※名前変換はございません。


 中央の郊外にぶどう園がある。たまたまそこを通りかかったら、一人の女がぶどうを収穫しているのが見えた。
 私はその女に見覚えがあった。長い黒髪と、平凡と美人の間をとったような顔立ち。やはりそうだ。名前は知らないが、士官候補生時代に見かけたことがある。
 目が合ったので、互いに会釈をした。彼女も私を知っていたのだろうか。手招きをされたので、私は園内に入った。お互い挨拶をした後、彼女は話しながら収穫作業を続けた。
「ごめんなさい、今手が離せなくて。でもあなたとは一度喋ってみたかったの」
「ええ、お構いなく。貴女、士官学校出身では? 軍人志望ではなかったのですか?」
「そのつもりだったんですが、病気になってしまって。退学してここを継ぐことになりました」
 彼女は自分の頬を掻いた。軍手をはめた指先は、赤紫色に染まっている。彼女には軍人よりもこの職の方が合っていると思ったが、それは口にはしなかった。
 収穫作業が一区切りつくと、彼女はお近づきの印にここのぶとうで作ったワインを飲んでいってはどうかと提案してきた。私はその言葉に甘えることにした。
 赤ワインは、私が普段店で注文するものよりも口当たりが良かった。飲みやすいのに、ジュースのような甘ったるさはない。なるほど、これは美味しい。
 彼女は私の倍のスピードで飲んだ。見かけによらず、酒豪なのかもしれない。そんな彼女としばらくやりとりしていたが、やがて沈黙が漂い始めた。そろそろ帰ろうか、と時計に目をやったとき、彼女はぽつりと呟いた。
「私、幼い頃から、自分じゃない誰かになりたかったんです」
 微妙に呂律が回っていない。ずいぶん飲んだのだろう。
「学校で憧れの女の子がいたら、その子の真似をしていました。その子と同じ口調で喋り、その子と同じ髪型にして、服装も彼女が好きそうなものを選んで」
 ひっ、と高い声が聞こえた。彼女のしゃっくりだった。
「彼女に倣って、休み時間には読書をしました。手作りのお菓子を、友達に配ったりもしました。そうして真似をしていれば、私も彼女みたいになれると思ったんです。愛らしくて思慮深い、彼女のように」
「それで貴女は『彼女』になれましたか?」
 格好や言動を変えたからといって、自分以外の誰かになれるわけではない。自分は自分でしかないというのに、人は自分の業を背負って生きていかねばならないというのに、それに気づいていない過去の彼女は至極、愚かだ。
 彼女は、軍手をはめた手をパンと鳴らすと同時に、弾んだ声で言った。
「なれました! 私は彼女になれたんです!」
 漆黒の瞳をらんらんと輝かせている彼女を、私は眉をひそめて見ていた。
「私は誰にだってなることができました。憧れのその子にも、大好きな芸能人にも、男性にだってなれました。私が望めば、ちゃんとその人に変身することができたんです」
 ああ、確かに彼女は病気かもしれない。
「でも、この世に同じ人は二人もいらないでしょう? それに気づいてしまってからは私、唯一無二の存在を目指しました。誰も真似できないような、特別な存在を。そして辿り着いたのが合成樹でした。合成樹、知ってます? 人間と植物を掛け合わせるんですよ。私は迷わずぶどうを希望しました」
 彼女がもしも傲慢な錬金術師であれば、真剣に神の存在を目指していただろう。そう思わせるほどに、彼女の考えは突飛なものであった。私は少々気分が良かった。種類は違えど、自分の他に異端な人間と出会えたからだ。
 でも、と彼女は続ける。
「ぶどうを吐き出す私をみて、両親は嘆いて失踪したんです。うちの娘がばけものになったって。酷いと思いませんか? 私はただ素敵ね、って褒められたかっただけなのに。私は、間違っていたのでしょうか」
「良いんじゃないですか。私は貴女の生き方を否定しませんよ」
「本当ですか? 私そんな気がしてたんです。あなたなら、きっと分かってくれるって」
 心底嬉しそうに彼女は笑ったが、すぐに激しく咳き込んだ。すると薄紅色の唇から、小さな紫色の球体が飛び出した。それはぶどうの果実だった。
 彼女は失礼、と言ってハンカチで口元を拭う。そして、顔にかかった長く艶やかな黒髪を耳にかけた。
「この髪、黒に染めて伸ばしたんです。合成樹になる前に憧れていた人がそうしていたから」
 見てくださいこの掌も。そう言って彼女は軍手を外した。その彼女の掌には――太陽と月。私と揃いの絵柄が刻まれてあった。
 女は、頬を染めてうっそりと笑う。
「うふふ。ひっ。私、あなたにもなれたんですよ。こうして知り合えて光栄です、ゾルフ・J・キンブリーさん……」

 それからのことはよく覚えていない。私は疲れていて、薄気味悪い酔っ払い女の夢を見ただけだと、そう思っている。
 だが、あのぶどう園にはそれ以来近づいていない。


Afterword

ぶどうの合成樹夢主です。合成樹というアイデアはエドナさんからいただきました。
「第18回キン曜日はキンブリーデー」
(20180126)




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