07
愛をこめて、叛旗を
程なくしてアイスを食べ終えた衣更くんは、頭が仕事モードになったのか、アイドルの打ち合わせのような内容を始めた。『Trickstar』が『S1』で披露する曲目と、その曲順について。それから、真くんのこと。
遊木真くん。金髪翠瞳で柔らかな印象をもつ美青年で、青い眼鏡がチャームポイント。『Trickstar』のムードメーカである明星スバルくんと共にひょうきんな立ち振る舞いをすることが多く、いつも明るく微笑んでいる。けれどその裏に、触るのも躊躇われるほどの血の滲む傷跡があること。それ故に自己評価が低いことを、衣更くんは心配している。
彼の話を聞きながら、わたしはそっと瞼を伏せた。
遊木くんの傷跡を、彼の過去を、わたしはほんの少しだけ知っている――少なくとも、あんずちゃんよりは。伝えるべき、なのだろうか。
一瞬そんな思考が頭を過ったけれど、わたしはすぐに考え直す。心のうちにある傷を語る権利はきっと、その傷を持つ本人にしかない。事実、衣更くんも、遊木くんの過去について深くは言及しなかったし、あんずちゃんも同じだった。
そうしてひと休憩の後、衣更くんはダンスのレッスンを開始する。あんずちゃんは彼の邪魔にならないよう隅で裁縫を始めたので、わたしもそれを手伝うことにした。
洋裁店を営む兄に扱き使われることもあるため、ひとよりは得意――と自信を持って言うことができればよかったのだが、わたしは兄と真反対でとにかく不器用だった。兄を知る人物から幾度となく訝しげな顔をされたし、「器用さは全部兄に吸い取られたんだろうな」とは、悔しいがその通りである。あと、身長と顔の良さも。
自然と拗ねたような表情になっていることに自分で気づき、頭を振って気合を入れ直す。大切なアイドルたちの衣装である。気持ちを込めて触れなければ。
わたしとあんずちゃんは並んで、辿々しく針を動かし続けた。
それから、どのくらい時間が経っただろうか。突然扉が大きく音を立てたかと思うと、倒れ込むようにして遊木くんが現れた。
「……あれっ。みんな、まだいたの?そろそろ日付が変わりそうな時間だよ〜?」
そう問いかけられるが、それはこちらの台詞でもある。同じことを思ったらしい衣更くんが、ぴたりとダンスを止めると「おまえも、まだ帰んないの?」と尋ねた。
そして、彼が答えるよりも早く、次の言葉を投げかける。
「ていうか、どこをほっつき歩いてたんだよ。帰るなら帰るで連絡、どっか行くなら報告、そのくらい常識だろ?あんま心配させんなよ?」
どうやら何の言伝もないまま、遊木くんは姿を消していたらしい。諭す衣更くんは、まるで引率の先生のようだった。
「いやぁ、ランニングしてたらちょっと面倒なひとに絡まれちゃってさ。どうにか張り切って、逃げてきたんだよ。あぁ、生きた心地がしなかった!」
たしかに、彼は汗だくになっている。一体どのくらい走ったのだろう――、衣更くんとあんずちゃんが二人同時に動き、彼をタオルでむぎゅむぎゅと拭う様を見ながら、わたしは妙な言い回しに眉を寄せる。
(ちょっと面倒なひと……?)
教師、ではないだろう。わたしを含めて今日の彼らの居残りは、学院側にも認められている。ということは、個人的に遊木くんを追いかけてるだれか。「嫌な予感がするんじゃよ」そう告げた零さんのことを思い出す。彼の勘はもしかしたら、杞憂ではなくて――。
「……さん、名前さん」
「うわっ!?ご、ごめん、ぼうっとしてた。なあに?」
衣更くんの呼びかけに、慌てて体の向きを変える。
申し訳なさそうに眉を寄せた彼が、「遅くまで付き合わせてすみません」と謝罪した後、「俺、一旦家に戻ります。あんずも帰るし……名前さんもそろそろ帰りますよね?家の方向、一緒かな……」
考えるように顎に手を当てた彼に、わたしは両手をぶんぶんと振った。
「わたしも帰るけど、見送りなんていいよ。ふたりであんずちゃん送ってあげて」
そう告げるが、
「いけません!」
「ウワッ!?」
三人分の声で強く否定され、さすがにたじろいだ。
「こんな夜遅くに女性ひとりを歩かせるなんてできません」
「そうですよ、しかも俺たちのレッスンに付き合って遅くなってんのに」
「ええ……」
彼らの言葉に、あんずちゃんも大きく頷いている。
そうは言っても、どちらかがわたしを送ることになるんだろう。あんずちゃんと引き離されることになった方に申し訳ない。
少し考えた後、わたしはジャージのポケットからスマートフォンを取り出し、「じゃあわたしは、お兄ちゃんに迎えにきてもらうよ。それなら大丈夫でしょ?」
「それは、まあ……?でも、お兄さん起きてますか?」
「たぶん。今日は家に行くって言ってたし、まだ待っててくれてると思う……」
言いながらメッセージを送ると、すぐに既読がつき、男が使うには随分かわいらしいスタンプで『了解』と送られてくる。
大丈夫みたい、とトーク画面をみせると、衣更くんはなぜかくつりと笑った。不思議そうに彼を見るわたしたちに、「す、すみません!」と謝罪した後、彼は画面のスタンプを指しながら言う。
「これ、最近人気のゆるキャラですよね。バスケ部の後輩も使ってたな〜と思って」
「ああ、兄さんこういうの好きなんだよね。たまに部屋で変な服着てる……ほら、これとか。自撮りで送られてくるんだよう」
勘弁してほしい、というように肩をすくめ、過去に兄から送られた画像をみせる。シャツの真ん中にでかでかとゆるキャラがプリントされた、なんというか、独特なセンスの服である。かわいいはかわいいけれど、万が一これを彼氏がデートに来てくるのだとしたら少し離れて歩きたい。今のところ、兄がこの格好で外を彷徨いているところは見たことがないのだけれど。
くだらない話をしつつも、テキパキと荷物をまとめていく。最終的に、衣更くんはあんずちゃんを送り、遊木くんはここで留守番。わたしは、校門前まで兄に迎えにきてくれるという話でまとまった。
あんずちゃんは衣装づくりの材料も持ち帰るらしい。鞄に詰め込む作業は少しかかりそうで、その隙にお手洗いに行くことにした。
廊下の照明はもう落とされていて真っ暗だ。頼りになるのは窓の隙間から差し込む月光だけ。夜の学校は不気味でもあるし、気分を高揚させるものでもあった。本当は、もう少し残っていてもいい。零さんの『嫌な予感』、そして先ほど遊木くんが言ってた『面倒なひと』のことが少し気がかりではあるし――ただ、あんずちゃんが残らないというのに、わたしが残るわけにはいかなかった。