
存在価値
「ーーーー……参ったな。結局、お前の相手はおれがしないといけないわけか」
迅悠一は頭の中で色濃くなっていく消えることのない ひとつの可能性に諦めたように言葉を溢す。お前らしくもない。そんな事を思考してから、いや、なによりも『お前らしい』のかもしれないと思いなおす。そうして口から溢れる言葉は、ただ本心である。
「おれが引き受けるのは嫌な役ばかりだ」
▽
諏訪洸太郎は冷静に周りの連携状況を見て、たったひとり、自分勝手な事ばかりしている苗字名前の姿を捉える。今、この場にいる狙撃手が最優先で行う事。それは、敵の殲滅。それは間違いないーーーが、それにしたって、あれは一体なんの真似だ。いや、やっている事自体はなにひとつ間違っていない。そのうえ、恐らく撃破数でいうのならば貢献度は相当に高いーーーが。
「なに味方の邪魔までしてんだ、あいつは」
自分の射線を倒すために味方の邪魔をしているのは如何なものなのか。苗字名前らしくない。アレはいつだって近界民の殲滅を最優先にしている。それの精度を上げる為ならば、撃破するのは自分でなくても構わない。そういっているのを諏訪洸太郎は耳にしたことがあるし、それにアイツが狙撃手になった日。諏訪洸太郎はその決意を聞いている。だからこそ、自分は苗字名前に向いていないと確信付けていた狙撃手への転向を止めなかったのだ。故に思う。マジでアイツ、なに焦ってんだ……?
「気ぃつけろ、レイジ!
『こっちもだ。
一体だけ動きが違うやつがいる』
諏訪洸太郎は最早周りの見えていないようにすらみえる苗字名前に通信を繋げて「おいこら、苗字名前」と声をかけて、続けて、味方の邪魔をするのならば帰れ、と告げる。
本来ならば、このあたりで悪態のひとつでも言ってくるだろうと考えていた諏訪洸太郎の読みを裏切って、苗字名前がつげた言葉は「挽回しないといけないから」とコレである。挽回とはどういうことだと考える諏訪洸太郎に「私はお金でボーダーに預けられた隊員だから」と。そういう言葉を残して通信が切断される。誰から聞いたのか。それとも元々知っていたのか。はたまた、周りの誰かの噂が耳に届いていたのか。最早どこに怒りを向けたらいいのかもわからない。あんな時代があったとはいえ、それでも、まだ子供。しかも、アレは まだ、16だ。いつからそんな気持ちでボーダーをやっていたのか。それを考えるだけでやりきれない。
舌打ちをひとつうって、攻撃の通らない敵に怒りをぶつけるように、引き金を引き続ける。
「レイジ! 京介! あと数分で終わりだとよ!
ラストスパートだ。
フルパワーで暴れてこい!」
『了解だ』
『了解』
玉狛の強力なトリガーのお陰で戦況が傾き始める。このままいけば、問題なく乗り切れるだろう。そういうタイミングで敵が動いた事に誰よりも早く気がついたのは、苗字名前である。諏訪洸太郎は「私に行かせてください」という意味不明な通信で初めて状況を理解する。何を馬鹿なことを。そういう感想を持つ諏訪洸太郎に苗字名前は全く同じ言葉を復唱する。
これを敢えて、全員に言わないのは何故か。それは自分が決定権を握る役を担っていることを、はじめの会話で知っているからだ。その意図は、この後自ら名乗りをあげた時、上手くいくように会話を回せという内容が含まれている。
「……相手がどんなトリガーを使ってくるか分からねえ場所に お前を送る事はできない」
『狙撃手だから信用できませんか?
それならーーー……』
その後 続いた苗字名前の言葉に諏訪洸太郎は続けようとしていた言葉を止める。この女は何を言おうと、自分が行くといって引かないだろう。 それに『挽回しないといけない』という あの言葉が諏訪洸太郎のなにかにひっかかった。だからこそ、諏訪洸太郎はコレ以上苗字名前を止める言葉を引っ張り出せなかった。それ故に続く言葉は「俺は反対しねーが、他の奴らはしらねえからな」と、これである。
苗字名前という隊員は、それはそれは表向きの待遇が頗る良かった。それを当時、既にボーダーに所属していた諏訪洸太郎は知っている。そしてそれが、文字通り『表向きの待遇』が良かったということも知っている。突然B級に上がった あの日でさえ、上層部のコネでトリガーになんらかのオプションが入っているのではないかと噂されたほどなのだから。けれど、気にした事はなかった。本人がどうでもいいという態度を貫いていたからということもあるけれど、1番の理由は苗字名前がここまでちゃんとボーダー隊員として活躍するとビタイチも考えてはいなかったからである。だから、今になって『同情』や『後悔』なんて形で目の前の根拠のない自信を後押しする羽目になるのだ。
『いまさら市街地狙いだと……?』
『こっちを手分けさせたい感じですかね?』
『大規模侵攻の時にもトリオン兵を街に差し向ける敵の戦術があったそうだけど、今回のもそれかしら?』
『迅の予知だと今回は街に被害は出ないはずです。敵が市街地を襲うなら迅から何か指示が入るでしょう』
「んじゃ、こっちを釣りだすタメのハッタリか。スルーしてOKだな」
この流れでスッパリと諦めてくれないかという意味も込めて、スルーしてOKであるということを強調はしてみたけれど……。
『市街地狙いの撹乱。万が一があります。
私に行かせてもらえませんか?』
ーーーそんなタマじゃあ、ねえよな。
『いやいやいやいやいや。
苗字ちゃんがいくなら おれも……!』
『
『いやいや、二宮さん。でも、』
『問題ありません、大丈夫です。
近界民は "死んでも" 止めるので』
『……だから おれも行きたいんだってば』
『いざとなったら俺のワープで先回りできる。苗字が行きたいなら行かしてやりゃいい』
冬島慎次による まさかの発言に各々の隊員が理解する。こりゃあ、またなんかすげー事を言われたな、と。冬島隊を説得するにあたって、苗字名前が切れるデカい札は2つ。『冬島隊を抜ける』か『ボーダーをやめる』。このふたつである。
厄介なのは、苗字名前という人間はやるといったらやるところにある。下手に反対も出来ない。そういえば、今日のアイツははじめからどうも可笑しかった。ひとつは、ボーダー本部の防衛戦に少しばかりのこだわりを見せたところ。そして、三輪隊の米屋陽介と三輪秀次の不在でみせた態度。どれもこれもがひとつ残らず『人型近界民』に絡んでいる。目的は人型の撃破か? そこに自分が関わっていたいという事だろうか。全くわからない。まず『挽回しないといけない』とは、どういう意味だ。
「まーなんだ。とりあえず、死ぬなよ」
『…………善処します』
苗字名前は先日奥寺常行により教わったグラスホッパーを使用して市街地を突き進む。近界民は必ず、殲滅する。そうしないと、私にはもう、後がない。
「私はアフトクラトル、ベルティストン家直属。エリン家のヒュース。母国までの帰還に協力してもらう。遠征艇まで案内しろ」
苗字名前は聞き覚えのある その声に目を丸くして「ヒュースくん」と呟いたが、その声は第三者の声によりかき消された。林藤陽太郎。玉狛支部にいる子供だ。何故こんなところに……。遠くから見つめていた苗字名前は、その子供の行動に目を丸くする。数回にわたる経験の中で、敵地の中枢に潜り込めたというほどの成果はあげられなかった。それは実力が足りないからというわけではなく、敵の情報収集が目的の遠征だったから。地形。使用するトリガー。いざ戦争をするとなった時に地形戦がものをいうかもしれないから。使用するトリガーに共通点があるかもしれないから。そういうことを調べる遠征だったから。
けれど、知っている。あれは、トリガーだ。あの子供は今、敵である近界民に『武器』を返したのだろう。理解できない。なにをしているの? アレは、敵なのに。
「……これだから、玉狛支部は」
苗字名前は近界民の姿を見つめて、ゆっくりと足を進める。こんなタイミングでも狙撃手用トリガーにグラスホッパーをつけてくれた冬島さんには感謝しかない。お陰で私は、今ここで『2人』も討ち取れるのだから。そうすればきっと、城戸司令は私を必要としてくれる。捨てないでくれる。私にも価値があるのだと思ってくれる。これからはちゃんと狙撃手の皆とも仲良くする。今日下げた評価だってすぐに取り戻してみせる。
すぅと息を吸って、イーグレットを地面に固定する。この位置からなら確実に入る。それに、今日の私には失敗しても、次の策がある。だから絶対に失敗しない。今日の為に、可能な限りの努力をした。私は近界民には絶対に負けない。
「……だって私は、A級だから」
苗字名前が引き金を引いたのと、ヒュースが林藤陽太郎にスコーピオンを突き立てたのは殆ど同時であった。
反応できなかったのではない。林藤陽太郎が近くにいたから。ヒュースと関わりがあったから。そういう理由で彼女がまず標的にしたのが、ヒュースではない方の近界民であったというだけの話だ。ただ、予想していなかったのだ。自らのトリガーを渡しに来てくれた少年に刃を向けるという事態を。だから、あまりにも想像していなかった事態に、狙いが定まらぬままに引き金を引いてしまった。苗字名前という人間の頭の中を巡るのは『失敗』の二文字であった。それも、ただの失敗ではない。子供を見殺しにしたうえでの失敗だ。これを知ったら城戸司令はどう思う。きっと私に失望するだろう。当真先輩も、冬島さんも、真木さんも。じゃあ、理由を用意したらいい? 健闘したけれど、子供は助けられなかったと。近界民を2人仕留めれば、苦しいけれど不可能な言い訳ではないのでは。考える時間が惜しい。
「ーーー名前」
迅悠一は苗字名前の姿を見つけて、足を止める。さて、どうやって説得しようか。この様子では林藤陽太郎が生きていることを伝えたところで意味はないだろう。苗字名前。ボーダーで唯一、そのサイドエフェクトに制限を科せられている隊員。その内容を迅悠一は先日まで知らなかったーーーが、今日の為に林藤支部長に尋ねて内容を聞いた。そして、思う。だから、狙撃手になったのか、と。
ゆっくりと振り返った苗字名前の自分を見る目は近界民を見つけた時に見せるソレである。あーあ、相変わらず冗談がきつい。
「そこをどかないのなら、私は例え、迅さんであろうとも、敵に回す覚悟がある」
その言葉に「陽太郎は生きてるよ」と子供をあやすような穏やかな声で告げるけれど、やはりそんな事で考えを改めてくれるつもりはないらしい。そりゃあそうだ。
苗字名前を多くのA級隊員が滅茶苦茶『城戸派』と口を揃えていう あの言葉は冗談でもなんでもなく、真実なのだから。だから名前にとって、陽太郎が生きているという事実は多少嬉しいくらいで、それ以上にはならない。そもそも、関わりが多い組み合わせでもないうえに、名前は元々玉狛支部に立ち寄る事をよしとしていなかった。
「…………遊真はね、もう仕方ないんだって思うようにしているの。城戸司令が、私にそういったから。三輪先輩達が、それを受け止めようとしているのがわかるから」
でも、あそこにいる近界民は違うよね。トリガーを起動した奥にいる2人の近界民は苗字名前の敵であり、迅悠一の敵でもあるはずだ。
苗字名前の言葉は最もな言葉だ。けれど、賛同できないーーーしては、いけない。だって、向こうにいる
「ーーーもういいよ、勝手に通るから」
グラスホッパーが形成された瞬間。苗字名前の姿が消える。そうしてすぐに頬のあたりを強い風が横切って、ようやくなにが起きたのかを理解する。正直、そこまでするのか、というのが素直な感想である。苗字名前のサイドエフェクト。上層部が握っている その力の詳細を迅は林藤匠から聞いていた。少し古いデータだからどこまで正しいのかはわからないというその情報の中に『生身での使用は不可能』という内容があったのを覚えている。その理由は自身が持つサイドエフェクトに身体の動きがついていかない事による酔い。それは過度に使用すると時間感覚がわからなくなり、平衡感覚等もわからなくなるという弱点をかかえたサイドエフェクトらしかった。当時はトリオン体ですら最高持続時間が『1分30秒』。今どうなっているのかはわからないけれど、と林藤匠は迅悠一に告げていた。
だからこそ、思う。そこまでするのか。グラスホッパーを名前が使い始めたのは最近だった筈だ。だからそんな弱点をかかえたサイドエフェクトと併用するなんて出来るはずがない。つまり、自分を出し抜く為に、ある程度は目を瞑る覚悟できているという事だ。
「ーーーヒュースくん」
なんだ、ナマエか。トリガーを解除する事なく、苗字名前の方に顔を動かしたヒュースはピタリと動きを止めた。遠征に参加するのは玄界が初めてではなかった。戦闘員としては、比較的最近抜擢されたばかりとはいえ、ヒュースは若くして有能の枠にいたし、師であるヴィザが兎に角凄い男で年齢の割に成長は早い方である。故に、敵に飛ばされる殺気には慣れていたし、感覚としては少し睨みつけられる程度の実感としてしかなかった。先程のガラプラの人間がいい例である。だから、目の前の人間の異常さに身動ぐ。
玉狛支部にいる時に聞いた言葉をヒュースは今になって思い出す。『名前は、ああみえて滅茶苦茶城戸派なんだから』という小南桐絵の言葉である。城戸派というのが何かをこちらに滞在する気がサラサラなかったヒュースは知ろうともしなかったが、今ならわかる。近界民が嫌いな人間の総称であるということを。けれど、だとするとおかしな話だ。何故、玉狛に訪れた時、あそこまで執拗に自分に声をかけてきたのか。何故、これほどまでの殺意をまるで絵の具で塗りつぶしたかのように綺麗に隠せてしまうのか。それが理解出来ない。理解できないからこそ、異常なのだ。
「……遠征は出水先輩に助けられた。遊真の黒トリガーは回収できなかったし、この間の侵攻ではキューブ化。私にはもう、本当後がないんだ。だから、必勝のトリガーを持ってきたよ」
先程の自分達の戦いをどこかでみていたであろう人間が『必勝』を名乗るトリガー。
黒トリガーか。ヒュースは名前の姿をジッと見つめて、トリガーオフにした彼女が換装するまでの時間をただ見守る。先程の戦いの中で、一度どこかからの狙撃があった。それはナマエで間違いない。狙撃手として抜群の腕を持つナマエがただ弾を外したとは考えにくい、それに、狙撃手が自分の不意をつかずに真正面から戦闘を挑んできたのだ。ヒュースの方にも不意をつくという発想はなかった。
「恨むのなら、雨取隊員を恨んでね」
「相変わらず、近界民には容赦ないな〜〜」
刹那、風迅の斬撃が自分の目の前を突き抜ける。何を突然。そういう視線を負けるよりも前に、気がつく。
今の斬撃が狙ったのは自分ではなく、苗字名前の放った "なにか" であると。どんなトリガーだ。いつ攻撃されていた。そういうことが全くわからない。そういう攻撃だった。
「あちらさんが
「迅さん、彼は私達の共通の敵のはずです」
「ヒュースは名前に必要な人間だよ」
「馬鹿なこと言わないで。玉狛が一生懸命匿っていた時、私が手を出さなかったのは単に部が悪かったから。でも今は違う。迅さんさえ私を狙わなければ、私は彼を始末できる」
「じゃあ、おれが止めるしかなくなったな」
「冗談ですよね。迅さんもわかっているでしょ。この位置なら、私の方に分がある」
「それでも、おれがやられる未来が見えない」
当然である。殺される覚悟で赴いた事実は間違いない。けれど、迅悠一を殺す覚悟できているわけではないのだから。無力化する? 迅さんを? どうやって。出来ないわけじゃない。出来ないわけじゃあないけれど、殺す覚悟がない自分に未来視は倒せない。相討ちだって出来っこない。苗字名前の頭を巡るのは、迅さんはどれだけ私が嫌いなのだろう、という想いだけである。
なんで、雨取千佳をボーダーにいれたの。なんで、遊真を玉狛支部にいれたの。なんで、いつも私の邪魔ばかりするの。なんでいつも、私よりも近界民を選ぶの。
「ねえ、迅さん。
苗字名前は迅悠一の元へと足を動かして、その目の前で立ち止まり、迅悠一を見上げた。
「近界民を見る度に。この身体になる度に。私はお父さんに捨てられたあの日を思い出す。迅さん……、私は ずっと、許せないんだよ。お父さんに私を捨てさせた近界民も、お金の為に私を引き取ったボーダーも。長い時間燻っていた私自身も」
迅悠一の顔を見て、どうして
自分の邪魔を悉くしてきた目の前の男にそんな顔をする理由なんてないはずだ。それなのにどうしてそんなに自分が被害者かのような顔を他でもない『私』にできるのだ。その神経を疑うとしかいいようがない。
「
迅悠一は、やっぱりこの未来が確定か、と目を伏せて、そして苗字名前から一定の距離をとる。ヒュースを自分が庇う。それが、この未来確定の分岐だった。知っていたよ。
だから調べたんだ。サイドエフェクトを。後がない戦いに備えて、苗字名前が切る札は間違いなく。ボーダーで儲けられているサイドエフェクトの制約破り。苗字名前のサイドエフェクトは初見殺しの必勝のサイドエフェクトなのだ。だからこそ、射手トリガーでくることも、知っていた。そしておれは、ここで自分が死なないこともまた、知っている。だから、その
「迅さん、貴方はどれだけ損をすれば
目が醒めるんですか……?」
「……悪いけど、おれがいる限り 名前にヒュースは殺せない。そういう未来なんだ」
目を丸くした苗字名前はグググっと拳を握りしめて、換装を解いた。そうして、ゆっくりと迅悠一の姿を視界に捉えて「ずっと迅さんを嫌いになる理由を探していました」と呟いて、くるりと迅悠一に背を向ける。
その背中を見つめた迅悠一はゆっくりと目を閉じて、両手を腰に持っていく。
「今日、漸く理由が見つかりました。私は迅さんを美化しすぎていたみたい。馬鹿だ、私。いつだって迅さんは、ずっとずっと、私の『敵』だったのにね」
地面に吸い込まれるキラキラ光ソレをみたところで、迅悠一は何をしてやることもできない。
ただただ、小さくなっていくその後ろ姿を眺めて、ヒュースと陽太郎の前で「どうやら向こうも