中学三年生、肌寒い冬のとある日。それは前触れもなく突然やってきた。
「いなりざき高校?」
「そ、スカウトされた」
「私知らないかも、どこら辺にあるの?」
「……兵庫」
「え」
「兵庫県」
バツが悪そうに顔を逸らす、彼氏である角名倫太郎。思いもよらない言葉で頭が真っ白になった。兵庫県って、どこにあるんだっけ。ここからどれくらいかかるのだろう。そんなことすらすぐ理解できないくらい混乱していた。
「えっと…生活は大丈夫なの?」
「寮あるから」
「そ…か、もう決めたんだ」
「……うん」
こんな大事なこと、もっと早く教えてくれたっていいじゃないか。どうして今なの、もう卒業までそんなに時間はないというのに。……狡いよ、もう決めたんだったら私が言える言葉なんてひとつしかないじゃないか。
「頑張ってね、応援してる」
「うん、ありがとう」
上手く笑えただろうか。気付かれないように震える唇を必死でおさえ、そう一言絞り出すことが今の私にできる精一杯だった。いつもならギリギリまで一緒にいるお昼休み。でも今日ばかりは堪えられそうにない。
「ごめん、そういえば先生に呼ばれてたんだった」
「……そう」
「先、戻るね。じゃあ…また後で」
袋にしまったお弁当箱を胸に抱え、足早に空き教室を出た。離れた途端にじわりと滲む涙を止める術はない。俯いて静かに自分の教室へと入り、後ろのロッカーにお弁当の袋を突っ込む。
「あれ、○○?今日角名くんと一緒に食べる…って、どうした!?」
「澪ぉ…」
「待て待て!ちょっと行こう」
友達の澪に連れられ教室を出て、立ち入り禁止の屋上へ続く階段の踊り場まで歩いた。なるべく人目につかないよう、落ちる涙をたまにハンカチで受け止めながら。彼女の影に隠れるように、俯いて小走りで。
「で、どうしたのよ」
「……倫太郎が、バレーでスカウトされて兵庫県の学校に行くんだって」
「……は!?い、今言われたの…?」
驚いている澪の質問にこくりと頷けば、彼女も言葉が出てこないようで。何も言わず優しく頭を撫でてくれる。
「もう…決めたんだって。そしたらさ、私は頑張ってって言うしかないじゃん」
話しながらぼろぼろと零れ落ちる涙。擦らないようにハンカチで押さえるもそれはとどまることを知らない。
わかっている、今の自分にはどうしようも出来ないこと。県外の高校から声がかかるほどの実力をもつ彼氏に"行かないで"なんて絶対言えない。彼氏を追いかけるためだけに、兵庫の高校を受験できるわけがない。
……高校は別になったとしても一緒にいれると思ってた。もっと一緒にいたかった。本当は頑張れじゃなくて、寂しい、行かないでって言いたくて仕方ない。でもこの感情は、倫太郎がこれから目指す先の邪魔にしかならない。そんなのは絶対に嫌だ。
県外から倫太郎がスカウトされたのはすごいことで、関係ない私ですら誇らしいと思うのに。……誰も悪いわけではない、寧ろ彼にとっては良いこと尽くめで。だからこそこの行き場のない感情をどうしたらいいのかわからない。
「もう、ぐしゃぐしゃだよ……っ」
いつ振りなのか。澪に支えられ子供みたいに泣きじゃくった。
―――――…
あれから何となく高校のことには触れないように過ごした。あと少しの期間倫太郎と楽しい思い出だけで埋めたくて、何より話せば自分が泣いてしまいそうで。私は受験があり、倫太郎はバレーの練習があったからそう多くの時間はとれなかったが。
受験が終わり、卒業式を迎え、合格発表があった。合格は嬉しいけれど、倫太郎と離れなければならない日が刻々と近付くのを証明しているようで。同時に何とも言えない寂しさが押し寄せた。
時間は無情にも過ぎていくもので、いくら願ってもその流ればかりは止められない。嫌だ、と思ってもとうとうその日は来てしまった。
カラカラとキャリーバッグのタイヤの音が駅の中に響く。入場券を買って、倫太郎のお見送りに来た。彼の家族もいたのだが、気を遣ってくれたのか改札前までのお見送りで。今は二人きりの最後の時間を過ごしている。あと三十分もすれば倫太郎もここを発ってしまう。
「…私が来たから気を遣わせちゃったかな」
「気にしないで、改札の中まで来ないでって言ったの俺だから」
「私はいいの?」
「寧ろギリギリまで一緒にいてよ」
「えーふふ、そんなこと言うなんて珍しい」
その優しさがちくりと胸に刺さる。……だったらこれからも一緒にいてよ。そんなに優しくしないで、離れるのが余計辛くなる。なんて思っていても、バイバイする最後の瞬間まで私は倫太郎のいい彼女でいたい。だから、絶対口には出さない。
乗車口まで行くと、もう多くの人が新幹線へと乗り込むために並んでいた。並ばなくていいの?と聞けば、最後に乗るからいいと私の傍にいてくれた。
「……もう少しだね」
「うん」
「倫太郎にこれ、プレゼント。使ってもらえたら嬉しい」
「開けていい?」
こくりと頷けば丁寧な手つきでその袋を開ける。中から取り出したものを見ると、彼は目を細め薄い唇は孤を描いた。
「これ、可愛いね。嬉しい…大事に使う」
「タオルはいくらあっても困らないでしょ?沢山使ってね」
最後だし、もっといいものにすればよかったかもと思ってしまうくらいには喜んでくれて。倫太郎はきれいに畳んでまた袋に戻した。そしておもむろに鞄から小さな袋を取り出し、それを私の手のひらに乗せる彼。同じく開けていいかと聞けば、首を横に振って「帰ってから見て」と一言。わかったと頷き可愛らしい包装紙のそれを自分の鞄にしまった。
別れの合図とも言える乗車のアナウンスが鳴った。もう殆どの人は乗車していて。残るはギリギリに駆け足で乗車しようとしている人と、恐らく倫太郎だけ。もう自分たちのところには誰も乗って来ないのを確認し、新幹線へと足を踏み入れた。
「バレー、頑張ってね」
「当たり前でしょ」
「倫太郎とギリギリまで一緒にいれて楽しかった」
「それは俺も。ここまで来てくれてありがと」
私の頬を彼の手が滑り、触れるだけのキスをした。この大きな手のひらも、柔らかな唇も、優しい香りも。……全部、明日からはないんだ。熱いものが込み上げるもぐっと我慢して。
そして最終のアナウンスが鳴る。……本当に、お別れだ。
「倫太郎?」
「ん、なに」
「……あっちで可愛い彼女見つけるんだよ」
「は?何言っ…」
彼が全てを言い切る前にドアが閉まった。このタイミングを見計らって伝えるなんて、私も大概狡い人間だ。でも、仕方ないよね。自然消滅するのは踏ん切りがつかなくて嫌だし、そもそも遠距離なんて耐えられる気がしない。
窓越しに何かを伝えようとしている倫太郎。私は笑顔でいれただろうか。出発のメロディが流れ、私たちの意志とは関係なくゆっくりと動き出す新幹線。
"だいすきだよ"
彼に見えたか見えてないかもわからないけれど、どうしても最後に伝えたかった私の我儘。見えなくなった新幹線を背にスマホの連絡先を開いた。彼をブロックして連絡先を削除し、私の恋に幕を引いた。
寄り道をする気分にもなれず、真っすぐ帰宅して自分のベッドへと沈む。何かがすとんと抜け落ちてしまったような、そんな気分。首だけ動かして鞄を見れば、置いた反動で少しだけ飛び出したプレゼント。重い身体を引きずりその袋を引っ張り出した。
「……なんだろ」
とめられたシールをゆっくりと剥がし、中身を取り出せばイヤリングとピアスが入っていた。デザインは違うけれど、どちらも輪っかがモチーフになっていて。彼と私の誕生石のビジューがあしらわれた、シンプルで可愛いそれ。まだなにか入ってる、と袋を逆さまにすれば1枚のカード。
"次会う時はピアスホール開けてるかもしれないから二つ選んでみた。〇〇のこと離れても好きな気持ちは変わらないから"
なんて、彼らしくもないメッセージが綴られていた。好きだなんて恥ずかしいってあまり言ってくれなかったもんね。これがあったから家で開けてって言ったんだ。
しかもピアス開けたいって言ったのも覚えててくれてるし…。
「…本当、この意味わかってるのかな」
意図してこのプレゼントを選んだとしたら、私の大好きだった角名倫太郎は最後の最後まで優しくて酷い彼氏だった。
*
あれから無事高校に入学し、新しい友達もできた。放課後にゲーセンやカフェへ行ったりして、それなりに楽しく過ごしている。ただ高校に入って何度か告白もされたが、そういう気分には一向になれなかった。
なんて未練がましいのだろうと自分でも思う。自分から振っておいて、忘れられないなんて。離れたら諦めがつくし、きっと忘れられる。そう思っていた当時の私はなんて浅はかだったのだろうか。忘れようとすればするほど、脳裏に焼き付き彼が恋しくなるということをその時は知らなかった。
現実から目を背け一度も検索しなかったイナリザキ高校。県外からスカウトし寮もあるのだから、間違いなく強豪だろう。そんな中でバレーに打ち込む彼は、忙しくてもう私のことは忘れているはずだ。あんな別れ方をしたんだから尚更。……それなのに、私の時間は止まったままで。
……倫太郎のいない二度目の冬を過ごしている。
「はぁ…寒い。一瞬で家に着いたらいいのに」
母親から買い物を頼まれた帰り。まだ抜けきってないお正月の雰囲気の中、ホットココアを飲みながら家までの道を足早に辿る。
"稲荷崎高校、宮侑のサーブ!"
どくん、と心臓が大きく鳴ったのがわかる。実況だろうか、店先に並んでいるテレビから忘れたくても忘れられない高校の名前が聞こえてきた。心臓の音が煩い。恐る恐るその方向を見れば、春高バレーの実況中継が放送されていた。画面には烏野高校と稲荷崎高校という文字が並びそこには、
「り…んたろ…?」
今は引きで映されているためはっきりと顔は見えないけれど。ネット際で構えているその姿は、間違いなく倫太郎だった。無意識に足がテレビの前へと向かう。熱い物が込み上げるのを我慢し、テレビへと釘付けになった。
"角名倫太郎が止めたー!"
やがて彼のプレーがテレビに大きく映し出され、鳥肌が立った。スカウトされて稲荷崎高校へと入学し、二年生なのにもうレギュラーになっていて。今のこの気持ちをどう言葉で表現したらいいのだろうか。胸が熱くなる、胸がいっぱいになる、近いけど少し違う。
「……かっこいいなぁ」
こんな大きな舞台で試合している彼を見て、あの時我儘を言わなくて本当によかったと改めてそう思った。倫太郎がこんなにもバレーに打ち込めているのだから。
"稲荷崎高校がタイムアウト!強制的に流れを切る"
各高校がベンチに戻っていき、その間実況席やそれぞれの高校の様子が映る。
「…っ!」
稲荷崎高校側のベンチが映ると同時に呼吸を忘れ、胸が苦しくなった。倫太郎が肩にかけていたのは、私もよく覚えのあるタオル。…でも探せば同じようなデザインはいくらでもある。そう思ったが彼がアップで映った時に見えたそれは、紛れもなく私があげたものだと確信をもたせた。
『倫太郎ってさ、チベスナにそっくりだよね』
『何それ』
『見て、可愛くない?』
『えー俺こんな顔してる?』
『まさに今の顔がそっくり』
なんて話していたのを思いだして、急遽お店の人にお願いしたそれは彼のイニシャルとキツネのシルエットの刺繍。少し不安があったものの実際見た彼は『これ、可愛いね』そう笑って見せてくれた。
テレビへと映るように羽織っているそのタオル。二年も前にあげたのに色褪せていないそれを見て、胸が締め付けられた。大切にしてくれていたんだという嬉しさと、偶然か意図的なのかわからない困惑。今これを見ても、私はどうしたらいいのかわからなかった。
試合はまだ序盤。そこから駆け足で帰宅し、春高の中継をかけてテレビの前を陣取った。この大きな舞台で堂々と試合している倫太郎が、誰よりもかっこよく見えて。気が付けばかじりつくように最後まで見ていた。
結果、試合には負けてしまったけれど込み上げるものがあり無意識に涙が落ちる。リビングへと来たお姉ちゃんから「何泣いてんの!?」なんて驚かれるも「何でもない」と部屋へ戻った。
ベンチが映る度に使っていたのは私があげたタオルで。それに気付いた私はどうすることが正解なのだろう。意図的なのか、そうじゃないのかもわからないのに連絡する勇気なんて微塵もない。いや、意図的だとしてもどの顔を下げて連絡しろというのか。……彼の考えていることが全くわからなかった。
―――――…
複雑な気持ちを抱えたまま一年が経ち、また春高の季節が巡ってきて。去年初めて認識した稲荷崎高校は今年もまた春高のトーナメント表に名前を連ねた。
何となく、彼を一方的に見ているようで気が引ける。なんて思いながらも倫太郎への気持ちがずっと消えずにいる今、離れた場所から唯一彼の姿を見ることができるのはこれくらいで。燻る気持ちに気付かないふりをし、稲荷崎高校の最後の試合まで固唾を飲んで見守った。
去年の不意打ちとは違い、稲荷崎高校の試合を最終日まで追いかけて気付いたことがあった。テレビに映る稲荷崎高校のベンチを見れば、倫太郎の肩にかけられたそのタオルは去年と同じ私が渡したもので。春高の間は毎日使用していたように見えた。倫太郎はそのタオルをくしゃりと細くして首にかけることはせず、広げて羽織り汗を拭く。
ここにきてようやく意図的に見せているのではないかと、薄っすら思い始めた。見つけてほしいからなのか、それとも連絡が取りたいと思っているのだろうか。その理由を考えるも自分の都合のいいものしか思いつかず、なんて傲慢なんだろうと自分で自分に呆れてしまう。……嫌われてもおかしくないことをしたというのにと、それ以上考えるのをやめた。
* * *
高校の卒業式も終わり、東京へ就職を決めていた私は荷造りを進めている。もう大分片付いた部屋を見て、本当に実家を出るんだと実感が湧いた。
そんな中、彼を重ねつい買ってしまったキツネがモチーフのアクセサリーボックスが目に入り蓋を開ける。倫太郎からもらった時のまま、きれいな状態でイヤリングとピアスがそこにはあった。…メッセージカードと共に。この意味を知っているからこそ、自分には不釣り合いだとつける勇気も出ずもうそろそろ三年が経とうとしていた。
不意にピンポンと、一階からインターフォンの音が微かに聞こえた気がして。今日は平日で親も姉も仕事でいなく、面倒だけど自分が下りていくしかなかった。はーい、なんて言いながら急いで下りドアを開ける。
「久しぶり」
思いもよらない人物に、ひゅっと息を呑んだ。今この瞬間に周りの音も聞こえなくなって。自分と彼だけが隔離されたような、そんな気分だった。呼吸をするのが精一杯で、声が出ない。いつもより大きく動いている心臓が自分でもわかる。「ねぇ」という彼の声で我に返った。
「ごめ…っ」
「は!?ちょっと!」
何を思ったか焦ってドアを閉めようとすると、あっさりと彼の手によって止められて。「久しぶりだっていうのにどういうこと」なんて怒られた。押さえられたドアの間から、玄関へと足を踏み入れる彼。
……こんなに、大きかったっけ。落ち着いて彼を見上げれば、最後に会った日よりずっと高くなった身長。テレビで見るより大人っぽくなった顔つきに、春高の時よりも短くなった髪型。そっと倫太郎の頬へ手を添えれば、今まで触れることすらできなかった彼が私の目の前にいることを実感する。
眉尻を下げ目を細めて。今までにないほどの優しい声色で「ただいま」なんて言われれば、せき止めていたそれが一気に溢れた。
「ご、ごめんなさいーっ」
「ふっ、すごい泣くじゃん」
溢れる涙を自分の意思でどうにもすることはできなくて。泣いたまま謝れば倫太郎は笑って自分の胸へと私を収めた。あたたかくて優しくて、懐かしい大好きな香りに包まれる。今ここに彼がいることを全身で感じられた。
* * *
「どう?泣き止んだ」
「ごめん…」
「いいよ、感動の再会ということで」
なんて彼は笑う。ひとしきり泣いて落ち着いたあと玄関の鍵を閉め、私の部屋へと上がってもらった。冷静になればあまりにも恥ずかしくて、穴があったら入りたいという気持ちが今身に沁みてわかった。
「で、倫太郎はどうしてこっちに…?」
「高校も卒業したし、上京も決まったから一旦戻って来た。ついさっき」
「さっき!?」
「実家に荷物置いて、すぐ飛び出して来たよ」
「ま、待って泣きそうだからやめて」
先程の大泣きで、私の心はいくらかすっきりした。三年という長い月日連絡すらもとれなくしていたにも関わらず、会いに来てくれて。前と変わらず私を受け入れてくれた倫太郎。月並みな言葉でしか言えないけれど、それが堪らなく嬉しくて。油断をすればすぐ涙が落ちそうになる。
「ねぇ、春高…見てくれた?」
「見たよ、高校二年の時たまたま道端で。そこから今年も見た」
見たんだね、なんて真剣な顔つきできゅっと私の手を握る。「…で、気付いた?」と問いかけられても、どう返すのが正解なのかわからなくて。その目を真っ直ぐ見ることができず目を伏せ答えた。
「…タオルのこと?」
「そう。あの日いい彼女つくれなんて言われて、納得すると思う?こっちはそんなつもり全くないのに」
「……」
「だから春高で俺を見つけて、タオルに気付いてモヤモヤしたらいいのにって思った」
顔を逸らしたのが気に入らなかったのか、倫太郎は私の顎を掴み彼の方へと向かせられて。「そしたら俺のことずっと考えてくれるでしょ?賭けではあったけど」なんて薄っすらと笑った。
全部、倫太郎の思惑通りだったなんて。遠くから意地でも私にわからせようとした彼と、突き放して忘れようと…忘れてもらおうとした私。蓋を開ければ倫太郎の方が一枚も二枚も上手だった。
「……そういうとこ、狡い」
「だって先にけしかけたのは○○じゃん」
そう言われると返す言葉が見つからず、口をつぐむ。
不意に倫太郎の目線が私の斜め後ろへ逸れ、手を離して立ち上がった。もう大分片付いてきているこの部屋で何が彼の目を惹いたのだろうと姿を追う。ぴたりと止まった倫太郎は何かを手に取って振り向いた。
「これ、持っててくれたんだ」
倫太郎が手にしているのはあの日もらったイヤリングで。そういえばインターフォンが鳴って慌てて下におりたから、アクセサリーボックスを開けたままだった。
「うん…でも、一回もつけてない。ごめん」
「プレゼントに込められた意味に気づいたから?」
「そう。……やっぱり、知ってて買ったの?」
「当然でしょ」
それを持ったまま私の前へと座る彼。その大きな手のひらで私の髪を耳に掛ける。優しく耳たぶに触れる手がこそばゆくて、思わず首を竦めた。
「もうつけない理由はないよね?」
触れたそこを小さく圧迫するのは彼からもらったイヤリング。倫太郎の手によって三年越しにようやくその本来の役目を果たした。自分には似合わない、そんな資格なんかないと避けてきたそれ。頭を動かすと揺れるそのイヤリングの重さが今は酷く心地よくて。じわりと視界が揺らぐ。
「似合ってるよ」
そう言って零れ落ちそうな涙を指の腹で優しく拭い、私の髪を柔らかく梳いた。
結局私は倫太郎の手の平の上で転がされ、ここまで彼のペースで進んでいる事実が少し不満で。こうなったら少しくらい甘えてもいいよね、なんて思い倫太郎へ向けて両手を差し出した。彼は少し驚いたような顔をして「はいはい」と私を腕の中へと収める。大泣きした時は全く余裕がなく、今の方がずっと近くで彼のぬくもりを感じられて。……あることに気づいてしまった。
「倫太郎、本当は緊張してた?」
「…!そりゃあ…するでしょ……」
彼氏いるって言われるかもとか、最初の時点で拒否されるかもとか、考えるに決まってるじゃん。と段々小さくなる声で、私の肩へぐりぐりと顔を押し付けた。
「あはは、倫太郎も可愛いところあるんだね」
「……誰のせいだと思ってるの」
頬から耳まで赤く染め少しむっとする彼と目を合わせれば、僅かな静寂が流れる。そっと目を閉じればどちらともなく重ねられたそれに心地好さを覚えた。
角度を変えついばむようにキスした後、名残惜しくも離れた唇に目を開ければぱちっと彼と目が合い。先に口を開いたのは彼の方だった。
「…ねぇ、ちょっと気になってたんだけど。引っ越しするの?」
「あ、うん。上京して働くことになって」
「もう住む場所決まってる?」
何故そんなことを、と思いながら頷くと少し考えるような仕草を見せる倫太郎。次の言葉を待つと、それは思ってもみなかったことで。
「距離がわからないから何とも言えないけど、半同棲とかどう?」
「…え」
「俺たちもう十分離れたでしょ。高校の三年間は戻ってこないけど、これからの時間はなるべく一緒に過ごしたい」
「りん…」
「この先ずっと暮らせたらとは思っているけどね」
今日彼は何回私を驚かせ、泣かせたいのか。込み上げる熱いものを堪え、唇を真一文字に結んだ。言葉を発したら、一緒に涙まで零れそうだから。
「その顔なんなの」なんて彼は笑うけれど、私はそれどころではない。だってそんなのまるで
「プロポーズ、みたいじゃん」
発した言葉と共に落ちる雫を彼の指が受け止める。この先ずっとだなんて、私の自惚れでなければそうとしか聞こえない。
「そのつもりで言ったけど、本番はもう数年待ってくれる?」
声を出すこともままならず、彼の胸へと飛び込んだ。
今はまだ大人の階段を登り始めたばかりの子供の戯言かもしれない。けれどそれが今堪らなく嬉しくて。この人とずっと一緒にいたいと思わせるには十分だった。
数年後、左の薬指にお揃いの指輪が光っていることをその時の私たちはまだ知らない。
※イヤリング・ピアス:いつも自分の存在を感じてほしい
輪になっているアクセサリー:永遠、独占の意味