※名前変換はございません。 幼い頃、ツリーに飾った靴下を覗くと、プレゼントが入っていた。当時の私は、それはそれは飛び上がらんばかりに喜んだ。ちゃんと良い子にしていたからサンタさんはうちに来てくれたんだと、私の欲しいものを届けてくれたんだと思ったら、家族や友人たちにそのことを報告せずにはいられなかった。サンタさんに一言お礼を言いたくて、からっぽの靴下にお手紙を入れた。「サンタさんありがとう」。私の書いた手紙を、また夜中にこっそり読みに来てくれると信じて。 それから少し年月が経ち、サンタクロースは幻想なのだと知った頃のこと。私は父の運転する車に乗って、家族でケーキを買いに行った。大好きな歌手のクリスマスソングを聴きながら、車窓から見えるイルミネーションの光を眺めて、お店に着くまでわくわくと胸を躍らせていた。買ってもらったできたてのケーキを車の中でつまみ食いして、汚した指先をぺろりと舐めて笑ったことも覚えている。 明るいクリスマスソングと切ないその歌が街中で交互に流れるように、楽しいクリスマスを過ごす人々がいる一方で、そうは思えない人々がいる。そんなことなんかつゆ知らず、あるいは忘れたふりをして、あの頃の私は無邪気にはしゃいでいた。クリスマスの思い出は、いつだって懐かしい色できらきらと輝いていた。 こほ、と咳がこぼれる。マスクをくいと上げ、次の書類を取ろうとして、その書類の山の高さを知る。全然低くはならないその山を見て、マスクの中で唇をへの字にした。 楽しいクリスマスになるはずが、今年は家に帰れそうにない。風邪をこじらせてしまって昨日まで三日間、ずっと寝込んでいたおかげで、そのしわ寄せが一気に来てしまった。朝からコツコツと消化しているけれど、まだ熱っぽい頭はなかなか本調子に戻ってはくれず、思うように仕事が進まない。この調子だと、明日いっぱいまでかかりそうだ。 今頃、友人たちは大切なひととこの日を楽しんでいるのだろうと思うと、無意識にため息がもれ出そうになる。本当なら、私も大切な恋人とともに甘い時間を過ごすはずだったのに、彼もそのように予定を組んでくれていたはずなのに、こんなことになってしまって。 「……キンブリーさん、ごめんなさい」 「なぜ謝るんです」 上司であり、大切な恋人であるキンブリーさんは、万年筆を走らせる手を止め、ほんの少しだけ呆れたようにまばたきをした。 ただひとつ救いなのは、聖なる夜に大切な彼がそばにいること。だからと言って、ここが職場で、ふたりは仕事に追われているという事実が消えるわけではないのだけれど。 「病み上がりだというのに、こんな時間まで働かせてしまった私こそ、貴女に謝らなければ」 私は慌てて首を横に振る。すべて、自分の自己管理能力の甘さが招いた結果なのだから。私がいない間、彼はひとりで多くの仕事を抱えていたのだから。 そのことを口にしようとしたとき、声の代わりにまた咳が出てしまった。 「もう今日は帰りなさい。無理をして、また酷くなっては困ります」 「お気持ちは嬉しいんですが、せめて、あと三十枚は終わらせておかないと」 先延ばしにした分だけ、後がつらくなるのは知っている。もうすぐ年末年始の休暇もあることだし、今日のノルマは今日のうちに片付けておかないとだめだ。なにより、これ以上彼に私の仕事を背負わせられない。 再びペンを握ったとき、彼は無言で立ち上がった。そして、私のデスクに近寄り、書類の山をすべて持ち上げる。 あ、と声を出すものの、彼は振り返らずにそれを持ち運び、自分のデスクに置いた。一番上の書類が一枚、はらりと落ちた。 「後は私に任せて、さあ」 少佐の優しさが、身に染みる。けれど、言われた通りに帰り支度をするのは、なんだかはばかられた。仕事を増やしてしまったのもそうだけれど、今夜は彼と一緒にいたい。たとえ甘い時間を過ごせなくても、そばにいたいと思ってしまう。 とは思うものの、風邪を引いた部下がいつまでも帰らないのも迷惑かもしれない。万が一、彼に感染ったら大変だし、咳の音などで集中できなかったりしたら申し訳ない。それに、彼の言う通り、これ以上酷くなってまた仕事に支障をきたしてしまったら、救いようがない。 しばらくそうしてぐるぐると考えていたけれど、結局は彼のご厚意に甘えることにした。 「それじゃ……すみません、少佐」 「ええ、お気をつけて」 若干の罪の意識を覚えながら、荷物をまとめて、鞄を肩にかける。そしてドアを閉める前に、メリークリスマス、と言って笑った。彼は、微笑みを返してくれた。 寒いロッカールームで着替えていると、ふらふらとした頭に色んな後悔が浮かんでくる。 本当は楽しいクリスマスを過ごすはずだったのに。プレゼントも、ターキーもケーキも用意したかったのに。彼との素敵な思い出を、つくりたかったのに。家に帰っても、まだ飾りつけも終えていないツリーが、暗闇の中で私の帰りを待っているだけなんて。 心の中で思い描いていた、ふたりだけのささやかなパーティの想像が、ふとよぎる。シャンパンで乾杯し、美味しいディナーをふたりで味わう。一生懸命選んだプレゼントを開けた彼が、顔をふっと綻ばせる。そうして、明かりを消して、愛を確かめて。窓の外はちらちらと雪が降っていて、飾ったツリーの電飾がほのかに光っていて、ふたりで毛布にくるまる――そんな夜。 誰かに聞かれたら笑われてしまうのではないかと思うほど、できすぎた理想の夜を想像していた自分を、笑ってしまいたくなる。子どもの頃と同じように、私のクリスマスはいつだって素敵なのだと、まだ信じているのだから。 腕時計は、二十二時ちょっと過ぎを指している。今日は早めに寝て、明日に備えよう。いつもより早く登庁して、仕事を片付けよう。 コートを着て、ロッカールームのドアを閉めた。ときおり小さな咳を響かせながら階段を降り、エントランスに向かった。 すると、そこに予想外の人が柱にもたれて立っていた。キンブリーさんだ。 「あれ、少佐もお帰りですか?」 「ええ、そうです。もう夜も遅い。ご一緒しましょう」 その返事を聞いて気づいた。私を待っていてくれたのかもしれない。 彼は珍しく、大きめのビジネスバッグを持っていた。きっとその中に、あの書類の束が入っているのだろう。お礼と謝罪を口にすると、彼は青の瞳を細めて、こちらに手を伸ばした。背中に垂れていたらしいマフラーの片方を、胸の前に持ってきてくれたのだ。 「さあ、行きましょう」 思わず笑顔になる。こくりと頷く私の心は、春風が吹いたように温かくなった。 その胸の内とは反対に、一歩外に出ると、冷えびえとした寒風がぶわりと襲ってきた。前髪もマフラーも無造作に乱し、肩を縮めさせる。夜空に光る星々まで、震えるようにか細く光っていた。 帰り道には、華やかなイルミネーションに彩られた木々はないし、ムードを盛り上げる雪だって降っていない。家に帰っても、プレゼントもターキーもケーキも、それに完成したツリーだってない。けれど、そんなことはもう、いいんだ。 そんなものはなくても良い。こうして今ふたりで、並んで道を歩けるなら。そばにあなたがいてくれるのなら。 今まで過ごしてきたクリスマスとは似ても似つかぬ今日の日。それでも心は満たされている。そう心から言える、そんな自分に変わっていることに気づいた。 これは、嘘でも強がりでもない。あなたが教えてくれた、本当の気持ちだよ。 Afterword(アメストリスにはクリスマスがない)(なぜなんだ) |