
おれは今、解説席に腰を下ろしている。何故このような状況になっているかと聞かれても、おれにもよく分からない。あの例のイベントの参加者名簿を眺めながら「(さて、決勝は どうしようか)」と、1人で飲み物を購入しに行った。その時に迅さんとタイミングよく遭遇して、少し話していただけだというのに、気がついたら ここに座っていたのだ。いや、気がついたら、なんていうのは流石に盛った。確か、迅さんと「決勝進出おめでとう」という風に話した後に少なからず会話を交わしていた おれ達の会話に あの海老名隊オペレーター武富桜子が無理やり入ってきたのだ。
会話に混ざってくる数分前に慌ただしくあたりを見渡して通り過ぎて行ったのを見送った筈なのに何故此処にいると凝視していると、迅さんと おれを交互に見て「決勝を間近で見たくないですか!?」と武富は目を輝かせた。それからはなんというか、まあ大体想像通りだと思う。今回のイベントの実況をしたいと上層部に熱烈なアピールをした武富は本来はランク戦でもなんでもない ただのイベントである この戦いに観戦ブースなどを貸し出す事はないというのに、大変素晴らしいプレゼンテーションをしたのだろう。今日の日の為に観戦ブースを貸し切って、更に実況の権利も手に入れたらしい。そして、おれを見つけて声をかけてきた。要件は、解説席に座ってくれというものだ。これは面倒くさい。正直なところ、解説はあまりやりたくないのだけれど、迅さんに上手く言いくるめられた。後で聞いた話なのだけれど、この時すでに迅さんは午後の部の解説をする事が決定していたらしい。これはやられた。今思い返すと、偶々遭遇したというのも怪しい。
「ボーダーの みなさん、こんにちは! 海老名隊オペレーター 武富桜子です! 錚々たる面々の集まる大イベントの午後の部が間も無く始まろうとしています! 解説者は……『ぼんち揚食う?』でおなじみ! 迅さん!」
「どうも こんにちは。実力派エリートの迅 悠一です。今日は当日に言われて無理やり連れて来られました。どうぞよろしく」
「そして もう一方は……午前の部 無失点! 獲得ポイント2点!! 即席出水隊の部隊長であり、太刀川隊の出水先輩です!」
「どうもー。なんか歩いてたら無理やり連れて来られましたー。出水公平でーす」
「お2人とも このように お話ししていますが、同意の上ですので ご安心下さい! それではまずは、午前の部の振り返りから!」
大画面に映し出される午前の部の振り返り映像を眺める。午前で勝ち残ったのは加古さんの部隊とおれの部隊。
だからだろう。普通ならば嵐山さんの部隊の映像を流して気を引くところを敢えて、おれと加古さんの部隊にスポットを当てて流している。決勝に進む2組にスポットを当てるのは当然といえるのだろうけれど、自分達の戦闘している光景を大画面で見るというのは、なんとも言えない気持ちにさせられる。1人で見る分には全然構わないのだけれど。
「午前の部で唯一 無失点の出水隊ですが、これから行われる午後の部の参加部隊の中に注目している部隊はありますか?」
「あー……やっぱ、太刀川さんのところですね。午後は午前よりヤバい部隊が揃ってんなーって印象だったけど、太刀川さんのところはインパクトで優勝」
「なるほど、それでは午後の部の開始前に参加者名簿を確認していきましょう!」
武富のひと言で大画面のスクリーンに映されていた午前の部のまとめ映像から参加者名簿へと画面が切り替わり、自ずと観戦席の隊員達の視線が午後の部 参加者の名前へと向いた。うえから太刀川隊、風間隊、東隊、生駒隊。正確に言うのならば、生駒隊というのは、恐らく小南の集めた部隊だから小南隊と示される筈なのだけれど、生駒隊になっているという事は部隊の隊服を どうしても生駒隊のものにしたかったからなのだろう。
宇佐美が このイベントは原則で部隊長の隊服の着用が義務づけられていると言っていたから間違いない。でも確かに、部隊長を隊員に譲渡してしまえば自分の部隊以外の隊服を着用できるとは思う。ルールの穴というやつだ。実行する部隊の方が少ないだろう。実際に小南のところしか そんなことはやっていないし、それに気がついた部隊も少ないだろう。
「まずは出水先輩の注目しているという太刀川隊!! メンバーは冬島隊の苗字先輩! そして……おっと? 確定枠の二宮隊長? どうなっているんだ!? この部隊!?」
「確定枠の二宮さんが太刀川さんの部隊に入るのって反則じゃないんすかね」
「それ言ったら加古隊も中々凄いけどな」
「あー、確かに。あそこは部隊として反則ですよ。そんで こっちは単体が反則。迅さんも確定蹴らなかったら戦えたのに」
「でも、計画通り10の部隊が用意されていたら 今よりも厳しかっただろうし 結果的に8部隊なのは良かったんじゃないか?」
「10も部隊あったら いい隊員は持っていかれますもんね。今回みたいに推薦取れなかったら後半キッツかったんだろうなー」
「欲しい戦闘員は取るか、取られるかだからな。まあでも 狙った隊員が全員取れない限り、このメンバーが揃う太刀川隊と加古隊には勝てる気がしないな」
「今回のイベントって各隊それぞれが滅茶苦茶インパクトあるのに、この部隊があることによってインパクトを食われてますよね」
実際に今回誰もが注意しておくべき東さんの部隊が、太刀川さんや加古さんの部隊のせいで霞んでしまう。ある意味では それそのものも狙いなのかもわからないけれど、狙いだとするのならば、怖すぎるーーーとはいえ、メンバー自体も注意すべきメンバーが揃っているというのに、何故こうも霞むのか。そもそも、東さんは推薦の時点で 最も欲しいオペレーターを推薦したのだ。注意しなくていいわけがない。けれど、戦術を練る上では、やはり攻撃力の高い部隊に一番の注意を向けて考えてしまう。
まあおれは単純だから、そういうおれらの考えた戦術の穴は宇佐美に埋めてもらっているのだけど。午前は そのおかげで確実に狙った点を取れたし、最短時間で緑川達との合流が可能だった。柚宇さんとかにも指示をもらったりしていて思ったりするのだけれど、やはり敏腕オペレーターがついているというのは、時として強い戦闘員がいるというよりも心強いものだ。
「午後の部は苗字先輩、当真先輩、東隊長のように目を惹く狙撃手が多く参加しているようですが、お2人は今回狙撃手の皆さんがどのように立ち回るとお考えですか?」
「この人達全員、変態狙撃を平気でやってくる変態狙撃手界の猛者だからなー。でもやっぱり、この面子的に自分の場所が割れるとヤバイから『待ち』じゃないすか?」
「あー……どうだろうね」
「うわ、ぜってー違う時の反応じゃん」
迅さんが こういう反応をするのだから違うのだとは思うけれど、メンバーだけ見るに そんなに頻繁に弾をぶっ放しているわけにもいかないだろう。通常の冬島隊のように冬島さんのアシストがあるのならば、当真さんも苗字も積極的に狙いを定めてガツガツといけるのだろうけれど、今回は冬島さんのアシストはない。場所が割れたら、近くにいる敵部隊の隊員に撃破されるなんてことも普通にあり得る。故に、ここは「待ち」をするのが正解だろう。
そうはいっても、全部隊の狙撃手が全員『待ち』の体制でいては確実に点数の取れない部隊が出てくるから、流石にただ待っているだけというわけにはいかないのだろう。それに多分。敵の裏をかくとかいう以上に、そういう事も全部考えた上で太刀川さん達は苗字にグラスホッパーを学ばせるという決断をしたのだろうから『待ち』ではないというのなら、それはそれで納得できる。
「では、開始前に もうひとつ。今回 東隊長は『河川敷A』を選んでいますが、これにはどういう狙いがあると思いますか?」
「これはまあ普通に合流を阻止したいんじゃないすかね。あとは単純に苗字封じとか」
「苗字先輩ですか?」
「苗字の射程は今までのデータを見るに 当真さんとか東さん程じゃないから、橋分断したら苗字のいないサイドの奴らは まあまず苗字の狙撃を気にしないで戦える……と思う」
「さて、どうかな〜〜」
「マジか、おれの予想 惨敗ですか?」
「どうかな〜〜」
これで全外しとか おれ滅茶苦茶恥ずかしくないですか? と迅さんに話しかけている間にも どうやら各部隊の転送が始まったらしい。
「全部隊転送完了! MAP『河川敷A』!!天候『暴風雨』です!!」
「前に那須隊がやった設定まんまじゃねーか。完全に合流と狙撃手封じっすね。これなら視界も悪いし、当真さんの方も簡単には撃たない。一石二鳥ってわけだ」
「でも逆に言えば、名前か当真に橋を打ち落とされたら 東隊もそう簡単には合流ができなくなりますねー」
「午後は うちでも狙撃手が鍵だって話していたんですけど、こんなハードな設定でくるとはって感じですね。東さんなら こんな設定にしなくても点獲っていきそうなのに」
「それだけ当真と名前に警戒しているって事なんじゃないか?」
「まー、A級で2位取れる2人ですもんね」
「そうそう」
各隊 隊員の転送位置は橋を挟んで右側に太刀川隊は苗字、二宮さん。風間隊は風間さん、時枝。東隊は黒江、荒船さん。生駒隊は犬飼さんと生駒さん。
そして、それ以外のその他の隊員は逆サイドに転送されている。
「全ての部隊が川によって完全に分断されています!! そして各隊、まずは合流を目指すーーー……かと思いきや!? どうした太刀川隊! 上空に向かって渾身の一撃です!! これは何か意味があるのでしょうか!?」
「これは ふつうに苗字への合図っぽいなー。あの2人がトリオンを態々無駄遣いをするとは思えないし」
「実際、苗字隊員は 間もなく狙撃位置に着くみたいですから タイミングは完璧ですね」
グラスホッパーは、まだ使っていないっぽい。早々に出してしまっては……というところか。いざというところで、切り札として出すのか。この後すぐにでも使ってくるのか。おれが苗字を率いている部隊ならば この天候だから『安全を期して、決勝で』という風にするだろうけれど太刀川さん達はどうだろうか。
午後の部で使わなければ、本当に決勝で加古隊達の裏をかくことだってできる。まあ勝ち上がらなければ どうしようもないが。
「おお、これは
迅さんが呟いた時には苗字は既に、それなりに高さのある建物の上でイーグレットを構えている。得意のアイビスではなく、イーグレットなのはトリオンを無駄に使わない為だろうか。それとも苗字のよく言っている『サイドエフェクトのデメリット』とやらが関係しているのだろうか。
そこら辺はわからないが、この視界の悪さで躊躇なく撃とうと決断できるのは流石にA級2位部隊の狙撃手というところか。苗字の銃口から飛び出した弾丸は、おれ達の見ているスクリーンで見ても馬鹿みたいな速度で他部隊の隊員に容赦なく向かって、複数名の隊員を撃ち抜いた。
「撃ったああ!! 苗字先輩の容赦ない一撃! これは影浦隊の北添隊員の行なっている技によく似ていますね」
「苗字隊員のレーダーサーチ訓練での実力は あの当真と奈良坂を抜いて1位ですから、今回は それを実戦で見せてくれたんでしょう。しかし、これだけ命中しているとなると 太刀川隊は既に圧倒的に有利な状況ですね」
「でもあれだけの弾が同じ場所から飛んできたとなると 苗字は確実に狙われますねー」
「二宮さん、太刀川さん。私は暫く隠れる方に徹したいんですが、私の撃ち落としそびれた橋を そちらで対処する事は可能ですか?」
『問題ない。橋は俺がいく』
『その間の食い止めは任せろ』
「助かります!! 三上先輩。此処から最短でいける良い
『それなら北にある高めの建物かな。道は複雑な上に少し遠回りになっちゃうけど、近くに敵部隊がいるから許してね』
「それは全然大丈夫です!」
取り敢えず、この建物からは避難しなければいけないな。あれだけの数の弾丸を飛ばしたのだから、いくらバッグワームを付けているとはいえ、今回参加しているような部隊のオペレーターならば、殆ど間違いのない正確な位置情報を隊員に送ってしまっているところだろう。特に、レーダーに移る敵部隊の数は2。1人でも逃げるのは難しいのに2人か。ここはとても危険そうだ。はやく移動するに越したことはない。
名前はサイドエフェクトを使用して建物から飛び降り、少し下にグラスホッパーを出し、足場を用意した後にサイドエフェクトを解除。そして、示された道筋に従って空中を上手く移動するーーーの筈だった。
「えっ……!?」
しかし、解除のタイミングを間違え、身体は下に向かって急降下する。馬鹿か、私は。苗字名前は目を細めて、今回の解説席に座っていると自分の中で有名な3人の隊員が今頃は改札席で大笑いしていることだろうと頭を抱えるが、実際にはそんなことは全くない。落下まで、後数十メートルの距離に観戦席も解説席にも緊張が走っている。もう一度サイドエフェクトを使用するには妨害要素が多すぎるし、かといって追手との距離を見る限り、着地までには間違いなく 名前のもとに敵部隊が辿り着いてしまうからだろう。しかし、この距離では自ら
それにしても、難しい……。この暴風雨の中で意識してグラスホッパーを空間に出し、飛ぶ方向と その為の体制を考えて踏む。普段からこれを平気な顔して行い、飛び回る緑川くんと遊真は やはり普通じゃなかったのだろう。今までは、こんなに便利なトリガーを何故セットしないのかと考えていたけれど、このトリガーは結構上級者向けだ。本来ならば、私のような初心者がグラスホッパーを使うなんて 奥寺くんの言う通り無謀だ。けれど……だからこそ、今回のこのマップ設定は 寧ろ有り難かったかもしれない。視界が悪いおかげで、簡単に撃たれるということはない。見つかる可能性自体は何も変わってはいないけれど。
「……見つけた、名前先輩」
「やっぱり、見つかっちゃったか」
本来であれば、狙撃手と攻撃手が鉢合わせるような事があれば即撃破。加えて、この場所には もうひとり近付いてきていることが確認できる。双葉ちゃんの足が止まったとなれば、標的は此処にいると考えるのが自然だから1分もしないうちに駆けつけるだろう。例えば、私が此処にいなかったとしても 隊員の撃破は上に上がるために必要不可欠。いるにしても、いないにしても、レーダーの情報上、一番近い双葉ちゃんのところに来る。そうしたら、狙撃手の私は2人にとって良い獲物だ。唯一。私を褒めてやれるところがあるとすれば、双葉ちゃんの左腕からトリオンが漏れているという点。先程の適当狙撃で少なくとも1人には当てる事が出来たという事だ。実戦では一度もやった事がなかったというのに当てられただなんて凄い。良くやった。……さて、そろそろ考えろ。フルガードしたところでシールドを削られて、そのうち追手が更にもう1人やってきて終わり。二宮さんを呼ぶにしても、向こうは向こうで 戦闘をしているだろう。私達のいる東側のフィールドには レーダーを見る限り、私を入れて7人が集まっている。まあ、橋はすでに落とされているだろうから、それ以上が来るということはないだろうけれど、これはやりようがないな。
苗字名前は、いつもの優しい表情とは打って変わって肉食獣のような鋭い視線を自分に向けてくる黒江双葉に軽く戦意喪失していた。どれだけ考えたところで、攻撃手である黒江双葉に空中戦で自身が勝てるシュミレーションが浮かばない。浮かぶのは、撃破される光景だけだ。黒江双葉が孤月を構えて地面を蹴った。名前は、その光景をどこか他人事のように ぼんやりと眺めていた。次のグラスホッパーを張ることもしないで、ただただ、彼女の動作を眺める。そして、まもなく孤月の刃が自分に届く。その時、苗字名前の脳裏に二宮匡貴という人間が思い浮かんだ。いつでも自分に『期待をしている』という言葉を送ってくれる、たったひとりの人。その刃が自分に届きうる直前、我にかえった名前はアイビスを形成した。その時の狙撃銃は、なにか重たい袋でも持っているかのように重かったと後に彼女は語ることになるのだが、もしかしたら、普段も このくらい重たいのかもしれない。名前が地面に固定しているから、気付く事が出来なかっただけで。名前は空中で回転をかけて、黒江の方に体を向け、アイビスの銃口を向けるーーーその時、苗字名前と黒江双葉の間に誰かが割り込み、黒江双葉の身体を思い切り蹴飛ばした。
「おー、あっぶねー。なるほど、緑川を探してたのはグラスホッパーのコソ練の為か。でも、あんまり新技披露に気を取られてると やられちゃうよ、苗字ちゃん」
ーーーー犬飼澄晴である。
彼の通常では、とても信じられない行動に苗字名前も腹にとんでもない一撃を受けた黒江双葉も。犬飼澄晴という男の登場に目を丸くする。
「い、犬飼先輩……? えっ、なんで?」
「こんな所でアイビス撃ったら 苗字ちゃんは自滅扱いでペナルティ。わかってる?」
「……どういうつもりですか? 先輩と
「どっちにしても この状況なら2人とも撃破するくせに言うね〜、黒江ちゃん」
程なくして、それが犬飼澄晴であると完全に理解した名前は、この状況を一生懸命整理してみるが、完璧な答えは出てこなかった。
その理由は、この状況で犬飼澄晴が黒江双葉だけを蹴り飛ばす理由がないからに他ならない。少なくとも、先程のまでの苗字名前の注意は完全に黒江双葉に向いていた。討ち取るには絶好のチャンスだった筈なのだ。それなのにも関わらず、自分ではなく、敢えて黒江双葉にだけ攻撃を与えた。これではまるで、黒江双葉の言葉通りが犬飼澄晴が本当に自分を守ったみたいではないか。でもそうだとしたら、そうする理由が解らない。
「勘違いしないでよ、苗字ちゃん。
「生駒隊長の、ですか?」
「あー……それでもいいや。この1点はあげるから、苗字ちゃんは援護よろしく」
「……犬飼先輩は、私が そのまま逃げるとは考えないんですか」
「おれが きみを助けたのは、こっちの隊長が指示したからだし、いま おれ達の間で交わされた会話も所詮は口約束。だから、もちろん逃げてもいいけど……まー、逃げたら
「せ、誠心誠意お手伝い頑張ります……」
「実際悪い条件じゃないでしょ。この1点は苗字ちゃんに あげるわけだし」
「私だって悪い条件じゃないのはわかってますけど、観戦席からの見栄えの悪さが問題なんですよ……」
「でもそれ おれには関係ないし。だからさあ、早く狙撃位置に向かってくれない? そのうち 荒船か東さんが加勢しにくる。どうせなら有利なうちに点を取りたいだろ」
「苗字、了解です」
「そういえば、きみグラスホッパー持ってたよね。丁度いいや、そこらへんに何枚か張っていってくれない?」
そろそろ 安全な所まで移動しただろうか。苗字ちゃんが動ける子なのは昔の経験から理解しているつもりだ。実際、時間が空いていたからという理由で行った 苗字ちゃんのところの体育祭を見る限り、その持ち前の運動能力を存分に活かし、大いに得点に貢献していた。
さて、こんな話はさておきとして。この天候、相手はA級。狭い場所で睨み合っている黒江ちゃんも意味なく おれにずっと攻撃してこないわけではないだろう。レーダーに映るのは6人。バッグワームを装備した苗字ちゃんを入れて、7人。おれが此処に来る途中に橋を落としたのは二宮さんだと生駒さんから連絡があったから二宮さんもこっち側。そうすると、太刀川さんの部隊で こっち側に転送されたのは苗字ちゃんと二宮さん。風間さんの部隊は生駒さんと二宮さんと戦っている時枝と風間さん。そして東さんの部隊は目の前の黒江ちゃんと多分 荒船だ。確かに、苗字ちゃんの攻撃は厄介だし、止めておきたいという意味で おれと同じ方向に向かってきた人達は かなり多かったけど、途中で おれと黒江ちゃんに限定された。恐らく生駒さんと二宮さんが風間さん達を足止めしたからだろう。そうなると、苗字ちゃんを仕留めて点を獲るよりも 東さんなら攻撃手のいる風間さん達の方を狙うだろう。けれど、生駒さんからは何も報告がない。だから多分、東さんは向こう側にいて、黒江ちゃんに荒船を寄越しているところだという事。幸いこっち側には現在苗字ちゃんと荒船しかフリーな隊員はいない為、広い範囲を移動したとしても レーダーに映らない限り 攻撃される心配はない。
「どうして、名前先輩を守ったんですか」
「うちの隊長の指示だよ」
「自分がアイビスで撃ち落とされる可能性は全く考えていないんですね」
「きみが おれでも考えないでしょ。それに、苗字ちゃんは頭が固いから そんな卑怯な真似はしない。きみも解っているだろ」
「あたしは名前先輩の話を聞く限り、先輩は名前先輩が嫌いなのかと思っていましたけど そういう訳でもないんですね」
おれのことを睨みつけるように見上げていた 黒江ちゃんが、ようやく孤月を構えた。つまり、荒船が狙撃位置についたか、まもなく辿り着くということだろう。これは少し余裕を与えすぎたかな。
まあ別に時間的にも急いでいないし、勝てる見込みがあるから お互いに狙撃手が位置に着くまで待ったのだけれど。
「なに言ってんのさ、黒江ちゃん。おれは苗字ちゃんの事、大好きだよ。今も昔も」
「本人には伝わっていないようですが?」
「伝えようとしてないだけだよ。何事にも必ず それを行うべきタイミングがあるだろ?」
中距離が得意なおれと 近距離の黒江ちゃん。近付かれたら 向こうが有利になるかもしれないけれど、距離があれば 向こうは苗字ちゃんのおかげで片腕がないし 間違いなく、おれが有利だ。それに最近狙撃手になったばかりの荒船と苗字ちゃんじゃあ どう転んでも苗字ちゃんの援護がある方が確実に攻撃は通るし やり易いはず。後は、この適当に張られたグラスホッパーを上手く使って 撹乱するしかないだろう。どうせ 黒江ちゃんの点は苗字ちゃんにあげる約束だし、向こうがチャンスだと思えば、この戦いは終わり。
そうしたら、おれは苗字ちゃんと銃撃戦になる荒船の場所を月見さんに割り出してもらって獲りにいく。これで、小南ちゃんも文句はないだろう。このメンバーでやりあっているのだから、1点獲れば十分健闘。ここの戦闘が終わったら、向こうのフォローに向かえばいい。1点取ってしまえば、後はもう獲らせなければ勝てる。
「……考え事ですか、余裕ですね」
「そりゃあ、こっちに分があるからね」
実際におれ達の頭上で荒船の弾の殆どは相殺されて、それ以外の弾は おれに傷を付けることなく着弾している。対して、苗字ちゃんのイーグレットから飛び出した弾丸は確実に黒江ちゃんの動きを制限している。まあそれでも おれの放つ弾は未だに黒江ちゃん本体を貫いてはいないのだから流石A級。流石加古さんにスカウトされただけあるって感じだけど、これで おれが負けたら洒落にならない。
「ーーー……荒船と黒江ちゃんは今回が初めての共同作業かもしれないけど、おれと苗字ちゃんは 数十回と共闘している。だから余計に負けられないんだよね。
黒江ちゃんからしてみれば、今 この瞬間は折角苗字ちゃんの弾を上手く交わして おれの目の前まで来て 得点を取れるチャンスだったーーーというのに、おれのなんてことないたった ひと言につられた黒江ちゃんは一瞬。少しだけ目を見開いて、孤月を振り下ろすタイミングが遅れた。読み通りの位置に振り下ろされた孤月をゆるりと交わして「ほら、隙だらけだ」と黒江ちゃんの胸元を押し、笑って後ろに思い切り飛んでやると、バランスを崩した黒江ちゃんの元には待ってましたと言わんばかりにイーグレットの弾丸の雨が容赦なく降りかかった。
個人的には
「怖いよね、苗字ちゃんは」
「!」
「あの恐ろしい程 速いアイビスを警戒するあまり、苗字ちゃんにばっかり気が向いて こっち側が隙だらけになる」
勢いのままに黒江ちゃんの足に向けて引き金を引けば、それは簡単に命中した。
そもそもこの距離での発砲に加えて、相手は苗字ちゃんの追加の弾丸を恐れてシールドは そっちに対策してあるから おれは防御を捨てた無防備な隊員に弾を打ち込めばいいだけだった。そりゃあ簡単に当たるのも当然だ。
「たった一度の攻撃で他の隊員から自分へと意識を向ける。だからこそ、1番に狙われる。けど、おれ的には1番怖いのはそこじゃないと思うんだよ。まあ、もう退場する きみに とってはどうでもいいか」
「逃さない……!!」
「おや? 残念。後ろのグラスホッパーに気付くのが ちょっと遅かったね」
犬飼澄晴は苗字名前が残していったグラスホッパーを踏んで、建物の上に移動して目を走らせてから、月見蓮と連絡を取り、荒船の位置情報を割出してもらい、その場所へと向かう。向かっている途中で花火が撃ち落とされたかのような けたたましい爆音がすぐそこで聞こえたから、恐らく 苗字ちゃんがアイビスで動けなくなった黒江ちゃんを討ち取ったのだろう。さて、これで太刀川さんの部隊は1点が確定したわけだ。そうなると、あそこはもう決勝進出は確定しそうだ。まあメンバーだけで、決勝進出どころかシード枠勝ち取れそうなインパクトがあるから、誰も あの部隊の決勝進出には文句もないだろう。
しかし、苗字ちゃんは……昔はよく一緒に防衛任務に(二宮隊と苗字ちゃんとで)行っていたから知っていたけれど、サイドエフェクトなんか使わなくても相当強い。もちろん、サイドエフェクトを使えば、あの一撃必殺で運が良くなければ当たらないと言われているようなアイビスを通常攻撃で使用できるのだからもっと恐ろしいけれど、そんな事よりも恐ろしいのは 苗字ちゃんのサイドエフェクトが……いや、それは今 考えるようなことでもないか。おれは さっさと荒船を討ち取って 生駒さんの加勢に行かなければならないのだ。そうしなければ、あっちの面子を見る限り うちが不利になる。
「それにしても、苗字ちゃん うちの隊服も結構似合ってたなー」