃないよ。月並みな言葉しか出てこないけど、すごくかっこいいと思った」

そう言って笑う○○は昔と何も変わらない。あの頃は何とも思わなかったけど今ならわかる、彼女は当時からこうして思ったことをストレートに伝えてくれていた。それに比べておれは?今も昔も何ひとつ伝えられていないのではないだろうか。今日だって自分から何を話しただろう、全部○○から話を振ってもらっていて彼女の今は何も知らない。

「……研磨?」
「ごめん」
「え、どうしたの急に」
「高校の時、あんなこと言わせて…本当にごめん。……もう遅いってわかってるけど。○○と別れてから今までのこと、よかったら教えてほしい」

そう伝えると、目を見開いて真っ直ぐおれを見る彼女。その瞳にはどこか戸惑いの色も見えて。…こんな顔させたいわけじゃなかったのに。

「ご、ごめん。付き合ってもないのに嫌だよね、忘れて」
「違う、嫌とかじゃなくて。……研磨が、私に興味持ってくれてたんだって思ったら」

嬉しくて。と、そう紡ぐ彼女の唇は震え、微かに瞳が濡れているようにも見える。こういう時はどうしたらいいのだろうと思考を駆け巡らせても、経験がないため答えは見つからない。おろおろとした行き場のない手を、向かい側にいる彼女の頭へと乗せた。

「……けん、ま?」
「どうしていいかわからなくて…ごめん」
「…っふ、さっきから謝ってばっかり」

仕方ないでしょ…と頭を撫でたまま視線を逸らせば、聞こえる彼女の小さな笑い声。撫でてくれてありがとうという言葉と共に、名残惜しさがありつつも手を離した。

「私こそ、あんな曖昧な言葉で一方的にごめんね。研磨から異性として好かれてる、って自信がなかったの」

私ばかり研磨を好きみたいで、でも言ってからずっと後悔していたと、○○は手元のグラスへと視線を落とした。
しかし元を辿れば彼女にそう思わせてしまったのは自分のせいで。しかも当時はその言葉の意味が分からず、連絡すらとろうとしなかった。その感情に疎かったとはいえ本当に酷なことをしてしまった。

「○○は悪くないよ、おれがそう思わせるようなことをしたから」
「…じゃあ研磨はあの時ちゃんと私を好きでいてくれたんだ」
「そう…って気が付いたのはずっと後になってからだけど」
「ふっ、そっか。大人になったんだね」
「バカにしてるでしょ」

むっとすれば「ちょっとだけ」なんておどけて笑う彼女を見て少し安心した。

「ねぇ、別れてからのこと教えてって言ったよね。聞いてくれる?」
「…うん、嫌じゃなきゃ教えてほしい」
「ありがと。研磨と別れてから、付き合ってた人がいたんだけど」

まさか付き合ってた人の話からくるとは思わなかった。全く気にならないと言えば嘘になる。でも聞く準備ができたかと言われれば、正直まだで。でもここで聞きたくないと言うわけにもいかず、腹を括った。

「あまり長く続かなくて、振られたんだ。理由なんだと思う?」
「……わかんない」

面白くなくて少し素っ気ない返事になってしまったかもしれないと、言った後に反省する。でもわかるわけがないし、知りたくもない。

「"俺を誰と重ねてるんだ"って言われちゃった」
「……!」
「忘れようって意識すると、余計脳内に刻まれるんだよね」

おれって案外単純かもしれない。さっきまで知りたくないって思っていたのに、いざ理由を聞いたら嬉しくて。じわりとあたたかいものが胸に広がる。

「…おれも」
「?」
「○○のことよく思い出してた。美味しそうにご飯食べてたなとか、あのキャラクター好きだったなとか」

覚えてくれてたんだ、なんて笑ってるけど彼女の声は震えていて。堪えきれなかった涙の粒が、ぽろりと零れ落ちる。笑ってるのに泣いている、その姿がどうにも愛おしくて。そっちに行っていい?と聞けば小さく頷く彼女。向かい側に移動して親指の腹で○○の涙を拭えば、近距離で目が合う。クロが予約してくれたここが、個室で本当によかったと今初めて感謝した。

「ねぇ、もう一度付き合ってほしいんだけど」
「……うん。でも、いいの?私大人になったのに寂しいって我儘言うし、研磨に好き?って聞いたりもするよ」
「何それ、可愛いじゃん。どんどん言ってよ」

おれも言うし。と、彼女のおでこに唇を落とせばくすぐったいのか身を捩る。瞼、頬と順番に口付けし、空白の時間を埋めるように優しく唇を重ねた。