その女の名は










「いい加減引きずりすぎだと思います」
「だって、顔合わせ初日からあんな……」



 両手で顔を覆う名前をみて、黒子は「ああいうのを やりたかったんじゃなかったんですか」と、思った事をそのまま口に出す。

 名前は黒子の発言を受けて、なんで知っているのだろうという気持ちと同じくらい、実際にやるのとやってみたいは全然違う、と心の中で反論をする。実際には反論はしていないのだけれど、耳まで真っ赤になっている名前を後ろから見ている黒子には恐らく全てお見通しだろう。











「ーーーー相田先輩!」



 相田リコは、ひだまりのような暖かい笑顔を浮かべて駆け寄ってくる可愛い後輩に胸を撃ちぬかれる錯覚を覚えつつも、邪な思いは全て切り捨てて、しっかりとしている先輩の印象を崩さないように名前に「早速来てくれたのね」と笑顔を返した。

 ーーーしかし、この子。
 どうやって正式に入部させようかしら。

 相田リコは脳内シュミレーションで苗字名前との あらゆるシチュエーションを試してはみるものの正解には辿り着かない。リコ自身が名前を、あまりにも高いハードルの美少女であると設定しているからというのもあるけれど、初対面の印象を見る限り、凄く入部したいとか、そういう感じがしなかったからだろう。あれは多分、彼女のお眼鏡に叶わなければ入部しないという瞳だ。



「先輩。私、最初は見学からと思っていたのですが、やっぱり入部したいです……!!」
「えっ!!? なんで?」
「一緒に部活をやりたい人がいます」




 どういう事だ。相田リコは目を丸くする。

 この短期間で、こんなにもすぐに気持ちが変わる筈がないーーーということは、1年の中に彼女の意思をここまで固くした人がいるということ。けれど苗字名前は相田リコが確認した限りでは静岡の中学校に通っていた筈で、今年の1年生の中に関わりがある人はいないはず。聞いた感じだとマネージャー経験もないという話だから、どこかの強豪校と知り合いであるという線も薄いーーーつまり、1年B組の中に彼女の意思を固めた者がいる……? リコは無意識に今年の1年生の主力筆頭候補『火神大我』に視線を向けていた。



「相田先輩もマネージャーを……?」
「ああ、私は男子バスケ部カントク・・・・。相田リコです。よろしく!!」



 名前が驚きで目を丸くする後ろで名前と同じ他の1年生達からも驚きの声が聞こえてくる。特に名前はバスケットボール部というものの基準が帝光中学にあるが故に驚きを隠しきれないーーーてっきり、桃井さつきのように何かに物凄く長けているマネージャーなのかと思っていたのだから。

 しかも奥に座っている監督の風格の漂う男の人は監督なのではなく顧問なのだとか。











「ーーーじゃあ、まずはシャツを脱げ!!」



 相田リコの発言に名前を含めた数人が目を丸くして驚いてはいたものの、『監督』という立場にいる相田先輩の言葉には、しっかりとした目的があるのだろうと悟り、渋々上に来ていたTシャツを脱ぎはじめているのが視界に入った。名前は黒子に途中アイコンタクトで『どういう意味だと思う?』と視線を送るけれど、黒子が首を傾げる以外の答えをくれる事はなかった。


「黒子くんって、この中にいる?」
「あ! そうだ。帝光中の……」


 名前は誠凛バスケットボール部の皆を眺めてから黒子に視線を移した。そして、思う。そうだった。黒子くんって普通にしていても影が薄いんだった、と。高校に入って1日目で見つけられたのは快挙だろう。名前は そんな事を考えながら少しだけ昔を思い出す。

 黒子と名前は初めから仲が良かったわけではない。名前が黒子と友好関係を持ったのだって、多分転校してしまう三ヶ月程度前の話である。因みに、二人の仲を結んだのは『青峰大輝』である。そして、その青峰と名前を引き合わせたのは意外にも『灰崎祥吾』なのである。それは、いつの日か話すとして、だーーーーこの光景、懐かしすぎる……!!! 名前も昔は それはもう滅茶苦茶驚かされた。帝光中学で2年生を迎えた時、名前のクラスは緑間と青峰と同じ4組で偶に黒子と青峰、そして桃井と昼食を囲んだのだけれど、それはもう桃井さつきと共に会う度に滅茶苦茶驚いていた。それ程までに、彼は影が薄い。



「あの、スミマセン。黒子はボクです」



 事実、誠凛バスケットボール部も皆、この反応である。黒子テツヤという人間は初対面であるのならば、まず気が付くことが出来ない。そういう人なのだ。けれど、名前にも似たような事は出来る。本家である黒子には及ばない紛いものだとしても、だ。けれどそれでも、限りなく集中しないと出来ない上、やった後にどっと疲れるから、部活勧誘期間以外には極力やっていないし、やらないようにもしている。相田リコが苗字名前との初対面で感じた確信のない疑問の正体も十中八九これである。







「黒子くんは、相変わらず影が薄いんだね」
「……もしかして、嫌味ですか?」
「褒め言葉だよ。伝わらなかった?」
「苗字さんは相変わらず大人気でしたね」
「それ、嬉しくない。人前で色々やっている人を見るのは楽しいし、憧れるけれど、やりたいわけじゃあないし、目立つのも苦手」
「そうでしたよね。思い出しました」



 部活終わりの『MAJI BURGER』で注文表を眺めている名前を眺めながら黒子は顔を綻ばせる。彼女ーーー苗字名前ーーーがいるだけで、何故だか黒子は昔に戻ったかのような気持ちになる。戻りたかった昔に、戻ったような気持ちになるのだ。けれど結局、黒子の望んだ『あの日』には結局戻る事は出来ない。それでも、ひとつだけ事実がある。苗字名前が自分の隣にもう一度現れた事。かつてのように、キセキの世代の誰も、この場所にはいないけれど、苗字名前がそこにはいた。

 ーーー誰の隣でもなく、自らの隣にーーー

 別に、黒子テツヤは苗字名前に恋愛感情があるわけではない。けれど、特別な存在ではあった。帝光中学。それら全てを通して、黒子の中で最後まで綺麗な思い出であった人こそが苗字名前だったからだ。だから名前は黒子にとっては本当に大切な人なのである。そしてそれは、きっと『彼ら』もーーー。



「ボクは苗字さんを詳しく知っているわけではありませんが、変わりましたね。色々と」
「確かに、昔よりは大人しくなったかなあ」
「先輩に対しての態度も見違えましたね」
「上下関係が苦手なんて我儘がいつ迄も通用するなんて流石の私も思っていませんよ〜」
「そういえば、誠凛は新設校ですね」
「…………黒子くん、相変わらずだね」
「それはどうも」
「でもね、嬉しいの。終わらない3年間を黒子くんと一緒にいられることが凄く」



 ぽつりと呟いて、目を細めた名前は途端に恥ずかしくなったのか「注文してくるね」と言って、早足でレジに向かう。その後ろ姿に黒子は思わず泣きそうになった。



「多分、ボクの方がずっとーーー……」









 名前は黒子テツヤが飲むバニラシェイクがあまり好きではなかった。理由は単純で『甘すぎる』から。だというのにも関わらず、思わず、つい、勢いで『バニラシェイク』を注文してしまった。

 ーーーマジバなんて久しぶりだったからだ。絶対そう。こんな時に紫原くんがいれば、代わりに飲み物を交換してもらえたのに。

 名前は自らの右手に伝わる温度に肩を落とす。けれど、一応バニラシェイクを好んで飲んでいる黒子を前にこの態度はいけないとなんとか気持ちを持ち直して席に向かうと同じクラスで男子バスケットボール部に入部した縁のあるクラスメイト『火神大我』が先程まで自分の座っていた席に腰を下ろしているのが目に入り名前は黒子と火神を交互に見て「あの二人、仲が良かったんだ……」と呟いて足を進める。



「火神くんの事を呼んでいたのなら教えてくれれば、私だってもう少し気をつかうのに」
「呼んでません。呼んでいたとして、一体どんな気をつかう気ですか。やめて下さい」
「あんた、マネージャーの……」
「マネージャーって呼ばれる程の働きは未だ全然出来そうにないから名前でいいよ」
「……こいつの知り合いって事は、お前も『キセキの世代』ってのと知り合いなのか」



 火神大我の言葉に黒子が目を細めスッと遠くを見据えた。その険しい表情に胸騒ぎを覚える。苗字名前は、その『キセキの世代』というものが なんであるのかがサッパリ解らないーーーというほど、頭が悪いわけではない。練習中に あれだけ飛び交った単語だ。聞いていれば、どういう事なのかは大体想像もつく。帝光中学のキセキの世代。その世代が強かったという事は、恐らく自分の知っている彼らがキセキの世代なのだ。

 名前は久しぶりに会った黒子の表情を思い出して目を伏せる。



「……お前ら、ちょっとツラ貸せよ」



 火神大我は名前の分の椅子を後ろから引っ張って用意し「オレが食ってからな」と付け足して、ふい、と顔を名前から外す。火神大我なりの「座れよ」である。名前にも火神の優しさは手にとるように解っていたし、それが解らないほど国語は苦手ではなかっただが、黒子の優しさなのか、意地の悪さなのか。黒子がその椅子を引いて「火神くんなりの『座れよ』です」とあえて強調した。

 その後「違ェよ!!」「苗字さん、火神くんは亭主関白になります気をつけてください」「ならねェよ!!」というコントのような会話が始まるのだけれど、喧嘩するほど仲が良いなのだろう、と。名前は背筋をピンと伸ばして座りながら二人の会話に耳を傾けていた。






「ーーー火神くん」
「なんだよ」
「彼女の前でキセキの世代かれらの話をしないでもらえませんか」



 火神と黒子は『マジバ』ーーーMAJI BURGERーーーから一番近いバスケットコートにいた。そこに名前の姿はない。黒子が理由をつけて帰したからである。時間が遅いから。その理由に火神は納得していたが、名前は最後まで反対したのだけれど黒子のあまりにも引かない姿勢に最後は名前が折れた。火神大我は二人の様子を見て『訳あり』であるという事は何となく理解していた。

 けれど、まさか
 キセキの世代が関係しているとは。



「お前の言う『彼ら』ってのは『キセキの世代』の事だろ。それで、そいつ等はバスケやってる奴なら嫌でも知ってる。それなら 隠してても仕方ねえじゃねーか」
「噂程度なら問題はありません。噂の彼らは『バスケットボールが凄い人達』なので。それで火神くんはボクに何の用事ですか?」












- -
Espoir