02
花束のクルスを抱えて
四月、某日。
春の香りが漂う街中を、荷物を抱えて歩いていると、トンと肩に何かが触れる感触があった。「すみません!」と反射的に謝罪し、両手で抱きかかえていた荷物を落とさない程度にずらす。そして、改めて相手を確認したところで、わたしは思い切り顔をしかめた。
「げ」
「おいこら、それが謝罪が必要な相手にする態度か」
わたし以上に眉間に皺を寄せた男の、眼鏡から覗く瞳が厳しく細まる。
「もーしわけございません」
「ふん」
形だけの謝罪に、彼は小さく鼻を鳴らした。深い緑の髪が、春風に誘われるように揺れる。
蓮巳敬人。伝統芸能を重んじる、学院No.2のアイドルユニット『紅月』のリーダーで、生徒会の副会長。現在は長期入院をしている生徒会長に代わり、学院の運営を仕切っている人物でもある。
「苗字、こんなところで何をしている」
「見て分かってよ、【フラワーフェス】の手伝い。兄さんからの指令」
同学年で旧知の仲でもある彼が気兼ねなく尋ねたことに対し、わたしはつい、煽るような態度で返してしまった。
生徒会副会長という立場もあるからだろうが、この蓮巳敬人という男は規律を重んじるが故に頭が固いところがある。割と勢いで無茶なこともするわたしとは反りが合わないことが多く、これまでに何度も小言を言われ、その度にお互いの揚げ足取りをするような些細な口論に発展していた。つまり、あれだ。体に染みついた反応……ということで、見逃してもらいたい。
「貴様の兄の店は、商店街の方じゃなかったか?」
「そうだけど、毎年この日は繁華街に出張店舗だしてるの。あのほら、屋台みたいな感じで。【フラワーフェス】、繁華街の方が盛り上がるから」
「ああ、なるほどな」
先程から会話に出てくる【フラワーフェス】というのは、夢ノ咲学院の近くで年に一度開かれる花祭り、地域イベントのひとつである。正式名称、フラワーフェスティバル。前述の通り繁華街を中心に賑わいをみせるため、普段は商店街で服屋を経営している兄も、この日だけは繁華街に出張店舗を設立し販売と宣伝を行っている。わたしはちょうど、その出張店舗へ品物を運ぶといった雑用をさせられている最中だった。最初は断ろうとしていたけれど、「俺が留守の店をひとりで回すか雑用か選べ」と言われてしまえば、選択肢など有って無いようなもので。ちなみに普段の店舗は、正社員とアルバイトの方達が回してくれている。
「というか蓮巳。か弱い乙女が懸命に運んでんだから、手伝う素ぶりくらい見せたらどうなの」
「誰が
頭のてっぺんから爪先まで不躾に目線を遣った彼が、眉を寄せて罵倒した。わたしはあからさまに不満げな表情をつくる。模範的な生徒ではないし彼の言う問題児という肩書にも納得しているが、同学年の男に呆れながら告げられると、なんというか、癇に障る。
「最近は大人しくしてるし」
「どうだか、上手く教師や生徒会を躱しているだけじゃないのか。俺は貴様のことは全く信用していないぞ」
「わ、ひどい。度し難い」
「こちらの台詞だ、それと下手くそな真似はやめろ」
「う〜ん、やっぱり日々樹のようにはいかないかぁ」
中身のないくだらない会話に、蓮巳は文句を挟みつつも付き合っている。珍しいこともあるものだと感心していると、不意に彼は大きく溜息を吐く。そして、トレードマークでもある銀縁の眼鏡を慣れた手つきで持ち上げると、
「……苗字。貴様、何か企んではいないだろうな」
萌黄色の瞳が鋭く細められており、冗談が通じないことを感じ取る。これはきっと、知人としての問いかけではない。生徒会副会長の立場から、異分子の可能性がある者への、尋問ともいえる問いかけだ。
「企むって、なんのこと」
間髪入れず、そう答えた。
眼鏡の奥の瞳が、こちらの真意を探っている。小首を傾げつつも視線は逸らさずにいて、どれだけの時間が経ったか。瞬きをひとつした蓮巳が先に目線を逸らし、「転校生が」と、ぽつりと零した。彼にしては珍しい歯切れの悪さだった。
「なにやら、こそこそ嗅ぎまわっているという噂を聞いたんだが」
先日、わたしに革命を語った零さんの挑発的な顔が浮かぶ。『生徒会に吠え面をかかせてやるんじゃ!』高らかな宣言が、脳内を反響する。それを決して表に出さないように、わたしは当たり障りのない返事だけをした。
「あの新しい学科……プロデュース科だっけ。うまくいってるの?」
「知らん」
「うわ即答。普通科の方はみんな興味津々ですごい話題だよ。転科するとか叫んでる子もいるくらい」
「ああ、確かにここ数日、職員室がごたついていたな」
でしょ、とわたしは肩を竦めて笑った。
新学期が始まってすぐ、唐突に設立されたプロデュース科。アイドル科の生徒たちをサポートするためのその学科は、まだ体制が整い切っていないらしく、彼らと同じ教室で同じ授業を受けているということは普通科にも瞬く間に広まった。普通科にはアイドルの熱狂的なファンも少なくない。彼女たちの一部は暴徒化し、すさまじい勢いで職員室へ詰め寄ると、「今すぐ転科したい」「来年からどういった体制になるのか」と矢継ぎ早に投げかけていたという。
「結局、転科希望は一切受け付けないみたいだね」
「賢明な判断だろう。最も、あの騒動がなければどうなっていたか分からないがな。聞くところによると、詰めかけたのは三年生が一番多かったとか。何をしているんだ、最上級生は」
「あは。まあ、三年生には来年がないからさ」
心底「理解できない」という表情の蓮巳に苦笑する。
来年以降、体制が整ったプロデュース科がどういったかたちで授業を受けるのかは分からない。そもそもこの試み事態が失敗に終わって学科が無くなる可能性だってある。それでも、一、二年生には来年という希望があるのに対し、三年生には何もない。それなら多少の問題を起こそうが今年度中に行動を、という気持ちは、正直分からなくもなかった。最もそれを長々と語り、彼女たちを庇うつもりはないけれど。
相変わらず眉を寄せたままの蓮巳が、この話は終わりだ、と言わんばかりに「とにかく」と息を吐いた。
「貴様が何も知らない、企んでないというのならそれでいい。今後も余計なことはしてくれるなよ。基本的には俺たちは同胞だ。この、夢ノ咲という学院のな。……最も、貴様がどう思っているかは知らんが」
「やだな、もちろんわたしもそう思ってるよ」
「嘘くさいな。いやまあ、嘘でも構わん。正面切って生徒会室に逆らわない限りは、やり合うこともないだろう。但し、貴様が俺たちを敵と称し戦うつもりなら……、遠慮なく潰させてもらう」
「……そんな怖い顔しなくても。今更、生徒会長さまたちに反逆する気力なんてないよ」
「……どうだかな」
微かに笑みを称えた彼の唇に、寂しさの影が見え隠れしていた。
お見舞いの際に渡す花を探しているという彼に、おすすめの花屋をふたつほど提示した。まあ、【フラワーフェス】のために移動販売も行なっているようだし、心配せずとも病院に着く前には何かしら見つかるでしょ。そう告げたわたしに、「相変わらず雑な性格だ」と苦笑して、ついに彼は背を向けた。
夢ノ咲のNo.2まで上り詰めた彼の背中は、昨年と比べ物にならない程広く、堂々としている。戦場を駆け抜けた背中だ。昔とはずいぶん変わったと目を細めて、変わったのはわたしもか、とふと思った。かつてのわたしだったら、蓮巳の鋭い眼光に怯むしかなかっただろうし、あんな風に何かを誤魔化しながらあっけからんと話すこともできなかった。お互い、強くなったんだと思う。
過ぎ去った日々の感傷に浸っていると、ポケットのスマートフォンが鳴り始め、わたしの意識は現実に引き戻される。
――やばい。
誰からの着信かなど、確認せずとも分かった。兄からだ。通話にでるまでもなく、「遅い!」の怒号が脳内にこだます。「あと三分、三分だけ……!」届きもしないのにそんなことを告げ、抱えた荷物をきつく抱きしめる。大急ぎで駆け抜けた小道は、春の匂いが漂っていた。
・
――それから。
兄にこき使われている内に、時刻は正午を回り、束の間の昼休憩の後、わたしは【フラワーフェス】のライブ会場まで移動する。
春らしく明るい花の飾られたアプローチを潜れば、あちらこちらで人の笑い声が咲いている。客入りは上々、人々の熱気を肌で感じられるほどだ。
動画が撮れる位置、けれども舞台に近すぎないベストポジション(蓮巳をはじめとした舞台に出る学院の生徒たちにはあまり見つかりたくないから)を探している内に、一際大きな歓声が辺りを包んだ。
舞台に目を遣ると、普段の和装ではなく白いかっちりとした衣装に身を包んだ『紅月』が一礼をしている姿が映った。見慣れない姿ではあるけれど、不思議と様になっている。
パンジー、ゼラニウム、マリーゴールド……百花繚乱の花々の前で、『紅月』が大きく旗を振ると、音楽が流れ始めた。
――綺麗だなあ。
悔しいけれど、純粋にそう思った。
「かっこいいわね」「さすが『紅月』」そんな声がする。小さな女の子が、舞い上がる花に手を叩いて喜んで、男の子は、舞台の輝かしさに羨望の眼差しを向けている。
その、咲き誇る花の代わりに、踏み潰された花々があったこと。輝きの裏で、消されてしまった星々があったこと。彼女たちは、彼たちは、知る由もない。
(この美しさは、誰にも否定させない)
そう告げるかのように、蓮巳が力強く旗を振りかざした。花々が躍り上がり、陽の光を浴びてきらめいた。わっと、歓声が上がる。
喝采を浴びるは、流れた血を、屍を糧に咲き誇る、罪深き花。血と涙を流し尽くして戦い抜いた、夢ノ咲の勝者。王者。平和の象徴であろうとする者たち。
――余計なことはしてくれるなよ。
蓮巳に言われた言葉が、脳裏に蘇る。
かつて腐敗していた夢ノ咲学院は、
『紅月』の三人が、ぴったりと動きを止め、恭しく一礼した。パフォーマンスの終了だ。
舞台の真ん中で誇らしげに笑う蓮巳を眺め、わたしも賞賛の拍手を送りながら、そっと決意を固める。
(……譲れないものが、わたしにだってあるの。だからごめんね、蓮巳)
彼らが、夢ノ咲を安定させるために、かつての友や憧れの存在すらも切り捨てることを選んだように。血を血で洗う戦場に身を鎮めることを、恨み恨まれる覚悟をしたように。
一度築かれた平和を、崩すことになっても。あるいは、全てが失敗に終わり、馬鹿にされ、罵られ、仮初めの楽園から追放されることになるのだとしても。
(……それでもわたしは、きみたちが見捨てたあの子の笑顔を、取り戻したい)
『紅月』に続き、夢ノ咲の現支配者『fine』が舞台上に上がる。その天使のようなパフォーマンスを見つめながら、わたしは静かに決意する。