下克上。あるいは









「ひょっ!? マメチャン!?」
「丁度よかった。苗字、今日生物ある?」
「あるけど、南沢くん 忘れ物? 仕方ないなあ、苗字さんが貸してあげよう〜」
「まじで!? お願いシャス!!!! うわあ、まじか〜〜! オレ今日とっきーに生物借りにきてよかった!! ありがとう!」




 教室前の渡り廊下で大袈裟すぎないだろうかと心配になるくらいに大はしゃぎをして、時枝充の周りをピョンピョンと飛び跳ねている南沢海の姿を確認した苗字名前は、こてんと首を傾げる。その後ろで、聞き覚えのある声につられてやってきた奥寺常幸と烏丸京介は、やっぱり南沢か、というような顔をして南沢海の方に視線をやる。




「念のための確認なんだけど」




 教科書を受け取った南沢海はジッと名前の教科書を見つめた後に顔を上げ、見たこともないくらい真剣な表情を浮かべる。

 何の話なのだろう。そもそも、私と南沢くんって言うほど関わりもないし、念のために確認されるようなことなんてないと思うのだけれど……、しかもなんか怖いくらい真剣な顔をしているような気がする。どうしよう、これって結構大事な話だったりするのかな。いやそんなことよりも、私ひとりで回答していい話なのかどうかというのも怪しい。




「オレの生物の教科書と交換しませんか」
「…………ん?」
「オレの教科書めちゃくちゃキレイだし、殆ど使ってないから折れてたりもしないし、どうですか!? いや、苗字さんの教科書が汚いから言ってるんじゃなくて、シンプルに……え〜〜〜〜と、家宝にしたい!!!!」
「ちょっと何を言ってるのか、わからないのだけれど、これは私がおかしいのかな」




 今日ばかりはお前が正しいと言う言葉を、あの とりおから聞けるほどなのだから、私のこの意見は間違ってはいないのだろう。

 いやけれど、そうだとするのならばーーー
 ーーー……彼は一体何を言ってるの!?

 家宝って何!? どうして交換した教科書が家宝になるの!? いやそもそも、家宝になった教科書は今後使われるのかな!? いやなんかもう色々シンプルに疑問しかないのだけれど、南沢くんはもしかして私のことが好きなの!?




「ど、どど、どうしよう、とりお!! 南沢くん、私のことが好きなのかもしれない!」
「そうか。俺は お前の脳がどんな情報処理をしているのか、たまに凄く心配になる」
「か、烏丸……」
「聞いた!? 聞いたよね、奥寺くん!!! こいつ 私相手だといつもこんなんなんだよ!? 信じられる!? 信じられない!」




 苦笑いを浮かべる奥寺くんは助けを求めるかのように視線をとっきーに投げて、それを受けた とっきーは「授業はじまるから、一旦解散にしよう」と冷静に対応をしていた。

 予鈴のチャイムはなっていないとはいえ、間もなく授業であるという事実は間違いなく、教室が隣ではあるといっても、それなりに離れている南沢くんは「やべ、またあとで!」と手を振って自分の教室へと駆け出した。その途中で一度振り返って「苗字さ〜ん! 考えといてね〜!」といってブンブンと手を振ってくる。その様子を見て、あれってマジでネタじゃあなくてガチだったんだ、と、南沢くんの行動に脳の情報処理が追いつかない私はどうしたらいいのだろう。




「でも教科書を交換したいって、不思議」
「まあでも、苗字さんの教科書は付箋の書き込みがわかりやすいから、ちょっとわかる」
「…………奥寺くんに言われると、本心っぽくて お世辞でもちょっとだけ嬉しいかも」




 ありがとう、と言う言葉を 今まで見たこともないような顔をしてから、小さな声で口にして逃げるように走って教室に戻る苗字名前の姿を見送ってから「……モテるわけだ」と、少しだけ早くなる心臓を押さえて、心臓に悪いなあ、と考えた後にため息をこぼす。

 皆あの場では南沢の言葉をそのままの意味で受け取らせないようにと話を上手く言葉の意味を深く考えさせないような方向に持っていっていたけれど、南沢は結構真っ直ぐ直行なタイプだから、いくら烏丸や時枝が上手く交わしたとしても、そのうち先程の言葉が言葉のままの意味であると言うことは本人にもわかるだろう。苗字さんは鈍感な方ではないから。偶に吃驚するくらい鋭い彼女が人の感情に鈍感なはずがない。気づかないふりをしているのだろう。少なくともオレはそう思っている。けれど、多分それはオレよりも烏丸や時枝の方がわかっているだろうから、やはり心配はいらないのだろう。どちらにしても、オレと話している限り、苗字さんは大学生になるまでは絶対に恋人は作らないーーーどちらかというと、勉強とボーダーの両立が難しすぎて作れないーーーと言っていたから、そこまでまともに南沢に意識を割いている余裕もないだろうから、2人もそこまで気を遣って、何かすることはないだろう。




「そういえば、時枝は佐鳥を応援してるからってわかるんだけどさ、烏丸も?」
「……さて、どう思う?」
「そうきたか、嘘だろ」




 不敵な笑みを浮かべ「どう思う?」とオレに問いかけた烏丸はオレの反応をみると、楽しそうに目を細めて、オレの回答に答えをくれることなく そのまま教室に戻っていく。

 残されたオレは「奥寺って」と言葉を紡いだ時枝の方に視線を動かす。時枝もまたオレの方に顔を向けて「……奥寺が苗字と話してるのって珍しいよね」と、急にどういう風の吹き回しなの? とでも言いたいような、そんな風な言葉を口にするので、オレも以前あった苗字さんとの話を時枝に語りながら共に教室へと足を向ける。




「別にオレは佐鳥達の恋愛に介入していこうってほど命知らずじゃないから大丈夫だよ」
「おれは人の恋愛に介入する気はないよ」
「はは、まあでも苗字さんに惚れるなっていうのは東さんからの助言だからなあ」




 東さんが『そういうこと』に口を出すなんて珍しいね、と少しだけ驚いたような顔をしていう時枝だったけれど、少しだけ間が空いてから「そうでもないか」と困ったように眉を八の字にして曲げ「おれも出来ることなら、親しい人に苗字を好きになってほしくないし」と言葉を漏らした。




「そんなに激烈なんだな……」
「混ざってみたらわかるよ」
「オレに時枝や烏丸並みに世渡りがうまかったら考えたかもしれないけど、怖すぎる」
「……奥寺、今日昼こっちで食べれば?」
「いや、普通この流れで誘うか?」




 タイミングがあれば誘おうとは思ってたんだけどね。微笑んだ後に時枝は「奥寺は苗字が苦手なのかと思ってた」と口にして教室の後ろの壁に寄りかかる。その様子を見て、普段苗字と烏丸と席が近いおかげで一緒になって喋っている姿か、予習をしている姿か、はたまた欠席か。この選択肢しかない時枝が友達と教室の壁に寄りかかって話す日が来るとは……と素直に思う。

 そして、その相手がオレになるとは思いもしなかった。ボーダーだからそれなりに話すとはいえ、席の関係や、ほかのクラスメイトとも仲良くしていたりする関係上、そこまで深く関わりはなかったし。まあそうはいっても、行事の都合上、ほかのクラスの奴らと比べると明らかに多めの交流ではあったのだが。




「苦手と言えば苦手だったんだけどさ、烏丸とか時枝がいつも楽しそうだから、いい子なんだろうなとは ずっと思ってたよ」
「それはよかった」







 私は目立つのが、すご〜〜〜く苦手である。それを踏まえた上で、私の身に起きている可哀想な出来事を紹介したい。しかも、リアルタイムで起きている出来事を紹介しようと思う。私は今、廊下の真ん中で、学校の中でも目立つ方の『南沢海』くんに頭を下げられている。まあそのくらいなら、ふ〜ーん、で? という反応にもなるかと思うのだけれど、彼の非常に悪質な点は、大きな声で、注目を集めた上で「教科書を交換してください」と奇妙な発言をした後に90度のところまで体を曲げて滅茶苦茶真剣に頭を下げてくるところである。

 ここで人気者の彼の行いを、なんだなんだと仲良しAクラス組がわらわらと集まり、人だかりを作り、そうしてBクラスメンバーもその人だかりをみて、なんだなんだと集まってきて、私達を囲うようにして立つ。しかも茶化してくるのだ。別に告白をされているとか、そういうわけでもないのに、この盛り上がり方は一体なんなのだろう。シンプルに公開処刑である。




「……まだやってたのか」
「そう思うなら助けようとしてよ」
「そういえば、オレ、南沢と苗字が一緒にいるとこ初めて見た気がする……」
「それな! 滅茶苦茶はじめて会話した!!」
「うわーーーー……それでこんなに人集めるとか……それもう南沢、モンスターじゃん」
「ハグモンスター佐鳥にいわれてもなーー」
「エッ!!? いや、それは、苗字が…」




 そのように口にした佐鳥ちゃんと南沢くんをみつめていた野次とそして佐鳥ちゃんの顔色がみるみるうちに悪くなる様子を見て首を傾げると「なんて?」と南沢くんが首を傾げる。その様子を見て、私の後ろでは「いつも笑ってる奴がしちゃいけない顔してるよ」「珍しいよね」と青い顔をした奥寺くんと特別興味もなさそうな表情をした とっきーをみて「どういう顔?」と南沢くんの顔を覗き込むと南沢くんは私に視線を向けるとジッと私の顔を見つめた後にじわじわと後退りをして「いやマジで女神なんじゃないの!!? たんまたんま!!」と、手をいろんな方向に振り回している。

 見かねた とりおととっきーは「時間かかりそうだからお昼食べながらにしよう」と言って、私達の手を引いた。正直、素で助かったと思った。けれど、その後。南沢くんに1人捕まった佐鳥ちゃんは数分後にものすごく疲れた表情をして、私達が昼食を囲む空き教室に満面の笑みを浮かべた南沢くんと登場するのだった。佐鳥ちゃんにあの表情をさせるだなんて、南沢くんってば、なんて恐ろしい人なのだろう。




「苗字〜〜〜、ヘルプ〜〜」
「佐鳥ちゃんは こんな私と沢山遊んでくれている数少ない友達だから忘れているかもしれないけれど、私コミュ障なのだけれど……」




 視線をゆっくりと佐鳥ちゃんから逸らすと、南沢くんは私の両手をがっしりと握って「苗字さん」と私の名前を呼ぶ。

 ??????
 どういう状況???

 滅茶苦茶しっかりと両手で握られた自らの手を見つめて、ひとりで自分の都合の良いように脳内処理に勤しむけれど、どう考えても、これを私的解釈にするには、南沢くんについて知らなすぎるし、そもそも彼はなんでほぼ初対面の私に対してのスキンシップが激しいのだろうか。やっぱり、私のことが好きなんじゃ……。いやいやいや、でも文化祭で大活躍をした南沢くんみたいな凄い人が私を好きになる要素なんて存在するだろうか。いや存在していたとしても、困る。私、お付き合いは大学生からって決めているし、ほら!!!!




「オレずっと聞きたかったんだけど」
「な、なんでしょう……」
「なんで、とりまるはあだ名なのにオレは苗字なの!? しかも君付けね!!! それもうあれだからね、オレ壁苗字さんだからね!!! あーーー!壁を感じる!! おれだってさ、名前ちゃんとかマメチャンって呼びたいのに、苗字さんに苗字で呼ばれたらオレだって苗字で呼ぶしかないじゃん!!!!」




 この場にいる本人達以外の心がこの瞬間、確かにひとつになった。『こいつ、自滅しやがった』。これである。南沢海の苗字名前への対応は苗字の私的解釈をどうやっても生み出すことが出来ない最高の行動だった。最早、ほぼ初対面のみが使用できる唯一の特権である。これを上手く利用されたら、正直太刀打ちできないなと若干名が考える中で、見事に自滅してくれたのである。ある意味で南沢海は、やはり、とんでもない男だった。

 実際に彼と同じ方法で苗字名前に近づき、滅茶苦茶いいポジションについた人間を佐鳥等は知っている。その男こそ、片桐隊隊長。片桐隆明その人である。あのお手本のようなピュアを見てしまうと、やや、距離の詰め方に問題はあったけれど、それにしたって滅茶苦茶理想的な接近の仕方だったのに。




「あ、あだ名……そっか、そうだよね!」




 うわあ、勘違いしてたんだ……。恥ずかしすぎる。そう考える苗字名前を眺める時枝充はシンプルに「苗字って凄いよね」とくすくす笑う。今の流れから私的解釈に持っていけるんだ、という感想の上に生まれた笑みである。

 だってそうだ。今のは、たしかに苗字にとっては逃げ道だったかもしれないけれど、ちゃんと受け止めれば、結局は苗字と親しくなりたいです、仲良くなりたいです、という意味に繋がるというのに、今までの流れを受けてもまだ『友達として仲良くしたいと思ってくれているんだ』のみに視点を絞るなんていうことは中々できることじゃあない。まあ、過去の行いのせいで、自分を好きになる人なんていないだろうと考える苗字の気持ちも分からなくはないけれど、本当は自分の容姿にだってそれなりに自信があるということを知っている。それでも、自分を肯定する意識があまりにも低すぎるせいで、大前提に皆は自分の事が好きではない、嫌いである、があるのはどうかと思う。もうかつての日々からは時間が経っているというのに。




「じゃあ、あだ名で呼ぼうかな……。南沢くんは、こうやって呼ばれたいとかある?」
「とっきー、佐鳥ちゃん、とりお。おれもこんな感じで苗字さんにつけて欲しいです!」
「え、……佐鳥ちゃんあれってあだ名だったの?」




 佐鳥ちゃんの疑問と同じ事を考えていた私に対して「佐鳥はサトケンとか呼ばれるけど、佐鳥ちゃんって呼ぶのは苗字さんだけじゃん。とりまるのこと とりおって呼ぶのも苗字さんだけだし」というオンリーワンを求めているのだという事がわかる回答をくれた。

 だとすると、南沢くんのあだ名はなんだろう。正直、そこまで関わり合いのある人じゃあないから、失礼な名前のものをつけるわけにもいかないし。正直困る。そう思っていると、とりおがペンを取り出して、自分のお弁当箱の横にサラサラと文字を書き始める。書き終えた頃に、トントンと指で机を叩いて、私を見ると、もうこれで良いだろという風な顔をして、南沢くん達の方に顔を向ける。ありがとう、とりお……! 珍しく本心から感謝をして、机の上の文字に目を向ける。


『南沢くん』


 いやなんかかわったかな????? 感謝から殺意に変わってしまいそうな感情を本当にギリギリのところで抑える。こいつのこれを言うくらいならば、今度王子に適当にあだ名を考えてもらうほうが幾らかマシな気さえする。




「うーーん、ちなみになのだけれど、南沢くんは私のことなんて呼んでくれるの?」
「苗字さんのあだ名って、オレはマメチャンとプリンちゃんしか思い浮かばないんだけど、なんて呼ぼう……皆なんて呼んでんの?」
「「「苗字」」」
「オレも苗字さん」
「……嘘じゃん…まじで?」




 信じらんねーよ。正気か、こいつら。顔面が口ほどにものを言っている その様子に、まず奥寺常幸が「オレ仲良くなったの、最近だし……」といって自分から面倒な視線と話題を逸らすと時枝充もそれに乗っかって「おれも」と会話から離脱する。その様子を眺める当事者達の中で滅茶苦茶当事者である苗字名前だけがひとり全く別のことに囚われている。

 正直、センスのあるニックネームをつけられる気がしない…………!!!!! そもそも、私が自分であだ名というあだ名をつけた人って、二宮さんと烏丸京介しかいなくない??? とりおとかいうニックネームに関してはダサいやめろって周りから言われ続けたというのに、私のダサダサネームを欲しがるってどういうことなのだろう。まあ私自身は一ミリたりとも、とりおをダサいなんて思ったことはないけれど、しかしやはり、とりまるという圧倒的センスのニックネームには遠く及ばないと自覚はしている。あーーー、これ無理だなーー。




「呼び名なんて自分を呼んでいるんだって分かればなんだって良いから好きに呼んでね」
「じゃあオレは苗字さんのことハニーって呼ぶんで、オレのことはダーリンって呼んでもらっていいですか」
「うーーーん、本気?」
「滅茶苦茶本気!! 超まじで!!!」




 呼び方なんてなんでもいいと言ったのは私だからハニーって呼ばれる分には(今まで散々変なニックネームをつけられた私としては別になんの違和感とかもなく受け入れられるから)いいのだけれど、私も南沢くんをダーリンなんて親しげに呼ぶのか……。いやだとかではなく、大丈夫かな? 色々と。そういう意味で不安である。

 しかし、よくよく考えたら、天羽くんのこともダーリンとか呼んでるし、なんなら唯我くんのことも普通にそうやって呼んでいる私だからこそ、ネタ枠的な意味でそうやって呼んで欲しいとお願いをしてきたのではないだろうか。あーーーー、なんかそんな気がしてきた。いや多分、この考えであっていると思う。だから、恐らく下手に渋る方が恥ずかしいということで間違いない。100%間違いない。




「そんなに呼びたいのなら、俺の事もハニーでいい。あと、昼食べなくていいのか?」
「じゃあおれもハニーでいいよ。そういえば ダーリン、そろそろ教科書渡したら?」
「いや、ダーリンって呼ばれたい人もハニーって呼びたい人も苗字さんだけなんだけど」




 あ、教科書ありがとう! そういって、手渡された教科書に見覚えのない付箋が一枚飛び出ているものだから、そのページを開く。その様子が視界に入ったのか、南沢くんが私の方を向いて大きな声で「あ! 今じゃなくても!!」と教科書に手を伸ばす。そのページにはルーズリーフまるまる1枚使用した お手紙のようなものが入っていて、要約すると、連絡先交換してください。まとめ方がうまくて、字がうまいので参考になりました。同じボーダーなので、これからはもっと話そう! という内容が記されている。

 その内容を見て、ボーダー隊員の人に、ここまでストレートに好意をぶつけられたのは久しぶりだと笑みを浮かべて携帯を取り出す。そこには何件か通知が来ていたけれど、とりあえず、それは後回しにして、SNSの友達追加画面を用意して、南沢くんの方に顔を向ける。




「私に対して、最初から好意的に来てくれる人って 凄く少ないから嬉しい。私もダーリンの連絡先が欲しくなっちゃった」
「えっ、は、まじで!? 毎日連絡します!! 隊の人達に苗字さんの連絡先もらったって自慢していいすか!?」
「それは自慢になるの……?」
「なるなる! 生駒隊うち、まじで週一で苗字さんの話しながらパーティーしてるんで!」
「ふふ、どういう状況なのそれ」




 ダーリンのくだりからずっと石のように固まっている佐鳥賢の様子に対して誰もツッコミを入れてやらないのは、時枝と烏丸の優しさだろうか。

 奥寺常幸は絶妙な居心地の悪さのあまり、視線をずっと佐鳥の方に向けて、明日からは、やはり小荒井と一緒にお昼を食べる事にしようと胸に誓う。そして、その目の前で携帯を取り出し、お互いのコミュニケーションをフルに発揮した2人が仲が良さそうに話している様子を横目に、距離の縮まり方がすごいなと感心した。




「奥寺くんも連絡先交換しよう!」
「じゃあ、三人でふろ〜〜〜〜」
「あーーーー、ああ」




 多くも少なくもない友達の中に苗字名前の名前が追加されたのをみて、まさか自分の連絡先に苗字名前の連絡先が追加されるなんて思わなかった。そう考えているのは、自分だけではなく、隣では、南沢が瞳に少しだけ涙を浮かべて、ぴょんぴょんと教室を跳ね回っている。高校生にもなって、そこまで喜べるイベントがある南沢を羨ましく思う反面、確かに苗字さんの連絡先持ってるっていうボーダーの人は少なかったな、と思い直す。時枝と烏丸と苗字さんの関係を当たり前のように教室で見る日常が圧倒的に多くなっていたから忘れていたけれど、そういえば苗字さんってボーダー内でも結構色んな人から高嶺の花のように扱われていた気もする。

 そう考えると、先程の苗字さんの「私に対して、最初から好意的に来てくれる人って 凄く少ないから嬉しい」という発言にも納得がいく。いつも周りに人がいるから近付き易いひとではないし、少し前までの様子を知っている隊員からしたら少し怖いのだろうし、しかもA級2位。色々考えた上で、話しかけ易い人ではない。




「もうすぐテストもあるし、教科書はあげられないけれど、ノートでよければコピーして教室に持って行こうか?」
「まじで!? ありがとうございます!!」
「苗字、おれもそれは欲しいな」
「? とっきー達はテスト前に一緒に勉強会するんだから、苗字がいればいいじゃん」
「またやるのあれ!?」
「佐鳥ちゃんのことよろしく〜って苗字は忍田本部長に頼まれてるんです〜〜〜」
「うわーーーーー」




 これはこれは。奥寺常幸は今まだ身近で見てきたとはいえ、目の前のやり取りに思わず苦笑いを浮かべる。高校生活のスタートとして1年間築き上げたお互いへの信頼の差が、ここにきて此処までわかりやすく全面に出てくるとは。

 あの短期間で南沢だって、苗字名前との距離を確かに縮めていた。それは苗字さんが自分からノートのコピーを提案する程の距離の詰め方だった。それなのにも関わらず、時枝のたった一言への返しで仲の良さと優先順位を明確に示した。時枝にそういう意図がなかったというのは、今の反応を見ていればわかるし、苗字さんの方も、そういう意識を持っていった発言ではない事はわかる。だからこそ、余計に刺さるものがある。




「とっきーってさあ、苗字さんと仲良くなったの今年からだって言ってたよね」
「オレが見てた感じだとそうだと思うけど」
「ふ〜〜〜ん。これは、燃えるな〜〜」
「燃えるって……」
「とっきー達は『嵐山隊だから』ってハンデもあっただろうけどさ、要は裏を返せば、1年あれば、ああなれるってことじゃん?」




 やっぱり、おれには無理だなあ。

 南沢の言葉を聞いて、確かになあ、と思いながら、同時にそのように思った。そもそも人と恋愛沙汰で揉めたりしたくないし、ボーダー隊員はオレが知る限り、皆正々堂々と行くタイプで、変にドロドロしていないという意味では、他の競争よりはいくらかマシかもしれないけれど、おれはやっぱり、そこの輪には入りたくない。

 だって今もほら。隣で友人がランク戦でも見せた事がないようなギラギラとした目を光らせながら、ほのぼのとした輪の中で笑う彼らの様子をジッと見つめている。















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Espoir