最初から全部嘘だった。好きの言葉も、デートした思い出も、くれたプレゼントも。全部、嘘だった。
『及川の奴、海外行くって聞いたんだけど』
『まじ?』
『俺今のうちサインもらっておこうかな』
まだ人の残っている放課後の教室でも徹の話で持ち切りだ。それはそうだ、高校卒業してすぐに海外でバレーをするなんてそう誰でも決断できるものではない。
それを聞いたのは数日前で、徹との繋がりで仲良くなった岩泉くんがこっそりと教えてくれた。三ヶ月ほど前に徹から別れを告げられ、元が付く彼女になった私にはもう関係のない話だけど。
*
「急にでごめんだけど、別れてほしい」
「……え?」
部活動のない日、いつものように二人で肩を並べ歩いていた帰り道のことだった。丁度帰路が分かれるその直前、徹がそう口にする。前触れもなく別れを切り出されるなんて、まさに青天の霹靂だった。
「えっと、嘘とかではないよね……」
「うん」
「私、何かした?」
そう伝えるも徹は首を横に振る。じゃあなんで急にそんなことを言い出したのだろうか。
「……全部俺が悪い。ずっときみのことを利用してた、告白されたあの日から。付きまといとかも酷くて、彼女ができたらそういうのも落ち着くかなって。……だから、ごめん」
思いもよらない告白で、上手く言葉がのみこめない。徹の言葉を頭の中で反復しその意味を理解するほどに動悸が激しくなる。苦しい、どうしたらいいのかわからない。
「今までのこと、全部うそってこと……?」
「……そうだよ」
違うと言ってほしいと、ようやく絞り出したその言葉。それをいとも簡単に肯定され足元から崩れ落ちるような感覚に襲われた。全部、うそだったなんて。
今自分がどう思っているのか考えがまとまらず頭の中はぐちゃぐちゃだ。気が付いたら徹のジャケットを握りしめ、手が震える。憤りなのか、悲しみなのかもわからない。
「…………最低」
やっとのことでぽろりと口から出た言葉はたったそれだけ。顔を見ることもできず、リュックのショルダーを握りしめ徹の言葉も聞かずにすぐ踵を返した。
どんな顔をしていたのかなんて知らないし知りたくもない。
付き合ってくれるって応えてくれた時、その日の夜は目が冴えて寝れないくらい嬉しかったのに。徹は最初から私のことなんて何とも思ってなかったんだ。
好きじゃないのにデートしてくれたんだとか、一緒に帰ってくれたんだとか、誕生日にプレゼントくれたんだとか楽しい思い出が一気に色褪せる。……流石にしんどい。
少し経ってから振り返るも徹の姿はなくて、心の中に鉛を落とされたような気分だった。
*
それから徹と話すことはなく、卒業間近になった約三ヶ月後の今徹が海外に渡ることを知った。
こうなってしまえば確かにお役御免ではあるか、と妙に納得した部分もある。だからと言って決して立ち直ったわけではないし、利用されていたことに関しては悲しみに加え憤りもまだあるけれど。それと同じくらい好きだという気持ちも簡単には消えてくれない。
私のことを都合よく利用したのであれば最後まで嘘を突き通して欲しかった。バカ真面目に利用していたなんて言わないで、他に好きな人ができたって言われた方がまだマシだ。どちらも辛いけど、後者だったとしたら今まで自分に向けてくれた感情は嘘ではないのだから。
『部活の後輩たちに呼ばれちゃって遅くなりそう、待たせてたのにごめん』
「いーよ、そんなに待ってないし。じゃあ先帰るね」
『ほんっとごめん、また明日』
「大丈夫だよ、じゃね」
階段へと消えて行く友人を見送り、私もリュックを背負い教室を後にする。すっかり人気の少なくなった階段を降りると、一階下の教室によく知っている人物がバレー部の顧問と話しているのがガラス越しに見えた。
今後についての話だろうか。……もう私には関係のないことだけれどなんて、虚しくなるだけなのに心の中で自嘲的に呟きその場を後にした。
*
「待ってくれ」
「え?」
校門を過ぎたあたりで私の名字を呼ぶ声に振り向けばそこには岩泉くんの姿があった。いつもは徹含め部活の人と帰っていると思っていたけれど今日は一人のようだ。いつも話す時とは違う、真剣な声色で呼び止められたことに驚いた。
「どうしたの?」
「いや……その、ちょっといいか」
私が見ている岩泉くんは物事をはっきりと言うことが殆どだけど、今日は珍しく歯切れが悪い。まぁ幼馴染の元カノだと思えばそれもそうかと勝手に納得する。
「いいけど……」
「じゃあ、とりあえず歩くか」
訳も分からないまま岩泉くんの隣を歩くもなんだか気まずい。早く本題を切り出してほしいのだけれど、当の本人は周りの様子を伺っているようにも見える。
誰かに聞かれたらまずいことなのだろうか、と考えても彼との間に思い当たる節がない。
程なくして小さな公園の東屋へと腰をおろした岩泉くんが「ここなら大丈夫だろ」と呟き、彼の向かい側に促されるがまま座った。
「いきなり悪かった」
「え、なんのこと?」
「今一緒に来てもらったこと」
「大丈夫だよ。それよりも何かあったの?」
「あーまぁ、お節介だとは思ったんだけどよ……及川のことで」
あからさまに顔に出たのだろうか、岩泉くんは慌てて「悪い」と口にした。
「腹立つかもしれねーけど、少しだけ聞いて欲しい。どう思うかはお前に任せる」
「……なんのこと」
「あいつがお前を振った理由だが、お前のことを利用したわけでもないし、元々好きじゃなかったっていうのも嘘だ」
「意味わかんない」
徹は私のことを利用してないし、好きじゃなかったわけでもない?なんでそんなことを岩泉くんが伝えてくるのだろう。真っ直ぐな性格の彼が嘘を言っているとも思えない。ただこれに関しては納得ができず、嬉しいどころか逆にふつふつと怒りが湧いてくる。
根拠もなければ、彼だってあの日以降目を合わせようともしないのに信じられるわけがない。そして本人でもない岩泉くんがわざわざ私を呼び止め、何故傷口に塩を塗るようなことを言うのだろうか。
「そんなの言われても信じられないし、岩泉くんが言う理由もわからない。なんでそんなこと知ってるの」
釈然としない気持ちから少し言い方がきつくなってしまった。本当の気持ちは別であるのになんで私には言わず岩泉くんには言うのだろうと、ほんの少しは八つ当たりの気持ちもある。……でも別に間違ったことは言っていない。
「及川を詰めて殴ったから。いや軽くな、軽く」
「……え?」
想像の遥か斜め上の返答に思わず気の抜けた声が出た。いや徹にすぐ手が出るのは岩泉くんらしいと言えばらしいけど、軽くとかそういう問題ではない気がする。何がどうしてそうなった。
「あいつが一方的に別れたなんて言うから詰めた。本心なわけねーだろって思ってたからな」
「え、いや、でもなんで」
「そんなの見てりゃわかるだろ。及川のやつ告白された日なんか上の空だったし、それから事あるごとに惚気まくってたのに急に大人しくなるんだからよ」
別れたと言った時の及川なんか見てられなかったと岩泉くんは大きく溜め息をつく。岩泉くんに対しても誤魔化していたが、その様子からどう見ても理由は他にあると思ったから詰めた。そう彼は口にした。
「俺から言えるのは及川の本心は全く違うってことだ。お前のためとか言ってたが、そんなんあいつのエゴでしかねえって傍から見てもわかるからな」
「……わからないけど、わかった」
「なんかこう、もどかしくてな。勝手な行動して少なからず嫌な思いもさせて悪かった」
「いや、別に……ちゃんと岩泉くんにもむかついたけど」
「ははっ、そのままあいつにもぶつかってってくれ。俺から全部言うのも違うしな」
「うん、考えとく」
その後岩泉くんは駅まで私を送り、ピザまんまで買ってくれた。嫌な気持ちにさせた代とのことなので、受け取っておいた。
一人になってから岩泉くんの言葉を思い出し何度も考えてみたが、その意味が全くわからなくて悶々とする。本心は違うとか、別れたのは私のため……って受け取ってもいいんだよねあの言い方だと。ただ、それの意図もわからない。
私のためというのであれば別れたくはなかった。岩泉くんの言っていることが本当なのであれば徹はなんで突き放したのか、あんなことを言ったのか、本当は自分のことをどう思っているのか。……聞きたいことは山ほどある。
でも次聞いて答えが変わらなかったら、傷口に塩どころか傷口を更に抉られる。今すぐにでも聞きたいけど、それが怖くてぶつかる勇気がでない。
その日は岩泉くんの言葉が頭から離れず悶々と過ごした。
*
あれからタイミングを窺っているもののあと一歩前に出ることができずに足踏みをしていた。もう卒業まで一週間を切ってしまったため焦りも生まれるが、直接連絡して呼び出すのも気が引ける。
徹が一人でいるのを見かけたら声を掛けると決めているのにそのチャンスは一向に訪れない。……当たり前と言えば当たり前だけど。
今日も屋上から様子を見るも彼の姿は見当たらず溜め息が漏れる。こうしているとストーカーみたいであまりいい気分ではないが、他にいい方法も思い浮かばない。
諦めて踵を返せば金属の擦れる音と共に屋上のドアが開いた。
「あ、とお……」
ドアを開けて屋上に来たのはずっとタイミングを見計らっていた相手だった。私と視線が合えば徹はすぐに「……ごめん」と呟いてドアを閉めようとする。このチャンスを逃したらきっとこのまま卒業してしまうと、反射的に駆け寄りドアノブを掴んだ。
「ま、待って!」
「え、なに、そんなに力強かったっけ?」
自分の出せる力を全て使ってノブを引っ張ると、半開きになったドアを挟んだ向こうから戸惑う声が聞こえてくる。徹の力に絶対敵わないのはわかっているけれど、私を振り払うことはしないはずと確信して思い切り力を入れた。
「わかった、わかったから離して!」
「ほんとに逃げない?」
「逃げない逃げない」
半信半疑だったもののゆるりと力を抜き手を離せば、ドアの向こうから徹がおずおずと顔を出す。ばつが悪そうな顔をして、屋上のドアを静かに閉めた。
久しぶりに顔をまともに見た気がする。ずっと話すタイミングを見計らっていたものの、いざ会うとどう切り出せばいいのかわからない。「ねぇ」と、少しの沈黙を破ったのは彼の方だった。
「どうしたの」
……第一声がどうしたのなの?
思わず徹のジャケットを掴み自分の方へと引き寄せた。
「どうしたのじゃないよ、なんで別れるのが私のためなの。どんな理由であれ私のためを思うなら別れて欲しくなかったし、今までのことを無に帰すようなこと言わないでほしかった」
「えっちょっと、なんでそれ……あ、もしかして岩ちゃ……」
「そうだよ岩泉くんが教えてくれた。全部は言えないけど私のために別れたって言ってたって」
「……もう、なんで言うかなぁ。このまま知らないでいてくれた方が良かったのに」
「え?」
徹はおでこに手を当ててため息をついたと同時に、空気が少し冷えたのを感じる。そして突き放すような視線に一瞬肩が震えた。
「じゃあはっきり言えばよかった?他に好きな人ができたから別れてって」
「なに……」
「傷つけないようにって思って嘘ついたのに、わざわ……ったあ!?何すんの」
ジャケットを掴んだまま徹の胸目掛けて頭突きをした。本当は顎に頭突きしてやりたかったが届かないのだから仕方がない。
「それも嘘でしょ」
「嘘じゃな……」
「徹、最初は目を合わせて話すけど嘘つくときは絶対最後の方で目を逸らすから。気づいてないでしょ」
多分だけど、それが彼の癖だ。嘘をつけない人は最初から目が泳いだりしてわかりやすいけど、徹は始めこそ目を合わせるものの最後は絶対に逸らす。その癖に気が付いてからはよく嘘を見破り「なんでわかったの?」なんて言われたけれど、彼に答えを教えなくてよかったと今になって思う。
徹はそれ以上何も言えずに言葉を詰まらせるものだから、自ら嘘でしたと自白しているようなものだ。
「ねぇ、なんで嘘ばっかつくの。そんなに私のこと嫌いだった?嫌いになったのを悟られないように別れようとしたの?……そうだとしたらそっちの方がきついよ」
自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。彼の制服を両手で握りしめ、言葉を並べるうちにだんだん声が震えてくる。足元に視線を落とすも視界がじわりと歪んだ。
嫌いになったと言われればすごくショックだし暫く立ち直れないと思う。それでも付き合ってすぐの思い出は全部嘘じゃなくなるから。今みたいに本心は違うと知ってしまった以上、理由もわからないまま別れた方がずっと引きずってしまいそうだ。
「……ごめん、そうじゃない。ごめん」
「それだけじゃ、わからないよ」
彼の両が私の頬を包み込み、ゆっくりと上を向かされる。親指で落ちた涙を拭った徹の瞳は酷く悲しそうだ。悲しいのはこっちなのに、その表情の理由を教えてほしい。
「あんなに酷い振り方をしたんだから、最低な男だって切り捨ててくれたらよかったのに」
「そう思ったよ、最低だって。でも徹のことを簡単に嫌いになんてなれないし、そんな中岩泉くんから私のためだなんて聞いたら余計納得できなかった」
「……うん、ごめんね」
彼は謝りながら頬へと寄せていた手をそっと離した。
ただ謝ってほしいわけじゃない、そのごめんは何に対してのごめんなの?それを教えて欲しいのに。……でも自分の気持ちをどんなに訴えても言えないのであれば、これ以上聞くのも憚られる。諦めるしかないのかもしれないと俯いたその時「……聞いて」と徹が口を開いた。
「利用してたとか、あれこそ全部嘘。本当はきみのことが好きで好きでしょうがない。……でも、もうすぐ俺は日本を離れるから」
「……うん、知ってる」
「次にいつ会えるかもわからないし、きっと時差で連絡も取りづらくなる。だから俺と付き合ったまま寂しい思いをさせるより、傍にいてあげられる他の人と付き合った方がいいんじゃないかって」
「そっか」
要は遠距離になって今までみたいに会えないし、連絡も頻繁には取れなくなる。だから私のために別れようとしたってこと?……ふざけないでほしい。
私は徹のジャケットの襟を掴んで自分の方へと引き寄せた。彼はというと驚きだろうか、目を見開いて私へと視線を落とす。
「なんで勝手に決めつけて相談もしてくれないの。そんなに別れたかった?」
「そんなこと絶対にない、ごめ……」
「謝るくらいなら!……謝るくらいなら撤回して、別れるって言ったこと。徹じゃなきゃいやだよ」
気持ちを吐露した直後、見計らったかのように学校のチャイムが鳴った。
手も声も震えていて、このどうしようもない気持ちの僅かでも徹に届いただろうか。この先遠距離でどうなるかなんてわからないが、きっと簡単ではない。でも少なくとも今は徹以外の人なんて考えられないし、彼となら遠距離だってなんとかなるとそう思っている。
しかしチャイムが鳴り終わっても徹はぴくりとも動かずただ視線だけを交えるだけ。
……本当にダメかもしれないという考えが過り、一度止まった涙がまた視界を滲ませる。もう顔も見れなくて俯いたその瞬間、私の背中に腕が回され彼の胸に抱きしめられた。
「もう遠距離無理だって言っても遅いからね。俺結構嫉妬深いし、我儘言っちゃうかも」
「うん、いいよ」
「……はは、いいんだ。もー、一人で暴走してバカみたいじゃん」
「ふふ、ほんとだよ」
「ねぇ俺さ、多分きみが考えてる以上にきみのこと好きだから離してあげられないけどいい?」
「いいよ、むしろ大歓迎」
私も彼の背中へと腕を回し抱き締めれば、彼の腕に少し力が入る。
「俺、自信もってきみに一緒に行こうって言えるように頑張るから。……それまで余所見しないで待っててほしい」
「こんなかっこいい彼氏がいるのに余所見しようとは思わないよ。私も徹が頑張ってる間こっちで頑張るから」
「うん、ありがとう」
お互い腕を緩め、顔を見合わせてようやく笑いあえた。そんな私たちの後押しするかのように暖かい風が吹き抜けた。