四.
 母への手紙をしたためた夜、キンブリーは珍しく眠ることができなかった。美しく完璧な人間でありたかったというのに、自分はやはりどこまでも矮小な人間なのだと思い知らされてしまった。キンブリーは様々なことに思いをめぐらせ、結局朝まで寝つけなかった。
 翌日は、普段通りの一日を過ごした。朝食を食べ、運動時間にジョギングをし、機械の歯車を回す仕事をし、週三回だけのシャワーを浴び、夕食の配給の列に並び、部屋に戻った。そうして、いつもと変わらない日常を過ごすことで、キンブリーの精神は普段感じている平穏を取り戻した。
 そうして、彼はもう一度タイプライターに向かった。誰かに手紙を書かなくてはならない、と感じたからだ。それはほとんど使生命感に駆られたような心持ちだった。誰かに、一番大切な誰かに書かなくてはならない。その人になにか書くべきことがあると直感が告げていた。
 記憶している人々の中でひときわ光る存在があった。キンブリーは、あの中の誰よりも不憫であった「彼女」に向けて、詫びる思いで指を動かし始めた。

 名も知らぬ星 イシュヴァールの少女へ

 貴女は私が誰だか知らないでしょう。私もまた、貴女のことをなにひとつ知らない。
 私が分かるのは、貴女のお顔だけです。諦念を宿した、凪いだ紅い瞳をしていた。丸くて低い鼻の周りには、そばかすがちらちらと星のように降り注いでいて、小さく血の気のない唇は、私を恨むように固く引き結ばれていた。頬は土で擦れた跡があり、右眉の下のほくろが「忘れないで」と泣いていた。褐色の肌と同じ色の土埃が、白くやわらかそうな髪をけがしていた。瞳と肌と髪の色が、貴女をイシュヴァール人たらしめていた。貴女は静かな憎悪の炎を燃えたぎらせ、私と目を合わせた。そのお顔を、今でもはっきりと覚えています。
 貴女と出会ったのは、陽も沈みかけた夕刻のとき、第十四地区のある小屋の中でしたね。地区の爆破後、生き残ったイシュヴァール人がいないか点検しに行くと、先の爆発で脚を怪我して逃げようにも逃げられなかった貴女が座り込んでいました。私たちが顔を合わせたのは、ほんの数秒のこと。貴女は私が誰だか知っていたかのように、先ほど記した鋭いまなこで私を射殺そうとした。悲鳴を上げることも、私を罵ることもなく。その覚悟、実に立派でしたよ。
 貴女が強き覚悟を持って私と対峙したように、私もまた、覚悟を決めて貴女の前に現われました。きっと貴女にしてみれば、悪魔のような存在である私に覚悟も慈悲もない、と思っていることでしょうね。いいえ、そうではありません。私は軍人として、仕事として、貴女方の生命を奪う覚悟を携えて戦場に立っているのです。もちろん、慈悲の心だって持ち合わせています、人間ですから。
 生半可な思いでは人を殺めることはできません。もし、半端な思いのまま人を手にかけると、そこには必ず葛藤や後悔や罪悪感が、胸の内を占めます。それでは、まるで仕事にならない。軍人としてのり方を、真の意味で理解していない。
 私の言う覚悟というのは、いわば責任感のことです。我々軍人は、貴女方イシュヴァール人の尊い生命ひとつひとつを奪う責任を、常に重く感じていなければならない。貴女方の生命を奪ったその罪、十字架を生涯背負って生きていく。その哀しき定めを、理解し、受け入れなくてはならないのです。
 本来、誰人も人の生命を奪う権利はないと、私は考えています。誰かの存在、また誰かの可能性に満ちた未来を消し去ることがゆるされる、そんな人間がどこにいるというのでしょう。もしいたとするのなら、とんだ思い上がりです。恥ずべき傲慢です。
 だからこそ、戒めなければならないのです。生命の重さと覚悟を肝に銘じなければならないのです。自身が手にかける人々のことを、決して忘れてはならないのです。それが、生命を奪った方々へのせめてもの弔い、また償いに繋がると信じています。
 私が貴女に伝えたかったことは以上です。
 貴女が私の顔を決して忘れないのと同じように、私もまた、貴女のお顔を生涯忘れない。一日たりとも忘れない。
 戦場で見た満天の星は、まるで貴女の美しいそばかすのように輝いていました。

どうか安らかに 名もなき国家錬金術師


 キンブリーはここまで書き終えると、もう一度あの少女のことを思った。殲滅が自身に課された仕事だったとはいえ、未来の拓けた子どもの生命を奪ってしまうのは、少々辛いものがある。しかし、そこで後悔したり引きずったりしようものなら、人の生命を奪う資格などない。我々軍人は、そのような次元を超えて、突き抜けていかねばならない。たとえ軍に戻れなくとも、この覚悟はいつまでも持ち続けていなくては。
 完成した少女への手紙を手に取ろうとした、そのときだった。
「入るぞキンブリー」
 ドスのきいた声とともに鍵の音がする。キンブリーは手早く手紙を折り畳み、机の上に置いた。ギイ、とドアを開けて太った看守が入ってくると、キンブリーはゆっくりと振り返った。
「こんばんは。ご用件は」
「そろそろ書けた頃だろ。様子を見に来てやったぞ」
「なんの話でしょう」
「手紙に決まってんじゃねえか。せっせと書いてたんだろ、早く出せ」
 看守は掌をキンブリーに向けて伸ばした。どうやら、検閲してやるということらしい。
 キンブリーはその手を一瞥し、看守の目を見て言った。
「生憎ですが、気が変わりましてね。出さないことにしたんですよ」
「なんだ、読まれちゃ不味いことでも書いたのか」
「いいえ、特にそういう訳では」
「じゃあ早く出せ。届けてやるっつってんだからよ」
 キンブリーは眉間に皺を寄せる。こちらが断っているというのに、不躾である。
 さらに看守は檻の中にドスドスと足音をさせて入り、あろうことかテーブルの上の手紙に手を伸ばそうとした。それを、キンブリーがやんわりと制止する。
 読まれては困る。誰にも見られたくない、知られたくない思いが、その手紙につづられているのだから。
 キンブリーは手紙を掴み、看守の魔の手を拒もうと後ろ手に隠す。
「へっ、爆弾狂のおまえのことだ、どうせ良からぬ計画でも企ててんだろう」
「まさか、そんなことしませんよ」
「なら、証拠を見せてみろよ」
 そこでキンブリーは勘づいた。これは検閲目的ではない、ただ単に興味本位で内容を覗きたいのだと。私の手紙を気味悪がって、面白がって、ただの暇つぶしに使いたいだけなのだと。
 ならば、とキンブリーは後ろ手にまわした手紙を、胸の前に持ってくる。
「お、結構書いてんじゃねえか。どれどれ……」
 看守の手をかわし、手紙をぐしゃぐしゃと丸めた。そして、怪訝な顔をした看守に薄く笑いながら、それを口の中に放り込んだ。
「な……!」
 口内の紙が唾液に浸っていく前に、ごくりと音をさせて嚥下してみせる。紙が喉の奥を引っ掻いて、ゆっくりと食道に降りていく。その感覚を覚えながら、看守の驚き、困惑した表情かおを味わう。看守のそれは次第に、ゲテモノ料理を嫌々噛み締めているような気味悪さをあらわにし、最後には軽蔑の視線を向けた。
「……本当に訳が分からん、おまえだけは」
「多少、複雑な人間なんですよ」
「イカれてる。……とんだヤギ野郎め」
 看守は力なくかぶりを振ってキンブリーをひと睨みした後、檻の外へと出て行った。
 ガシャン、と錠のかかる音が響く。キンブリーは息をつき、首の骨をコキコキと鳴らした。そして、以前書いた二通の手紙をアルミ製の四角いケースから取り出し、小さく折り畳んで、同じように飲み込んだ。
 手紙を飲み込むこと、それは自身の思いを綴った言葉を、もう一度はらの中に戻す作業だった。彼は自身の想いを、呑み込んだ。誰に見せることなく、誰に伝えることもなく。
 殲滅戦の際に飲み込んだ賢者の石のように、手紙を吐き出すつもりはなかった。そうしたところで、紙もインクも無残に溶けてしまっているはずだ。その方が良い、とキンブリーは思った。もうあの内容を振り返り、再認識する必要はないのだから。
 キンブリーは、胃の中で黒のインクがどろどろに溶けたところを想像した。胸の中の思いが、あるべき場所にかえったことを喜んだ。これらの思いは自分の中で消化されれば良い、それだけで充分だ、と。
 最後にキンブリーは、水をこくりと流しこんでベッドに潜り、今日という一日にカーテンを引いた。
 夢の中で、自らが手にかけた大勢のイシュヴァール人が出てきた。あのそばかすの少女は、地面に座ったままやはりなにも喋らなかった。しかし、対峙した日よりもずっと深く、雄弁な眼差しでキンブリーを見つめていた。




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