04
星との邂逅
零さんの存在に全く気がついていなかったらしい衣更くんが、仰天して振り向いた。悲鳴をあげさせないようにその口元をしっかりと手で覆った零さんは、飄々と立つ羽風薫へと呆れた様子でぼやく。
「練習の途中でどこに行ったのかと思えば……。また女漁りかい、飽きんのう。おぬしは、大概にせいよ?」
二人の背丈は同じくらいである。けれど、夜を迎えようとするこの時刻の零さんは日中に比べて気力が漲っており、底しれぬ迫力があった。衣更くんに至っては、震えて声も出せないほど。そんな彼を安心させるように頭を撫でてから、零さんは再び羽風薫へと向き直る。
「まぁ、おぬしなら『ぶっつけ本番』でも大丈夫じゃろうがのう?」
「そうそう。練習なんてテキトーでいいじゃん、楽しくやろうよ!」
と、羽風薫は手を叩きながら囃し立てる。しかし、それも束の間のこと。
「でも、いつになくやる気になってるよね、朔間さん。俺はそういう暑苦しいノリ、あんまり好きじゃないんだけどな〜?」
細めた目の奥から、這い回るような眼光を向ける。その口調は相変わらず和やかだ。そのアンバランスさに、見ているこちらがぞっとした。
ポケットに手を突っ込み、身を屈めて歩く羽風薫は零さんに肉薄すると、悪党が因縁をつけるように恨みがましく睨みあげた。その視線を浴びせられてなお、零さんは泰然自若としている。転校生を『Trickstar』――羽風薫的には二年生の『ひよっこ』ども――に当てがったことに文句を連ね、『UNDEAD』を脱退してそちらの『ユニット』に所属しちゃおっか、などと宣う彼に、「それは困る。おぬしの戦力は『UNDEAD』に必要じゃ」と眉ひとつ動かさずに告げる。更には、近づいた羽風の頭までも撫でようとして、避けられて寂しそうにするほどの余裕がある。
「一週間後の『S1』には、外部からも大勢の客がくる。つまり、たくさんの一般人の女の子がくるわけじゃ。その子らをおぬしのファンにするため――みたいな方向で、やる気を出してくれんかのう〜?」
「う〜ん。そっちはそっちで魅力的だけどね、朔間さんには、かなわないな〜?」
柔和な微笑みの裏に、たしかな怒りが見え隠れしている。
はらはらと展開を見守っていると、少しして羽風薫は肩をすくめ、零さんの横をするりと抜けた。「転校生ちゃんに唾をつける機会はこれから先いくらでもあるだろうし」と、ひとまず今日のところは諦めてくれたらしい。そのまま、振り向きもせず去った彼の背中が完全に見えなくなってから、わたしはほっと安堵の息を零した。
甘い残り香が漂う中、零さんはあらためて衣更くんと向き直った。先週の特訓に参加できなかったことを礼儀正しく謝罪した彼に好感を抱いたのか、彼は先程の雰囲気を一気に弛緩し、柔らかく微笑んでいる。そのうち打ち解けたのか親しげに語りあい、来週の『S1』にて共同戦線を張ること、後ほど詳細な作戦会議をすることを告げた。そして。
「嬢ちゃん」
「はぁい」
ついに名を呼ばれてしまい、わたしは意を決して生垣の裏から姿を見せた。声は高く、表情は明るく。冗談めかして挙手のポーズをとった手を振りながら二人の元へ近づけば、目をぱちくりとした衣更くんが、おずおずと問いかける。
「あの、朔間さん。このひとは?」
当然の疑問だった。
この学院では、一目で所属が分かるように学科ごとに制服が異なっている。わたしが履いている地味な黒いスカートは普通科のもの。普通科の生徒、というだけでまともな他学科の生徒は身構えるのが当たり前だ。新人は新人でも、彼らは芸能人、あるいはそれを志すもの。活動の邪魔をされてはたまらない。
「うむ。転校生の嬢ちゃんと同じ、おぬしらの味方じゃよ。来週の『S1』で協力してもらうことになっておる。折角じゃから、嬢ちゃんに会わせておこうと思っての」
零さんの返事に、衣更くんは曖昧な態度で頷いた。明らかに不審に思われている。
無意識だろうが、品定めするかのような彼の視線から逃れるように、わたしは隣の零さんを軽く睨んで、少しだけ責めるような口調で言った。
「ほら、言わんこっちゃない。すごい困惑のしようだよ。だから顔合わせは必要ないって言ったのに〜……」
「そう言うでない。ひとりでも多くの味方が必要なことは衣更くんも理解しておるし、我輩直々の紹介じゃからのう。少々ついてこられていないだけで、おぬしを糾弾したいわけではないじゃろ」
「そ、それはもちろん、ハイ!」
動揺を隠しきれていない声音ながら、衣更くんは深く頷いた。
「では、詳しい話は転校生の嬢ちゃんと合流してからにしようぞ。彼女は戸棚に隠れているらしいからのう、大方この会話も聞いているじゃろ」
こちらに目配せをした零さんに頷き、わたしは出入り口の取っ手に手をかける。施錠はさせていなかった。扉はするりと開き、明かりのついていない食堂内に三人で踏み込んだ。
「外からだから、ちゃんとは見えてないんだけど。あの辺にいると思うよ」
わたしの言葉を受けて、真っ先に衣更くんが動いた。ひとつひとつの戸を機敏に開け、中を確認する。
「転校生、いるか? 俺だ、衣更だ!」
力強くて温かみのある声だった。不思議と、ひとを安心させるような。
それから間もなく、彼が開けた戸から少し奥にある戸棚が遠慮がちに開く。衣更くんが駆け寄ると、そこには鍋などが並ぶ中、器用に身体を折りたたんで隠れている彼女がいた。余程怖かったのか、その華奢な肩は震えており、心なしか涙ぐんでもいる。
そんな転校生に衣更くんが手を差し伸べ、お姫さまをエスコートするように彼女を立たせた。なぜこんなところに隠れることになったのか――いきなり口説いてどこかに連れ去ろうとした羽風薫がよほど怖かったらしい――事の顛末を一通り語り終えた後、転校生はわたしを見つめると小さく頭を下げた。慌てて、わたしも同じようにお辞儀をする。
「転校生の嬢ちゃん。話は聞いていたかもしれんが、この子もおぬしらの味方じゃよ。今度の『S1』で協力してもらうことになっとる。普通科の生徒ではあるが、我輩とも付き合いは長い」
転校生ちゃんはこくりと頷いて、小さく告げた。
――あんず、です。
それを受けて、わたしも名乗る。
「普通科三年の、苗字名前。よろしく、あんずちゃん」
「苗字……?」
何かを探るように復唱したのは衣更くんだった。視線を向けると、「しまった」とでも言いたげに口元を覆う彼がいて少し笑ってしまう。
「うん、苗字。やっぱりどこかで会ったことあったっけ?」
「ああ、いえ。会ったことは……、あったのかな……? ただ、その。副会長がよくその名前を出して、ええと、なんていうか……」
「ああ、蓮巳がぼやいてる?」
「まあ、ハイ。そういう女が来たら突き返せって、そう言われています」
「うわっ、蓮巳ひどいなあ。基本的には同胞だ、とか言ってくれたくせに」
眉を寄せて笑った衣更くんに、冗談めかして肩を竦める。
「あの。俺、副会長から具体的な話は聞いていないんです。生徒会に突き返されるって、一体何を――」
――カサリ。
衣更くんが真剣な表情で尋ねる最中、傍から嫌な音がした。全員が視線を足元に向け、真っ先に衣更くんが悲鳴をあげる。
「待っ、でた! でたでた!」
彼が飛びのいたそこには、アンテナのような日本の触角が伸びた茶色い虫。建物内で出没する度、半狂乱になった人間に叩き潰される、哀しき生き物である。
というか、こんな綺麗な外観の建物の中にも、やっぱりいるんだ。妙に感心するわたしの耳に、衣更くんの「スプレー!」と叫ぶ声が入ってくる。あんずちゃんは意外と冷静で、何か叩けるものを探して棚の中を確認中。いつの間にか遠いところに移動していた零さんは完全に傍観を決め込んでいた。仕方なくわたしはその場にしゃがみこみ、戸棚の取っ手で動きを止めた虫にそろそろと近づき、そして。
「えいっ⭐︎」
「待って!?」
両手で覆うようにして、ゴキブリを掌に閉じ込める。
はっとしたあんずちゃんが出入り口の扉を開けてくれ、わたしは彼女の横を駆け抜けると、
「そぉれっ♪」
「ウァーーーー!?」
ひゅぅん、と。野球部顔負けの遠投力で、それを彼方へと飛ばした。
「な、掴んっ、ゴキブリ」
壊れた玩具のように片言で言葉を紡ぐ衣更くんへ、わたしは腰に両手を当て、威張るようなポーズをとる。
「ゴキブリなんて刺しもしないし噛みもしない、毒もないんだからこれくらいはね」
「つ、つよい……」
「……とまぁ、こういう女の子じゃ。それに、生徒会にも侵入ができるほどの強心臓じゃしな。何かと役に立つぞ」
「そういう零さんは、今回全く役に立ってくれなかったねえ。 あんずちゃんだけだったよ、動いてくれたの」
いつの間にかすぐ側まで戻っている零さんを恨みがましく見つめてから、この騒動で唯一駆除の手伝いをしてくれたあんずちゃんににお礼の言葉を述べる。それから、食堂内に設置された水道で手首から指先まで丁寧に手を洗った。もちろん、石鹸を使って。
「さて。思ったより時間を食ってしまったのう。顔合わせと言っておったが、嬢ちゃんにその時間はなさそうじゃ」
食堂の壁にかけられたお洒落な時計に目をやり、零さんがそう言った。つられて時計を眺め、ぎょっとする。完全下校まで、残り五分。
「わ、まずい。わたし今日の校内アルバイトの報告もまだできてないんだけど!」
「じゃろうな。ふむ、仕方ない。他のメンバーとの顔合わせはまたにするとして……、今度の作戦会議までに、衣更くんと転校生の嬢ちゃんからそれとなく伝えておいてくれんかの」
零さんの提案に、二人はこくりと頷いた。
『Trickstar』は完全下校後も練習ができるように事前申請をしていたらしく、衣更くんとあんずちゃんの二人は大急ぎで仲間の待つ練習室へと走り去った。彼女の腕には、差し入れと思しきものが抱えられていて、それが妙に微笑ましかった。