"別れよ"
"バイバイ"
最後のトーク履歴は一週間前になる。忙しいのも分かるけれど、もう昔のようにおはようなんて他愛のないことで連絡を取ることがなくなってしまった。トーク履歴は更新されないのに彼のSNSは更新される、なんて皮肉なのだろう。
そんなトーク画面が今、一方的に送ったメッセージで更新された。そしてもう更新されることは多分もうない。既読がつく前にすぐブロックし私と倫太郎の関係は終わった。
……終わったんだ。
よくスマホを手にしている彼はすぐにメッセージを見ただろうか。……きっと「ふーん」で完結しているだろうけれど。
自分からしておきながら"ブロック"と書かれた彼の連絡先を見てじわりと涙が込み上げる。
私から好意を伝えても「知ってる」「ありがとう」ただそう言うだけで、最後に彼から「好き」をもらったのはいつだったかもうわからない。彼との間に温度差を感じて、それに気付いたのが一つ目の決め手だった。
彼はもう付き合った頃のように私を好きじゃないかもしれないと、そう思ったから。
元々住む世界が違ったのは自分でもわかっていた。片やバレーボール選手として活躍する倫太郎、片や私は普通の会社員で。学生の頃に比べどんどん有名になる彼を見て嬉しい反面、不安を覚えた。
見るからに彼へ好意を寄せているであろう綺麗な女性や、所属している会社の人に囲まれている彼を何度遠くから見たことか。彼はそこに所属する選手だし、有名なことには違いなから仕方ないのはわかっている。
でも好きや愛してるなんて安っぽい言葉で確認しなくても大丈夫だったあの頃とは違って、それがない今不安は雪だるま式に大きくなる一方だった。……倫太郎が今も自分のことを好きだと確証をもつことができなくなってしまっていた。
倫太郎は転校して来た私の案内役に抜擢されたのがきっかけで仲良くなり、学生の頃から付き合っているというただそれだけ。特に彼を魅了するような秀でているものなんて何も持ち合わせていない。そんな私が注目を浴びる彼の隣に立ち続ける自信はなかった。
バレーの応援に行くと自分よりも倫太郎の隣に相応しいと思える人がどうしても目に入り、その度に劣等感に苛まれる。
少しずつ積もった不安や嫉妬心がそのうち爆発して嫌な自分を彼に曝け出してしまうくらいなら別れた方がいいと、そう思った。これが二つ目の決め手になった。
だから面と向かう勇気もなくメッセージで別れを告げて逃げた。一週間前ここに引っ越したばかりで彼はこの場所を知らないから見つけることもできないだろう。
……好意は厄介なもので、自分で別れると決めたのにも関わらずこの気持ちをすぐに忘れられるわけでもなければ、嫉妬や寂しさがなくなるわけでもない。じわりと込み上げる涙をタオルで押さえ、布団に潜った。
*
「……やば、もう夜、」
うっかり寝てしまい気がつけば空に星が見える時間帯になっていた。焦燥感に駆られながらもお腹は空く。なんて身体は正直なのだろう。もそもそと重い体をベッドから引きずり、冷凍庫から保冷剤を取り出し目を冷やす。いくらか腫れが引いたら着替えて駅前へと向かった。
不意にポケットに入れていたスマホの音が鳴りどきりとした。倫太郎からは来るはずがないと思いながらも恐る恐る画面を見れば友達からで少しほっとする。内容を見れば、どうやら推しの広告が今日掲示されるから写真を撮って来てほしいとのことだった。丁度その駅に向かっているからと二つ返事で快諾した。無駄にドキドキしたのを返して欲しい。
友達の推しの広告を撮りつつ、こういう時だからこそ何か美味しい物を食べたいななんて考えていたけれどなかなか決まらない。
でもやっぱりこういう時は……肉か。よし、少し高めの美味しい肉を探そう。肉は裏切らないと、そこから一番近くにあるエスカレーターを地下へくだった。
*
「いい買い物したな」
ちょっと高いステーキとスイーツを手に下げ、先ほどより足取り軽く地上に出た。気になっていたけど高くてなかなか手が伸びなかったスイーツも手に入り、少し厚めのステーキも買えて浮足立つ。……今日くらい贅沢したっていいよね。
「……ぇ、ねぇってば」
「え、わた……っ」
ステーキに気を取られ、話しかけられていたことに気がつかなかった。慌てて声の方へと振り返れば、そこに立っていた人物を見て血の気が引く。慌てたとはいえ、どうして声で気付けなかったんだろうと後悔してももう遅い。
「このメッセージ、どういうこと」
「なんで、ここに……」
「なんででしょうね」
表情はいつもとあまり変わらないものの、その声色から怒っているのが窺える。
「で、何このメッセージ。送っても既読つかないしもしかしてブロックしてる?」
「いや、その……はい」
「納得できないから説明して」
ここまで怒っている倫太郎は初めて見たかもしれない。どうしたらいいのかわからず心臓がどくどくと大きく脈打ち変な汗が流れた。
でもその反面、なんで来たのとか、今更期待させるようなことしないでほしいとか、少しの苛立ちを覚える。せっかくいいお肉とスイーツ買ったのになんて倫太郎に関係のないことまで色んな感情が入り乱れ、無意識に涙が零れた。今さっき、涙腺が落ち着いたばかりだというのに。
「は?なに、泣いて」
「なんで来たの……っ」
「ちょ」
思い切り彼の胸を押せば、体幹がいい彼はふらつかず逆に私が体勢を崩し腕を掴まれ支えられた。プロのバレーボール選手と万年運動不足な自分では、そうなるとわかりきっていることなのに今はただただ腹が立つ。力任せに倫太郎の手を振り払おうとしてもびくともしない。
「……体幹ばか!筋肉おばけ!」
「はぁ!?意味わかんないキレ方しないでくれる」
「も、やだぁ……」
「……車で来てるから俺の家行こう」
公衆の面前で泣き続けるのは流石に恥ずかしいし、かと言ってもう別れたのに引っ越して間もない自分の家にも呼びたくない。不本意ではあるけれど、選択肢の中で一番マシだったので無言で頷いた。
*
「……おじゃまします」
「どーぞ。はい、保冷剤」
「ありがと」
ソファーへと促され、タオルに包まれた保冷剤を目に当てる。冷たくて気持ちいいがこれは完全にデジャヴだ。「ちょっと待ってて」と彼はキッチンの方へ向かい、少ししてマグカップを二つ持って戻って来た。
「……で、なんで別れるなんて言い出したの」
「それは……」
「俺は別れるつもりないけど」
「……っ、どうして」
目元から保冷剤を外しそう返せば、倫太郎は目を見開いて驚いている。まるで心当たりなんてないとでも言っているかのように。
「逆に聞くけど、俺がなんで頷くと思ったの」
「……だって、もう私のこと好きじゃないでしょ」
「は?なんでそうなるの」
膝の上で保冷剤を握った手は震えていて、迷った視線をそこに落とした。好意がまだ残っているからこそ、これを伝えたら本当に嫌われてしまうかもしれない。そう不安に思う反面、全て言ってすっきりしたいと思う自分もいる。
でももうここまで来たら腹を括って彼に伝えようと、彼へを視線を向けた。
「もう嫌なの。一方通行の好きも、倫太郎に相応しい綺麗な人たちとか関係者の人に嫉妬したり、乗り換えるんじゃないかって不安になったりすることも」
彼の言葉が聞きたくなくて、話す隙を与えないように続けた。抑えきれない涙と共に、胸の奥に押し込んでいたドロドロとした負の感情をただ一方的に彼へと投げつける。わざと口を挟まなかったのか、話す隙を与えなかったからなのかわからないけれど彼はただ黙って耳を傾けてくれた。
「好きじゃないなら……お願いだから、もう振ってよ……」
「……全部言い切った?」
そう口にした直後、倫太郎に包まれる。さっきとはまるで違って、引き寄せるその腕はひどく優しかった。そして撫でるように私の髪を梳き、身体を離して顔を見合わせた。
「ねぇ、聞いていい?なんで俺がきみを好きじゃないことになってるの」
「……倫太郎が好きって言ってくれたこと随分ないでしょ。私から言っても"ありがとう"とか"知ってる"しか言わないから。それに今はもう殆ど必要な連絡しか取らなくなったし」
「……うん」
「倫太郎はかっこいいから、きっと好きになる綺麗な人も可愛い人も沢山いる。……だからやっぱり言葉がないとそう思っちゃうよ」
彼は無言のまま口元を押さえ、少し気まずそうに目を逸らした。
……ほら、図星なんでしょう。それならどうしてさっきも優しくしたのか、ふつふつと怒りが込み上げる。視線を逸らしたまま何も答えない彼を押しのけようとするも背中に腕を回されている為やはりびくともしない。
「……る」
「え?」
「……言ってる、きみのこと好きだって」
先程とは打って変わって耳まで赤くし彼はそう呟いた。
でもそれをそのまま信じることはできない。だって言われていたらこんなに悩んでないのだから。好きな人からの"好き"は、そう簡単に忘れる筈がない。苦し紛れの嘘なのではとつい疑ってしまう。
「いつ、私知らないよ」
「……シてる時と、寝てる時」
「な、何言ってるの」
「流石にこんな嘘はつかないよ。……隠してたんだから」
倫太郎の口から蚊の鳴くような声で零した予想の斜め上をいく発言に、恥ずかしさからじわりと顔に熱が集まる。こんな時になんてことを言い出すんだ。
ただ珍しく彼がここまで顔を赤くしてまで教えてくれたということは、嘘ではないのだろうとも思える。だけど今の私にそれを確かめる術もない。倫太郎を信じるか信じないか、それだけだ。
「……嘘じゃない?」
「こんな時に嘘なんかつかないよ」
「私のことまだ好き?信じてもいいの……」
「好きに決まってるでしょ。これから試してもいいし」
「わっ」
不意に身体が宙に浮き、軽々と倫太郎は私を抱き上げた。すぐ隣のベッドへと優しくおろされ、そこへ跨るように覆い被さる。するりと服の裾から這う手がくすぐったくて身を捩るも、もう片方の腕をベッドについて逃げ場を塞がれた。
「俺がどれくらいきみを好きか、ちゃんと聞いててよね」
「待っ……」
「待たない。それに俺知ってるよ、この前同じ職場の人に告白されたんでしょ?」
「え、なんでっていうか今関係な……」
「侑から聞いた。それに、関係なくない。妬けちゃうよね、こんなにかっこいい彼氏がいるのに誰にも言わないんだから。しかも俺は嫉妬しないと思われてるみたいだし?」
「それは倫太郎に迷惑がっ」
私の言葉を飲み込むように唇が重ねられた。一度では満足しなかったのか、何度も角度を変え苦しいくらいに咥内を侵す彼の熱にくらくらする。
「あと"俺に相応しい"って何?俺に相応しい人は俺が決めるけど。それに見た目で簡単に乗り換えるような男じゃないから、俺は」
「……ごめっ」
「ひとつだけ」
「え」
「お互いの不満を解消する方法があります」
「……なに」
彼はおもむろに私の左手を掬い、真っ直ぐ視線を逸らさずに薬指へと唇を落とした。
「結婚、しようか」
「りんたろ……そんな急に」
「だってまた逃げられたら困るし、きみを手放すつもりはないから。で、返事は?」
「……よろしく、お願いします……っ」
「ふっ、まーた泣くの?」
悲しくても嬉しくても涙腺が緩くなり涙を零す私を見て、彼は柔らかく笑いそれを袖で拭った。