05

氷上の夕空


 校内アルバイトの担当教師へ活動完了の報告を終えて校庭に出ると、傾いた陽が影法師を細長く地面に写した。どこかの芸術家が造り上げた石の彫刻や、絵画みたいな噴水が朱色に輝いている。遠くで鳴くカラスの声を何気なく耳にいれながら、立派な校門を潜った。
 路地に並んだ建物はその輪郭を夕闇に溶かしつつある。その一角を曲がったところで。

「随分遅かったねぇ?」

 耳に残るうつくしい男の声がして、わたしはゆるりと電柱の向こうへ視線を送った。
 電柱の影から、すらりと伸びる体躯の男が現れる。橙色の夕陽を受け、きらきらと波打つ銀の髪。射抜く程に鋭い瞳は、童話に描かれる湖のように澄んだ空色。
 かつて夢ノ咲が誇る強豪『ユニット』であった『Knights』の一員にして、現在はリーダーの代理を務める男――瀬名泉。

「やだ、待っててくれたの?」

 彼氏みたい! なんて、必要以上におちゃらけ、手を叩いて喜んだフリをすると、彼の瞳が蛇のように細く冷たくなる。
 わたしはすぐに「ごめん。冗談だから睨まないでよ」と謝罪し、今度こそ真面目な顔で彼の元へと近づいた。

「校内アルバイトしてただけだよ。今日は花壇の草引き」
「……ふぅん」

 彼の背丈は高身長と言うほどではないのかもしれないが、それでもわたしと並ぶと随分と高い。自然と、そのうつくしい顔を見上げるようなかたちになった。
 まるで興味がないような平坦な返事をした彼に、わたしは首を傾げ、「何か用事?」と問いかける。
 短く息を吐いた彼が、わたしの瞳をじっと見つめながら口を開いた。

「あんた、余計なことしてないだろうねぇ?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「俺の質問に答えるのが先。どうなの」
「『Knights』を不利にさせたりはしないよ」
「回りくどい」

 萎え切らないわたしの返事に、ぴしゃりとセナが言い放った。
 きつい視線を向けられるが、わたしは表情を崩さない。顔の神経の端々に力を込め、何でもない風を装い続ける。

「俺の質問にだけ答えて」
「……してない。だってこれは、余計なことなんかじゃない」

 ぴく、とセナの端正な眉がわずかに歪んだ。

「……それは、あんたの意見だよねぇ」
「そうだけど。じゃあ逆に聞きたいんだけど、余計なことって、誰にとって余計なの?」
「……」

 セナは何も答えない。伏せた瞼の奥に誰の存在があるのかを、わたしに教えようとはしない。
 傍観者のごとく瓦屋根にとまっていた烏がひとつ声を上げた。黒い翼を扇のように開けた彼らは、かたまって空を横切っていく。
 セナはゆっくりと瞼をもちあげて、宝石のような瞳をわたしに向けた。

「……あんまり無謀なことはするもんじゃないよぉ」

 怒っているのか、心配しているのか、呆れているのか――そのどれともとれる声音で呟き、彼はそのままわたしの横を通り過ぎた。わたしは一瞬、目線だけでその背を追いかける。その隣に、の姿はない。無邪気で、純粋で、やさしくて……、わたしの世界を変えてくれた、あの少年。
 ――思い出す。
 夕暮れの教室で、猫だらけの弓道場の裏で、太陽が照り付ける夏の海辺で、くだらない言葉を交わしていたこと。「インスピレーションが!」と叫んで音楽を作り上げる少年。そのメロディーを口ずさむセナの穏やかな表情。ずっと続いてほしいと願っていた日々。
 またたきをひとつ。今は遠い、青い春の日々を瞼の奥に押し込めて、わたしはまっすぐに向き直る。セナが行く方向と反対へ、進み出す。
 わたしは、彼らとともに革命を起こす。そう決めたのだ。この革命が成功したらきっと、セナも、彼も、あのころみたいに――。