06
決戦前夜
『Trickstar』が全員集合しての特訓は、苛烈を極めた。
当然である。残りあと一週間で、今の夢ノ咲学院を支配する生徒会の最大戦力――『紅月』に勝利しなくてはならないのだから。対等に戦える程度では無意味。まして敗北など、すべてが徒労に終わってしまう。死に物狂いになるしかない。
そして何より、チャンスはこの一度きりだった。『紅月』が彼らを脅威に思っていない――多少警戒していたとしても油断してくれているだろう、最初の一回だけが、勝機。
わたしも、できうる限りのサポートに努めた。彼らより丸一年、この学院でアイドルと関わりながら過ごしてきたこともあり、学院のシステムや人間関係ついては詳しかった。生徒会や『紅月』の現状をこっそり調べ上げることだって、お茶の子さいさい――とまではいかなくとも、それなりにできるものだった。レッスン室を借りるための軍資金を提供することもした。彼らは最初こそ遠慮をしていたものの、零さんの口添えもあり、「絶対に無駄にはしない」という強い意思で受け取ってくれている。
衣更くんとあんずちゃんは、わたしと顔を合わせた翌日、零さんに頼まれた通りにわたしの存在を他の『Trickstar』のメンバーに伝えていたようだった。そのおかげか、数日後の作戦会議で現れたわたしを彼らはすんなりと受け入れてくれ、おかげでそれなりに良好な関係を築けている。
そんなふうに目まぐるしく日々が過ぎていくある日、昼休みに零さんから呼び出しを受けたわたしは、不思議なお願いをされた。
「『Trickstar』の面々が、泊まりがけでレッスンをするらしいんじゃが、どうにも嫌な予感がするんじゃよ。嬢ちゃんもなるべく残ってくれんかや」
額を抑えながら眉を寄せた彼を見て、わたしは首を傾げる。
「嫌な予感って、なに?」
「何か分かったらこんな曖昧な言い方はせんわい」
それもそうか、と納得しつつ、わたしは頭を捻る。
なるべく、というのが何時頃を指すのか分からないが、こうしてわざわざお願いをしてくるということは完全下校も過ぎた時刻になるに違いない。あまり遅くなってしまっては、両親から連絡がきてしまうし、こんなふうにアイドルたちと関わってることがバレたらきっと怒られるし……となったら、方法はひとつ。
わたしはポケットからスマートフォンを取り出し、お兄ちゃんへと電話をかけてみる。ちょうど彼も昼休憩中だったのか、わずか二コールほどで応答してくれた。
ちょっと用事ができて帰るのが遅くなりそうだから、お兄ちゃんの家に寄ってることにしてほしい。というか泊まらせてもらうかも。
わたしのお願いに、兄は『いいけど』と即答しつつも、『理由聞かれたらどうすんの? というか絶対聞かれるだろ』
「それはほら、お兄さま……」
『こんな時だけそんな呼び方しやがって……。ったく、じゃあ俺の衣装づくり手伝うとか、新作衣装着るとかってことにしろ。俺からも母さんたちに言っとくし……。それでいいか?』
「うん!」
ありがとう、とお礼を言って通話を切って。
残れそうだと零さんに向き直ると、彼は口元を緩めて「うむ、助かるわい」と頷いた。「春希くんにも、感謝しないとのう……」ぽつりと零された言葉は、どこか懐かしむような色をしている。わたしの兄はかつて学院の演劇科に所属していて、零さんと知り合いだった。けっこう仲がよかったって聞いている。……昔のことでも、思い出しているんだろうか。
・
正攻法だったのか、それとも規則の抜け道を搔い潜ったのか――、とにかく、零さんが手続きをしてくれたおかげで、わたしは完全下校のチャイムが鳴り終わった後も堂々と居残ることができていた。
あんずちゃんと一緒に防音練習室の掃除をしながら、わたしは今日何度目になるか分からない疑問に頭を捻る。
(結局、零さんの『嫌な予感』ってなんだったんだろ……? もう深夜になっちゃうよ。さすがに帰らなきゃまずい気がするし……、もしこのまま泊まりになるようならお兄ちゃんにもっかい連絡しなきゃいけないし)
わたしの「お兄ちゃんの家に寄る。もしかしたら泊まるかも」という話に怒りを押し殺したような声で「分かった」と頷いた両親のことはこの際いいとして、共犯者になってくれた兄のことは気がかりだった。
現状、兄は自宅でわたしの帰りを待っているはず。明日も朝から仕事があるお兄ちゃんに無理はさせられないから、そろそろ家に行くか学校に泊まるかの連絡をいれないと……。
なんて考え事をしていたら、すっかり手元がおろそかになってしまっていた。
せっせと床の雑巾がけをするあんずちゃんを見てハッとし、わたしは自分の両頬をばちんと叩く。いけない、今はとにかく目の前のことに集中しなきゃ。
突然の奇行に驚いたのか、あんずちゃんが肩を跳ねてこちらを見た。
「ごめん、ごめん。気合いれただけだから気にしないで……♪」
にこりと告げれば、あんずちゃんも嬉しそうに口元を緩める。
零さんの指示で少し一緒にいさせてもらうけど、邪魔じゃない? そんな風に尋ねた時、「心強いです」と目を輝かせた彼女を思い出す。やさしくて、素直で、つよいこだ。今だって、『プロデューサー』というよりは家政婦のようなことばかりをしているけれど、嫌な顔ひとつしない。
こちらをじっと見つめていたあんずちゃんが、不意に尋ねた。
――名前さんはどうして、私たちの肩を持ってくれるんですか。
そう言われて初めて、わたしは彼女たちに「味方である」こと以外の説明をひとつもしていなかったことを思い出す。
わたしは小さく唸った。その理由を伝えるためには、わたしの過去の話をすることになる。とても悲しくて辛い今に繋がる、むかしばなし。必ずしも隠し通したいわけじゃない。けれど、その全て――たとえば、どうして零さんと旧知の仲なのかを含めて――を話すにはあまりにも、時間が足りないと思った。
ただひとつ、言えることがあるとするならば。
「今の夢ノ咲の制度になるのと同時に、大切なともだちを失ったから」
あんずちゃんは、つぶらな瞳をさらに丸くして、わたしを見た。
――アイドル、ですか。
――そう、アイドル。誰よりもきらきらしていて、誰よりもやさしい男の子だった。
彼女は納得したように頷くと、唇を一文字に結び、まっすぐに言った。
――絶対に、勝ちます。
その言葉を受けて、わたしは笑う。
「うん、ありがとう。さ、続きも頑張ろっか!」
それから二人で、徹底して床磨きをした。あんずちゃんは控えめな性格ではあったけれど、こちらの問いかけには快く答えてくれるし、話にも乗ってくれる。それは教師の愚痴もどきであったり、学院の会談話であったり、駅前にできた新しいカフェの話であったり――。
そうやって二人してころころと笑いながら掃除をしていたからか、わたしたちは背後から流れた鼻歌にも気づきはしなかった。
「おろっ? 転校生、まだ帰ってなかったのかよ。もう真夜中だぞ? それに、名前さんも。時間大丈夫なんですか?」
そう声をかけられてようやく、わたしたちは扉を開けた衣更くんの存在に気づく。片手にコンビニの袋をぶら下げた彼は、わたしたちが居残りをしていると思っていなかったらしく、ギョッとしていた。彼の表情に怒りや文句はみられず、純粋に驚いただけらしい。というかむしろ、どこか嬉しそうな様子さえある。
衣更くんはこちらに近寄ると、手にしていた袋の中からアイスを差し出した。「食うか?」と問われ、あんずちゃんが丁重に遠慮する。わたしも同じように断った。袋の中にアイスはひとつしかないようだし、彼が自分のために買ってきたものを貰ってしまうのは気が引ける。
衣更くんはアイスを自分の手に戻すと、器用に包装を剥いでぱくついた。防音練習室は構造上、熱がこもる。……すこし、うらやましい。
衣更くんは、今からもう少し練習をするらしかった。一週間くらいサボってしまった分を少しでも取り戻したいと、そしてやるからには勝ちたいと、覚悟を決めた表情で語っている。
それから程なくしてアイスを食べ終えた衣更くんは、頭が仕事モードになったのか、アイドルの打ち合わせのような内容を始めた。『Trickstar』が『S1』で披露する曲目と、その曲順について。それから、真くんのこと。
遊木真くん。金髪翠瞳で柔らかな印象をもつ美青年で、青い眼鏡がチャームポイント。『Trickstar』のムードメーカである明星スバルくんと共にひょうきんな立ち振る舞いをすることが多く、いつも明るく微笑んでいる。けれどその裏に、触るのも躊躇われるほどの血の滲む傷跡があること。それ故に自己評価が低いことを、衣更くんは心配している。
ひと休憩の後、衣更くんはダンスのレッスンを開始する。あんずちゃんは彼の邪魔にならないよう隅で裁縫を始めたので、わたしもそれを手伝うことにした。
洋裁店を営む兄に扱き使われることもあるため、ひとよりは得意――と自信を持って言うことができればよかったのだけれど、わたしは兄と真反対でとにかく不器用だった。兄を知る人物から幾度となく訝しげな顔をされたし、「器用さは全部兄に吸い取られたんだろうな」とは、悔しいがその通りである。……あと、身長と顔の良さも。
自然と拗ねたような表情になっていることに自分で気づき、頭を振って気合を入れ直す。大切なアイドルたちの衣装である。気持ちを込めて触れなければ。
わたしとあんずちゃんは並んで、辿々しく針を動かし続けた。
それから、どのくらい時間が経っただろうか。突然扉が大きく音を立てたかと思うと、倒れ込むようにして遊木くんが現れた。
「……あれっ。みんな、まだいたの?そろそろ日付が変わりそうな時間だよ〜?」
そう問いかけられるが、それはこちらの台詞でもある。同じことを思ったらしい衣更くんが、ぴたりとダンスを止めると「おまえも、まだ帰んないの?」と尋ねた。
そして、彼が答えるよりも早く、次の言葉を投げかける。
「ていうか、どこをほっつき歩いてたんだよ。帰るなら帰るで連絡、どっか行くなら報告、そのくらい常識だろ?あんま心配させんなよ?」
どうやら何の言伝もないまま、遊木くんは姿を消していたらしい。諭す衣更くんは、まるで引率の先生のようだった。
「いやぁ、ランニングしてたらちょっと面倒なひとに絡まれちゃってさ。どうにか張り切って、逃げてきたんだよ。あぁ、生きた心地がしなかった!」
たしかに、彼は汗だくになっている。一体どのくらい走ったのだろう――、衣更くんとあんずちゃんが二人同時に動き、彼をタオルでむぎゅむぎゅと拭う様を見ながら、わたしは妙な言い回しに眉を寄せる。
(ちょっと面倒なひと……?)
教師、ではないだろう。わたしを含めて今日の彼らの居残りは、学院側にも認められている。ということは、個人的に遊木くんを追いかけてるだれか。「嫌な予感がするんじゃよ」そう告げた零さんのことを思い出す。彼の勘はもしかしたら、杞憂ではなくて――。
「……さん、名前さん」
「うわっ!?ご、ごめん、ぼうっとしてた。なあに?」
衣更くんの呼びかけに、慌てて体の向きを変える。
申し訳なさそうに眉を寄せた彼が、「遅くまで付き合わせてすみません」と謝罪した後、「俺、一旦家に戻ります。あんずも帰るし……名前さんもそろそろ帰りますよね?家の方向、一緒かな……」
考えるように顎に手を当てた彼に、わたしは両手をぶんぶんと振った。
「わたしも帰るけど、見送りなんていいよ。ふたりであんずちゃん送ってあげて」
そう告げるが、
「いけません!」
「ウワッ!?」
三人分の声で強く否定され、さすがにたじろいだ。
「こんな夜遅くに女性ひとりを歩かせるなんてできません」
「そうですよ、しかも俺たちのレッスンに付き合って遅くなってんのに」
「ええ……」
彼らの言葉に、あんずちゃんも大きく頷いている。
そうは言っても、どちらかがわたしを送ることになるんだろう。あんずちゃんと引き離されることになった方に申し訳ない。
少し考えた後、わたしはジャージのポケットからスマートフォンを取り出し、「じゃあわたしは、お兄ちゃんに迎えにきてもらうよ。それなら大丈夫でしょ?」
「それは、まあ……?でも、お兄さん起きてますか?」
「たぶん。今日は家に行くって言ってたし、まだ待っててくれてると思う……」
言いながらメッセージを送ると、すぐに既読がつき、男が使うには随分かわいらしいスタンプで『了解』と送られてくる。
大丈夫みたい、とトーク画面をみせると、衣更くんはなぜかくつりと笑った。不思議そうに彼を見るわたしたちに、「す、すみません!」と謝罪した後、彼は画面のスタンプを指しながら言う。
「これ、最近人気のゆるキャラですよね。バスケ部の後輩も使ってたな〜と思って」
「ああ、兄さんこういうの好きなんだよね。たまに部屋で変な服着てる……ほら、これとか。自撮りで送られてくるんだよう」
勘弁してほしい、というように肩をすくめ、過去に兄から送られた画像をみせる。シャツの真ん中にでかでかとゆるキャラがプリントされた、なんというか、独特なセンスの服である。かわいいはかわいいけれど、万が一これを彼氏がデートに来てくるのだとしたら少し離れて歩きたい。今のところ、兄がこの格好で外を彷徨いているところは見たことがないのだけれど。
くだらない話をしつつも、テキパキと荷物をまとめていく。最終的に、衣更くんはあんずちゃんを送り、遊木くんはここで留守番。わたしは、校門前まで兄に迎えにきてくれるという話でまとまった。
あんずちゃんは衣装づくりの材料も持ち帰るらしい。鞄に詰め込む作業は少しかかりそうで、その隙にお手洗いに行くことにした。
廊下の照明はもう落とされていて真っ暗だ。頼りになるのは窓の隙間から差し込む月光だけ。夜の学校は不気味でもあるし、気分を高揚させるものでもあった。本当は、もう少し残っていてもいい。零さんの『嫌な予感』、そして先ほど遊木くんが言ってた『面倒なひと』のことが少し気がかりではあるし――ただ、あんずちゃんが残らないというのに、わたしが残るわけにはいかなかった。