息を呑むのも忘れてしまうくらいの熱気に包まれた体育館。
こんな中で不謹慎なのはわかっている。わかっているけれど。
まるでそうなることが決まっていたかのように。
*
高校一年生の入学式の日、同じ学校から来た友達がいなくて人見知りな私は静かに席に座っていた。そんな私の前にいた男の子。その人もまた、息を潜めるようにそこへ佇んでいた。
もしかしてこの人も人見知りなのだろうかと勝手に親近感が湧いたのを覚えている。
でもその時は話すきっかけもなくプリントを回してくれた時、男の子なのにも関わらずかわいらしい子だと思っただけ。クラスメイト、それ以上でもそれ以下でもなかった。
そしてその日の放課後、一回外に出たのにも関わらず忘れ物をしたことを思い出し慌てて教室へ戻る途中のことだった。
「今日は無理だってば!」
「わっ」
「……っ、ごめん」
「こっちこそごめんなさい」
他に忘れ物なかったっけ、なんてスマホのメモを見ながら歩いていたため前方不注意でぶつかってしまった。偶然にもその相手は自分の前の席の男の子。
遠くてはっきりとはわからないが、彼が先ほどまで見ていた視線の先に誰かが手を振っているのが見える。でもそれを完全にスルーして彼はこちらに向き直った。
「後ろ、見てなくて……」
「ううん、私も前見てなかったから。というか、さっきの先輩?大丈夫なの行かなくて」
「いいよ、元々今日は行かなくてもいい日だから」
「そっか……あ、あのごめん!さっきスマホの画面見えちゃったんだけど、そのソシャゲ私ステージ5-10で詰んでて。上手いんだね」
「……ふつうだよ。そのステージなら近接武器で回避スキルつけると楽だよ」
「え、そうなの?遠距離がいいと思ってた、ありがとうやってみるね。えっと」
「……孤爪」
「孤爪くんだ、ごめん名前覚えるの苦手で」
「別に」
そして改めて自己紹介しようとすれば、彼の口から先に紡がれる私の名字。顔を名前を一致させるのが苦手な私は素直に感心したのを覚えている。きっとすごく頭がいいのだろうと。
「……あ、そういえば私教室戻るとこだったんだ。ぶつかってごめんね、じゃあまた」
「へいき。うん、また」
その場を後にし、手に汗が滲んでいたのを別れてから気が付いた。入学初日は殆ど元学校の人同士で集まっていて、全然話せていなかった分緊張したけど嬉しかった。
しかも自分と同じゲームをしているなんて思わずそれが余計に嬉しくて。
それが、孤爪くんとの初めての会話だった。
*
それから時間が経つにつれてクラスに新しい友達もでき、それなりに楽しく学校生活を送っていた。孤爪くんにあの時のゲームの話をしたいと思いながらも、なかなか勇気がでず自分から話しかけることができなかった。
それから孤爪くんと話すきっかけもないまま、いつかの放課後、私が丁度日直の日のこと。先生の授業で使った物を片付けてほしいと言われ、両手いっぱいに持ち教室の出口へ向かった時だった。
「おい研磨、行……」
「え、あっ」
避けなきゃと思った時にはもう遅く、ぶつかった反動で物を落としてしまった。慌てて拾えば「悪い、大丈夫か?」と動揺した声が聞こえてきて。大丈夫だと顔を上げれば想像以上に身長が高い人で思わず見上げた。
「や、あの、大丈夫です……こちらこそごめんなさい」
「いや俺も確認しなくて悪かった。持てるか?」
「あ、はい拾ってくれてありがとうございます」
恐らく先輩であろう人が拾ってくれた物を受け取ろうとしたその瞬間、後ろから伸びてきた手に驚きその主を辿った。
「もう、迎えに来なくていいってば!おれ荷物持つの手伝ってから行くから先行ってて」
「わかった、わかったから!」
孤爪くんはそのまま先輩の背中を押して教室から追い出してしまった。
私が受け取るはずだった物を後ろから来た孤爪くんが受け取ったため、行き場のない手を出したまま茫然とそれを見送った。
先輩の姿が見えなくなったのを確認すると孤爪くんがおずおずと振り向き、ばつが悪そうに目を逸らしたまま『クロがごめん』と呟く。
教室にいる間は何事も一歩引いて物事を見ていて、あまり何かに動じることがないという印象があった孤爪くん。彼がクロと呼んだ恐らく先輩であろう人のお陰で、そんな孤爪くんの年相応なところを今初めて目の当たりにしたような気がした。
「え、あ、ううん。本当に大丈夫だから」
「手伝うよ、そんなに多いと大変でしょ」
「でも部活……」
「へいき、少し貸して」
私の返事を聞く前に、重いものを持ってくれそのまま歩き出した。『職員室だよね』という孤爪くんの言葉にただ頷くことしかできず、そのまま彼の横を並んで歩く。
ちらりと隣を覗けば、思っていたよりも高い身長。その容姿から可愛らしいというイメージが強かったため、ちゃんと男の子だと改めて感じて。それと同時にほんの少しだけ心臓が駆け足で動いた。
…
「失礼しました」
「あの、ありがとう孤爪くん」
「ふ、名前覚えてたんだ」
「流石にもうみんなの名前覚えたよ!」
「そ。じゃ、部活行くから」
「うん。ごめんなさいって、さっきのクロ先輩……?にも」
「いいよ、きみは悪くないし」
そう言って孤爪くんは踵を返した。
自惚れていると自覚はしているけれど、もしかして入学初日に話したことを覚えていてくれたのだろうかなんて。そう思わずにはいられなかった。
*
ピッ
高い笛の音が響く。コート二面を使い男女に分かれてバスケの試合をしている。私は友達と点数係の座をもぎ取り、コートの境目で話しながら試合を見守っていた。
正直走るのが苦手なのでこうして眺めているのが丁度いい。……流石に次は出ないといけないけれど。
元バスケ部や現役の子も沢山いるようで、中学生の時のバスケの授業とは似ても似つかない程レベルが高い。バスケ女子、かっこいい。中学生の時ですらついていけなかったのに、この中で試合なんて……私は見るだけで十分だ。
『そっち点数入ったよ』
「あ、ごめんごめん」
試合に夢中になりつい点数をめくるのを忘れてしまった。慌てて捲りコートに視線を戻したその瞬間、後ろから『やばい!』という男子の声が響いた。
何かあったのかと反射的に振り向けば、目の前に骨ばった大きな手とバスケットボール。
『わりぃ孤爪』
「……気を付けて」
『ごめんな』と私の名前を呼び、すぐ横にいた孤爪くんのところにボールを受け取りに来たその男の子。何が起こったのかすぐ理解できず、孤爪くんとボールを受け取ってコートに戻った男子の背中を交互に見る。
「……大丈夫?」
「あ、うん……もしかして、私にボール命中しそうだった?」
「え、なに、今更気付いたの」
「いやだって、振り向いたらもう目の前だったし……かばってくれてありがとう」
「ふっ、別に、たまたまあっち行こうと思って歩いてたから」
そう一言残して孤爪くんはコートの端へ歩いて行ってしまった。
……びっくりした。ぶつからなくてよかったと状況を察した今改めて思う。中学生の時に男子が投げたバスケットボールを顔面で受けた時の二の舞になるところだった。
コートに視線を戻せば、さっきの声にこちらのコートの人たちも驚いて試合を止めていたらしい。『大丈夫?』『ぶつからなかった?』とみんなが声をかけてくれ、大丈夫だと伝え試合を再開した。
冷静になった今さっきのことを思い返し、孤爪くんはやっぱり可愛いよりかっこいいのかもしれないと思う自分がいた。
*
それから二年生になって席に座れば、丁度一年前と同じ後ろ姿。今回は廊下側の一番後ろで、そのひとつ前が孤爪くん。
特別仲がいいなんてことはなくて、人並みには話すクラスメイトの一人という認識だけどその姿になんとなく安心感を覚えた。
「おはよう孤爪くん、今年もよろしくね」
「……よろしく」
一年間同じクラスだったしと、少し勇気を出して話しかけてみた。孤爪くんは身体を横へと向け、そう呟く。その手には相変わらずゲームが握られていた。
「あ、そういえば入学式の日ゲーム教えてもらったよね」
「そうだっけ」
宙を見て考える孤爪くんにソシャゲのタイトルを伝えれば思い出したようで「あぁ、そんなこともあったね」と唇が薄く弧を描く。
「あの後お礼言う機会なかったけど……教えてもらったやり方でクリアできたよ。本当にありがとう」
「別に、大したことじゃないよ。寧ろ……」
「おい研磨!部室に集合だってよ」
「……っくりした、虎、声大きい」
「んなこと……って、女子!?研磨が女子と話してる!?」
「え、あ、どうも……」
部室って聞こえたからバレー部の人なのだろう。同じ学年だから顔は見かけたことがあるけど、なんというか……見た目がいかつくて自分からは近付けない。
そんな私を見てか「びっくりしてるでしょ、静かにして」と、孤爪くんは呼びに来てくれたお友達にぴしゃりと言い放つ。……つ、強い。
「ごめん、もしバレー部っぽい人来たら虎と部室に行ったって伝えてくれる?」
「あ、うん、わかった。虎くんとね、おっけー」
「ととと虎くん!?」
「うるさいってば」
そう言って彼はめんどくさそうに立ち上がり、孤爪くんと私を交互に見ているお友達の腕を引っ張って教室を後にした。
孤爪くんの予想が当たり「研磨いる?」と、以前クロと呼んでいた先輩が教室に来た。名前と顔を一致させるのが苦手な私でも、この独特な髪型はなかなか忘れない。
あとは孤爪くんを呼びに何度か教室に来ているのを見ていたから、ちゃんとした名前は知らないけどクロ先輩だという程度には認識できている。
「あの、孤爪くんはもう虎くんと部室に向かいました」
「ん?あ、研磨とよく話してる子か。部室向かったんだな、サンキュー」
「え、あ、はい……」
よく話している子?全く心当たりがなく、誰と間違っているのだろう。普段から話しているわけでもなく、当たり障りのない話とかたまにゲームの話をするくらいで。……自分には関係のないことなのに、なんだか少しもやもやするのは何故だろう。
僅かなわだかまりを感じつつ、二人の後を追うクロ先輩の背中を見送った。
*
「バレー久しぶりすぎる……」
『私も小学校以来だー』
涼しくなってきた時期にある恒例の球技大会。
友達とバドミントンもしくは卓球で出たいと希望していたが、人数がかなり集まってしまいバレーをやってほしいとお願いされた。経験ある人、という声に馬鹿正直に答えなければよかった。
なんせ何年もやっていないうえ上手いわけでもなく。かといってじゃあバスケはと言われれば例の顔面でボールを受けた経験から絶対嫌だし、ソフトボールはルールすらもわからない。
「チームプレイ緊張でしぬ」
『まだ先だよ、プレッシャーに弱すぎ』
「どんなあげ方しても許してほしい」
『ただの球技大会だし大丈夫でしょ』
今は完全に運動部から離れ、年に数度しか活動しない文化部に席を置いている程度だ。補欠と呼ぶほどの人数もいなくて、全員出ることは決定している中、私のポジションはセッター。
確かに身長もないし、過去のポジションもセッターだったけれど。
『私もとりあえずスパイクの壁打ちするわ。意外と気持ちいいんだよね、ムカつく人の顔思い浮かべて打つと』
「気持ちわかる、すっきりするよね。コートまだあかなそうだし、みんな適当にやってるから私も隣でトスやろうかな」
久しぶりのボールの感触に昔を思い出す。僅かながらやり方は覚えているけど、身体はいうことをきいてくれない。壁とボールにもてあそばれ、これが運動不足というやつかと実感する。
「あ、やば」
力加減を間違えて、壁にぶつかったボールは自分の頭上を超えて後ろへ飛んでしまった。バスケの邪魔になったらまずいと慌てて振り返りボールを追うと、既に拾ってくれていた。
「このボール、きみの?」
「ごめんね孤爪くん、ボールありがとう。もうすっかり感覚なくなっちゃってて」
「そういえばバレーだったね、ポジションとか決まったの?」
「あーうん、一応セッターだけど下手だから恥ずかしいよ。オーバーやってたけど変なところ飛んでっちゃうし」
「……少しだけ、相手する?」
「えっ、いいの?っていうか孤爪くんバレー部だから申し訳ないというか」
「バレー部だからでしょ。まだ卓球台あかないし、おれはいいよ」
「ありがとう」
なんだかすごく贅沢な気がするけれど、そう言ってくれるのであればとお願いした。
ただの、と言っては失礼かもしれないけれど、なんてことないオーバーパスなのに孤爪くんのフォームはすごくきれいで思わず見惚れてしまいそうになる。私の取りやすいところに戻ってくるし、殆ど回転しないし、これはもう尊敬の眼差しを送るしかない。私のボールは孤爪くんと正反対だ。……少なからず、相手が孤爪くんで緊張しているからだと思いたい。
「なんかごめん……下手くそで」
「別に、そこまで下手じゃないと思う。もう少し膝と腕を曲げたらよくなるかも」
「ほんと?へへ、嬉しい。やってみる」
…
『おーい孤爪、台あいたぞ』
「わかった。ごめん、順番きたみたい」
「ううん、ありがとう付き合ってくれて。上手くなったかもしれない」
「うん、そうかもね」
孤爪くんからボールを受け取って、卓球台へと向かう姿を見送った。くるりと振り向けば、あからさまににやにやしている友達の姿。彼女のところへ駆けて行けば両肩をがっしりと掴まれる。
『ねぇ、孤爪くんと仲良かったんだ!?』
「え、普通に友達というかクラスメイトというか」
『だって一緒に練習してなかった?』
「あれは多分私の下手さを見かねてだと思う……」
『ほんと?なにか特別な感情とかあったりしないの?』
「いやいや!だって他の人よりすごく話すわけでもないし、連絡先も知らないよ。でも優しいよね孤爪くん」
『待って私そんな話したことないからわかんないや。でもあれは絶対……あ、コートあいたみたいだよ。行こう』
「ちょっと待って!」
…
それから体育の時間に練習して臨んだ球技大会は、なんとか二勝することができた。二年生の中ではまずまずの方ではないだろうか。うちの学年が最後だったらしく、コートの片づけと次のための準備が始まりいそいそと邪魔にならないところに移動した。
「あ、孤爪くん」
孤爪くんも移動するところなのか、すれ違いざまに名前を呼べば「お疲れさま」と声をかけてくれた。
「何とかなったよ、教えてくれてありがと」
「別に、あの一回だけじゃん」
「それでも助かったから。卓球これからだよね?バレーは全試合終わったからみんなで応援行くね」
「いいよそんなに来なくて……」
「あはは、気持ちわかる。じゃあ怪我に気を付けて」
「うん」
孤爪くんは別になんて言うけど、あの一回でも少し感覚が戻ったのは確かだから。決まった時は本当に憂鬱だった球技大会のバレーを、楽しかったで終われたのはきっとそのお陰でもある。
だるそうにして歩く孤爪くんの背中にもう一度ありがとうと呟いて友達の元へ向かった。
*
やばい遅くなったそろそろ怒られる。
冬の寒さに手を擦りながら駅へと足早に向かう。
久しぶりに部活のメンバーでファミレスに集まり話をしていたら、思ったより帰るのが遅くなってしまった。部活に必要な内容はそこそこに、あとはずっと食べながら話していただけ。でもその雰囲気が好きでつい時間を忘れてしまう。
もうそろそろ駅に着くし、次の電車まではまだ余裕があるから走らなくてもよさそう。一安心だ。
「あれ、孤爪くんと、クロ先輩?」
「研磨のクラスの子じゃん」
「……今、帰り?」
「珍しく部活のメンバーで集まってて。……って、毎日こんな時間まで練習してるの?お疲れさまだ」
「うん」
「おっと、俺は先生に渡し忘れたものがあるから先行ってていいぞ」
「はぁ?別に明日だって部活……」
孤爪くんが振り向くや否やクロ先輩はそのまま反対側に走って行ってしまった。あまりの選択の早さに私と孤爪くんは取り残される他なかった。
「……行こうか、おれは電車だけど」
「うん、私も電車。……なんかごめん」
「きみが謝ることじゃないよ、いつも謝りすぎ」
「そうだっけ、へへ」
ゆるりと歩き出す孤爪くんの隣に並ぶ。こうして二人きりで話すなんて思ってもみなかったから、どうしよう、緊張する。
……やっぱり身長高いなぁ、なんてちらりと横を盗み見る。前も同じこと思った気がするけど。自分が小さいから余計にそう思うのかもしれない。
「あ、そうだ春高、おめでとう。ずっと言いそびれてたけどもう少しだね。学校あげて応援に行くって言ってたから」
「きみも応援参加するの?希望者じゃなかったっけ」
「うん、もちろん友達と参加で紙提出したよ。孤爪くんも出るでしょ?」
「まぁ……一応」
「レギュラーなだけでもすごいのに春高だよ!私あちこち飛ばしちゃったのに返ってきたボール全部きれいだったもんね」
「いや……おれ以外の人が強いんだよ」
「そんな謙遜しなくても……あ、待って」
改札の手前で立ち止まり、リュックの中に手を伸ばす。冬休みに入ってしまったからもう会うことはないだろうし、応援も兼ねて何か渡したい。確か丁度いいのがあった気がするんだけど……あ、あった。油性ペンも取り出し、しゃがんでお菓子のパッケージににメッセージを書いた。
「孤爪くん甘いもの食べれる?」
「うん」
「よかった、はいこれ。春高頑張ってね、みんなで応援しに行くから」
「……ありがと」
「たまたまあったものでごめんだけど、今は時期が時期だから応援系のパッケージが多いんだよね。そのチョコ菓子好きでよく買うんだ」
「これ、頑張れの後ろに描いてるの猫?」
「そうだよ、可愛いでしょ。え、もしかして下手!?」
「ううん、かわいい」
自分に言われたわけでもないのに「かわいい」と、小さく笑った彼に心臓がはねる。なんだろう、ギャップに落ちる人の気持ちが少しだけ分かった気がした。そんな反応もらうのが烏滸がましいくらいなものなのに、彼が笑ってくれたのは素直に嬉しい。
孤爪くんがお菓子を鞄にしまったのを見て改札を通り、話をしながら駅のホームへと降りた。
「よかった、間に合ったわ」
間もなくしてクロ先輩が小走りでこちらへ駆け寄る。電車の時間まであと五分程だったのでギリギリセーフ。間に合ってよかった。
「先生まだいました?」
「……おう!」
「わざとらしすぎ」
「なんのことかなぁ?」
孤爪くんは悪態をつきながらクロ先輩に自分の鞄をぶつける。それなのに怒りもせず、何故か孤爪くんをからかうように笑っていた。……どういう状況なのだろう。
そこからはクロ先輩も含め他愛ない話をして、先に電車を降りる二人を見送る頃には私の緊張もほぐれていた。
*
学校をあげての春高応援当日、私は多分、それ自体を甘く見ていた。試合が始まると会場は一気に熱をもち、息をつく暇もなくビリビリと伝わる迫力に気圧される。
すごい、という言葉しか出てこなかった。
自分なんかが受けたら骨折するのではないかと思うほど力強いサーブにスパイク。でもそれを拾いボールが孤爪くんへと返り、また丁寧にあげて攻撃へと繋げる。上手だなんて、そんなありふれた言葉で表すことができるものではない。
いつもの孤爪くんとは違う、私の知らない彼がそこにいた。
きれいなフォームでトスをあげる姿も、ボールを追いかける姿も、ぺしょっと倒れ込む姿も、仲間に声をかける姿も、全てから目が離せなかった。
今こんなこと思うなんて、本当に不謹慎だと自分でもわかっている。……でも、これをなかったことにできるはずもない。いちクラスメイトではおさまらない気持ちに気づいてしまったのだから。
…
試合は惜しくも負けてしまったけれど、みんなどこか清々しい表情をしている。悔し涙を流している人も勿論いて、挨拶に並んだ時はこちらももらい泣きしそうになった。……というか、もらい泣きをした。
試合が終わった私たちも片付けて帰る準備をする。忘れ物などないように、自分のクラスが座っていた場所を確認するのは私と友達の役目でみんな出た後に椅子周りを一周した。
「忘れ物はなさそ……待って、目薬落ちてる」
『あ、こっちはリップ落ちてる』
「意外と落ちてるもんだね、あとはないかな」
『大丈夫そうだね、じゃ行こう』
忘れ物を持ってちらりと下を覗くと孤爪くんたちも荷物をまとめていた。
既に次の試合のためにモップがけをしているコートを見て、改めてすごいものを見せてもらったなと先ほどの試合を思い出す。
孤爪くんの背中に小さく「お疲れさま」と呟けば、聞こえるはずもないのに彼がこちらへと振り向いた。
ぱちりと合う視線に気のせいかもと思いながら周りを見わたすと、ここにいるのは自分と階段を上って背を向けている友達だけ。もう一度下へ視線を戻し、小さく手を振れば孤爪くんも少し視線を逸らしそれを返してくれた。
気のせいじゃなかったという嬉しさと、恥ずかしさでじわりと顔に熱が集まるのがわかる。心臓がさっきと比べ物にならないくらい大きく脈打っておさまりそうにない。
くるりと出口の方へと振り向いて、そのまま友達を追いかけ階段を上った。
*
「あ、おはよう」
「……おはよ」
これも何かのいたずらだろうか。冬休み明け早々、孤爪くんに会うなんて。登校の時もたまに見かけてはいたが、毎回クロ先輩が一緒だった。でも珍しく今日は孤爪くんひとり。
普通に挨拶できただろうか、意識して変な態度になってないだろうか。この前までは少しの緊張くらいで意識せず話すことができたのに今は別の感情が邪魔をする。
「孤爪くん。あの、会ったら言おうと思ってたんだけど」
「なに、告白?」
「は、え?こく……はく、とは?」
「ふっ、なに動揺してるの。冗談だよ」
「び……っくりしたぁ、どうしたのかと思った」
「……なんか、春高終わってから知らない人からそういう系のメッセージくるんだよね。全部ブロックしてるけど」
「な、なるほど……」
待って、普通に心臓に悪い。本当にびっくりした。いや、告白するつもりなんて微塵もなかったけれど、思い切り顔に出てしまったのかと思った。
でも確かに、あの試合を見たらコートに出ていた選手を好きになってしまう人はいるだろう。かく言う私も気持ちに気付いた一人だから。でもこんなことあまりにも不純すぎて言えるはずがない。
「あ、そう言いたかったことはね、試合お疲れさまって。すごかった、本当に言葉に表せないくらい。みんなかっこよかったよ」
「そんな恥ずかしげもなく……まぁでも、たのしかったかな」
「ふふ、伝わってきたよ。みんな楽しそうだったのも。最後つられて泣いちゃったし」
「たしかに、すぐ泣きそう」
「そうかな……」
「うん」
そう言って揶揄うように目を細める。……すぐ泣きそうって、孤爪くんには私が涙もろく見えるということか。否定できないから言い返す言葉もない。
少し話は逸れてしまったが言いたかったことは言えたし、最初の話題から離れることもできて少し安心した。本当に心臓に悪かった、なんだか孤爪くんに見透かされているような気がして。
「……あのさ、応援来てくれてありがと」
「そんな改まって……どういたしまして。私も応援できて楽しかった、また機会があれば応援行かせてね」
「来てくれるの?」
「孤爪くんたちがいいなら友達誘って行くよ」
「そう。じゃあさ、連絡先交換しない?」
「え、や、いいの?」
「じゃないと、学校で話すしかなくなるでしょ」
孤爪くんはスマホの画面をなぞり、読み取り用のコードをこちらに向ける。私も慌ててロックを解除し、孤爪くんの画面を読み取れば自分のアプリに追加される『けんま』の文字。あまりの嬉しさに今年の運を使い切ってしまったかもしれないとさえ思った。まだ始まったばかりなのに。
「追加された?そう、それおれ。スタンプか何か送ってくれる?」
「あ、ま、待ってね」
私のスマホを覗き込む彼の距離の近さにひゅっと息を呑んだ。近い、なんかいい匂いがする、髪サラサラだ、どうしよう思考がどんどん気持ち悪い方にいってしまう。脳のキャパシティーはとっくに限界を超えているけれど、悟られないようにスタンプをひとつ送った。
「きた、ありがと」
「こ、こちらこそ」
そう伝えるので精一杯だった。顔が熱い、これは絶対赤くなっている。ただでさえ脳内パニックなのに、誤魔化す方法なんて浮かぶはずがない。
そんな私の顔を覗き込み「なに、ちょっと意識した?」と薄く口元に弧を描く。何、これはなんて答えるのが正解なの。
「え!?いや、そんなこと……さすがにある、かも」
「ふっ、言っちゃうんだ。まぁわざとだけど」
「え」
「じゃあまた教室で」
意味深なことを言った孤爪くんは一足先に校門をくぐる。私はと言えば、その言葉を脳内で処理することができずその場に立ち尽くした。