銃口に口づけはできるか
「……っ、兄を……晴臣を……、苗字晴臣を知りませんか!」
男が猿轡を解いてくれたあと、わたしの口から一番に飛び出したのはそれだった。
男は一瞬面食らって、けれどすぐに冷静になり「お前、この状況がわかってないのか」と呆れた。
状況。この番屋が火事になっていることだろうか、とひとつ瞬きをしたら、男は抱えていた黒い布の中に入っているものをちらつかせた。
銃だった。
そうか、軍人だったら銃を持っていて当然か、と納得するのと同時に、男の言う「状況」が、「いつでもお前を撃てる」ということであると気づく。
でも、わたしは質問を続けた。だって、兄のことはわたしにとって何よりも大事なのことなのだ。
「兄は第七師団に所属していて、奉天で亡くなりました。あなたも第七師団でしょう。だったら……っ」
「知らんな。それよりも俺の質問に答えろ。日泥の人間か」
男が銃に手をかけるのが見えた。
さすがにこれ以上は危ない。それに、誤解は解かなければ。
わたしは、「違います!」と声を荒げる。
「ただ家を出て旅を……。それで、この茨戸を通りがかったときに、馬吉っていう、日泥と敵対している男に捕まって。隙を見て逃げてきました」
「ああ。そういえば馬吉のやつが女に逃げられたとか、日泥が連れ去ったとか喚いていたな。お前がそうか……。しかし逃げた先で今度は日泥に捕まるとはなぁ」
男の口角がわずかに持ち上がった。……なんでちょっと楽しそうなんだろうか。馬鹿にされている、気がする。
わたしは小さく息を吐き、背中の後ろで縛られた両腕を持ち上げた。
「そんなことより、外してください……」
さっきよりも、煙の臭いが濃くなっている。
嘆願すると、彼は「ハッ」とあからさまに鼻で笑った。まるで、「どうして俺が見ず知らずの女を助けないといけないんだ」とでも言いたげだ。もしも体が自由に動くなら、その頬を引っ張叩いている。悔しい。
不意に、下の階から物音がした。
同時に、男の大きな手がわたしの口元を押さえ込む。
「んぐ……っ!?」
「喋るな」
「おっ母、どこ行った? ……おっ母!」
途切れ途切れに、下から声が聞こえてくる。
男は(よく聞こえん)というように舌打ちをして、それから、わたしの両手足の縄を軍刀で切った。ほっとするのも束の間、彼はわたしの体を引き摺るようにして階段の近く、柵の傍まで歩み寄る。あいかわらず口元は押さえこまれたままだった。
「動いても喋っても殺す」
男の囁きに、わたしは必死になってこくこくと頷く。男の目は深淵のように真っ暗で、このひとならきっと躊躇うことなく本当にするだろう、という予感があった。
キィ、と扉が開閉する音が聞こえてくる。どうやら一階の押し入れの奥に隠し扉があったらしい。おっ母――わたしを縛った女親分が、そこから木箱を手に戻ってきた。
「もう刺青なんて捨てちまえよ!」
親分の息子が今にも泣きそうな声で放った言葉に、わたしは目を見開く。
刺青は、あの木箱の中にあるのか。どうしよう、どうにかして回収をしたい。けど、今動いたら……。
すぐ傍の男をちらりと見上げる。男は口元にうっすら笑みを浮かべていた。これから獲物を狩る動物のようだ、とも思った。
それと同時に、ある考えが過る。
(まさか、もしかして、この男も刺青を探して――)
「あんた、実の父親にそっくりだよ。野心の欠片もない。あんたの父親は今もどこかでモッコでも背負ってるんだろうよ……う゛ぅ゛ッ!?」
息子を責めるような親分の声が鈍い呻きに変わって、直後、途切れた。
番屋には、ガチャン、グチャ、グチャ、という肉を潰すような不気味な音が響いている。
覗くことは、できなかった。
「お、親父……、もう、十分だろ……」
震えた息子の声が、下で何が起きているかを証明していたから。
詳しい事情なんて知る由もないけれど、あの息子は親分とどこかの男との間にできた子で、親分の旦那が逆上して、殴り殺してて。
なにこれ、なにこれ、なにこれ。
怖い。震えが止まらない。
なんで隣の男はこんなに平気そうなの。目の前で人が殺されてるのに、こんな、感情のない瞳ができるの。
わたしはたまらず目をぎゅっと閉じた。
「誰が親父だこの野郎……」
湿った恨みをもつ声がした。
息子の父親、親分の旦那のものだった。
「ずぅっと俺を騙しやがって……。てめえの頭もこまざらいで砕いてニシンカスに混ぜて出荷してやろうか。……どおりで使えねえ野郎だぜ。血が繋がってないと分かってホッとしたわ」
「……っ、うるせえ! 今に見てろ! おれは自分の力で、一から成りあがってやる! こんなチンケな番屋より、もっともっとでっかい御殿を立てるんだ! 金に困ったらおれのとこに来い! モッコ背負いをやらせてやるぜぇ!」
息子が泣きながら啖呵を切る。
その直後。
バァン! とすぐ傍で銃声が鳴って、わたしは目を見開いた。
すぐ隣にいた男が立ち上がり、階段で銃を構えていた。銃口から小さく煙があがっていて、硝煙の匂いが漂ってくる。
「親殺しってのは、巣立ちのための通過儀礼だぜ」
あの黒い目で息子を見下ろしながら男は言って、
「てめえみたいな意気地のない奴が、一番むかつくんだ」
と、思いのほか怒気をはらんだ声で続けた。
その姿を、わたしはただ、見つめることしかできない――。
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