※名前変換はございません。 『私の可愛い人へ』 ふんわりと香る白薔薇の束の中にそう綴られたメッセージカードを見つけ、思わず顔が綻ぶ。デートの度に彼はお馴染みの花束と、馴染みのない嬉しい言葉を贈ってくれる。それがデートの始まりのささやかな楽しみであり、和やかで優しい気持ちにさせてくれる一つのスイッチだった。 昨日まで降り続いていた雨も上がり、今日は晴天の秋空が広がっている。私たちは先月オープンしたばかりのベーカリー・カフェの、深緑のパラソルが目印になっているテラス席へと腰を下ろした。皿には大好きなクロワッサンとシナモンロールが並んでいる。そして向かいに座るのは、素敵な素敵な恋人だ。 手を合わせた後、彼はまず湯気の立つホットコーヒーを砂糖もミルクも入れずに口をつけた。閉じた瞼、カップを持つ手、こくりと動く喉、その全てにナチュラルな色気を感じる。ああもう駄目だ、彼に釘付けになり思わずにやけてしまう。それを悟られまいと、急いでアイスカフェラテを流し込んだ。 キンブリーさんの食べ方は美しい。私はこういうシーンで彼の育ちの良さを再認識する。彼はアメストリスマフィンの包み紙を全て剥がしてから皿に移し、紙ナプキンで手を拭いた後、フォークで一口サイズにして口へと運ぶ。たったそれだけなのに気品を感じた。私なら、幼い頃から食べつけてきた通り、包み紙を半端に千切りながら、てっぺんから丸かじりするだろう。外食だといえどもきっと普段の習慣通りに食べていたに違いない。マフィンを選ばなくて正解だった。 クロワッサンを千切り、慣れない左手で掴んで口元に運ぶと、すかさず彼が声をかける。 「貴女、どうして今日は左手なんです?」 ほんの少しの変化をすぐに見つけてくれる彼の鋭さを、嬉しく思う。 「利き手とは違う方の手を使って食べると、エレガントに見えると聞いたんです」 「なるほど。ですがそんなことをしなくても貴女は充分、優雅に見えますよ」 彼がそう言って微笑むので、私も笑う。クロワッサンはほんのり甘い味がした。 テーブルの下に可愛らしい来客が来た。蒼い瞳をした真っ白い猫だ。私が教えると彼はおや、と呟いて目を丸くし、一緒に猫を見守った。猫は緩慢な足取りでこちらに近づき、鼻をくんくんさせている。まるでパンを一かけら恵んでくださいと懇願しているように見えたので、食べていたシナモンロールの端を千切り、猫の目の前にぽんと置いた。その時、辺りを散歩していた数羽の鳩が一目散に走って来た。猫は驚き踵を返して去り、パンは群がる鳩たちの餌になってしまった。 「ああ行っちゃった。キンブリーさんに似て綺麗な子だったのに」 「私が猫に似ている?」 「そうですよ。見た目もそうでしたが、優雅で自由なところが、猫ちゃんそっくりです」 彼は顎に手を当て、ふむと呟く。 「そういう貴女こそ猫によく似てますよ。愛らしくて、思わず頭を撫でたくなる」 「わ、私はペットですか……」 「全く、誤解しないでいただきたい」 それ以上の恋慕の表現を、ここでは言えないでしょう。彼の言葉に、ぎこちなく頷いた。 「ホット・クロス・バンを半分ずつ食べると、その年の友情が約束されるという言い伝えがあるそうです」 彼は表面の白い十字の線に沿って、パンを千切る。その片割れを私に差し出して笑う。 「友情とともに、愛情も保証しますよ」 今年だけの愛情ですか? と意地悪く聞くと、「いえ、とこしえの、ですよ」と返ってきた。本当かしら、と懐疑の視線を向けると、彼は足を組み替えながら嘆息し、凛々しい眉を下げた。 「疑っていますね? でしたら毎年食べに来ましょうか。一年後も、二年後も、五年後も、二十年後も、二人でこのテラス席に座り、パンを半分分け合って、一緒に食べる。他愛ない話をし、互いを見つめながら、未来に思いを馳せる。いかがでしょう?」 「……とても、良いと思います」 「良かった」 地面を啄んでいた鳩が一斉に飛び立った。 「五年後も二十年後も、ずっと私の可愛い人でいてください。……約束ですよ」 差し出された小指に、そっと小指を絡めた。 Afterwordお題『キンブリーさんとベーカリーカフェとか軽いお食事』 |