Good Bye Jealousy
私は妬かない。
「キンブリー少佐ぁ、この後お時間ありますぅ?」
「ええ、空いてますよ。なにか?」
「あのぉ、射撃のアドバイスをいただきたくてぇ……」
私は妬かないから。
「毎日熱心ですね、良いでしょう。では十七時に射撃場で待ち合わせしましょうか」
「わぁ〜ありがとうございますぅ〜!」
彼女の黄色い声と同時に、私はデスクから立ち上がった。そして、もうひとりの候補生に声をかけ、彼とともに執務室を後にする。
……妬いてない。絶対に妬いてないんだから。
毎年この時期には、軍人のたまごである士官候補生の研修期間が設けられている。いわゆる職場体験、インターンシップのようなもので、佐官クラスの軍人ひとりにつき二、三名の士官候補生がランダムであてがわれるのだ。
今年、キンブリー少佐のもとに来た候補生は、ふたり。積極的で明るいカーリーさんと、消極的でやや内気なジャスティンくんだ。彼女の得意分野は射撃、彼は学科の成績が優秀だと事前報告書に記載されていた。
ふたりとも、素直で良い子だ。私の代わりに、少佐の雑務をほいほい片付けてくれ……いやいや。とにかく物覚えはいいし、指示したことをきちんと守ってくれる、申し分のない子たちだ。
しかし彼女は、カーリーさんは素直すぎる。あまりに素直なもんだから、少佐への好意を隠すどころか、これでもかというほど開けっぴろげに示していて、私はそれに参っている。
私だって少佐と話したい。射撃のアドバイスをもらいたい。
やっぱり、妬いてるって、認めなくちゃ。
「ラシャード少尉、今からどこに行くんですか?」
その声で、はっとする。そうだ、ジャスティンくんを連れて執務室を出てしまったのだった。それなら、会議で必要な書類を一緒に持ってもらおう。
印刷室には、紙を刷る機械音だけが延々と続いている。途中で紙が詰まったので、ジャスティンくんに取り除いてもらおうとしたのだけれど、彼は機械音痴らしい。なにを間違えたのか、機械はピーと悲鳴を上げてぐちゃぐちゃの紙がたくさん出てきてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
「良いのよ、謝らないで」
なんとか知恵を絞りだし、詰まったボロボロの紙をすべて取り除いた。これでもう一度、書類を刷って欲しいとお願いする。
次こそ失敗しないようにと焦ったのだろうか、ボタンを押し間違えて今度は頼んだ枚数よりも五十枚も多く書類が出てきてしまった。古い機械だから、キャンセル機能など存在しない。嘆くように謝る彼を、大丈夫とフォローしながら、すべての書類が出てくるまで待った。
時間はかかったけれど、なんとか予定通り印刷作業は済んだ。けれど、このできたてほやほやの書類の山を、またあの執務室に運ぶと思うと、つい小さなため息をついてしまいそうになる。
紙の束を机でトントンと、整えているときだった。
「少尉、僕は全然お役に立ててませんよね」
「そんなことないわ、いつも本当に助かってるわよ?」
「ですが今だって……」
彼は自信のなさが滲む声で、窓の方を見ながらしょんぼりと喋った。
「いつもカーリーさんの働きぶりを見て思うんです。僕はあんなにテキパキと仕事をこなせないって」
「ジャスティンくんの仕事は丁寧だからミスが少なくて、少佐と私は大助かりよ」
「そうでしょうか」
私は、微笑んで頷いた。きっと、彼に過去の自分を重ねているんだと思う。
「私なんか、候補生時代、ある大佐にコーヒーをぶちまけちゃったことがあるんだから」
「本当ですか!?」
あのときのことはもう笑い話にできる。彼も少し笑ってくれた。
「最初はみんな、失敗するものよ。大変だと思うけど、なにかあったらいつでも声をかけてね」
「はい!」
返事と同時に、印刷室のドアが開く。キンブリー少佐だった。
気まずい。とても気まずい。あんなタイミングで執務室を出てしまったから、きっとやきもちを妬いたと思われている。その通りだから、なんだかばつが悪い。
「ラシャード少尉、十七時に射撃場に行くように。なにか予定は?」
「ありません……」
「では、お待ちしてますよ」
有無を言わさぬ笑みでこれだけを伝えると、少佐は刷りたての書類をすべてかっさらって出て行った。
どうして私まで誘われたんだろう。十七時に射撃場というと、確かカーリーさんが……。
そこまで考えてはっとする。もしかして!
十七時になった。空が鮮やかな橙色に塗られている。風も少なく、射撃にはもってこいの気候だ。
私とカーリーさんは、キンブリー少佐の命令で、射撃対決をすることになってしまった。
おそらく射撃が不得意な私を、この機会に鍛え上げようという魂胆なんだろう。それにしても、対決なんてしなくて良いのに。
「練習だと言えば、貴女、手を抜くでしょう?」
「抜きませんってば……」
私が手を抜いたりしたら、弾は的にすら当たらない。いや、もしかしたら、隣の的に当たるかもしれない。それほど私の射撃の腕は良いのだ。
やるからには真剣に挑む。少佐が見ているし、なによりあの子には負けられない。少佐の部下として、また恋人としても、負けるわけにはいかない。
先手は彼女、カーリーさんだ。正しい姿勢で狙いを定めて、撃った。ダン、と音が響き、火薬の匂いが鼻先をくすぐる。銃弾は、人型の的の中心より、三センチほど右の箇所に埋まった。
……上手すぎる。
「あ〜、失敗しちゃいましたぁ〜」
「いいえ、候補生でこれなら上出来ですよ。さすが得意分野だけありますね」
そうだ。事前報告書には、射撃が得意と書いていたじゃないか。なんということだろう!
「さ、次はラシャード少尉の番ですね。先輩として、良いお手本を見せてあげてください」
ハードルを上げた少佐を、きつく睨んだ。私の腕を知ってるくせに。
ええい、女は度胸。相手が誰でも、受けて立つ!
銃を担いで地面に伏せ、前方を睨む。何メートルか先の的を見ると、俄然緊張してきた。
狙いが上手く定まらない。右に行ったり、左に行きすぎたり。微調整が、普段よりも難しい。
焦ってはだめ。慎重に、確実に、仕留めないと……。
「姿勢が崩れていますよ」
後ろから少佐の声がする。そして、彼はすぐ隣でかがむと、私の腕に手を添えた。
「肘をもう少し広げましょう」
「は、はい」
「そして、両脚をもっと開きなさい」
彼の手が、両脚のふくらはぎに触れ、無理やり広げようとする。断りもなければ、許可も出していないのに。
「ちょっと、少佐!」……などと声を荒げることもできず、私はうるさい心臓の音を聞きながら頷くしかなかった。
カーリーさんをはじめ、皆が見ている前でべたべた触ってくるなんて。私だから良いものの、もしほかの女性に同じことをしたら通報されてしまう。
ああもう、全然集中できない。
「ほら、しっかり前を見なさい。集中して」
誰のせいで心を乱されたと思っているんですか!
軍人として面目丸つぶれの私は、羞恥心と戦いながらも、やっとのことで的の中心に狙いを定める。そして、引鉄を引いた。
ドン、と振動が伝わる。弾は、中心から十センチは離れているであろう頸部に当たった。
「……おや」
片眉を上げているであろう少佐の視線が痛い。私は、彼の表情を見ることができずにうめいていた。
交互に三回撃って、三回とも負けた。射撃対決の結果は、わたくしアヤ・ラシャードの完敗であった。
「少佐が触るからですよ……」
「おや、人のせいにするとは、聞き捨てなりませんね」
カーリーさんと、実は途中からやって来たというジャスティンくんを先に帰らせ、私は少佐と居残り勉強をすることになった。本当は、少佐が手取り足取り教えてくれるのは、もうごめんなのだけれど。
「ですが、カーリーさんもジャスティンくんも見ている前であんなこと……」
「見ているからですよ」
「え?」
「よそ見をしない」
弾薬箱の上に座っている少佐は、後方から色々指示してくる。
ふたりが見ているから、と彼は言った。おかげで、カーリーさんは私と目も合わせてくれなくなったし、ジャスティンくんまであまり喋ってくれなくなった。印刷室のときまでは普通だったのに。
まあ、考えても仕方ない。指導の通りに、もう一度照準を定める。的の真ん中だけを見て、そこに撃つんだと念じて引鉄を引く。
発砲音が響いて、銃弾は中心より五センチずれたところに当たった。
「あ、やった! 少佐、さっきより良い感じです!」
上半身を起こしつつ笑顔を向けると、少佐は微笑みで答えてくれた。
この調子で、ばんばん当てていこう。
「それにしても、良い機会でしたね」
少佐がすっと立ち上がって、私の左隣に座る。
「はい、おかげさまで腕が上がりました」
「それもありますが、もうひとつ」
髪を愛おしそうに撫でられた。はっとして周囲を見たけれど、幸運なことに射撃場にいるのは私たちふたりだけだった。
「私たちの関係をあのふたりに知らしめるのに、ちょうど良い機会でした」
ぼっ、と顔に熱が集まる。そんなことを考えていたなんて。対する少佐は、平気でこっぱずかしい台詞を続ける。
「年下の仕官候補生とはいえ、侮れませんからね。貴女が私以外の異性と楽しく会話しているのを見ると、すぐに割って入りたくなる」
慌てて起き上がって、その場に座る。そして、彼に向きなおった。
「そ、それは私もです。少佐が、女性と楽しそうにお話ししているのを見ると……」
思い出すだけで、胸の奥がじくじくと痛む。やっぱり寂しいし、つらい。
うつむき、言葉を続けようとした、そのとき。少佐の匂いと優しい締めつけを感じた。抱きしめられている。
彼のぬくもりがほのかに伝わったとき、視界はほんの少し、滲んだ。
「えへ……お互いさまですね」
笑ってごまかすと、少佐の大きな手が背中から両肩に移動した。私たちの視線がかち合うと、彼はすまなさそうに言った。
「お詫びに、今晩はとびきり良くして差し上げますから」
今、なんて?
「ですから、今晩は朝までたっぷり「わーわー少佐ー!」
大声を被せて、胸板を押し返す。誰もいないとはいえ、そんな恥ずかしい台詞を言うなんて。
「なんです、アヤ。ああ、もしかしていじめられる方が良いんですか?」
「ちっ、違います! もう、そんな恥ずかしいこと、ここで言わないでください!」
ふっ、と少佐は笑う。そして耳元で、それは楽しそうに告げた。
「では、もう言いません。その代わり、覚えておいてください、今夜のこと」
「わわわ、分かりました! 分かりましたからもう……」
「では、もう三十発ほど撃ってみましょうか?」
その一言で気づく。練習はまだ終わっていないのだと。
微笑みを浮かべて解放してくれた彼に、ぎこちなく頷いた。
(了)20160610
(改)20181223