
海常高校
黄瀬涼太が誠凛高校にやって来た あの日から着実に時は流れ、海常高校との練習試合当日。黒子テツヤは海常高校の敷地内に足を踏み入れてから、やけにそわそわとしている苗字名前の方に視線を動かした。黒子テツヤだけではない。恐らく部員の半数以上がこちらの緊張が吹き飛ぶ程に緊張して落ち着きなく、手やら足やら視線やらをやたら動かしている苗字名前の方を見つめていた。「(この子、大丈夫かな……)」。部の心は相田リコ、火神大我を除いてはひとつだった。
その例外その1である火神大我は、とんでもない目つきをして苗字名前の後ろを歩いており、それとなく黒子がその理由を尋ねると火神は「テンション上がりすぎて寝れなかった」という言葉を口にした。黒子はその発言を受けて「遠足前の小学生ですか」と冷静に言葉を返すけれど「それわかる…」と、教室でのあのキラキラとしたオーラはどこにいったと聞きたくなるような声と表情をした苗字名前によって発言の上書きをされ、火神大我と苗字名前の噛み合うことのない会話がスタートしたのだった。
「どもっス。今日は皆さん よろしくっス」
「黄瀬…!」
「広いんでお迎えにあがりました。そんなことよりどうしたんスか? 手に持ってる本が悲惨な形してるけどソレ大丈夫?」
一応借り物の本なんですよ、と。
黒子テツヤが代わりに返答すると、黄瀬涼太はマジマジと本を見た後に「いやこれ、弁償レベルじゃん」と苗字名前が胸の前で(悲惨な形とはいえ)大事そうにかかえている本を指差して軽く引いていた。
「つーか、練習試合でこの様子じゃあ本番が思いやられるというかなんというか……」
「キミが苗字さんを心配するのは意外です」
「えーー…、女の子には優しくってのがオレの基本的なポリシーなんスけど……。つか黒子っち! 黒子っちがあんなアッサリフるからオレもう毎晩枕濡らしてるんスよー…」
言葉通り、女の子には優しくという言葉に大きな偽りはないのだろう。現に特に親しいわけでもない苗字名前に真っ先に声をかけたくらいだ。まあ彼女のあのとことん無駄だらけの動きを見ていたら、ツッコミを入れてあげなければいけないーーーいや、無視できないという方が適切かもしれないーーーと考えるのは自然な流れなのかもしれないけれど。けれど、以前……当時からは時間はかなり流れたけれど、当時の黄瀬涼太からは考えられない行動である。お互いに干渉しない。そういう風な関係を貫くものだとばかり思っていた。けれどまあ、苗字名前が誠凛高校のバスケットボール部のマネージャーをやるというからには干渉しないというのは黄瀬涼太の性格上難しいのかもしれない。かつては、名前の方も周りから距離を置いていたから保てていた距離。けれど、そのバランスが一転したとなればーーー……。
黒子テツヤは黄瀬涼太を静かに見据える。
「『キセキの世代』なんて呼び名に別にこだわりとかはないスけど、あんだけハッキリケンカ売られちゃあね…オレも人間できてないんで…ーーーー悪いけど、本気でツブすっスよ」
ばちばちと火花を散らしあっている二人の間に挟まれるようにしている苗字名前の存在なんて多分火神大我も黄瀬涼太も二人で盛り上がり始めてしまった今となっては全く文字通り眼中にはないのだろう。元々注目を浴びるのが得意ではない名前は位置的な問題もあってか通りすぎる海常生からの視線をちくりちくりとその身に受けていた。色々な意味合いを含む視線も怖いけれど、なによりも二人の『瞳』がひたすらに恐ろしかったと黒子テツヤにさらりと助けられた後に名前はそのように語った。
「ちゃんと『強豪校』って感じだ……!」
「ツッコむところ、そこなんですね」
黒子テツヤの言葉に苗字名前は「(ツッコんだつもりじゃあなかったんだけど……)」と、黒子テツヤから視線を逸らして、海常高校の体育館を眺める。半分は開けてあるが、もう半分は通常通りの練習のために使用されている。黒子テツヤの先程の発言は『コートの件はツッコまないんですね』という意味だ。それはわかる。けれど、苗字名前は大凡部活動というもののなんたるかを理解しておらず、これが普通ですと言われれば、そうなんだね、としか言いようがなかった。故に敢えて口にはしなかったのだけれど、ここはツッコミどころだったらしい。
「今日の試合、ウチは軽い調整のつもりだが…出ない部員に見学させるには学ぶものがなさすぎてね。無駄をなくすため他の部員たちには普段通り練習をしてもらっているよ。だが調整といってもウチのレギュラーのだ。トリプルスコアなどにならないように頼むよ」
あまりの言われように名前がキョトンとするその後ろでは誠凛高校バスケットボール部一同がわかりやすく不機嫌を表に出しているのだが、隣にいる黒子テツヤのはじめてみる不機嫌の表情をみた名前に後ろを振り返ることなどできるはずもなく、ただただひとり萎縮していた。
しかし、ここは監督である相田リコがビシッとうまいこと丸めてくれるはず……。そんな淡い期待を胸に相田リコを盗み見た名前は数秒で自らの判断を後悔することとなる。そう、彼女もまた高校生なのである。黒子テツヤの表情にすら萎縮していた彼女に相田リコの顔中に青筋の浮かぶ その様はあまりにも刺激が強かった。
「(……ば、バチバチだ)」
トドメはなんといっても、ユニフォームに着替えようとした黄瀬涼太を監督である武内源太が止めに入ったところだろう。『黄瀬涼太を試合に出したら試合が試合として成立しない』と、こういう意見らしい。黄瀬涼太を試合に出すまでもない相手。これが竹内監督から見た誠凛高校の評価ということだ。
誠凛高校だって昨年『関東大会出場』を果たしているーーーにも関わらず、この対応。まるで格下のお前達はこれで十分だろう、と言わんばかりの対応である。流石にあんまりだろう。苗字名前は腕の中でクシャクシャになった『バスケットボール【基礎】』の本をぎゅっと抱きしめて「あの……!」と、自分達から背を向け歩く武内源太を追いかけるようにして声を上げる その肩を「待って待って待って!」と、黄瀬涼太が掴んだ。
「大丈夫、ベンチにはオレ入ってるから! あの人ギャフンと言わせてくれれば、多分オレ出してもらえるし!」
黄瀬涼太は苗字名前の手からクシャクシャになった本を取り上げて「ほらほら、借り物の本がこんな……大丈夫なの? これ」と言いながらシワを広げて、名前に渡すと「 ーーー……まあ、オレがワガママ言ってもいいんスけど…」と黒子テツヤ、火神大我を含む誠凛高校バスケットボール部一同に視線を向ける。
「オレを引きずり出すことも出来ないようじゃ…『
黄瀬涼太の言葉を受けて、黒子テツヤ等の纏う空気が明らかに変わった。そういうのが肌でわかるくらいに、その場の空気は、どこか殺伐としていて ピリついている。試合前というのは、そういうものなのだろうか。それとも、今回のこの状況がおかしいのか。
「ーーー……アップはしといて下さい。
出番
「あの…スイマセン……。
調整とかそーゆーのはちょっとムリかと…」
黒子テツヤに手首を引かれて、引っ張られるようにして足を動かした名前に黒子は「空気に呑まれないでください。まだ試合前ですよ」と言葉をかけて、ふんわりと笑う。その様子にどこか安心して息をついて「こういうの、はじめてで……」と、言葉を返す苗字名前のどこか翳のある表情に 全く先が思いやられるなと口元を緩める。その背後では『そんなヨユーはすぐなくなると思いますよ』と物騒な事を宣う火神大我と相田リコの姿があり、黒子は丁度いいと彼らの方に首を向ける。
「見てください。苗字さんも、今後 アレくらいの威勢の良さがないとやっていけませんよ」
「…………そうなの……!?」
ユニフォームを着用した両校のレギュラー選手が各々整列したところで「それではこれから、誠凛高校対海常高校の練習試合を始めます!」と、声が響く。いよいよかと鼓動を無駄に早くして構えている名前を落ち着かせたのは、黒子テツヤの存在である。また例のごとく、一人足りないだなと言われる彼の様子を見て、気持ちに余裕ができた名前は、ふっと笑ってその光景を見つめて、監督である相田リコの隣へとようやく腰を下ろした。
名前の緊張がいい感じに解れる その一方で相田リコはコートに立つ海常高校の人間を見つめて、動きを止める。
「(……あららら〜〜!?
ちょいと…ヤバくね!?)」
服の上からじゃ、全部は見えないけど……。
てか軒並み数値高っけぇ〜〜……。
フィジカルは完全に負けてるかも……。
コッチも黒子君と火神君がいるとはいえ…、あの二人の力がどこまで通用するか…!?
「……へ、」
いよいよ試合が始まったーーーと、思ったのも束の間。バキッという物凄い音が耳に入り、名前は目を丸くする。
試合開始後、ボールは海常高校の人間の手にあった。しかし、それを一瞬のうちに黒子くんが奪って……火神くんにボールが渡った後にこの凄まじい音。見事なダンクシュートだった。ダンクシュートなんていう自分でも知っているようなワザを一発目で決めてくれる火神くんの優しさは計り知れないけれどーーーその手に持っているものは……。
「……あれって、だ、大丈夫なんですか!?」
「……そうね。とりあえず、可愛いうちのマネージャーの力で良い感じに向こうもちって事にしてもらうから平気よ」
「私ですか……!?」
「あはは〜〜。まあスカッとしたし、コッチは知りませんでしたで押し通すしかないわね〜」
誠凛高校のバスケットボール部は予算が少ないからと言っていた相田リコの言葉を思い出して、今の発言は正気なのか、大丈夫なのか、と改めて相田リコに視線を向ける名前であったが、彼女の肌艶は恐ろしく良いうえ、目がマジである。誠凛高校の黒子、火神等を除いたレギュラー陣一同もまた相田リコの顔を見て、やばいと思ったが、同時にその隣で生まれたての子鹿のように震えている苗字名前の姿を見て「(これ多分、あの子がなんとかしてくれるわ)」と心をひとつにした。他力本願の極みである。
ただ、火神大我がゴールを使用不可能な状態にしたことから 片面で行っていた試合も全面コートで行わざる得なくなり、見事に『ぎゃふん』という状況に事を運ばれた武内源太の顔色も見事に変える事には成功したのだった。
「どーした? マネージャー」
恐ろしく顔色の悪い苗字名前を確認した火神大我は自分の行いのせいでこうなっているという事を知らない為、どうだ凄いだろうと言わんばかりの顔をして名前の前に立ち、首を傾げる その隣で、黒子テツヤはエナメルスポーツバッグを肩にかけて「ゴールっていくらするんですかね」と、火神大我の方を振り返った。その台詞に苗字名前は「そうなんだよ……!!!」と。黒子の肩を掴んで「弁償だったらどうしよう〜〜!」と、黒子テツヤの肩を揺らす。
確かにアレは、どっち持ちなんだろう。黄瀬涼太は三人の愉快な会話を聞いて、思考する。片面でやるっていうのも、ウチみたいな強豪ならラッキーとか思う人もいるわけだし、アレは誠凛もちだろうか……でも逆に、普通にプレーしてて壊れたってんなら、どう考えても海常持ちなんだよな〜〜。後で、笠松先輩に聞いてみよう。そう考えていたところで、監督である武内源太に呼ばれた黄瀬涼太は「(オレの出番、結構早かったなー)」と、黒子テツヤの方を見て綻んだ。
「それでは、試合再開します」
ホイッスルの音とともに響いたその声と、今度は選手としてコートに立った黄瀬涼太の姿に名前は言葉には言い表せないような不安を感じる。『キセキの世代』。モデルで顔が綺麗だからとか、そういうんじゃあない。この息の詰まる感じ。スイッチが入ったキセキの世代というのは、皆こんなにも重たくて不安になるような気迫を出してくる人達なのだろうか。なるほど。黒子テツヤの言っていた『空気に呑まれないでください』という言葉は、こういうことか。名前は、自分よりももっとずっと近くで彼のあのプレッシャーを浴びているレギュラー選手達を見つめて「(すごすぎる……!)」と、瞬きを繰り返す。
コートの外にいるギャラリーは、黄瀬涼太が試合に出場するという事を聞きつけたからか、普段からこうなのか、女の子の数がやたらと多く、黄色い声が聞こえてくる。これが毎日聞こえてくるというのならば、集中できるか否かという点で、練習に支障をきたしそうだけれど……。
「「「おおおおお!」」」
再開早々見事に決まった黄瀬涼太のダンクシュートに歓声があがる。名前にはわからなかったけれど、今のもまた、先程の火神大我のダンクシュートを模したものなのかもしれない。
ーーー試合開始から三分。名前は、あまりにもハイスピードに動く点数とコートのうえの選手達に驚きを隠せない。試合開始からたったの三分。それなのにも関わらず、点数は16対17。誠凛高校が16点。海常高校が17点である。そんな光景に思い出すのはーーー。
「名前ちゃんには試合を見ながら同時進行でルールを覚えていってもらう。それで、出来ればインターハイまでには完璧にしてもらいたいんだけど……」
あの時、自分は自信満々に「問題ない」と即答したけれど、ここまでハイペースな試合で勉強を積んでという話となると……。弱気になっている自分に気がついて、ぶんぶんと頭を振っていると、隣に座っていた相田リコが力んだ顔つきで立ち上がり、審判の元へと向かう。
「誠凛、
タイムアウトから戻ってきた選手達を見つめ、険しい顔を浮かべたのは名前だけではなく、相田リコも同様であった。開始からまだ五分しかたっていないにも関わらず、この疲れ。けれど、確かに当然だ。まるでノーガードで殴り合っているような試合だったのだ。全員、真剣に試合をしていた。だから勿論、ディフェンスが手を抜いていたとか、そういう事ではなく、ただシンプルにーーーお互いのチームのフォワードが強すぎるのである。22対25。黒子テツヤがいて、ようやくこの点数差に抑えられているというのが現在の状況。
「とにかく、まずは黄瀬くんね」
「火神でも抑えられないなんて…」
「もう一人つけるか?」
キャプテンである日向順平の提案に火神大我が反発したところで、黒子テツヤが『黄瀬涼太には弱点がある』というような言葉を溢すが、その後さらにとんでもない爆弾をここに投下するのである。
「予想外のハイペースで、
もう効力を失い始めているんです」
効力って、一体何の……。そこまで考えたところで、一同がたどり着くところはひとつ。『ミスディレクション』である。名前も人を交わすときに一瞬だけ使うことはある。だから、それを使用するにあたって極めて高い集中力が要求されることはわかっていたーーーが、彼のソレは制限なく発動のできるものであると、そう思っていた。何故ならばそう。彼は元々、影が薄かったから。けれど、そうだ。よく考えれば、当たり前のことだったのに、どうして失念していたのか。
名前は彼の能力が機能しなくなった後を想像して身を固くしたけれど、バスケットボール初心者の彼女にそこまで考えが及ばなかったのは仕方のないことである。あまりにも注意をさくところが多すぎたのだ。
「そーゆー大事な事は最初に言わんかー!!」
「すいません、聞かれなかったんで…」
「聞かななんもしゃべらんのかおのれはー!」