ひと夏の恋*

からんころんという音に、お囃子の音が耳に響く。柔らかい光で照らされる道には夜にもかかわらず老若男女が行き交い、非日常を感じるこの雰囲気が好きだ。浴衣姿の人とすれ違えば、やっぱりわたしも着て来たらよかったかなとほんの少しの後悔。去年は着たけれど下駄が合わず擦れしてしまい、今年は諦めておろしたてのワンピースへ袖を通した。

隣を歩くインドア派の彼をちらりと覗けば、暑さに項垂れている様子が窺える。元々黒尾くん含め三人で来ていたのだが、彼の元へ連絡が入りそこからわたしたちと別れた。

『悪い、ちょっと呼ばれたから行ってくる。何なら先に花火会場に行っててよ』

そう言い残し人混みの中へと消えてしまった。姿が見えなくなってすぐに黒尾くんから『高校最後の夏だ、がんばれよ』なんて一言メッセージが届いて。彼は最初からこうするつもりだったのだと確信した。両手に焼きそばやイカ焼き、光るジュースなど、お祭り定番のものをぶら下げどう頑張れというのだろう……。
あれから孤爪くんはちっともこちらを見てくれないし、そろそろ拗ねても良いだろうか。
……なんて思っているけれど、別に彼とは付き合っているわけでもなくて。だから孤爪くんがこっちを見ずとも、自分が拗ねる理由にはならない。

「……ねぇ、人も一気に増えてきたし花火会場に向かう?」
「え、あ、そうだね」

こっちを見てくれないと思った矢先、そう言ってわたしへと視線を落とす孤爪くん。完全に不意打ちだったため、何とも歯切れの悪い返事になってしまった。声につられ見上げれば、屋台の光に照らされた彼と目が合って。首筋に流れる汗が妙に色っぽく感じ、心臓がぎゅうっと締め付けられた。

「はぐれないようにおれのバッグ掴んでいいから」
「ありがとう……」

これではどちらが年上なのかわからない。ただ、そうでもしないときっとこの人混みでははぐれてしまう。花火の時間が近付くにつれ、すれ違うだけでもぶつかる程に人が増えて来たから。
手を繋ごうと思えば触れることのできる距離にあるのに、繋ぐほどの理由がない。
一歩踏み出せばなんて言うのは簡単だけれど、実行するとなれば話は別だ。もしかしたらとほんの少し期待もしたが、そう上手くはいかなかった。
わたしたちは恋人でもなんでもない、ゲームを通じて知り合ったただの友達だから。それでも孤爪くんはバッグを掴んでいいと言ってくれた、今はそれで十分じゃないかと自分に言い聞かせる。人に流されてしまう前に、彼のボディバッグへと手を伸ばした。

「掴んだ?歩くよ」
「うん」

孤爪くんのバッグを掴むと、先ほどよりも近付く距離。後ろを歩いているのをいい事に、彼の背中をまじまじと眺める。黒尾くんと並ぶとどうしても小柄に見えてしまうが、広い背中に程よく筋肉のついた腕に男の子を感じどきりとした。
先程まで手も繋げる距離にあるのに、なんて思っていたわたしが聞いて呆れる。彼のバッグを掴んで歩く、たったこれだけで心臓が煩いのに手を繋ぐなんてできるわけがなかった。

「多分もう少しで開けたところに出ると思うから」
「うん、大丈夫だ……っいった……」
「え?」

大柄な人とぶつかった衝撃で孤爪くんのバッグを離してしまった。流れる人の波に逆らえるわけもなく、みるみるうちに焦る表情の彼と距離が開き見失ってしまう。
先程ぶつかった時どうやら足も踏まれてしまったようで、じんと鈍い痛みが走った。多分このまま追いかけたとしても彼をすぐに見つけることはできない。どこか座れる場所はないだろうかと流れに乗って端へと移動した。

「あ、ここいいですか?」
「丁度今行くところなのでどうぞ」
「ありがとうございます」

道の端にベンチが並べられていて、丁度腰をあげたお姉さんに声をかけると他に待ってる人もいないようで快く譲ってくれた。頭を下げてそこへ座り、痛む場所を確認すると擦れて血が出ている。絆創膏はあるけど、土がついた状態で貼るのは衛生的にいかがなものか。かと言って洗い流すような水も近くにはない。……このまま我慢するしかないか。あーあ、何やってんだろう一人で。

目の前を流れる人たちを眺め、急に心細くなってきた。孤爪くんはもう花火会場で待ってるかな、どこにいるんだろう。スマホを見ても人が多すぎて電波が悪く連絡もできない。これからどうしようなんて、出てくるのはため息ばかりだ。

「ねぇ」
「……え?」
「何でため息ついてんの?一人なら一緒に花火行こうよ」

だ、誰……?気が付けば見知らぬ男性が目の前に立っていて、どうやらわたしに話しかけているようだ。一緒に花火行かないかだなんて、行かない一択でしょ。そう思ってもそのまま伝える勇気はない。

「や、一緒に来てる人いるんで……」
「ため息つくくらいなら楽しくないんじゃないの?いいじゃん少しくらい」
「ほんとやめ…っ」
「ねぇ、急に手離れたからびっくりした。大丈夫?」
「こ、づめくん」

拒否しているのにも関わらず、私の手首を掴むのその人。そんな時行き交う人の中から現れ、男性の手を掴んだのは先程見失ってしまった孤爪くんだった。肩で息をし、額には汗が滲んでいる。もしかして慌てて探してくれたのだろうか、なんて自分の都合の良いように考えてしまう。彼の姿を見ると男の人は顔を顰め、無言で人の波へと消えて行った。

「ごめんね、ぶつかった拍子に手離しちゃって」
「いいよ、それより何もされてない?」
「うん、大丈夫だよ」
「はー、よかった。あと、足見せて」

彼はしゃがんでわたしの足元へ視線を落とす。

「さっき踏まれたでしょ、ちょっとごめん」
「え、大丈夫だから。待っ……」

先程踏まれた方のサンダルを脱がし、カバンから取り出した水で土を流してくれた。彼の手のひらに自分の足を乗せるなんて思わなかったから、全神経がそこへと集中する。汚いのにとか、臭くないだろうかとか羞恥心と不安で目が回りそうだ。

そんなわたしを気にも留めず、孤爪くんは患部を拭き絆創膏を巻いてくれる。

「これで化膿はしないと思うけど、まだ痛む?」
「ううん、大丈夫……ありがとう」
「どういたしまして。まだ始まってないけど…花火、行く?」
「孤爪くんが大丈夫なら…行きたい」
「いいよ、行こう」

目の前に差し出された手に驚いて、思わず彼を見上げる。孤爪くんは視線を逸らして「またはぐれると困るから」と呟いた。彼の頬がほんのり赤く見えるのは、照れているからかはたまた提灯の色なのか。前者だったらいいのにと、彼の手のひらに自分の手をそっと重ねた。

バッグを掴んだ時よりも彼との距離が近くて、心臓が跳ねたと同時に駆け足で動き出す。孤爪くんの温もりを直に感じ、自分の体温が上がっていく。「手に汗かいたらごめん」と伝えれば「これだけ暑いんだから、仕方ないでしょ」なんて。理由はそれだけじゃないのに、意識しているのが自分だけみたいでなんだか恥ずかしい。

人に揉まれながらも無事会場に着いた、と思ったのに孤爪くんは足を止めることなく脇の方へと歩いていく。疑問に思いながらもついていくと、少し開けた場所に出た。他の人の姿もあるが、会場に比べたらかなりまばらだ。ここに着くやいなや、自然と離された手に寂しさを感じる。もう繋ぐ理由もないんだと。

「ここ、人も少ないし花火を近くで見れる穴場」
「知らなかった……」
「多分クロも来るとしたらここだと思う」

孤爪くんはおもむろにバッグからシートを取り出すと、座る場所へと敷いてくれる。わたしたちくらいの年齢では二人がやっと座れる程の大きさで、こうなることを知っていた…?なんて変に勘ぐってしまう。

「大きいのはクロが持ってて、予備だから小さくてごめん」
「あ、ううん大丈夫だよ。わたしこそ何も持ってきてなくてごめん」
「気にしないで、座ろ」
「あ、ありがとう…」

予備だって、勘違いも甚だしい。恥ずかしくて変な汗が出てきた。お言葉に甘えてシートに腰をおろせば、今にも左腕が触れてしまいそうな彼との距離。口から心臓が飛び出してきそうなのをなんとか押し込める。
「ほら、始まる」孤爪くんの声で空を見上げれば、流れる音楽と共に咲く花。会場ではこれほど大きな花火も音も感じることはできなかっただろう。思わず「すごい」と零せば「でしょ」と得意げな彼。夜空を彩る花火に釘付けになった。

……そういえば。

『多分クロも来るとしたらここだと思う』

夢中になっていたが、不意にさっきの言葉を思い出した。もしかしたらそう時間も経たないうちに黒尾くんが着いてしまうかもしれない。……いや、あのメッセージから読み取るに残りの時間を二人きりにしてくれるのか。く、黒尾くんの行動が読めない。
告白するのであれば黒尾くんが来る前でないと、もうチャンスはない。かと言って今すぐ伝える勇気なんか……。
ちらりと横目で覗けば花火を眺める孤爪くん。その色素の薄い髪が花火の光で染まり思わず見とれてしまう。

「……ん?どうしたの」
「えっ、いや…その」

そんなにじっと見つめてしまっていたのか、私の視線に気づいた彼がこちらへと顔を向けた。どうしよう、言うなら今しかない?でも言わないとして、何と言って誤魔化せば…。

焦って思考回路が鈍る中『高校最後の夏だ、がんばれよ』なんて、不意に思い出した黒尾くんのメッセージ。……そうだ、わたしにはもう迷っている時間なんてないんだ。
腹をくくり、改めて孤爪くんの顔を真っ直ぐ見る。

「孤爪くんあのね」
「……?」
「わたし、孤爪くんのことが  」
「え、ごめん。なんて言った?」

ドン、と間が悪く大きな花火が空へと咲く。……わたしはバカだ。焦っていたとはいえ、どうして花火が上がらないタイミングを狙わなかったのだろうか。こんなシーン少女漫画で沢山見てきたけれど、まさか自分が当事者になるとは夢にも思わなかった。花火にかき消された告白がどういう展開を迎えたかと言えば、大体失敗していて。そのシーンを見る度「もう一度言えば言いのに」なんて思っていたわたしを今は殴りたい。

こんなの、もう一度言えるわけがないじゃないか。

「え…と、孤爪くんも花火好きかなって……」

いたたまれなくなって視線を逸らし、話もすり替えた。振り絞って伝えた好きの言葉は彼に届かなくて、恥ずかしいやら悲しいやらなんとも言えない感情が入り混じる。いっそのことここから消えてしまいたいくらいだ。

「ごめん、いじわるした」
「……え?」

ついさっきまで繋いでいた彼の手がわたしの頬へと優しく添えられ、逸らした視線を孤爪くんへと引き戻される。目を細め柔らかく笑う彼の表情は初めて見るもので。何のことを言っているのかわからないわたしは、ぽかんと口を半開きにして彼を見つめるしかなかった。

「おれも好きだよ、花火じゃなくてきみが」
「っえ、待っ…え?」
「もう一回聞きたくて、聞こえないフリした。ごめん」
「いや、ちょっとそれは……」

笑顔から一転、眉を下げて謝る孤爪くん。あまりにも急な展開で頭の回転が追い付かない。頬へ添えられていた彼の手の平は、するりとわたしの手を包むように重ねられた。

「さっきの、聞こえてた……?」
「うん」
「孤爪くんもわたしのことが好き……?」
「そうだよ」

改めて言葉にして意味を理解した瞬間、じわりと顔に熱が集まった。こんなことって、本当にあるのだろうかと自問自答する。重ねられた手が繋いだ時よりもはるかに熱く感じて、わたしは口をはくはくさせることしかできなかった。

「一生懸命なところがかわいくて、ごめん」
「ご、ごめんじゃないよ!どれだけ緊張したと思って…っ」

悲しいわけではない、寧ろ嬉しい一択なのに。わかってていじわるした孤爪くんにも一言言ってやりたい、そんな気持ちもある。だけど緊張の糸が解けたからなのか、勝手に零れる涙を止めることができなかった。

「泣かせるつもりはなかったんだけど……」
「…っはは、孤爪くんでもおろおろするんだ」

こんな表情の孤爪くんは初めてで。涙を流しながらも思わず笑うと「好きな人に泣かれたらおろおろもするよ……」なんて口を尖らせた。

「元々は孤爪くんのせいでしょ」
「うん、だから…」

壊れものにでも触れるように、彼の長い指がわたしの髪を梳いてそのまま耳の後ろへと添えられる。柔らかく触れたのはほんの一瞬で、目を閉じる隙も与えてはくれず。目を伏せた彼の長いまつげが目に焼き付いた。

「これで許して?」
「……もう一回、して欲しい」
「じゃあ、目、つむって」

物凄く恥ずかしいことを言ったのを自覚したのは、もう言葉にした後で。その恥ずかしさから逃れるように、近づく彼と共に目をつむる。
押し付けられるように触れた二度目のキスは、熱くてそのまま溶けてしまいそうだった。