
「ーーー……誰か来る。そんな気がする」
女が薄い唇を動かして言葉を紡いだ時、琥珀色の髪が風に流され、さらさらと揺れる。それを煩わしいと思ったのか。また別の理由か。女は両脇に垂らしておいた髪の毛を黒を基調としている大きめの羽織の中へとしまって、下げられていた瞼をゆっくりと開いた。
海のずっと向こう側を何も言わずに、ただ静かに見据える女の瞳は女が見つめた方角を見据えた時。宝石のように眩しく透き通った金色に輝いたが、女が再度瞼を下ろして眼を開いた時には元の砂色に戻っていた。
「おれのナワバリで暴れる奴は許さねェ。狙いが金なら尚更な。何かあればコレで殺すのも止む終えまい」
女は男ーーーモンブラン・クリケットーーーの言葉には特別興味を示さなかった。それでも、ただ一言。「そう」と、言葉を返す。
女は地面に散らばったタロットカードを回収して、膝の上で纏めると、カードに視線を落とした。それ以外はなにもしていない。それなのにも関わらず、カードは一枚。また一枚と光に包まれ、そして消えていく。その様子を少し離れたところから見ていた モンブラン・クリケットは「相変わらず、見事だな」と言葉を送る。女は その言葉を受け、照れるわけでもなく、否定するわけでもなく、ただモンブラン・クリケットに視線だけ向けると自慢の脚力で地面を蹴って、木の上に着地する。そして、ずっと向こう側を見つめる。ここからだと、かなり距離がある。それでも、海賊船だと思われる船がこちらに向かっているのが視認できた。
「オジサンは弱いから、助けが必要な時は呼んで。手が空いていたら駆けつける」
手が空いていたらなんて表現する癖に、いつでもどっかその辺でみてるじゃねェか。
クリケットは、まるで素直じゃあない その娘を見上げ、女の見据える方角に視線を動かした。やれやれ。眼を凝らしたって、おれなんかには敵の姿なんてものは視認も出来やしねェ。
「お前は相変わらず目がいいな、名前」
ーーーー名前。モンブラン・クリケットが女の名を呼ぶと名前と呼ばれた その女はクリケットを見下ろすと、意気込むとか、身体を強張らせるとか、そういう動作のひとつもしないで、まるで空中を歩くかのように足を前に動かして、そのまま、地上に見事に着地してみせた。
相変わらず、こちらが驚いてしまうほど、美しい所作で通常の人間には出来ないようなことをアッサリとこなしてしまう。この目の前の女こそ、数年前まで『 最強の占い師 』と謳われていた『 嘘見抜き 』である。モンブラン・クリケットもそれを知っていた。知ったうえで、放置していた。本人が自分の意思で此処にいるのだから、クリケットはそれを拒むことはしなかった。ここの居心地がいいというのであれば、それは本望。なにか理由があるというのであれば、解決するまでいればいいと思っている。
「じゃあな、小娘」
去り際に そういう言葉を残して海に潜っていってしまったをモンブラン・クリケットの姿を見送ってから、もっと木の高いところまで登って海賊の到着を待っていると、随分と賑やかな声が聞こえてくる。
話を聞く限りではジャヤの黄金の財宝についても知っているらしい。狙いが黄金であるというのならば、迷わずに殺そう。それがモンブラン・クリケットの安寧に繋がり、自らの平和に直結していることを名前自身も、もう理解していた。
「ぎゃぁあああ〜〜っ!!!!」
悲鳴のような声を拾った名前は女達に向けていた視線を声の主の元へと向ける。誰かが海に落ちたらしい。そして、殆ど入れ違いにモンブラン・クリケットが海から陸へと上がった。敵の数は1、2……6。1対6は流石に分が悪いだろうか。遠方から。しかも、他人事のように戦況を把握することに努める名前に対し、クリケットは、まず先に前に出てきた金髪タバコーーーサンジーーーに攻撃を仕掛けたけれど、それなりに場数を踏んでいるのだろう。繰り出す攻撃を交わす交わす。肉弾戦をメインとして振る舞っていたということもあるけれど、完全に入るだろうと思っていた拳銃を使用した攻撃をもかわして見せた。他の人間の実力を見ていないから、少々判断は早いかもしれないとも考えたけれど、名前はクリケットの方へと少しずつ歩を進める。戦況が不利にならないタイミングで混ざろう。そのように思考した時、クリケットの手から拳銃が離れ、地面に転がった。一体どんな能力だ。なにも見えなかった。距離が離れていたから。もちろん、それもあるだろう。しかし、それにしたって、急すぎる。
名前は目を見開いて、敵に担がれているクリケットに視線を動かした。部屋の中に運ばれるまで、クリケットの様子をその場で見ていた名前だけれど、その様子は健康とはかけ離れていた。
「潜水病?」
「このおっさん病気なのか」
「うん、ダイバーがたまにかかる病気さ。本当は持病になったりする様なものじゃないんだけど、海底から海上へ上がる時の減圧が原因で体の中のある元素が溶解状態を保てずにその場で気泡になるんだ」
モンブラン・クリケットは潜水病というものに侵されているらしい。どうやら、先程の海賊の中に医者がいたようで、クリケットの状態を診て『 潜水病 』であると口にしていた。つまり、先程クリケットが倒れた理由は敵からの攻撃ではなく、病によるものだということ。もしも、攻撃によるものであったのならば、すぐに全員始末してやろうという気持ちで此処にきた名前だけれど、無駄な殺生をする前に事件は解決したらしい。まだ未完全な解決というのが難だけれど。
建物の外側から話を聞いていた限りでは、クリケットは無理な潜水を続けていたらしく、状態としては、とても危険な状態らしい。
「分からないけど……、危険だよ。場合によっては''潜水病''は死に至る病気だ」
「……場合によっては死ぬの?」
「いや、おれが助けーーーー誰!!?」
突然チョッパーの隣に現れた見知らぬ人間にそれぞれが緊張を走らせる。どうやって、この場に現れたのか。いつからいたのか。各々が名前を警戒して、視線を外すことができないでいた。この流れでの登場で警戒されるのは当然かもしれないけれど、名前自身は目の前の人間に既に敵意はなかった。モンブラン・クリケットを攻撃したのが、ルフィ達、麦わら海賊団だったというのであれば、始末するつもりでいたけれど、どうやら そういうわけではないようだったし、なによりも多分これは逆で、命を救おうとしてくれている。
名前は顔を隠すために深く被ったフードを更に少しだけ下ろしてから「命の恩人」といってモンブラン・クリケットを指差して「攻撃の意思もない」と続けた。「そうか!」と笑顔で名前を100%信じてしまうルフィに関しては、些か警戒心がなさすぎるだろうと思わなくもないけれど、周りの数人のように、いつまでも納得してくれそうにない人達よりは余程マシだとも思った。モンブラン・クリケットの様子を見つめている中で、名前は、ふと目の前の海賊団が「空島を探しに来た」と口にしていた事を思い出して、顔を上げる。
「空島に行きたいと望む人が、どうしてこんなところにきたの。まともな人間であれば、普通 東じゃなくて西のモックタウンの方に向かうはずだ」
「おう! 行って来た!!」
「…………そう」
散々な事を言われたのだろう。視線の先では腕を組み、不機嫌そうにふてくされた様子で立っている女の姿があった。気を紛らわせるためか、髪の毛をかきあげる仕草にさえも違って力が入っていて、不機嫌であることがその所作に表れている。
けれど、それも致し方のない話なのだ。何故ならば『 空島 』というのは、向こう側では『 空想の産物 』として扱われているのだから。
「それから占い師を探しに来た!! いるんだろ、この町に占い師!!! 仲間にしたい!」
「ちょっと、アンタまだ言ってんの!!? 西のモックタウンにはいなかったし、コッチにだって いると思えないんだから占い師の事は諦めなさい!」
「おれはソイツを仲間にする!!!」
「アンタ人の話聞けないの!? どこに占い師がいるのよ! そういうのはね『いる』って証拠を見つけてからにして!」
『 占い師 』という言葉に、目の前のフードを被った人物が明らかに動揺したのをロビン、サンジ、ゾロは見逃さなかった。見逃せるわけがなかった。一瞬ではあったが、纏う雰囲気そのものが少しだけ変化した。なによりも。モンブラン・クリケットを見つめていた砂色の瞳が、ほんの一瞬だけ金に輝くのを彼らは見逃すことは出来なかった。
そもそも、こいつは男なのか。女なのか。それすらもわからない。声は変えているのかもしれないから、どちらの可能性も否定できないし、顔や身体付きという男女の判別がつきそうな全ての部分を黒色のローブを隠している。何故そこまでする必要がある。そこまで考えた時、外が煩くなって扉が勢いよく開けられた。
「「おやっさァん!!大丈夫かァ!!?」」
新たに部屋に入室した来客の姿を確認した名前は名前を呼ばれてややこしくなる前に室内から出ることを決めて、クリケットから視線を外して、騒がしくなった室内から、誰にも声をかけられることなく退出をする。けれど、誰も声をかけなかったというだけで、彼女が室内から出て行ったことに気が付いていないというわけではない。もちろん、気付いていないものの方が多数派だったけれど、先程の名前の明らかな動揺を確認していた3人だけは気付かれない程度に名前を視認して続けていた。
名前の退出を確認した3人は互いにアイコンタクトをとって、もっとも自然にこの場から離れることが出来るだろうと判断したロビンが名前の後を追う。
「少しいいかしら」
やはり、気づかれていたな。追いかけてくるか、来ないかの確率は正直なところ、50%ずつといったところだと予想していた手前、追いかけてくる方に転がったという事実に多少驚きはするものの名前は座っていた場所から少しだけ横に移動してロビンが座れる程度の場所を設けた。
ロビンは名前が横に移動したことによって設けられたひとり分の空間を見つめて「ご丁寧にどうも」と、その場所に腰を下ろした。
「占い師について何か知っているのね」
あまりにも直球なその言葉に名前は、ふぅ、と息を吐いた。疑問系ですらない その言葉を聞く限り、目の前の女は自分が占い師についてなにかしらの情報を保持しているだろうということを確信している。ここで殺すか。けれど、ここでニコ・ロビンを殺してしまう事で立場を悪くする可能性があるのは名前の方だ。麦わら海賊団の相手をすること自体は、恐らくそんなに難しい事ではない。やはり相性云々の問題はついてまわるだろうけれど、あの場に自分と相性が悪そうな人間はいなかったはずだ。
けれど、問題なのはそちらではなくーーーモンブラン・クリケットによって『 安全地帯 』を追放される可能性があるというところ。あの人は義理堅い人だ。きっと恩人を消した私を此処に置いておくことはしないだろう。
「……知っていたとして、私が貴女に教える理由はないし、教える義理もない。オジサンを助けてくれた事に関しては感謝するけれど、ソレと対価とは言えない」
「残念。でも 貴方の答えを聞く限り、知っているという読みは正しかったみたいね」
「…………今になって、かつての『 最強 』を求めるなんてどういうつもり」
1年は あなたが言うほど長い年月かしら、と言うロビンの呟きに名前の瞳は眩しいくらいの金に輝いて、ロビンを捉える。息を呑んだロビンに名前が「1年もあればルーキーが誕生して名を轟かせられる。彼の様に」とルフィを指差すと名前に縛られていたロビンの視線が自然とルフィの方へと流れた。
モンキー・D・ルフィ。先日、七武海のクロコダイルを見事討ち取ったということで、新聞では一躍時の人となっているルフィを含む一味の船員達は頻繁に名前をあげていた。それに関していえば、麦わらの一味だけではなく、それ以外にも多くの海賊が名を轟かせている。そのように考えると、確かに1年という月日は長い。
「それよりも私は貴方がどうしてアレと行動しているのかが不思議で堪らない」
ーーーだって貴方はこの先の未来で
かれらのことを裏切るのだものーーー
意地の悪い言い方をしているという事は名前自身にもわかっている。何故ならば、敢えて、そういう言い方をしたから。
それに、ニコ・ロビンが裏切るという未来はどうやら避けられないものらしい。例えば、次に回避したとしても、どこかのタイミングで必ず 彼女は裏切る。嘘はついていない。それにーーー。名前はニコ・ロビンの表情を伺う。その表情は心当たりがあるという
「運が悪ければ、そこでおしまい。貴方って本当に可哀想。運命を変えるのは、とても 難しい事なのにね」
フードを取り去った女の顔はロビンが少し前にクロコダイルの機密書類から確認した者の姿に瓜二つーーーいや。間違いなく 本人だった。ああ、やはり。やはり この島にいるという情報は嘘ではなかった。
ーーー占い師最強、嘘見抜きの名前
「貴方って可哀想だわ、ニコ・ロビン」
船長に。ルフィに伝えなければと思うのに、ロビンの頭から名前の言葉が離れない。自分が、ルフィ達を裏切る。今の自分には考えられない。少なくとも、そう思えてしまうくらいには、ロビン自身がルフィ達を気に入ってしまっていた。
名前の姿は彼女がロビンに対して「ばいばい」と、口にした途端。全身が黄金の光に包まれると、きらきらとした光に分散されて、風の流れとともに消えた。もう追いかけても、捕まえらない。ロビンは直感で その事実を理解したし、名前もロビンが自分を追わないことを理解していた。追う選択。追わない選択。どちらの選択をしていたとしても、自分がニコ・ロビンに捕まる事はなかったけれど。なによりも、もう追いかけるようとする意思すらないものに捕まるほど、名前は弱くはなかった。