「やっぱり、おれには恋人の何が特別なのかわからない。クロや翔陽と遊ぶこととの違いがなんなのか」
ずきりと、心臓が痛む。その言葉が意味するのは今日で恋人という関係が終わってしまうということ。恋人である期限の最終日、これが最後のデートになってしまうのだ。
やるせない気持ちでいっぱいになるも、約束は約束だ。潔く、諦めなければならない。
「……あーあ、私が相手じゃ無理だったんだ。研磨の言葉を借りればゲームオーバーかな」
気持ちを悟られないよう、顔を逸らし少し大げさにそう伝えた。
彼は理解し難いとでも言うように眉間にしわを寄せ「なにそれ……」と呟く。その言葉や表情から本当にそこまで思い至らなかったことが窺え、私が研磨の特別になれなかったことを正面から突き付けられた。
「……だってそういう約束だし。じゃあ、今日はここでお別れだね」
「家まで送るよ」
「まぁ、日付が変わるまでは恋人だけどさ」
「恋人に限らず友達だって送るでしょ」
「んーでも私がひとりになりたい気分だからいいや、じゃあね」
「ちょっと」
「またね」ではなく「じゃあね」と手を振る私に、彼はまだ何か言いたげにしていたがそれを遮って踵を返した。申し訳ないけれど、今はこれ以上彼の声も言い分も聞ける状態ではない。
足早に駅へ向かい、最寄り駅方向の電車にギリギリで飛び乗った。スマホを取り出し今日の二十三時五十九分までの恋人である研磨へメッセージを送る。
『友達に戻る気持ちの整理ができるまで、時間がほしい。連絡もらっても返せない。ごめん』
こうでもしないと、きっと彼は何事もなかったかのように普通に連絡してくるだろう。とてもではないけれど、今の私は耐えられそうにない。
送信すればすぐに既読が付きメッセージが返ってきた。
『いつまで?』
……だから、本当に、研磨は。
自然と漏れたため息に、スワイプしてアプリを閉じると一気に脱力する。返信はしなかった。
まだ混んでいる電車の中、窓の外に流れる明かりをぼんやりと眺めた。
*
あれから気持ちの整理がつかないまま二ヶ月が経とうとしている。でもそれは当然のことだ。一年間研磨に女性として、恋人として見てもらうため奮闘したのだから。
……結局は叶わなかったけれど。
「はぁ、やっぱり私には女としての魅力がないんだ」
梅酒のグラスを掴む手に力が入る。
今回のことについて知っている翔陽は「そんなことないって、お前カワイイじゃん」と慰めてくれた。あんなにちんちくりんだったのにいい男になったな翔陽。……ちんちくりんは私もか。
母方の実家に遊びに行った時、周りに遊ぶものも何もない中で友達になったのが今目の前にいる翔陽。
山の中を走り回ったり、バレーを教えてくれたり、今の自分の生活からは考えられないくらい活発に遊んでいた。小学生になる前からの付き合いなので弟のように感じているのは今も変わらない。
「俺はいい感じだと思ってたんだけどな、研磨とお前」
「……だって結果的にだめだったじゃん」
「それはそうだけど」
なんだか腑に落ちないとでも言うように、彼は腕を組み眉間にしわを寄せる。いくら周りからそう見えたとしても、研磨の返事は「わからない」だったのでそれが全てだ。
私は研磨と賭けをしていたのだ。
高校生だった当時、同じクラスメイトだった研磨に告白した。部活のない放課後は一緒にゲームをしたり、寄り道して帰ったりしていたから脈はあると思ったのに。ものの見事に振られてしまった。
一度は諦めたものの、卒業してからもその気持ちは消えず二年ほど経ってからもう一度気持ちを伝えた。勿論返事はノーだったけど、学生の頃とは少し違った反応で。
付き合うということに特別な意味が感じられないと、わからないと、そう彼は言った。私のことを好きか嫌いか聞くと、そのどちらかであれば好きの方だと答えてくれたのでまだチャンスはあるかもと、とある提案をした。
『一年間恋人になって。一年後、特別の意味がわかったらその後は本当に付き合ってほしい。わからなかったら、もう諦めるから』
本当の恋人でもないから手を繋ぐことなんかもしないと約束して。
それでも少し近くなった距離に何か変わるのではないか、そう期待したもののそれが叶うことはなかった。私では研磨の気持ちを動かすことはできなくて、見事賭けに負けたのだ。
「あーほんとむり……」
「お前飲み過ぎだって、ほら立って。風あたりに行くぞ」
「んー……」
会計を済ませ翔陽に支えられながらお店を後にした。
ひやりと頬を撫でる風が今の自分には心地良い。時間が解決するだなんて言葉はあるけど、そんなの待てない。この風が研磨の記憶ごと攫ってくれたらいいのに、なんてありもしないことを考える。
「……翔陽」
「ん?」
「すきになる相手が翔陽だったらよかったのに」
「心にもないこと言うなよな、後が怖い」
「なにそれ」
「少し酔い覚めたら帰るぞ、ほら、ここ座れ」
「ん−」
翔陽に促され座った公園のベンチ。
彼に自分の気持ちを全部吐き出したら少し胸が軽くなったような気がする。そのせいなのか、静かだからなのかわからないけれど、ゆるりと落ちる瞼に抗えない。
昔と違い身長の高くなった翔陽の肩へと頭を預けた。
「ちょっと肩かして……」
「言う前に借りてんじゃん。少しだけだぞ」
「ありがと」
その声を最後にぷつりと意識が途切れた。
*
温かくて、ずっとここにいたい。
それなのに邪魔をするスマホのアラームに怒りを覚えた。
「……っるっさい」
音の鳴る方へ手を伸ばし、手探りでスマホを探しアラームを止めた。
どうせ休みだしもう少し寝よう。予定も入ってないし。
手に取ったスマホをまた元の場所に戻し、ぬくぬくとした布団をもう一度被る。
「……ちょっと待って、あれ?私の部屋……」
昨日のことを思い出し、慌てて飛び起きた。
服は昨日のまま、スマホは充電器にさされている。メイクは……落とされてるし、カバンはそのまま。枕元にはペットボトルの水まで置いてあった。
だけど翔陽に肩を貸してもらってから、家に戻ってきた記憶が全くない。玄関の方へ行ってみると鍵は閉められていた。
この状況から、私が起きなかったから翔陽がここまで運んでくれたのではという答えに辿り着く。鍵もしっかり閉め、そのまま持っていってくれたのだろう。気持ちが落ちていたとはいえ、言い訳の余地もない。
すぐスマホを手に取り、翔陽へ電話をかける。何度か無機質な音が響き「もしもし」と昨日と変わらない声で電話に出てくれた。
「翔陽昨日はごめんね、ありがとう。家まで運んでくれたでしょ」
「あぁ、大丈夫そうでよかった」
「メイク落としてもらったり水も置いてくれたり……至れり尽くせりでほんと申し訳ない」
「え?あ、そうだったな」
「あと鍵もかけてってくれたよね?取りに行っていいかな」
「それなんだけど、今から置きに行ってもいい?家にいる?」
「うんいるよ。逆にいいの?」
「大丈夫だから待ってて、それじゃ」
ぷつりと切れた電話を置いて、とりあえず翔陽が来るまでにシャワーを浴びて着替えないとと浴室へ向かった。
「……さっぱりした」
上がってからスマホを見れば『大体一時間後に着く』と、少し前にメッセージが入っていた。お酒の臭いはとれたが、流石に昨日帰宅した部屋のまま入ってもらうわけにはいかないので少しでもマシに見えるよう片付けに取り掛かった。
*
飲み物にお菓子も準備できた。翔陽が来るまでになんとか間に合ったとソファーへ腰を掛ける。多分そろそろ来るはずだとスマホを覗けばメッセージをもらってから丁度一時間。
そこから十分ほど経った頃、部屋に響くインターフォンの音を聴いて玄関に向かった。
「ごめんね翔陽」と、そう言いながらドアを開ければ想像と違う人物がそこに立っていた。
「……ひさしぶっ、ちょ」
「え?あ、ごめ……」
「謝るならドア閉めようとしないで」
「研磨こそセールスマンみたいに足挟めないで」
翔陽だと思ってドアを開けた先には研磨の姿。頭が混乱し反射的に閉めようとしたが、ドアの隙間に足を挟め手で押さえるものだからそれが叶わない。ひょろひょろに見えるのになんて力だ。
「ていうか翔陽はどこ」
「翔陽は元々来る予定ないよ。鍵持ってるのもおれだし」
「え?」
「だから、少しだけ話しさせて」
「気持ちの整理が出来るまで無理って言ったでしょ」
「つけないで。……気持ちの整理がつく前に話したい」
「意味がわかんないんだけど」
「だって、気持ちの整理つけたらおれのこと好きじゃなくなるでしょ」
思わず顔を上げた。
研磨からそんな言葉が出てくるなんて思いもしていなくて、頭が真っ白になるとはこういうことかと実感する。
研磨のことを好きじゃなくなることの何が悪いのか。自分はわからないって言ったくせに、今度はそれが嫌だなんてあまりにも都合がよすぎる。
「ごめん、帰って」
無理やり研磨を外へ押し出し、ドアと鍵を閉め玄関に座り込んだ。ふと鍵のことを思い出したが今研磨と向き合う勇気はない。郵便受けにでも入れて帰って欲しい。
あの日はっきり振られたのに、研磨の言葉を都合よく捕えてしまう自分が憎い。膝を抱え俯けば遠慮がちに聞こえたノックの音。
「嫌かもしれないけど、おれが勝手に話すからこのまま聞いて欲しい」
驚いた、まだ帰ってなかったなんて。はっきり帰ってと伝えたから諦めたと思っていた。でもまた期待してお互いの考えが食い違った時のことを思えば、返事をすることができなかった。
「昨日たまたま打ち合わせの帰り公園の自販機に寄ったら二人が見えて。色々あってきみを家まで連れて来たのはおれだったんだ。翔陽に話合わせてもらってた、ごめん」
驚いて声が出そうになった。それじゃあメイクを落とし、水も置いて、鍵まで閉めて行ってくれていたのは研磨だったの?一連の流れを思い出し、途端に恥ずかしさが込み上げる。
「二人を見かけた時きみは翔陽にもたれかかって寝ててさ、なんかこう……上手く言えないけどもやっとしたんだよね。……そのまま言ったら翔陽に怒られたよ。『結局どうしたいんだ』って」
思わず顔を上げた。心臓がどくどく大きく鳴っているのがわかる。
この先を聞きたいけど聞くのが怖い。わからないと、そう言われたあの日のことを思い出してしまう。
「きみの隣に翔陽がいるのが複雑だし嫌だ。そこにいるのがおれだったらよかったのにって話したら『そういうことだろ。今更気づいたのかよ』って言われた。……おれって結構バカだったかも」
少しだけドアが軋み、研磨の声が静かに響いた。
「もう、遅いかな。……きみの隣に並ぶ男はおれがいい。肩を貸すのも、二人きりで出かけるのも……だからあの時は」
本当に、ごめん。
少しずつ弱くなる声と、今の研磨の気持ちを聞いて視界が歪む。
なんでそう、今更、期待させるようなことを言うんだろう。諦めないとと蓋をしていた気持ちが大きく揺らいだ。今の言葉を信じてもいいのだろうか。
不意にスマホのバイブが鳴り、画面を確認すればそこには翔陽の文字。開いてみると『研磨行ってるだろ?だましてごめん。でも後悔しないように話してほしくて』というメッセージだった。
「……じゃあ、そろそろ行くよ。鍵は郵便受けに入れておくからすぐに取って。……もし話してもいいと思ったら連絡くれると嬉しい」
「……待って!」
零れてきた涙を袖で拭い立ち上がる。
鍵を回しドアを開ければ、目を丸くする研磨。久しぶりに見た彼の姿に、また泣きそうになるのを堪えた。
「なんで、今更なの。こんなに忘れようと頑張ってたのに。返信しないって言ってるのに普通に連絡してきたし、翔陽と同じだってそう言ったじゃん。なのに、なんで」
「……あの一年、おれのことが好きだっていうきみが隣にいて。一緒に出掛けて、ゲームをして、正直友達と変わらないって思った」
「……」
「でも実際期間限定の恋人が終わったら、連絡もなくて、会えなくて、寂しいって思ってたのかもしれない。友達も恋人も変わらないのにって思ってたけど、そこで翔陽と二人でいるところを目の当たりにした。……あとは話した通りだよ」
研磨の胸元の服を握りしめ、彼から見えないように顔を伏せた。
ぽたりと落ちた涙がコンクリートに染みをつくる。
「これが好きって気持ちなのかもしれない」なんて、これ以上にない柔らかな声で研磨は私の頭に手を滑らせた。今までそうなって欲しいと、ずっと願っていたことだ。
「……本当、遅すぎるよ」
「それは、ごめん。これはおれの我儘なんだけど、改めて恋人になってくれる……かな」
彼の服を掴んだまま顔を上げれば、自信なさげに笑う研磨と視線が絡む。
そんな顔で聞くなんて狡い、だって答えはわかりきっているじゃないか。
「期限とかないからね」
「逆にあったら困る」
「やっぱなしとか言わないで」
「絶対言わない」
その声色があまりにも優しくて、勝手に落ちる涙を止めることができなかった。
「……いいよ」
「ははっ……よかった」
そう笑った研磨は指先で私の涙を拭い、彼の方へと引き寄せられる。
期間限定の恋人の時は、手を繋ぐことすらしないという約束だった。だけど今彼の腕の中にすっぽりと収まっていることで、本当の恋人になったのだと実感する。
「ねぇ、もうずっと離れないで」と彼の吐息が耳を掠め、じわりと熱が集まった。