白銀と思惑
――あ、こいつ。同業者だ。
夕暮くんの妹の彼氏だという男に出会ってすぐ、直感的に気がついた。こういう仕事をしていたら、同じ匂いのするやつなんて分かる。それを「ふつうのひと」と紹介してしまうあたり、彼女はやっぱり一般人なんだなと、隣を歩く様子を見ながら思った。
その彼氏が予約したという、緑の多い山中にある料亭についてすぐ、僕は溜息をつきたくなった。明治時代の豪商の館を移築したという建物は旅館としても運営されており、エントランスの門から立派だ。その、門の向こう。気配がおかしい。具体的に言えば、複数の殺気が微かに混ざっている。
(嵌められてるじゃん)
そう理解するのに時間はかからなかった。
夕暮くんを殺すために、彼の弱点になりそうな妹を捕まえたとか、そんなところだろうか。婚約者にまで関係を進めるあたり、随分回りくどいことをしていると正直呆れるけれど、夕暮くんが隠し続けた妹の存在に辿りつくことができるなんて、油断ならない相手だ。建物内にも、彼の仲間が多くいるだろうし。
男が、妹に「どうぞ」と手を差し出す。彼女が伸ばした右手の薬指では、控えめな銀色が光っている。
――襲ってくるなら、どのタイミングかな。
警戒だけは緩めないまま、二人の様子を眺めていると、妹は男の掌に触れる直前で、その手をぴたりと止めた。
「どうしました? 具合でも?」
白々しく尋ねる男に、彼女はひとこと、「なんか……」と零すと、目の前の建物を見つめて口を噤んだ。あきらかに、中に入ることを躊躇っている様子だ。
直感的に、本能的に。嫌な気配を感じ取ることができるのは、殺し屋の家系の性だろうか。
男も、まさかこんなところで立ち止まられるとは思ってもおらず、動揺したことだろう。けれど、それをおくびにも出さず、
「そうですか」
と、困ったように、眉を八の字に寄せる。「おすすめなんですが……」と肩を落とす彼に、妹は視線を揺らした。結婚を考えるくらい好きな相手にこんな表情をされては、罪悪感が募る。
ぐ、と唇を結んで、決意を固めたように彼女が男の手に触れる、直前。
「いーよ。入んねぇのが正解だ」
夕暮くんの姿で、夕暮くんの声で、僕は言う。
男の眉がぴくりと動いた。「……ですよね」と形の良い唇がかすかに歪む。夕暮くんならこの気配に気づくだろうというのは、最初から想定していたようだ。「……仕方がありません」彼が零したのと同時に、鋭い発砲音が空を裂いた。目を見開いて固まる妹を担ぎ、身を翻す。
待って、とか、なんで、とか。支離滅裂な言葉を零す彼女にも聞こえるように、はっきりと男は告げた。
「すみません。苗字夕暮を殺せと指令が出たもので」
「うそ」
「本当です」
小さな体が震えているのは、きっと、恐怖だけじゃない。
建物の至るところから、殺し屋が溢れ出てくる。わー、気合入ってる。夕暮くんの弱点になりそうな妹を巻き込んで、これだけ人数をかけて。そうまでしないと夕暮くんは殺せないと思っている、その考えは正しいけれど。
「……目、閉じてて」
そっと呟いたら、小さな体は分かりやすく強張った。
妹を抱えたまま、攻撃を避ける。反撃する。無傷で制圧、とは言ってられない人数差だ。投げたナイフが殺し屋の腹部に刺さって、微かに血の匂いが漂った。僕の服を握る彼女の力がにわかに強くなる。
「本物ですかね、その動き。死んだという噂も聞いていたんですが」
「さあ? どうだろーな」
あえて挑発するみたいに語気を強める。
僕と夕暮くんの戦闘スタイルは、学生時代から「なんか似てる」と言われ続けてきた。彼の動きに似せるのは難しくない。
周りの数でゴリ押すタイプの殺し屋はともかく、妹の婚約者だという男はなかなかやる。小柄だといっても成人した女性を担いでいるので、余計に苦しいものがあった。彼女に怪我をさせるわけにはいかないし、返り血を浴びさせるわけにもいかないし。どうしても動きが制限される。
と、思っている傍から、男の攻撃をうまく避けられず、刃が脇腹を掠めた。
「……ッ」
べつに痛みに悲鳴をあげることなんてしないけれど、彼女は僕の違和感に気がついたらしい。
「南雲さん!」
と、慌てたように叫ぶから、(ちょっと)と呆れる。駄目じゃん、その呼び方したら。殺し屋の気配に気づく敏感さがあると思ったら、このやらかし。あ、でも、もうこんな戦闘になってるから関係ない? 彼氏に兄を紹介するという当初の目的は、いまや無意味だ。
「南雲……?」
と、男が動きを止めた。
人数でしか勝負できない殺し屋たちは、ほとんどが意識を失って伸びている。そんな中でも辛うじて動け、こちらを狙ってきたやつを簡単に吹き飛ばして。僕は、男と向き合う。
「なんだ、苗字夕暮はやっぱり死んでるんですか。じゃあもういいです」
あっさりと言い切り、殺気すら漂わせなくなった彼に拍子抜けする。あくまで任務以外の殺しはしないつもりらしい。「騙してるかもしんねーぜ」と、顎を持ち上げて言ってみるも、「名前さんに、あんな演技ができると思えませんので」と否定された。婚約者というだけあって、彼女のことはよく分かっているようだ。
腕の中にいる妹は震えながら、「本気で、おもってたのに」と絞り出した。
――好きだと想っていた。結婚したいと思っていた。
皆まで言わなくても、十分伝わる。
やや間があって、男はゆっくりと口を開いた。
「……俺もですよ」
「……っ」
「薬指のそれ、捨ててくださいね。さようなら、名前さん」
先程まで、本気で命のやりとりをしていたことを忘れさせるような落ち着き具合だった。妹は、恭しく微笑む彼を見ようとはしない。固く握った右の拳を包み込むようにした左指が、切なく光る白銀をなぞっていた。
行きは男の車でここまで来ていた。ということで男が先にいなくなった今、帰りの足がない。
建物内の修繕依頼をフローターに行うのと同時に、殺連を通して迎えの車を呼んだ。未だ放心状態の妹に簡単な変装を施し、逆に僕自身は変装を解く。ほどなくして、迎えの車がやってきた。見知らぬ女といる僕に対して、運転手は深入りしてこない。
山道を下っていると、見晴らしの良い休憩所がある。そこが見えてすぐ、僕の隣、後部座席に沈み込んでいた彼女が「停まってほしい」とぽつりと零した。男を見送ってから、はじめての言葉だった。
運転手に指示をして、駐車スペースに車を停車させる。無言で車を降りた彼女に、僕も続いた。
六角形の屋根の東屋の向こうに、丸い木の杭が柵のように並んでいる。その、ぎりぎりまで近づいた彼女に、(まさか飛び降りたりしないよね)と一瞬不安になる。いつでも止められるように構えていたら。
右手の薬指から指輪を引き抜いた彼女が、大きく振りかぶってそれを投げた。「バカー!」木霊が聞こえるほどの大声とともに、白銀が宙に舞う。太陽の光できらりきらりと煌めく粒は、ぐんぐんと小さくなっていく。
ふう、と息を吐いた妹が、膝を抱え込むようにしてその場に屈みこんだ。
しばらくして立ち上がった彼女は、やっぱり黙ったまま、車へと戻る。その背筋が思いのほか真っ直ぐしていたから驚いた。
指輪が吸い込まれるように消えていった眼下を見下ろす。ふと、彼女に別れを告げる男の表情が浮かんだ。「……俺もですよ」と呟いた言葉の声色を思い出した。
(嘘……を、言ってる感じじゃなかったな……)
気にしたって、仕方のない話だけれど。
運転手からの視線を感じる。冷たい風が吹く。コートの裾を翻し、車に乗り込むと、妹はやっぱり黙ったまま、窓の外を眺めていた。
・
迷惑をかけてすみませんでした、と他人行儀に頭を下げた彼女と別れた、その日の夜。
殺連の伝達係が持ってきた殺しの依頼のリストには、あの婚約者の男が載っていた。手配理由に、「殺連秘匿情報の盗用」とある。
逃がす理由も、助ける理由もない。
提供された情報を元に、歓楽街の潜り酒場へと向かう。軋む扉を開けると、男はカウンターで優雅にグラスを傾けていた。ジャズピアノが流れる空間に身を置く姿が、やけに様になっている。
椅子を二つ挟んで男の左側に座り、適当な酒を注文して、様子を伺う。しばらくして、グラスの中の淡緑色のカクテルを飲み干した彼がバーを後にしたので、僕もそれに続いた。
歓楽街の路地裏は、表通りの明るさが嘘のように暗く淀んでいる。散らかったチラシを踏みつけた男が足を止め、「いつまで追ってくるんですか」と問いかけた。僕は路地の角から姿を出して、「なんで逃げないの」と逆に尋ねる。彼は、「ギムレットも飲めましたし」と薄く笑った。
バーで姿を見た時から、追われていることを分かっているのだろうと直感的に思っていたが、こうも終わりを受け入れられてしまうと、やりづらいものがある。もちろん、それが理由で任務を放棄することなどありえないけれど。
男はまっすぐに僕を見つめて、何かに気づいたように瞬きをした。
「あれ。もしかして、お昼ぶりですかね」
溜息をひとつ。先輩の妹が「南雲さん」と僕の名前を呼んだりしなかったら、彼がこんな風に気づくこともなかっただろう。まあ、今から殺す相手だし、もうどうでもいいけれど。
「抵抗もしないつもり?」
男が武器を構える様子はない。彼は穏やかなまま、「元々、今日で終わりのつもりだったので」と告げた。
縦長のアタッシュケースから武器を出す。せめて一瞬で終わらせてあげよう。
男と視線が交わり、そこでふと、昼間の彼の姿が脳裏によぎってしまった。妹に別れを告げた彼の表情。声色。
「……ねぇ。どっちが、先だった?」
主語のない問いかけ。男は一瞬きょとんとしたものの、程なくして僕の聞きたいことを理解したらしい。
「秘密ですよ」
そして、変わらず落ち着いた声で告げるだけ。
そうだよね、と口の中で零し、地を蹴る。胸骨の間を潜らせ、心臓を一思いに刺す。抵抗は、やっぱりなかった。痛みに泣くことも叫ぶこともせず、彼は眠るようにその場で崩れた。
伝達係に任務完了の連絡をいれ、その場を離れる。
ネオンに染まる街中。行き交う人々とすれ違い、雑踏に紛れながら考える。
「どっちが先だった?」という僕の問いかけに彼は答えなかった。だから、真相は分からない。それでも、思わずにはいられなかった。
もしかしたら彼は、苗字名前と出会ったほうが先だったのではないかと。苗字夕暮の殺しのために彼女を利用したのではなく、偶然舞い込んだ依頼に、彼女を利用せざるを得ない状況になったのではないかと。
「……は」
乾いた笑い声が零れる。どれだけ考えても意味がないことだ。答えは全部彼が持っていってしまったし、彼と苗字名前、二人の人生が交わることは、もう二度とない。