※名前変換はございません。


 思えば、私が死にゆく者に敬意を払い、その人物の顔を生涯記憶していようと決めたのは、合成樹の少女の旅立ちがきっかけだったのだろう。

 初老の少将が亡くなったという知らせを聞いた。五月も過ぎ去ろうとしているある日のこと、私は彼の墓前に立った。弔いにきたのではない。献花しにきたのでもない。そもそも私は彼の顔すら知らないのだ。ただ、先日まで生きていた人間が、足元の冷たい土の中で眠っているという事実を確認したいがために、こうしてわざわざ足を運んだに過ぎない。
 人の一生は短い。貴方はその一生を懸命に生きたのでしょうか? 己の魂をかけることのできる何かに出会えたのでしょうか? 自分の最期を美しく飾ることができたのでしょうか?
 真新しい墓石は、沈黙している。
「お花はいかがですか?」
 この場にそぐわぬ少女の声がした。振り返ると、青い小ぶりの花を両手いっぱいに抱えた少女がいた。花売りの娘だろうか、歳は十五ほど、一言で言えば可憐な容姿で、瞳は花と同じ鮮やかなブルーを湛えている。風が吹けば飛ばされそうな儚さ、危うさも感じた。
「どうぞ。陽が落ちる前に誰かに譲りたかったのです」
「いえ、結構。他を当たってください」
 人の一生は短い。彼女は大切な幼少期を花売りとして過ごすつもりなのでしょうか? 人気のない墓場で花を売ることに何の意味を見出しているのでしょうか? 学びと引き換えに働かねばならぬ自分自身の境遇をどのように感じているのでしょうか? 
「お金は要りません。だからどうか」
 言葉は続かない。彼女は激しく咳こみ始めた。その拍子に持っていた花が地面にばさりと落ちる。長い銀の髪がさらりと流れ、小さな口元を隠した。病弱なのだろう、背中をさすってやろうと手を伸ばそうとしたそのとき、彼女は嘔吐した。不思議と甘美な匂いが鼻先をくすぐる。と同時に、青色の花弁が何枚かはらり、はらりと舞うのが見えた。少女の吐瀉物は、麗しい青い花だった。
 吐き出された二、三本のみずみずしい花は、先ほどと同様彼女に抱えられた。目に涙を浮かべた少女は、すみません、と呟いて目を擦る。とんだ奇病があるものだ。私は驚いて言葉が出なかった。
「合成樹ってご存知ですか? 私は人間と植物を掛け合わせて生まれたんです」
「それは特異な」
 少女は俯きながら、白のワンピースの袖口で、唾液で濡れた口元を拭う。彼女が俯くと、髪に挿された青い花が申し訳なさそうに小さく礼をした。
 合成獣は特に珍しくもないが、合成樹と来たか。いわば、物好きな研究者たちが自分の力量を試すために作られた実験台――いや試作品といったところだろう。錬金術師として気持ちは分からないでもない。彼女はきっと数少ない成功例だ。そのせっかくの作品を野放しにしていて良いのだろうか。私なら花売りなど安価な商売はさせずに、研究対象として片時も離さず手元に置いておくが。
 気づけば、陽の光が周りの墓石を橙色に染め上げている。黄昏時だ。彼女は、ふいに遠くを見るように目を細めた。
「人の一生はどうしてあんなに長いのでしょうか」
「お嬢さんは面白い。人は皆、口を揃えて短いと言うものです」
 最も、それは大人が思うこと。子どもは永遠にも思える自分の命に眩暈を覚え、漠然とした悲哀を感じるものだ。
「いいえ軍人さん、とてつもなく長いですよ。……花に比べれば」
 彼女は夕日の方に向き直り、花の茎を華奢な指でつまんで太陽にかざす。花は燃えるような紅に染まった。花弁の隙間からはまばゆい光がもれている。
 それを見つめる陰りのある横顔は、美しかった。
「人間は何だってできます。望めば何にでもなれます。けれど花は、咲くことしかできない。だから軍人さん、私の分まで」
 彼女は背を丸め、またもや激しくすわぶき始めた。花を吐くのだろうか。しかしその予想は裏切られた。口元を覆った手から漏れているのは――鮮血だったからだ。
「大丈夫、みんなも散っていったんです。桜も向日葵も月下美人も……」
 少女はその場で倒れた。彼女は永くない。手の施しようもない。直感がそう告げていた。
 青と赤で彩られた地面に腰を下ろし、彼女を抱きかかえて最後に尋ねた。
「貴女は、何の花なんです?」
 彼女は力ない青の双眸をこちらに向け、残りの力を振り絞るように吐息交じりの声で呟いた。
「私を……忘れないでください……」
 その訴えが彼女の正体を示していた。
「……忘れませんよ。命を咲き誇らせた貴女の顔を、決して忘れない」
 私の返事を聞いた勿忘草の少女は、日向ぼっこをしながらまどろむ天使のような微笑みを浮かべ、天国へと旅立っていった。

 きっと誰もが、自分を覚えていて欲しいのだ。この世に存在していたことを忘れないで欲しいのだ。自分の生きた証を誰かや何かに刻み付けることを、切望して止まないのだ。
『私を忘れないで――』
 彼女の存在は、今でも鮮明に思い出せる。


Afterword

わすれなぐさの合成樹夢主。合成樹というアイデアはエドナさんからいただきました。
「第16回キン曜日はキンブリーデー」
(20180112)




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