
午前の部の開始までの残り時間は約30分弱。30分で始まってしまうとなると、緑川駿にグラスホッパーの教えを乞うというのは流石に迷惑だろう。それは、同じく出水公平の部隊の隠岐孝二も同様に無理だろう。……それならば、空閑遊真はどうだろう。苗字名前は頭を悩ませるが、空閑遊真に関しても、今回のイベントの参加隊員の為難しいだろうという回答に着地する。しかし、あの『二宮匡貴』を含める太刀川隊の皆に『グラスホッパーを学んでくる許可』を貰って出てきた手前、何得ないまま作戦室に戻るという選択肢は存在しない。
なによりも。こんな無鉄砲な提案を受け入れ、そして信じてくれた二宮匡貴等を発案者の自分が裏切ることは出来ない。やると言ったからにはやる。それが発言した苗字名前の責任だ。今頃は三上歌歩、二宮匡貴主導のもと、苗字名前がグラスホッパーをものにして部隊に戻る事を前提にした作戦が練り進められている頃だろう。もしも、自分がグラスホッパーをマスターしないで作戦室に戻ろうものならば、失望されるだけでは済まされない。それを苗字名前は、よく理解していた。だからこそ、なんとしてでもグラスホッパーを実戦で使えるレベルまで持っていかなければならないのだ。
「うっわあ!? ごめんなさい!!」
前を見ていなかった名前の不注意による接触であった事は明らかだったが故に、名前は相手の顔も見ないまま思い切り頭を下げた。足元を見ると、どうやら相手は換装体のようで見覚えのある隊服である事に気がつく。これは、香取隊の隊服だ。
「ーーーーゲッ、ガリ勉 勉強オタク」
どうやら、上から降ってきた声から察するに目の前の人物は香取葉子で名前は表情を、ぱっと明るくして顔を上げたが、香取葉子の隠すことのなく不愉快であると告げてくる その恐ろしく憂鬱な表情を見て、言葉を失う。
とても『グラスホッパーを教えてください』と申し出られる雰囲気ではなかった。
「か、香取ちゃん……お、おはようございます……本日はお日柄もよく、えっと、なんといいますか、あの、ごめんなさい!!」
「今すぐに視界から消えて。アタシ、いまアンタに構ってる場合じゃないのよね」
「烏丸京介くんの観戦、とか?」
「……だったら なに? アンタに関係ある? 言ったわよね。今すぐに、消えて」
相変わらず、苗字名前の目に映る香取葉子は今日も絶好調に機嫌の悪いようだった。普段の話はおいておいても、今日に関していえば、その原因は考え事をしながら歩いていた名前の方にあるわけで、仕方のないことである。開き直るわけではないけれど、ぶつかってしまったという事実をなかった事にする事なんて出来ないので、これはもうひたすら謝り続けて許しを得るしかない。今思えば、どうして敢えてこの道を通ってきてしまったのだろうか。本当にグラスホッパーを学びたいのならば、もう少し人通りの多い道があっただろう。しかし、それでも。ものは考えようだ。香取葉子もグラスホッパーを使用する数少ないボーダー隊員の1人。実力も戦闘センスも圧倒的である。これは、教えてもらうチャンスではないだろうか。苗字名前が香取葉子を視認しながら、そのように思考しているその様子に香取葉子は目を細める。香取葉子は苗字名前の品定めするかのような その瞳が大嫌いだった。こいつ、絶対にアタシを見下してる……。最早、その確信に近い感情に青筋をたてて、背を向ける。しかし、苗字名前は背を向けた香取葉子の腕を条件反射的に掴んで引き止めた。やってしまった……。それを理解した時には、既に何もかもが手遅れだった。ゆるゆると香取葉子の腕を掴む指に込めていた力を緩めて、名前は足を止めた香取葉子に恐る恐る視線を送った。
香取葉子は苗字名前に見下されるのが我慢ならなかった。そして、同時に目の前の女に『劣等感』に近いなにかを自分自身が抱いてしまっている現実も許せない。だってそうだ。苗字名前に劣等感を抱くこと。それは、自分自身が心のどこかで苗字名前に劣っていると認めているということだ。確かに、階級的な問題では そうかもしれない。それでも……。こいつに『そんな瞳』で見られるほど、アタシは格下じゃない。香取葉子は、ゆっくりと顔だけ苗字名前の方へ動かす。そして、名前の顔を見て 改めて思う。
「(アタシは、こいつが嫌いだ)」
先程までは人を品定めするかのような『瞳』で見ていたくせに、いまは、まるで同情を誘うかのような瞳をしてアタシをみている。いつの日からか、こいつは、いつもそうだった。アタシに興味がないような顔をしているくせに、面と向かって顔を突き合わせると、自分は可哀想な子です。自分は貴方よりも弱いです。そういう顔をする。初めて会った時に、あの『クソみたいな瞳』でアタシの事を見た癖に、だ。
「はー……うっざ。用事あるって言ってんのに引き止めるって事は、なに? アタシへの嫌がらせのつもり? それとも、アンタはガリ勉なのに日本語が出来ないってこと?」
「無理だと思うんだけど……香取ちゃんに、グラスホッパーの使い方を教えて欲しいです。お願いします!」
両手を前に重ねて、それから出来るだけ丁寧に深々と頭を下げる苗字名前の姿を見て香取葉子が抱く感想は『調子のいい女』であった。香取葉子のなかの苗字名前の印象が、頗る悪かったというのも理由のひとつとしてある。それに加えて、こっちの罪悪感のようなものを刺激して、教えを乞おうという その根性に腹が立つ。
恐らく、あいつの頭の中は今『人通りのある通路ではないとはいえ、こんなところで頭を下げられたら拒否できない』とでも考えているに違いない。香取葉子のその予想は概ね正しい。苗字名前は少なからず、そう考えている節があったし、彼女がこれだけ丁寧に頭を下げたのであれば、おおよその人間は首を縦に振るだろう。だから 名前の計算の中で足りなかったものは、ただひとつ。香取葉子という人間からみた自分という人間の印象。これだけだった。これを読み違えた。本来の名前であれば、それすらも大なり小なり計算に入れて行動をしたに違いない。しかし、今日に限って言えば、その限りではなかった。それを考えから排除してしまうくらいには焦っていたのだ。おかげで、なにもかもを読み違えた。自分の提案を無視して名前の手から解放された香取葉子は苗字名前に改めて背を向けて歩き始める。
「待って、ちょっとでいいから!!!」
「うざい、キモい、無理!! 大体なんの義理があってアタシがアンタに教えてあげないといけないのよ!! 他の奴に教えて貰えばいいでしょ! アンタには良くしてくれる人が沢山いるんだから!!!」
「5分だけ!!!」
「いい加減にしてよ。そもそもアンタ、ボーダー辞めたいんでしょ? だったらーーー」
その先は想像できた。だからこそ、香取葉子は直前で言葉を口にするのを躊躇し、思いとどまった。この様子を、もしも染井華が見ていたのであれば、思い留まるタイミングとしては最悪だったと間違いなく言われるだろう。本当にそういう評価を下されるかは定かではないが、そのような思考をしてしまうくらいには香取自身、たったいま自分から出た言葉を反省していて、今度は自分の過ちから逃げるようにして名前から遠ざかる。
しつこくしすぎた。それでなくとも嫌われているというのに、それに加えて しつこくしたら、香取ちゃんじゃなくても嫌だろう。申し訳ない。苗字名前は香取葉子の背中を見送る。もう引き止めることは出来なかった。あれは、完璧な拒絶だ。あそこまで拒絶されてしまったら、流石にもう引き止められない。それにしても、嫌われているな。名前は香取葉子に嫌われている理由を知らない。知らないのも当然である。彼女の考える初対面と、香取葉子の考える初対面は全く異なった日の出来事だからである。故に、苗字名前は香取葉子との初対面に関して『初めて話しかけた 日には、すでに嫌われていた』と話している。その事実を知っているのは、染井華だけなのだが、本人達の口にする発言の何もかもが異なるため、彼女達の問題は解決のしようがなく、先程のやりとりを見てわかるように、悪化の一途を辿ったいる。香取葉子の姿が見えなくなったのを確認して、苗字名前は再度頭を抱えることとなる。……さて これからどうしようか。今からでも無理矢理押しかけて、緑川くんに教えを乞うべきか。それとも、独学で頑張ってみるか。太刀川さんに教えてもらうか。でも緑川くんや遊真みたいなグラスホッパーを極めた人に教えてもらった方がいいとか言って出てきたのは自分だ。戦術を練っている3人の時間を割くうえに、太刀川さんに付き合ってもらうのは大問題だろう。
「……えーっと、苗字さん」
気まずそうに名前のまえに姿を現したのは奥寺常幸だった。表情をみるに、先程の様子を一部始終みていたのだろう。そうでなければ、奥寺常幸が苗字名前を引き止めることはしなかっただろう。困ったような表情を浮かべて、眉を八の字に曲げた名前の様子に奥寺常幸が気まずそうに視線を逸らした。
「……奥寺くん」
「えっ、どうしたの?」
「良かったらで 良いんだけど、グラスホッパーの使い方を教えてくれませんか……?」
「オレで、よければ」
頭を下げる苗字名前の姿を見て、以前東さんと苗字名前と同じクラスになったという話をした時にもらった言葉を思い出した。苗字との付き合いは程々にな。その当時、苗字名前は照屋さんと同じ『星輪女学院』に通うと有名だったから、関わることもないと気に留めてこなかったお陰で詳しくは知らなかったけれど、同じクラスになってからは自分の視界に入るようになったということから彼女の名前を聞く頻度が格段に上がった。そういう恋愛沙汰の情報に疎い奥寺にも小荒井経由で結構な情報が巻き込む機会が多々あった。
その関係で、話しかけたはいいものの、どうやって『自分でよければグラスホッパーを教えようか』と自然に提案できるかを思考した結果、言葉に詰まっていた。けれどまさか、向こうから言い出してくれるとは……。苗字さんは、こういう戦闘系のイベントに乗り気ではないというイメージだったけれど、実際はそういうわけでもないのかもしれない。目の前でよかったよかったと、こっちが恥ずかしくなるくらい喜んでくれる名前をみて、奥寺も声をかけてよかったと心から思う。
「つか、よかったのかー? 緑川。お前のこと 苗字が探してるらしいじゃん」
「先輩がオレを探してるって事は、グラスホッパーを教えてって事でしょ? せめて今日じゃなきゃいいけど、オレも賞金狙いだし」
「まー、出来れば 午後の部では東さんと太刀川さんの
自分達が戦うことになる午前にヤバい奴がいないという意味ではない。午前にだって加古さんの
簡単に引っかかってくれるような隊員はいないだろうけれど、4つ巴のように戦闘隊員が多ければ、いずれは、かかる。ゆっくりと確実に罠にはめていけばいい。
「強者揃いの午後も勝ち上がるのは2組ってのはよかったよなー。全部隊トップクラスの攻撃手がいるけど、半分は いなくなる」
「ぱっと見、狙撃手の確保してない小南のとこが不利っぽいけど、オペが月見さんかー」
「太刀川さんの部隊は見るからに上がってくるなーって感じするけど、後は どこが上がってきてもおかしくないよねー」
「いやいや、マップ選択 東さんだぜ? こりゃあもうチーム太刀川潰しでくるだろ」
「アタシは東さんが
「全捨てしても、他で点取れば勝てるもんな。そりゃあ隙が出来たら撃ってくるだろうけど、苗字なら相殺できそうだし。そうなると鍵は各部隊、狙撃手っぽいなー」
「まー、簡単には撃たせんやろうな。弾の相殺やったらマメちゃんの得意技やし」
「流石後方支援のプロって呼ばれるだけあるよなー。弾の相殺とか変態かよ」
実際、狙撃手でありながらエースと呼ばれる実力は伊達じゃない。弾の相殺も勿論そうだけれど、本人に その気がなくとも、同じ
それでも、そんな凄い人達から評価されておきながら、苗字があれだけ自分に対して自信がないのは おれ達が散々苗字に言ってきた昔の酷い言葉。そして、多分。必要以上に色々なところから注目されているからだ。注目されるのは悪いことじゃあないし、太刀川さんとかみたく マジで普通に良い評価しかない人だっている。けれど、苗字は どちらかというと悪い評判の方が多かったりする。あれの強さは実際に戦わないとわからないところがあるし、狙撃手ってのは単純に凄さが伝わりにくい。わからない奴にはマジでわからない。佐鳥が言うには、そのせいで今でも結構酷いことも言われているらしい。狙撃訓練も最近は当真さんと的で絵を描いているらしいから余計にそんな事を言われるのだと思う。まあ、それに関していえば 本人にも問題がある。当真さんでさえ、そればっかやってるせいでC級にはナメられることがあるようだし。
「とはいえ、グラスホッパーを教えてもらいたいって事は次で設定に入れてくるって事じゃん? なにする気だ、あいつ」
「名前ちゃん先輩って、本来滅茶苦茶動けるじゃん? あんな人がグラスホッパー入れたら絶対化けるよね。サイドエフェクトもあるし」
「超失敗するか、超化けるかだよな。超失敗してくれねーかなー、あいつ。まー、化けても面白いけど 別にオレらが戦うの苗字じゃねーし、化けられたらウザいよな。狙撃が」
「グラスホッパーで機動力をあげにきたってことは、あの名前ちゃんがライトニングを持つかもしれないってコトなんじゃない?」
「ついに見えない弾丸かよ、こえーな」
そろそろ 午前の部の直前作戦会議をするよ。宇佐美が今回のイベントの為にと本部から支給されたタブレットを操作する。午前の部のマップ選択権は三輪隊。一体どのような判断基準でマップ選択権がわかっているのかと疑問に思うーーーが、午後の部のマップ選択権が東さんのところなあたり、部隊長の所属する部隊の順位なのかもしれない。現在有している情報のみから考えるのであれば、その可能性は高い。
そうなると、もしも おれらが勝ち上がってもおれ達にはマップ選択権は与えられないということになる。しかしまあ……。それは、太刀川さんの部隊も同様にだ。そうなってくると、そのルールのなにが最悪かというと、東さんのところが上に上がってきた場合に問答無用でマップ選択権が東さんの部隊に回されるだろうということ。いやもう卑怯の極みだろ。東さんのところなんかに回されたら あの人 戦術の鬼だから 普通に止めようとしても止められない。加えて、あの人は苗字とは違うタイプの変態だから結構しんどい。
「そういえばさ、今回の戦闘で使う隊服ってどうなるの? バラバラだと敵味方が分かりづらくない? 味方を撃ち落とすリスクありっていうなら それはそれでアリだけどさ」
「ああ、それなら アタシ達の部隊は強制的に太刀川隊の隊服だよ。他の部隊は最低でも2種類は選べるんだけどねー」
「うわー、最悪やん」
「オレもそれだけは嫌なんだけど」
「恥ずかしくて死ねるよなー」
「おいこら、どういう意味だ」
隊服に関しては全然乗り気ではない このクソ野郎どもが「なんで」だの「絶対嫌だ」だのとゴネているのを聞いた宇佐美は「大丈夫! エンブレムはなしの状態だから!!」とハツラツとした笑顔で 親指を立てた。そしてその言葉に米屋は表情を消して「そこじゃねーよ」と冷静にツッコミを入れていた。だったら どこだよ。返答次第では許さねーぞ。
「でも太刀川隊の隊服って、名前ちゃんも こっそり着てる 憧れの隊服らしいよ」
「名前ちゃん先輩が……」
「マメちゃんが こっそり着とる……」
「お前ら マジでチョロいよな」
「だって どうせ着ないといけないならさ、良い方に良い方に考えないとじゃない? よねやん先輩も黙って着なよ。まー、オレも動きづらそうだから 本当は嫌なんだけど」
「いや、そこでもねーだろ」
しかし、何故太刀川隊の隊服のデザインしか選べないのか。個人的には冬島隊とか風間隊とか他部隊の隊服を着てみたかった。まあ冬島隊のやつは、今度当真さんとか苗字になんとかいって借りれば良いけど、風間隊とか特別仲良い人いねーからな。惜しかった。オレが着たことある隊服なんて、前に槍バカと交換してきた三輪隊の隊服ぐらいだ。それに比べて苗字ときたら、嵐山隊のイベントにいくからと嵐山隊の隊服を着てみたり、仲のいい影浦隊、二宮隊の隊服も着たことがあるらしい。なんだアイツの人脈。つーか、一体どういう縁で影浦さんと仲良くなんだよ。
そもそも働かせてもらってるって何事だ。仲良しにも程があるのではないか。
「あー……でもなんで おれらんとこにだけ選択権がなかったんだ? 他は最低でも2種類はえらべるんだろ?」
「実は今回のイベントは通常時に部隊長の人の隊服が選べる事になっているんだけど、うちは部隊長なしだから出水くんの所属する太刀川隊の隊服で決定しちゃったらしいの」
「それ、なんとか出来ないの?」
「これだけ直前になっちゃうと難しいかな。皆のトリガーもう渡されちゃってるし」
「あーあ、先に言ってくれたら 隠岐先輩じゃなくて荒船先輩誘ってたのにねー」
「そしたら荒船隊の隊服だったのになー」
「なんやろ この二人。出水くんだけやのうて、ついでに おれのガラスのハートも めっちゃ傷付けてくるんやけど」
「ほらほら、午前の最終確認するよー」
「奥寺くん、本当にどうもありがとう!! まだまだマスターはしてないけど、これなら なんとか実戦でも使えると思う!」
「苗字さんならコツを掴めば もっと上手く使えると思うけど、本当に今日使うのか?」
「ダメかな?」
「いやいくら苗字さんでも ぶっつけ本番は危険なんじゃないかと思って」
「もー、そんな事言っていられないってさっき説明したじゃん。皆は私がマスターしてくるのを前提に作戦会議してるんだから出来ませんでしたは通用しないんだよ」
「まあ、使うならとめないけどさ」
「心配してくれて ありがとう、奥寺くん。そういえば私達って学校では あまり話さないよね。今度沢山話そう!」
「あー……うん」
「なにそれ、嫌そう」
「いやとかではないんだけどさ」
奥寺常幸は苗字名前を囲う人たちの守りの硬さを知っているからこそ、言葉を詰まらせて言葉を濁す。自分が知っている情報が全てだとは思わないが、あの東春秋が自分に対して苗字名前とはうまく付き合えよと言葉を送るほどだ。仲良くしすぎるのは絶対に禁物である。「そういえば」と、無駄に大きく手を動かして「もうすぐ午前の部が始まるから」という言葉を苗字名前に告げて、奥寺常幸は訓練室からいち早く退散する。苗字名前を1人残して行くという状況はどうかと思ったが、長時間ふたりきりでいたと知れれば、怖い人たちが自分の元へと足を運んでくるかもしれない。そうなると、同じクラスの一員ということもあるし、面倒臭くなりそうだ。このような考えのもと生まれた行動である。
奥寺常幸があそこまで急いで自分の元から退散したという事実に名前は『置いていかれた』という目の前の事実ではなく、『やばい、午前の部が始まるんだ』という奥寺常幸にとっての最高解に至る。もうすぐ始まってしまうということは、こんなところでいつまでもゆっくりはしていられない。今頃、二宮さん達が作戦会議をしながら午前の部をモニターを使用してみているはずだ。急がなければ。名前は足を一生懸命動かして、作戦室へと急ぐ。そういえば、香取葉子は観戦席の確保が出来たのだろうか。ふと、そんなことを思った。長時間ではなかったが、結構強引にひきとめてしまった責任から席の確保が出来ていたらいいなと思う。しかし、久しぶりに会ったから忘れていたけれど、我ながらビックリするくらい酷い嫌われようだったな。一体何をしたらあそこまでの視線を送られるのだろう。目的地が見えてきたところで、スピードを落とした名前は現在太刀川隊として使っている個室の扉を開いた。
「おかえりなさい、名前ちゃん。色々と話はあるけれど、先に名前ちゃんのトリガーホルダーを渡しておくのと私達の隊服の話をしようと思うのだけど、大丈夫?」
「全然大丈夫です!」
「じゃあまずは……、これが今回使う名前ちゃんのトリガーホルダーです」
「わあ、ありがとうございます……!」
見る限りでは通常のトリガーホルダーと変わりないがないように思う。それでも、やはり何かが異なっているのだろうか。名前がトリガーホルダーを注意深く観察をしていると三上歌歩は可笑しそうに笑いながら「通常のトリガーホルダーと同じものだから安心してね」と言葉を付け足した。
「次に私達の隊服について話すね。今回のイベントでは敵味方判別の為、基本的には各部隊『部隊長の隊服』の着用が原則で決められているんだけど…… 」
「それじゃあ、私達は太刀川隊ですね!」
「本来なら そうなる筈なんだけど、太刀川隊は出水くんの部隊が着ることになっているから私達は二宮隊の隊服に決まりました!」
「二宮隊の隊服……。私ちょっとトリガー起動してみても良いですか!?」
「それは構わないけれど、どうしたの?」
「私ずっと二宮隊に入りたかったから、こういう場で二宮隊の隊服着て戦うって聞いてすごく嬉しくなっちゃって……」
「そっかそっか」
にこにこと口元を綻ばせた三上歌歩は、トリガーホルダーを輝く瞳で見つめた後にトリガーを起動させて1人で喜びながら飛びまわるという とてもまもなく高校2年生になる女の子が見せるとは思えないほどの喜びを見せて、盛り上がっている苗字名前の頭を「名前ちゃんって本当に可愛いよね」と何度も何度も優しく撫でながら口にして、花が咲いたように微笑んでみせた。
いやいやいや、先輩の方がどう考えても可愛いでしょ……。途端に冷静になった名前は心の中で三上歌歩にツッコミを入れる。そういえば、三上先輩も とりおと同じように兄弟が沢山いたようなーーー……とすれば、私への可愛いは妹的な可愛いであって意味合いとしてはマスコットキャラ的な可愛さなのだろう。自分で敢えて褒めてない意味での可愛さを思考してあげてみたのだけれど、なぜだか恐ろしく、しっくりきた。切ない。
「でも、戦闘前にはちゃんと換装を解いて チップをセットしておかないとダメよ?」
「みかみかってば、お母さんみたい」
「こら、お母さんじゃありません」
言葉だけ聞けば怒っていると思うけれど、三上歌歩は名前の予想に反し、とても優しい顔をしている。包容力がすごい。流石、苗字名前の中で作られているランキング『ボーダー奥さんにしたい隊員ランキング』の1位に君臨しているだけある。
いまだってそうだった。名前が部屋に入室した事を確認して出迎えてくれた。それだけでも充分有り難いというのに、ある程度の会話を済ませたらタイミングを見計らって、二宮さん達のいる部屋に誘導してくれている。流石、あの菊地原士郎にナメられないだけある。
「私達もね、名前ちゃんがグラスホッパーを学びに行っている間に少しだけど、戦い方を考えてみたの」
「ありがとうございます!!」
「簡単にいうと、お前はセットしたトリガーを駆使して俺のサポートだな」
「太刀川さんのですか?」
「色々考えたんだけど、午後の部は攻撃力の高い攻撃手を確保している部隊が多いから、そういう攻撃手と戦闘する事になる太刀川さんに名前ちゃんを付けた方がいいかなって」
「確かに 太刀川さんって放っておくとガツガツ撃破していきそうだから どの部隊も戦力注ぎ込んででも止めたいですもんね」
「おお……聞いたか、二宮。太刀川さんは強いから放っておけないって苗字が」
「おい、三上。この猿をなんとかしろ」
いくつかの作戦候補なるものを聞きながら いつのまにか始まってしまっていた午前の部の戦闘を眺め、ずっと前に買ってきたパンを袋から取り出して袋を開けた。今の段階で1番有利なのは、やはり加古隊だった。部隊に戦闘員が4人もいるのが大きいのかもしれない。その4人全員がA級レベルの隊員となれば、1人の差が部隊そのものに大きな戦力差をつけてしまうのかもしれない。そうだとするのならば、加古さんの部隊の他にも三輪先輩、出水先輩の部隊も決勝に上がってきたら脅威になるだろう。
午後の部でも5人のところには注意しないといけない。東さん、そして小南先輩の部隊。ぱっと見で『これは強い』と確信できる隊員で固めてきているからダメだ。攻撃手なんかに私が狙われたら瞬殺だろう。まあ私は撃破されるくらいならば、意地でもなんとかして 交わした後に自分で
「午前で上がってきそうなのは やっぱり、出水くんと加古隊長の
「えっ、三輪先輩の部隊は除外ですか?」
「うーん、もしかしたらあるかなって私も思っていたんだけど……」
「よく見ろ。出水達が間もなく全員合流する。1人でも崩せていれば やりようもあるが、普段から戦闘経験を持つ奴等に即席が勝つのは難しいだろうな」
「でもあの人達、連携って言っても突撃しかないじゃないですか。A級レベルの隊員なら避けられそうだけど……」
「相当な実力と戦闘経験がなければ、長く続けば それだけ戦況が不利になる」
「それに名前ちゃんは、いつもサポートだから分かりにくいと思うけれど、出水くん達の連携は相当レベルが高いと思うよ」
レベルは確かに高い。しかし、今回の合流は最初の転送位置によるところが大きかったから出来た事で、もし決勝に上がってきて、もう一度同じように合流が出来るかと聞かれたら、その可能性は極めて低いだろう、と三上先輩は話した。
そして、それは太刀川さん達も同じ意見のようだ。当然だろう。もし本当に出水先輩達の部隊が決勝チームとして上がってくるのであれば、この先合流を終えて完璧な形で試合を進めていくだろう出水先輩達の部隊はシンプルに午後の部から見ても脅威だ。午後の部の部隊は彼らの合流を決勝では絶対に良しとしないだろう。それに、やはりなによりも宇佐美栞だ。宇佐美先輩という優秀なオペレーターが付いている以上 警戒は絶対に必要らしい。3人とも出水先輩達には大変警戒しているようだ。そして、加古隊にも。
「午前の部の確認は ここまでにして、ここからは真剣な話をしていきますね。私は正直なところ、午後の部は狙撃手の働きによって大きく戦況が左右されると考えています」
「まー、東さんも当真もいるしな」
「ですから、マップも市街地B、Cそして工業地区のように狙撃の活用が難しいマップ……ですがそれ以上に濃厚なのは、部隊そのものを分断できる河川敷Aですね」
「でも当真先輩や東さんクラスには分断しようがしまいが関係なくないですか?」
「まー、東さんも そこは諦めたんだろ。当真くらいの腕があれば多少離れていても普通に当ててきそうだしな」
「当真勇って変態狙撃界の猛者ですもんね。普通に腕の良さなら負けますもん」
「いや、そこは嘘でも勝ってますって言って俺たちを安心させるところだろ」
「無茶言わないでくださいよ」
正確に的を撃ち抜くという能力で当真先輩に私が勝てるわけないじゃないか。実力に圧倒的な差がありすぎる。
あの人の事は隣で見ている私が1番知っている。狙撃銃を握ると人が変わったように冷静になること。撃った弾は確実にトリオン体の急所を貫くということ。あの人は私のように『ただ当たれば良い』とは思っていない。確実に急所を。それも、一撃で仕留めようとする。そして、それをやってのける実力を持っている。
「私が当真先輩と真っ向から撃ち合えば、恐らく、殆ど100%。確実に負けます」
この先の言葉に確信はない。確信はないけれど、私は私の実力も当真先輩の実力も十分に理解していると思っている。だから、正確に的を撃ち抜く能力に関しては私の負けだ。それは間違いない。けれど、それはあくまでも"私達が平等な立場で撃ち合った時"の場合の話であって、そうではない時は どうなのかはわからないとは思わないだろうか。私は思う。
「ーーーでも、多分サイドエフェクトがある私の方が実戦では有利に動けると思います」