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3.
 キンブリーにはしばらく恋人がいなかった。最後に恋人ができたのは士官候補生卒業の年で、その相手とは三ヶ月も経たないうちに別れていた。一年持てば良い方、ひどいときはたったの五日で関係が終わる。付き合いましょうと言うのはいつも女の方で、別れましょうというのはいつもキンブリーの方だった。
 というのも彼は、男女関係なく人に恋愛感情を抱いた試しがなかった。それでも相手からの告白を了承するのは、蟻を踏み潰すよりもまだ少しは面白みがあって、ちょうど良い夜の相手が欲しかったからだ。だが、士官学校を卒業し正式に軍人になってからは、恋人をつくるよりも娼館で女を抱いた方が後々面倒のないことに気づいて、以来そのようにしている。しかし、最近はそれすらも気が進まず、ひとりの夜をもうずっと重ねていた。
 どういうわけか、キンブリーはマゾヒストの女に好かれやすかった。敬語口調でカモフラージュしていても滲み出てくる内面の圧や、色素の薄いアメジストによく似た冷めた瞳から、彼女たちは無意識に彼に迫られたときの想像をしてしまうのかもしれない。彼は、石膏から彫刻刀で掘り出されて生まれたかのような、気品と気高さを兼ね備えた恵まれた容姿をしていた。プライベートで被る白い帽子の影から覗く優美なまなじりは、ときに鋭く、ときにやわらかく形を変えた。手の甲に顎を置きながら思案し、それを見る女の視線に気づくと流し目で答え、無言で口端を上げる。すると大抵の女は、胸を鷲掴みされたかのような甘い衝撃を感じ、しばらく彼のことが頭から離れなかった。
 彼から滲み出る色気は、女だけでなく男も魅了した。男性には珍しい長髪を束ねたヘアスタイル、白磁のような色白の肌、どこか癖のある声など、同性愛者はこぞって彼に目をつけていた。だが、士官候補生時代からささやかれている噂のせいで、誰も彼とお近づきになろうとはしなかった。
 その噂の出来事は、彼が士官候補生として過ごした一年目の冬のさなかに起こった。候補生たちの住む男子寮では、八畳ほどの部屋で四人が寝起きする。二段ベッドは壁際に左右ふたつ設置されてあり、キンブリーのベッドは右側の下の段で、その夜は羽毛布団を肩までかけて就寝していた。
 そこに、同室の男色家の男が忍び込んだ。時刻は深夜二時。彼以外の三人は夢の中で、寝息といびきをたてていた。男は息を潜めて、彼の右隣りに寄り添うようにして、布団に入る。そして、彼の身体をそっとまさぐった。違和感で目覚めたキンブリーは、許可もなく己の身体に触れている誰かを認識し、一気に頭が覚醒した。そして、「なあ、良いだろうキンブリー」とうっそりとささやかれたその声で、胸の中に憎しみの黒い炎がゆらりと燃え上がったことを自覚した。
 キンブリーは、晩秋に刻んだばかりの太陽と月の錬成陣を迷いなく合わせ、自分の腰を触る男の手を掴んだ。暗闇に稲妻のような錬成反応が光り、男は絶叫して激しく身もだえ、布団の中は生臭い紅蓮に染まった。騒ぎで飛び起きた同室のふたりは、慌てて部屋の電気をつける。声のする方に近寄れば、上体を起こしたキンブリーが眩しそうに、そして鬱陶しそうに目を細め、落ちてきた長い前髪を掻き上げて一言、「最悪です」と呟いていたという。
 これは、あくまでも噂である。だが、その事件の後、寝込みを襲った男を見た者は誰もいない。その日のうちに寮から姿を消し、いつの間にか士官学校でも見なくなった。中退していたのだ。それから半年後に流れたある噂では、男は右手首から指先までをまるまる機械鎧オートメイルにしていたという。男は固く口を閉じ、中退した理由も、機械鎧に変えざるを得なかった理由も、最後まで誰にも告げなかった。発見者とされる同室のふたりはだんまりをきめこんでいたし、キンブリーも以前と少しも変わらぬ様子で寮に居座り続けた。キンブリーは、そのまま卒業まで「優等生」の仮面を外さずに過ごしたのだった。
 そんな物騒な噂を、しかしどうにも真実味を帯びているその噂を、同性愛者の誰もが知っていた。百人の男を手中に収めたと言われている、男色家で有名なとある中将でさえも、彼に決して近づこうとはしなかった。ただの噂だろ、と一蹴する輩もいたにはいたが、いざ彼を目の前にすると、口説き文句やスキンシップといったアプローチを仕掛ける勇気が引っ込んでしまい、結局は無難な声掛けをして終わる。なにも知らずに彼と話している男と女が、最も幸せだった。




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