もういいかい










「最終スコアが4対3対2。鈴鳴と那須隊相手にこの点数ですか。はいはい、幸運有能」
「お前本当に捻くれてんなー……」
「いやいや、バイト中にそんなクソな報告聞かされる私の身にもなってくださいよ」
「お前が見に来る気ねーから態々報告に来てやったんだろ。むしろ感謝して『ありがとうございます、出水先輩』くらいは言えよ」
「だから今、先輩に私の奢りでお好み焼きをサービスしてるじゃあないですか」
「はいはい、うまいうまい」




 けれど、素直に意外である。いくら玉狛に雨取隊員や遊真のような優れた隊員がいたとしてもデータを確認する限りでは三雲隊員はトリオンに恵まれているとはいえなかったし、それに雨取隊員に関しては少しだけ思うところもある。だからこそ、今回の戦闘において玉狛の勝利だけは望みが薄いと思っていたのだけれど……どうやら結果は違うらしい。

 あの天才的な射手の腕を持つ玲ちゃんと今では攻撃手ランク上位の村上先輩。この2人のいるチームから生存点を合わせたとはいえ4点もの得点を取ることができるほどのチームなのか、玉狛第二という部隊は。




「まあでも毎度毎度ビックリするけど、玉狛の狙撃手の火力はマジでやばいよなー」
「私に雨取隊員の話はしないでくださいって言っているじゃあないですか。イライラするんですよね、鳩原先輩を見ているみたいで」
「お前は鳩原さんの事、結構好きなのかと思ってたけど、もしかして違ったりすんの?」
「私が二宮隊の狙撃手を好きだなんて本気で言っているのだとしたら一度お医者様に見てもらったほうがいいかもしれませんね」
「おれ一応先輩なのに滅茶苦茶言うじゃん」
「…………まあでも、尊敬はしてましたよ」




 ーーー誰よりもーーー

 だからこそ、私はあの人を超えてやろうと狙撃手としての腕を磨くことを心に決めたし、あんな風に誰かの支援をこなせるようになりたいとも思ったのだ。だからこそ。




「二宮さんを裏切った事だけは、どんな事情があろうとも死んでも許しませんけどね」




 出水先輩は私の言葉に箸を止め、私の表情を盗み見るようにして視線を寄越してから「お前の そういうところを見ると、おれは安心するよ」と言う。そうして、私がその言葉の意味を理解するよりも前に止めていた箸を動かして食事を再開する。こんな時に米屋先輩がいてくれれば、今の言葉の意味を私にも理解が出来る程度まで砕いて教えてくれるのだろうけれど、こういう時に頼りになる人が、今この空間には誰もいない。

 くるくるとガラスの中の氷を音を立てて回す出水先輩は、また『あの瞳』をしている。もう気にしていないと。それ以上のお返しを貰ったのだと。そういう本心を私は何度だって出水先輩達に送るのに、本人達だけがいつまで経っても引きずり続けるのだ。きっと、当真先輩あたりにいったのならば「謝るくらいならやるなよ」という正論を口にするのだろうけれど、ここまで思い詰めた表情をする人にそんな言葉を投げかけることができる人は鬼だと思う。




「知ってるかもしれねーんだけど、ボーダーの人ってさ、お前が変わった事について皆口揃えて『良い変化』だって言うんだよ」
「?……えっと、なんの話ですか??」
「実際、人と関わり持つようになって前より生きやすくなったんだろうなーとか色々考えて正当化してみたりもしたんだけどさ、やっぱ無理。全然ダメなんだわ」
「なんでそこまで思い詰めるんですか。見てくださいよ、私こんなに元気ですよ」




 私の事なんて一度も見る事なくグラスに入ったお水を口に流し込んだ出水先輩は、ふぅ、と息を吐いてから、ようやく私と視線を合わせて、こんな言葉を口にするのだった。




「…………だっておまえ、弱くなったじゃん」









 折角の休日。それも、バイト終わりの帰宅前になんていやな話をするのだろうと、もしかしたら苗字は そんなことを思っているかもしれない。会話の相手にもよるけれど、おれだったらいやだなと冷静に思った。

 苗字名前。今日も相変わらず絶好調に文句なしの美少女なこの女は今ではボーダー内でも絢辻遥と競る程の人気者である。笑顔が女神だとか。愛嬌があって親しみやすいとか。そんな理由で本人の知らないところでアホみたいなスピードであっという間に人気者の階段を駆け上がっていったのだ。それは多分、冬島隊にとっても、東さんや二宮さん達にとっても嬉しい事だったはずだ。何故ならば、かつての苗字名前という人間は今とは打って変わって大変閉鎖的な人間だったから。




「この間のさ、ゲーム」
「えっ、」
「おれが勝ったじゃん? だからお前にもついでに おれのお願い聞いてもらおうと思って」




 それ私関係ないじゃないですか、と肩を落とす苗字を眺めて『知ってる知ってる』と心の中でだけ返事を返す。おれも今の言葉をあいつらに言ったら滅茶苦茶批判くらったしなー。「それならここから先のゲーム一生、苗字立ち合いのもとじゃないとやらない」と、隠岐が口にする程の激論に発展したのはまたいつかの機会に是非聞いて欲しいところだ。だからお願いじゃない。あの日の許すという選択肢しかない謝罪をやり直させて欲しいだけなのだ。これは、おれが起こしてしまった事だから。米屋は付き合ってくれただけだった。冷静になって振り返ると、やはり元凶はおれだったのだ。

 だって、知らないだろ。苗字は昔。『人の命は平等だ』なんて、まるで良い子ちゃんのテンプレートのような そんな言葉を あんなにもなにも考えていないような笑顔で口にするような女じゃなかった。もっと品のある頭のいい・・・・奴だった。友達なんてこれっぽっちもいなくて、どちらかといえば一人を好む方のやつだった。あの佐鳥と同期で あの佐鳥からあれだけ好意を飛ばされていたというのに A級入りするまで これっぽっちも反応してやらなかったのが、その証拠なのではないだろうか。故に、おれ達にボーダーに入った理由について あんなに剣呑な目をして言ってくれたのだ。友達がいなかったから、おれ達に言ったのだ。あの時のあいつには東隊か、おれ達くらいしか 会話の成立する仲・・・・・・・・の人間がいなかったから。別に変わってしまったことが悪いことだとは思わない。友達が出来たというのも苗字にとっては良いことだと思うし、周りに友好的になったというのもプラスに作用している事だ。けれど、一方で苗字を弱くしてしまったのは間違いなく自分達だという自覚があった。

 だから、おれ達は あの日・・・を途轍もなく後悔しているし、たとえ本人に嫌われようと苗字の為なら、誰に嫌われようともなんだってしてやると心に誓ったのだ。




「おれ おまえの通常弾アステロイドが、すげー好きでさ憧れてたんだよね」
「は? え、えっ…!!!? 今いうの!?」
「いつか言おうとは思ってた。お前だって自分が何で嫌われていたのかって理由をこのままずっと知らないのは腑に落ちねーだろ」
「大体わかりますよ。これでも私は当時の態度については反省しているんですよ?」




 そういいつつも、滅茶苦茶怒ってんじゃん。なんていう言葉を今のおれは言える立場じゃあない為、絶対に口にはしないけれど、これは怒っている顔だ。笑顔と言い方に微妙に棘があるのに加えて、静かな……なんていえばいいのか、隠し切れない圧を感じる。

 普段のような緩い怒りじゃあない。マジなやつである。あーあ、失言どれだよ。




「でも、先輩。私は今の話がイコール弱くなったには繋がらないと思うのですけれど」




 お好み焼き『かげうら』の看板娘がいつまでも定位置から戻らず、しかも明らかに普段とは違う雰囲気を醸し出している。

 そういう光景に好奇心やらなんやらの視線がサイドエフェクトなんかなくったってわかるくらいに、ちくりちくりと頬を突き刺す。そういうあまりにも久しぶりの体験に、おれは人生で2回目の『影浦さんってこういう気持ちなんだなあ』という思考に辿り着く。



 
「プライドとか自己肯定感とかってさ、自信をつける上でも実力を発揮する上でも、やっぱりすげー大事になってくるじゃん?」
「? まあ、そうですね」
「……お前のプライドや自己肯定感ってものにヒビをいれるのにも粉々に打ち砕くのにも、当時の環境と一年間は充分だっただろ」




 正直に言うのならば、今のおれでも当時の苗字の環境の全てを把握しているわけじゃあない。けれど、当時は今よりももっと何も知らなかった。多分、親が厳しいなんていう情報しか知らなかった筈だ。

 興味がなかったわけではない。どちらかと言えば滅茶苦茶興味があった。けれど、いつの日からか、苗字名前という人間について深く知ろうとはしなくなった。情報を得ないようにさえしていた。その方が自分にとっては都合が良かったからだ。自分よりも下の女子との関わり方が中学生になっていたのにも関わらず、全くわからなかったのだ。いや、正確には苗字名前という人間との関わり方が全くわからなかったのだ。おれが憧れた射手。おれが魅入った通常弾を使う射手との関わり方があまりにもーーー……。




「……お前との距離が近づく度に嬉しいのと同時にすげー後悔する。ああ、バカなことしたってさ。おれを助けてくれよ、ヒーロー」






 ここは結構良い穴場スポットなんですよ。芝の上に腰を下ろした苗字が「地面に座るのが嫌なら私のコートひきますけれど」と、おれのことを見上げるので、ぎょっとして、さっさと地面に腰を下ろした。

 真冬のこの時期に何言ってんだ、この女は。そういう意味を込めた視線を送ると苗字は「素敵な場所でしょう」と笑う。




「いかにも自然って感じはするけど」
「そこがいいんですよ。大規模な侵攻が何度も起きている この街に、こんなにも素敵な場所が残っていたんだなあって思いません?」
「あー、そっち」
「一人になりたい時に来ていた場所なの」




 夏にはもっと沢山の緑があって、その向こう側に駅が見えて、私が此処に来る時には小学生の子たちが このあたりの道を使うから結構賑やかでね。聞いてもいない話をそれなりの時間をかけて話すのは多分おれに気を遣っているからなのだろうなあと話を聞きながら、ふと考えた。

 本当は別にただの世間話かもしれないし、本当に気を遣ってくれているのかもしれないけれど、今は そのどんな言葉も『一人になりたい時にきていた』というたった一つの言葉のインパクトに敗北してしまう。




「私、そんなに馬鹿じゃないよ」
「は?」
「忘れちゃったんですか? 先輩達はね、私の中では本当に大切な恩人なんですよ」
「ーーーーー……」




 忘れていた言葉だった。だっておれはもう、どうやって、いつから、こいつと仲良くなったのかが思い出せない。必死に謝って、必死で付き纏って、気が付いたら近くで笑える関係でいる事を許されていた。だからずっと忘れていたのだ。ただなんて事ない日の、こいつの本心が本心ではないと確信していたからだ。

 だってあの謝罪はあまりにも卑怯だった。ボーダーの。しかもラウンジという一番目立つ場所で楽しそうに柿崎さんとお茶を飲んでいた苗字名前という女の子が地面に頭を擦り付けながら必死に謝罪するA級のおれと米屋を許さないなんて、きっと出来るはずもなかった。出来る筈がない状況で態々謝罪をして無理矢理、関係を繋ぎ止めた。そんな奴を心の底から恩人だと思っている奴なんている筈がない。バカでもいきつく結論だ。




「あの時さ、おれは仲が良いっていうのがイコール口喧嘩だって本気で思ってたんだよ」




 何故って、あの周りになんの関心も持っていませんというような顔をしていた苗字名前が、おれ達を認識した理由が、紛れもなく当時のおれ達の『あの行い』のおかげだったからだ。もうずっと付き合い方を間違えていた。そして、その事実に気付くのも遅すぎた。だからこそ、おれ達は苗字にーーー

「私の努力は無駄だった」

 ーーーあんな顔・・・・・をさせてしまったのだ。




「ふふ、考え方は認めますけれど、それにしたってあの関わり方は狂気すら感じますよ」
「……おれもそう思うよ」
「ねえ、先輩。先輩達は信じられないかもしれないけれどね、私は本気で先輩達の事を恩人だと思っているんだよ」
「自分をいじめてた奴を恩人とか お前は一体どこのどいつからどんな悟りを得たんだよ」
「だって私、昔はボーダーも近界民ネイバーと同じくらい死ねば良いのにと思っていたんだもの」




 信じられないかもしれないけれどね。苗字が笑った。いやいやいや。信じられるわけがない。だってお前、二宮さん達とはあんなに楽しそうにいつも笑ってたじゃん。おれが入隊するときにはもう、東さん達と滅茶苦茶仲良かったじゃん。

 苗字の近界民ネイバー嫌いは有名な話だけれど、ボーダーが嫌いだなんて話は聞いたこともない。だってそれならば、苗字はなんでボーダーに入ったのだという、そういう話からスタートしなければならないだろう。




「だってボーダーは街の事は守ってくれるかもしれないけれど、その街に住んでいる人の大切なものは何も守ってくれないんだもん」




 前回の侵攻の事もあるから私もなにもいえないのだけれどね。苗字は おれから視線を外して「ほら、一人でくるのにはうってつけの場所でしょう」と、ずっと遠くを見て そのように口にした。

 たしかに。素直に思った。あの侵攻では少なくとも一般人からの被害は出なかったけれど、街も、一部のボーダー隊員も犠牲になった。それでも、危険地域以外の街の被害は最小限に抑えられたし、こういう街の小さな平和を守ることが出来た。そういう実感がシンプルに、そして、なによりもわかりやすく実感できる場所。なんというか、この場所は多分、苗字にとっては そういう場所なのだろう。そんな気がした。




「でも今は、あの時 ボーダーに入って本当に良かったと思っているし、そう思える私になれて良かったとも思っているんだよ」
「………」
「それが100%先輩達のおかげとは言わないし、私もそう思わないけれど、それでもそう思える私になることが出来たのは確かに先輩達のおかげでもあるんだよ」
「……お前ってさ、本当に口がうまいよな」
「だって、私は知っているんだもの。先輩を一番責めているのは先輩なんだってこと」




 そういう言葉を口にした苗字に

 次の言葉を口にしようとした時に見たこともないような瞳をした苗字に正直おれは面食らった。




「先輩は私に許して欲しいと思っているくせにそういう言葉・・・・・・を言わせてくれなかったよね。それは今となっては言い訳だけれど、もっと早くお話しすべきだったと思っているの。ごめんなさい」




 白い頬にかかる艶やかな髪に。キラキラと輝いているくせに涙が零れ落ちそうな瞳に。そして、温かくて聴き心地のいい音の中に潜む確かな決意に全てを見透かされているような気持ちになってドキリとした。自分の知っている苗字名前は素晴らしい人間だった。今がそうではないとか そういう事ではなくて、本当に今とは何かが違う凄いやつだったのだ。一体なにがこいつをそんなに駆り立てたのかと思うくらい繊細に分割された通常弾を器用に操作して、分かっていても避けられないコースをひく天才だった。

 おれはあの日々の中で自分の憧れた射手を自分の手で潰したのだ。自分の尊敬した人間の心を一度完膚なきまでに壊したのだ。それが今更許してくださいなんてなんて虫のいい話だろう。言えるわけがない。勢いだけの謝罪は出来たとしても、本気で許しをこう謝罪はしてはいないということは解っている。解っているのに、なんでおまえはそんな顔をするんだ。




「私を立ち直らせるためにしてきた先輩達の努力を、私はこの目で見てきたよ。私はなにも理解していないかもしれないけれど、私の為にそこまでしてくれた先輩達を私が許したいという気持ちをそろそろ受け取ってよ」




 苗字は膝を抱え、その膝に顔を埋めると「それでも、弱くなったという言葉は許せないけれどね」と、いくらか低くなった声でおれに告げて顔をあげる。

 にっこり。まさにそんな表現が似合うだろうその表情をみたのならば、生駒さんや里見あたりは「かわいい」と、表面的なものだけを受け取って、そういう言葉を口にするのだろうけれど、結構な年月の付き合いのおれにはそうはみえない。おぞましい……。なんて表現したらいいのかは、いまいちわからないけれど、兎に角不気味な笑顔なのだ。そして多分それは8割が本気で2割はおれへの気遣いなのだろう。苗字は人の感情の変化に物凄く鋭いやつだから。




「おれ、多分お前の事好きだったわ」
「……はあっ!? 急になんですか!?」
「そうじゃなかったら、あそこまで執念持って お前の事追い回せねーなと思って」
「返しに正解のない言葉をよこすくらいなら永遠に隠しておいてほしかったんですけれど、どうしてくれるんですか…」
「いや理由くらい知りたいかと思って」




 おれの言葉に苗字は「でも私の見た目は綾辻先輩以下なんでしょう?」と笑った。

 ああ、そういえばそうだ。もう永らく そんな話題が出ないおかげで忘れてしまっていたけれど、その言葉を最初に広めたのは おれだったな。そんなことを思いながら、ゆらりゆらりと立ち上がって、橙色に変化した空を見上げた。




「なあ、苗字。今度はあるよ、用事」
「???……用事、ですか?」
「おれはさ、もうずっと昔から、お前と仲良くなりたくて お前に話しかけてる」




 ーーーーそうだ。

 おれは多分もうずっと、ずっと昔から
 苗字名前という人間と仲良くなりたいという気持ちだけで話しかけているんだよ。





「あー、おれ出水公平っていうんだけど」
「……そうですか。なんの用事ですか」
「は? 別に用事とかはねーけど……」
「用事も重要な伝言も持っていない貴方とお話しして、私は何か得をするのですか?」
「……そんな言い方ねーだろ」
「時間の無駄ですね」





 かつて何度も何度も頭の中をぐるぐると巡っていた あの記憶が久しぶりに蘇る。

 お互いに散々傷つけ合い、取り返しのつかないところまでいった おれ達がまさか笑い合える日が来るなんて思いもしなかった。




「なあ、苗字」
「はいはい、苗字ですよ」
「今日まで、本当にごめん。ありがとう」
「……どういたしまして」
「あー、あとこれは滅茶苦茶今更だけど、お前は別に綾辻以下じゃないと思うぜ」
「ふふ、本当に今更ですね」












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Espoir