※名前変換はございません。 どうしよう。 完全に迷ってしまった。ここはどこなの。 士官学校の入学初日。自他共に認める超方向音痴の私は早速迷子になってしまったみたいだ。 建物と建物の間を当てもなくうろうろする。もう何度も同じ道を歩いている気がした。 すれ違う上級生に道を聞きたくても委縮してしまって聞けない。軍人のタマゴといえど、上下関係における上級生への戒律は厳しいのだ。下手に話しかけて面倒なことになるのは避けたい。 もうじき日が暮れる。早くしないとせっかくできた友達を待たせることになってしまう。あるいは怒って先に寮へ帰ってしまうかもしれない。 「あぁどうしよう……」 「そこの貴女」 思わず漏れた呟きを奇跡的に拾ってくれた人がいた。弾かれたように振り返ると、外壁に沿って並べられた木箱に座った上級生らしき人がこちらを見ていた。黒髪の男の人だ。 「先ほどからここを右往左往しているようですが」 救世主だ……! 上級生のお兄さん、ナイス! 「はい、あの、実は道に迷っ「時間があるようでしたら少々手伝っていただきたい」 「 」 「……できました。ちょっと歪んじゃいましたけど」 「いえ、綺麗な円です。助かりましたよ、右利きですので」 私は何をしているんだろう。人助けなんてしている場合じゃないのに。 依頼主が微笑む。というより、人の良い微笑みを貼りつけたって感じ。まあそれは私も同じかもしれないけど。 何を手伝わされるのか身構えていたが、内容はとても簡単なものだった。彼の右掌に黒マジックで図形を描く、ただそれだけだった。さすがに利き手の掌に図形は描けないよね、誰かに手伝ってもらわないと。 はじめに円を、その中に三角形を、またその中に太陽の絵柄を描き入れた。たったこれだけで依頼は完了。フリーハンドとはいえ我ながら上手く描けたと思う。左掌にはすでに別の図形が描かれていた。 「♪〜♪〜」 握っていた黒マジックにキャップを填めて返却しようとしたが、彼は鼻歌交じりで自身の両掌を満足げに眺めており、なかなか私に気づいてくれない。 「あのう、これ……」 「錬成陣ですよ」 いやそうじゃなくて。しかもそれが錬成陣だってことは錬金術の知識のない私でも分かるし。 ……とは言えないので、へぇ、と驚いておいた。だってやっぱり上級生怖いんだもの。 それにこの人と来たら、微笑んでいるのに有無を言わさぬ迫力が凄いのなんの。口調も丁寧だけどきっと怒らせるとヤバイ事になる。たぶん。 「えっと、錬金術を勉強されているんですか?」 「ええ、独学ですが。ゆくゆくは国家錬金術師の資格を取りたいと思っています」 無難な相槌を入れる。話を聞くとなかなか勉強熱心な人らしい。 「せっかくですから陣の解説をしましょうか。先ほど貴女に描いていただいた錬成陣の太陽は、錬金術の記号では雄、または男性という意味になります。同じく左手の月は、雌または女性を表している。この状態で手を合わせると錬成反応が起きます」 「は、はぁ……」 「雄と雌、男性と女性、これが交わるということはつまり……?」 彼はそこで言葉を切った。 ん? 雄と雌、男性と女性、これが交わる? え、それってもしや。もしかしなくてもアアア、アレのことッ……!? 彼は人差し指を立てて口を開いた。 「答えは単純明快。雄と雌の交わりは不老不死、あるいは神を表すのです」 「な、なんだ……」 「顔が赤いようですが何を想像されたんです?」 「なっ」 誤解しそうなところで話を区切るあなたのせいでしょー! ……とは言えず、慌てて両手を頬にやる。あ〜顔から湯気がぼんぼん出てきそう。 「ああ失敬。ペンを持たせたままでしたね」 「いえ、それは全然……」 蒼い瞳と一瞬だけ視線が交わる。眉目秀麗だ。 「良ければお見せしましょうか?」 「遠慮しますっ、鏡なんて……!」 「いえいえ。錬金術を、ですよ」 「〜〜っ!」 彼は堪えきれないといった風で声を出さず、可愛らしい方ですね、とくすくすと笑い始めた。 紛・ら・わ・し・いっ! しかも絶対アホだと思われてる! ていうか色々恥ずかしすぎてもう顔見れないよ……! 両手で顔を覆ったままうなだれた私の肩が優しく叩かれる。指と指の隙間からそうっと隣を見ると、彼はおもむろに立ち上がり、倉庫の壁の端まで歩いた。 「お見せしましょう」 ずらりと並んだ木箱の列の、最初のそれをコンコンと叩いて何かを確認した後、彼は両掌を広げた。手を合わせて木箱に触れると、青白い光とともに錬成反応が起き、乾いた木製の箱はなんと爆発してしまった。 「危ない!」 煙が立ち上り、木片はそこらに飛び散る。私は彼の元へと走った。 錬金術は物を生み出す技術であって、何かを破壊するものではないはず。おそらく錬成は失敗したに違いない。 「大丈夫ですか!?」 「……? ええ……」 目を丸くした彼は、瞬きを数回繰り返した。自分でも何が起きたか分かっていないのか、呆然と私を見ている。 「とりあえず怪我がなくてホッとしました……」 「怪我? するはずがないでしょう?」 「でも錬成は失敗したんじゃ……」 「失敗? どこからどう見ても大成功ですが」 今度は私が目を丸くする番だ。聞けば、彼は爆発系の錬金術を研究しているらしい。 道理で反応が芳しくないと思ったよ……。 「なんだ、それを先に言ってください。本気で心配したんですから……!」 「それはそれは、失礼しました」 彼は穏やかな表情で目を伏せた。涼やかながら、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出すこの人に、私は無意識に惹かれていた。 変わってるし、なんだか危険な香りがするのにどうしてだろう。 「やはり遠隔錬成はまだ……おや、ギャラリーが来ましたね。見つかる前に退散するとしましょうか」 先の爆発音を聞いて次から次へと野次馬たちが集まって来る。その中には私が会いたかった友達もいた。 「名残惜しいですが、私はこれで」 「あっ」 踵を返した上級生に向かって敬礼する。夕日はもうほとんど沈んでいた。 ……ちょっと変わった人だったけど、入学早々いい人に出会えたな。 また、会いたい。 「ああ、それから」 三歩歩いた彼の脚がぴたりと止まる。束ねた髪を揺らして、こちらを振り返った。 「今度会えましたらぜひ貴女のお名前を伺いたい。良いですか?」 彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。静かに静かに、胸が高鳴る。 「……Yes, sir. 錬金術、見せてくださってありがとうございました」 その時はあなたのお名前も教えてくださいね、と付け加えたくなった。が、やっぱりやめた。 なぜってもう言葉は必要ないと思ったから。それからほとんど夜の色に塗られた夕焼け空があまりにも綺麗で、どこか懐かしい風が吹いたから。 言葉の代わりに微笑み返せば、彼は瞳を閉じて再び背中を向けた。口元の笑みを絶やさぬまま。 Afterword士官候補生時代の若キンブリーにぜひともお会いしたい。 |