※名前変換はございません。


 砂塵を連れた爆風、地響きのような叫び声。それらを肌でひしひしと感じたくて、金色のボタンに手をかけ、上着を脱ぎすてる。
 この爆風が新しい風にさらわれる頃、何人のイシュヴァール人が地に伏せっているだろうか。彼らの瞳と同じ紅い血だまりの絨毯を敷いて、失った一本二本の手足を返せと声もなく叫ぶ哀れな罪人たち。十人だろうか。二十人だろうか。それともさらに大勢?
 死人をわざわざ確認するために足を運ぶわけではないが、この地区に数人のアメストリス人が居住しているのを知っている。私は一種の興味に駆られて、煙が薄らいできた地区の跡地を歩くことにした。
 偶然・・戦禍に巻き込まれたロックベルの医者夫婦といい、殲滅戦が始まるというのに避難しなかったアメストリス人は意外にも存在しているという。数は僅少だが、その僅かの人々は、なぜ頑なに動こうとしなかったのか。
 倒れた老人が白目を剥いている。まるで私を睨むように。同じく倒れた少年は右手を伸ばして沈黙している。まるで私の足首を掴もうとするように。
 生存者はいないようだ。アメストリス人の遺体も見つからなかった。どこかの瓦礫に埋もれてしまったのだろう。
 そのとき、物音がした。かろうじて立っていた左の建物からだ。目をやると、お腹を大きくしたブロンドの女性が物陰に立っていた。アメストリス人だ。
 女性は震える声で「あ」と発した。私は彼女に近づいた。
「ご婦人、お怪我はありませんか?」
 彼女はこくりと頷いた。髪は砂粒が絡まり、服は肩や腕など、ところどころ破れている。
「ご安心ください。しばらく爆発はおきませんから」
 彼女はほっとしたかのように、浅く息を吐いた。だが、思い出したかのようにまた眉間に皺を寄せた。
「ご家族はどこに?」
「私一人です」
 蒼い目が、絶えず恐怖に支配されていることを告げている。この戦が、彼女の胸と平和への幻想に大きな爪痕を残しているらしかった。
「主人と姑は、昨日の大規模な爆発で」
 こみ上げてくる哀しみと怒りを飲みこむように、彼女は言葉を切った。目のふちには涙が溜まっている。
「軍の拠点に行きましょう。そこならば身の安全を確保できます」
「いけません。ここから離れたくないんです」
「なぜ?」
「主人が眠っているからです。主人の元を離れるくらいなら、私」
 涙がぽたりと落ちた。両手で顔を覆う。彼女はもう何も言わなかった。
 主人の元を離れるくらいなら私はここで死んでもいい。彼女はそう言いたかったのだろう。首を傾げたかった。全く理解に苦しむ主張だ。彼女は自分自身に酔っているだけではないか。「かわいそうな一人ぼっちの私」、「死してなお主人を想い続ける私」に。
「死に急ぐ必要はありませんよ」
「でも」
「お腹の子の未来をお考えですか?」
 彼女ははっとしたように顔を上げた。涙に濡れた私を見つめる彼女は、母というよりはいたいけな少女のようだった。
 そうよ、そうよね、と彼女はひとりごち、自身の腹を愛おしそうに撫でる。
「私一人の命ではないものね。しっかりしなくちゃ、しっかりしなくちゃ……」
 ドン、とどこかで銃声がした。私もそろそろ仕事に戻らなくてはならない。
 彼女は、母親の顔つきで私を見た。
「軍人さん、テントまで案内していただけますか」
「もちろんです」
 私は歩みだそうとしたその脚を、ぴたりと止めて、振り返る。
「ああ、大切なことを忘れていた。一つお聞きしますが、お子さんはイシュヴァールの血が流れておいでです?」
 彼女の表情がさっと変わった。
「い、いいえ。生粋のアメストリス人よ」
「そうでしたか。失敬」
 面白いくらいに目が泳いでいる。どうやら、そういうことらしい。
 私は合掌した。
「お手をどうぞ。連れて行って差し上げます」
 彼女の白く細い手が私の手と重なった瞬間、錬成反応がまばゆく光る。
「――愛するご主人の元へ」
 彼女の顔を忘れない。私と同じ海の色の瞳、長く伸びたまつ毛、少し低めの鼻、ほんのりと色づいた頬、ばら色の小さな唇。素朴な顔立ちはしかし個性を持っており、家出をした少女のように不安げな表情が印象的だった。忘れない。
 では、さようなら。
 彼女は目を剥き、あっけなく爆ぜた。
 生ぬるく生臭い液体が、顔や腕に飛び散った。白のタンクトップは紅蓮に染まり、足元には紅い海が広がった。
「残念ですご婦人。貴女に罪などなかったのに」
 幼い罪人の産声は、ついに誰も聞けなかった。私は宿っていた小さな命と、若い母親に向けて、レクイエムを歌ってやることにした。
 壊れた窓からは、あたたかな陽の光が差し込んでいる。哀れな二人に安息を。両手を広げて鼻歌を歌えば、私の口角は愉悦を浮かべてにんまりと持ち上がった。


Afterword

「第21回キン曜日はキンブリーデー」
(20180216)




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