告白録と秒針


 名前ちゃんの無茶な行動はすっかり鳴りを潜めた。ただ、潜めたはいいけれど、彼女の男運の悪さというのは本物だったらしく。あれ以降も、街中で声をかけてくれた好みの男に着いて行ったらホストクラブに連れ込まれそうになったり、二人で食事もしていい感じになったと思った会社の先輩に遠距離恋愛中の彼女がいることが発覚したりと、散々な目にあっている。
 ……という詳細を知ってしまうくらい、僕は、名前ちゃんと深く関わるようになっていた。
 正直、まずいよなぁ、とは思う。
 本当なら、直接会うことはもちろん、連絡をとるのも避けるべき相手だ。夕暮くんだって、まさか僕がこうも彼女にとって近しい存在になるなんて想定していなかっただろう。とはいえ放っておいたら放っておいたでまた暴走しないか心配だし……。それに。

「あっ。南雲さん、こんばんは。また来てくれたの?」
「うん。こんばんは〜。名前ちゃんが変な男に捕まってないか心配だからね〜」

 時折様子を見に行くたび、彼女は心底嬉しそうに、目尻をきゅっとさせて笑う。その表情を見ていると、なんだかどうしようもなくなるのだ。……たぶん、夕暮くんの面影が重なってしまうから。



 肌に苔が生えてしまいそうなほどにじめじめとした梅雨の時期、任務で豹とともに京都へ行くことになった。
 土砂降りだった東京と比べると随分マシだったけど、京都の空も傘が手離せないほどの曇天で気分は下がる。なにより湿気が多くて蒸し暑く、ちょっと歩いただけでも汗をかくのが鬱陶しかった。「やだな〜。豹ひとりでもよかったんじゃない〜」「黙れ」くだを巻く僕を一蹴した豹とともに、標的ターゲットを探して向かった先は清水寺。
 立派な門を潜り、三重塔を眺めながらお堂の横を通り過ぎ、また門を潜って本堂へ。観光ルートを正しく進む。こんな天気だけど、休日だからか人はそこそこいた。晴れていたら澄んだ青色に新緑が浮かんで綺麗だったんだろう。カメラをかまえた観光客は「空が暗いなあ」と苦笑していた。
 本堂には団体客がいた。ここで戦闘になったらちょっと面倒かなあとぼんやり思っていたら、

「はーい、撮るよー」

 団体客の中から聞き覚えのある声がして、僕はぎょっとする。
 見晴らしのいい通路に並んだ女性たちの真正面。見覚えのあるスマホを構えているのは、名前ちゃんだった。
 うそでしょ、なんでいるの。
 言葉を呑み込むと同時に思い出す。そういえばちょっと前に会ったとき、今度社員旅行で京都に行くって話してたっけ。でもまさか、ここまで日程も場所も被るとかある? 京都なんて、ほかにも大量の観光名所があるのに。

「うわ、僕本当に帰ろうかな〜……」
「何言ってんだお前」

 獰猛な獣みたいな眉を寄せ、豹が呆れる。
 知り合いがいるんだよね、とは言わず、名前ちゃんたちがいるほうから視線を逸らした。豹も夕暮くんにはお世話になっていたから、彼女の姿を――顔を見たら、たぶん気づく。二人を鉢合わせないように……、というか僕が名前ちゃんに見つからないうちにさっさと任務を終えてしまいたい。あの子、時折妙に鋭いし。そう、思ったときだった。
 視界の隅にある男の姿が映り、豹に目配せをする。標的ターゲットの男だ。
 けっこうやるな、という印象だった。そこらの殺し屋じゃ相手にならない。豹と二人がかりで対応すれば間違いなく息の根を止められるだろうけど、周りに何人か護衛っぽいのがいたのと、本堂には一般客が多いのが気がかりで、もう少し人目につかないところで対応することにする。
 視線だけで豹とやりとりをして、互いに見失わないよう、けれど相手に気づかれないように距離を保つ、が。
 直後、本堂の天井から標的ターゲットめがけ、一直線に影が落ちた。「死ね!」刀を振り下ろし叫ぶ男は、まもなく護衛らしき人物に吹き飛ばされ、本堂の柱へと激しくぶつかる。崩れた柱からは木くずがばらばらと零れ、床にもひびが入った。

「うわっ!」「やだ、なに? 地震?」

 にわかに悲鳴が広がって、僕と豹は舌打ちをしそうになる。どこかで雇われた殺し屋か、個人的な恨みを持ってる誰かかは知らないけれど、これだから素人は。こんな大勢の一般人の目につくところで戦いはじめて、一般人巻き込んでどうするつもりなんだろ。ていうか――。

「そっちも殺し屋だな」

 うわ、ほら、こっちまでばれたし。
 向かってきた護衛の男を捌きながら、人が少ない場所へと誘導する。豹は標的ターゲットの男を追いかけて姿を消す。
 人数差があるとはいえこっちはなんとかなりそうだ。早く終わらせて豹と合流しよう。視線を、意識を、目の前の男に集中させる。
 その直後。「うわぁっ」幼い悲鳴がしたかと思うと、一部が崩れた欄干で足場を失い宙づりになった男の子が必死にしがみついていた。タクくん! と母親と思しき女性が叫んで手を伸ばして、けどどうにもできないまま男の子は広がる樹木たちに吸い込まれるように落ちる――。それと、ほとんど同時に。
 ふっと影が過って、美しい黒髪を靡かせて。まるで絵画の一枚みたいに、女が――名前ちゃんが、清水の舞台から飛び降りた。

「あっ、苗字さん!?」「ちょっと、名前!?」

 会社の同僚たちが大慌てでその名前を呼んだときには、彼女の姿はもう視界から消えている。
 助けに――、いやそれより先にこっちどうにかして豹のとこいかないと。一般人と比べたらずっと動ける子だからたぶん大怪我してるようなことは……。武器をとりながら、一瞬のうちに思案するけど、でもやっぱり、一番思うことといえば。
(〜〜ッ、あの子、ほんとに何やってんの……!?)



 任務はそれから程なくして完了した。遺体の回収要請とフローターに連絡を入れ、しぶとく息をしていた例の素人みたいな殺し屋を豹に押しつけて寺の欄干の下へと急ぐと、「本当に。突然飛び降りたりするからマジでビビりました」「あは……、ごめんなさい」若い男と名前ちゃんの声が聞こえて、大きな木の陰にそっと身を隠す。
 会社の同僚だろうか、明るい短髪でスポーツ好きっぽい雰囲気のある男に名前ちゃんは背負われていた。

「でもあんなとこから飛び降りて足捻るだけって。映画のアクションシーンみたいでしたよ、苗字さんスゲ〜っすね。子どもは怪我ひとつなかったし!」

 口ぶりから察するに、おそらく後輩。「いやほんと、かっけえっすよ」と感心した様子の彼に、名前ちゃんは苦笑いだ。

「ねぇ、やっぱり重くない? 自分で歩けるよ」
「何言ってるんですですか、駄目ですよ!」
「いや、でも……」

 なんて押し問答を繰り返しているうちに、「名前、大丈夫ー?」とほかの同僚たちも現れる。「あれっ、おんぶされてる」にやにやとおかしそうに目を細める女性を見て、名前ちゃんは「やばい待って、恥ずかしい。やっぱ降ろして」と抗議した。が、後輩くんは聞き入れない。

「恥ずかしいと思うんなら、もうあんな無茶はしないでくださーい」
「う……」

 あんな無茶。本当にそうだ。僕も、彼女に会ったら同じことを言うつもりだった。
 名前ちゃんは相変わらず後輩くんの背中のうえで恥ずかしそうにしていたけれど、少しして観念したらしい。身を委ねるように体の力を抜いて、その唇が「ごめん」と「ありがとう」を紡ぐのをたしかに見た。後輩くんは心底嬉しそうな、誇らしげな顔をして、同時に僕は気づく。
 ――この子、名前ちゃんのことが好きなのか、と。
 ……また変な奴じゃないよね、大丈夫かな。これまでの経験からつい勘ぐってしまって、疑うように彼らの姿をじっと見る。
 名前ちゃんは同僚たちとの会話に夢中で、こちらには気づくそぶりが全くなかった。
 殺し屋なんて物騒な世界とは無縁の穏やかさと明るさに彼女は囲まれている。
 ふと、夕暮くんに最期に会った冬の始まりを思い出した。すっかり酔って顔を赤くした彼がしきりに呟いていた言葉。「あいつには、ふつうが似合うと思う」
 ……ああ、あれはこういうことだったのか、と。今更ながらにその意味を理解して、なぜだか服の袖をきゅっと握りしめていた。

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