やっぱり少女お断り





 ――やれやれ、今日も手がかりはなしですか。
 傷の男の発見情報を北方司令部でひたすら待つこと数日、今日もこれといった収穫は得られなかった。早く奴を捕まえて仕事をしたいというのに、いくら待てども尻尾を見せない。
 ふうっと息をつくとそれは白に変化し、すぐに空気に溶け込んだ。ガラス扉から見える外は暗く、陰鬱としていた。扉を押し開くと風がぶわりと吹き、マフラーとコートの裾が靡く。
 門を出て、ホテルへ戻ろうと角を曲がったときだった。電柱に背を預けていた一人の少女がパッと表情を変え、こちらへ駆け寄ってくる。
「キンブリーさん、お仕事お疲れ様です!」
 無邪気な声と屈託のない笑顔に迎えられた。赤いマフラーを巻いたくり色の髪の少女アヤは、今日もここで私を待ち伏せていた。

 はっきり言って彼女は変わり者だ。せっかくの旅なのだから、もっと自由に色んなところへ行けばいいのに、彼女は私と離れるのを嫌がり、仕事が終わる時間を見計らって必ずここに来る。寒空の下、身を縮こませて。
 こんな殊勝なことをするのには訳がある。

『……あと二年待ってください』
『あと二年待ってくださったら、あたしきっといい女になってます。だからその時は』
『その時は、私のことを好きになって、私をキンブリーさんのお嫁さんにしてください!』

 彼女は何故だか私を好いていて、なんとか振り向いてもらおうと必死なのだ。その情熱的な猛アタックをかわすのもなかなか骨が折れる。私としては仕事のみに心血を注ぎたいのだが、彼女の熱烈なアプローチがそれを許さない。だから今日もこうして、同じホテルに着くまでの道すがら、彼女の愛の言葉を永遠と聞く羽目になる。
「キンブリーさん、二年後結婚するために今からお付き合いしましょう!」
「お断りします」
「どうしてですか〜!」
 彼女は私の袖をくいと引っ張る。貴女が大人でないからだ、と何度言えば分かるのか。ぴたりと足を止め、わざと厳しい視線を浴びせる。
「アヤさん。貴女は自分の気持ちばかりをぶつけてきますが、私の気持ちは考えてくださらないのですか?」
「ひょ、ひょっとして、好きな方がいらっしゃるんですか?」
「いいえ」
じゃあ、と懇願するように発された声に、被せる。
「ですが今の貴女とどうこうする気は起きません。諦めてください」
 少女は口を大きく開けたが何も言わず、やがて口を閉じると目を伏せ、俯いた。反論があるものだとばかり思っていたが、今日の彼女は黙り込んでしまった。私もこれ以上会話を続ける気はなく、歩きだした。
 びゅう、と強い風が吹き、裸の木々の枝先が揺れる。すれ違った婦人と子どもは、手を繋ぎながら寒いと声を震わせた。
 さすが北方、中央の冬とは比べものにならないほど冷える。かなり着込んだはずだが、それでも暖炉の前で暖まりたいと思うほどだ。ポケットに手を入れると指が温かいものに触れた。私はそれで右手を温めた。
 たまに振り返って見ると、彼女は私と距離を置き、とぼとぼとただ無言で歩いている。珍しいことに、先ほどの言葉からまだ立ち直っていないらしい。
 ふう、と思わず白い息が漏れる。今度は励まさなくてはならない。放っておいてもいいが、いつまでもこのような調子でいられたらこちらも気分が滅入るのだ。
 私は道の途中にある小さな公園に入り、ベンチに腰掛けた。彼女は不思議そうな表情を浮かべながら、私の隣に立っている。
「キンブリーさん……?」
「寒いでしょう。これをどうぞ」
 ポケットから缶の飲み物を取り出す。退勤時に差し入れに貰ったものだ。コーヒーだろうと思って受け取ったのだが、よくよく見れば残念なことにココアだった。甘いものが好きではないので飲もうとは思わず、捨てようと思っていたが、ひょっとしたらこれが彼女への慰めになるかもしれない。
 彼女は大事そうに両手で包み込むように持ち、あったかい、と嬉しそうに呟き隣に座った。
「ココア大好きなんです」
「それは良かった」
 微笑むと、彼女が缶を見つめながら寂しげに笑う。
「ずるい。そんなことされたらあたし、すごく嬉しくなっちゃいます。それでもっとキンブリーさんのこと、好きになっちゃう」
「……まだ熱いうちにお飲みなさい」
 こくりと頷き、彼女はプルタブを開ける。そして口をつけて熱いと一言もらし、彼女は慎重にちびちびとそれを飲んだ。ニ、三口飲むと、さっき出会ったときのような満面の笑みを、こちらに向ける。
「美味しい!」
 素直な反応に私も笑みを零す。そう、この少女にはあどけない、可愛いところがあるのだ。私が幼い頃は他人の期待に応えよう、求められている演技をしようと、偽りの笑みをよく浮かべたものだが、彼女はそんなことはしなかった。いつも正直で、自然で、赤ん坊のまま成長したような子だ。もし私が彼女と同年代であれば、自分と正反対の彼女を、眩しく思っただろうか。それとも、疎んだだろうか。
 彼女は私の顔をじっと見つめた。やれやれ、また愛の言葉が飛んでくるようだ。
「……キンブリーさんって」
「ええ」
「お父さんみたい」
「はい?」
 思わず聞き返す私を、少女はくすりと笑う。そして夜の色に染まった空を見上げながら、自身の身の上話を語りだした。
「私、お父さんの顔を見たことがないんです。私が生まれる前に、何も言わずに出て行っちゃったんだって。写真も一枚もないの。声も知らない。だからもし、私にお父さんがいたら、こんな感じだったのかな。こんな風に優しく、してくれたのかな……」
 彼女はココアをすする。私は足を組みかえた。
 父の顔を知らないと彼女は言う。知らない方が良い時もあると私は思う。この世に生きる人間は、真っ当な人間ばかりではないのだ。彼女の父親がそうであったかは分からないが、人の皮を被ったばけものや、猟奇的な殺人鬼がこの世界には確かに存在している。そして私も――人の姿をしているが――異端者だ。そうとも知らずに彼女はのんきに私の隣でくつろいでいる。知らない方が幸せだというのは、そういうことなのだ。
 同情はしない。しかし、彼女が背負ってきたであろう苦しみは理解できる。その環境が彼女の「普通」だったとしても、周りの友人の話などで一般的な家族像を知ったとき、彼女は深く苦悩しただろう。両親の揃った恵まれた人間を一度は羨望したに違いない。孤独を感じたであろう彼女は、人よりも強く生きてきたのだろうと想像した。
 彼女の話を聞いてもう一つ理解できたことがある。彼女が私に惹かれる理由、それは無意識に架空の父親と私を重ね合わせているからだろう。理想の父親の幻を私の姿や言動に見ているのだ。以前聞いた彼女の言葉を借りるなら、彼女にとって私は、「運命の人」ではなく、単なる保護者だ。憧憬を恋愛と錯覚しているにすぎない。私は内心安堵した。
「貴女の恋人にはなれそうにはないですが、父親代わりならできるかもしれませんね」
 彼女は目を輝かせた。
 もっとも、私自身優しい父親に巡り会ったことはない。そして今現在子どももいない。だから彼女の理想の父親の演技をするにしても、多少不自然ではあると思うが。
「本当ですか? じゃあ、ふふ、お父さんって呼んじゃおうかなあ」
「ええどうぞ」
 違和感はあるが、少女に恋人呼びされるよりは断然良い。
「それじゃ、お父さん」
「なんでしょう?」
「私のこと、呼んで」
「アヤ」
「えへへ。嬉しい。頭、撫でて?」
 彼女は上目遣いをしながらこちらを見る。いいでしょう、と返事し、くり色の豊かな髪を優しく撫でる。我が子、というよりは飼い猫を撫でるように、そっと。
 瞼を閉じた彼女は微笑みながらされるがままになっている。警戒心も何も、あったものではない。繰り返し撫でていると、彼女はぱちりと目を開け別の注文をつけてきた。
「お父さん、手を繋ごう」
 通りすがる小学生たちが私たちをじろじろと見て、何やら面白可笑しそうに囁きあっているのが見えた。年頃の娘が父親と手を繋ぎたがることは滅多にない。恋人同士が父親と娘に擬態していると思われたかもしれない。
 何も言わずに、差し出された小さな右手を見て、彼女の微笑む顔を見た。悪意など微塵も感じられぬその表情に押され、父親としてですよ、と念を押してその手を握る。
 彼女の手は、ココアを持っていたからだろう、ほんのりと温かかった。その手は華奢で、やわらかい。ふふふ、と彼女は笑い、ぎゅっと手に力を込めてきた。彼女の頬が赤いのは寒さのせいか、それとも。
「お父さん……」
 ふいに彼女は言葉を切った。吐息交じりの、随分と色気のある呼び方だった。彼女は、恍惚とした表情で私と視線を合わせる。濡れたように見える瞳は、視線を合わせたまま、離さない。ぞくり。胸がざわつく。奇妙な感覚が、私を襲う。
 この混沌とした、得体の知れぬ気持ちはなんなのか。この少女に欲情した? まさか、そんな、それはありえない。子どもが変に大人の真似事をするのを見て気持ち悪くなった? 欲を孕んだ熱視線に耐えきれなかった? どちらも、あり得る。きっと、そうだ、そうなのだ。
 内側から湧き上がる謎の感情を振りほどこうと、私は立ち上がった。
「お、お父さん?」
「帰りましょう。……もう遅い」
 彼女の方を見ずに告げると、ぶんぶんと首を振りながら否定語が飛んでくるのが分かった。
「いや」
「困らせないでいただきたい」
 彼女は立ち上がり、私のコートを引っ張る。
「じゃあ、明日もこんな風に会ってくれますか?」
「約束できません。いつ仕事が入りここを出るのか分かりませんから」
「じゃ、じゃあせめて……」
 キスしたい、と蚊の鳴くような声で彼女は言った。私は眉を寄せる。恋人になる代わりに父親の役をするということだっただろう。親子ごっこでは物足りないというのか。
「……父親とするのですか?」
「もう、ごっこ遊びは終わりです。キスして、キンブリーさん……」
 以前はこれで彼女の気が済むのなら、と一度要求に応える演技をして見せたことがあった。実際に口づけはしなかった、しかしその代わりにと彼女はなおもその先をせがんできた。少女を律するため、わざと恐怖心を煽る演技さえしたのだが、彼女はちっとも凝りていない。これが良い証拠だ。
 切なげに眉を寄せ、少女は私と距離を詰めた。彼女は誘うように私の右手に触れる。また、胸がざわつく。不可解で名前も知らないその感情を見ないように、消し去るように、その手を振りほどいた。
「……できません」
 そして、彼女が見せた、悲しそうな顔。不覚にも一瞬、自分の発言を後悔してしまった。
「そう、ですよね。お父さんだもんね!」
 彼女はその表情をごまかすようにココアを一口飲んだ。顔を上げて私に精一杯の笑みを向ける。
 ああ、違った。彼女は幼少の私と同じだった。他人の期待に応えよう、求められている演技をしようと、偽りの笑みを浮かべるのが得意なのだ。恐らく、私よりも。彼女もそうやって生きてきたのだ。父親がいない環境で、彼女は強くならざるを得なかった。その笑顔は、周りに心配をかけまいと、私は気丈だとアピールするために、身につけた処世術なのだ。
 同じ作り笑顔でも、他人を欺こうと会得した私の汚い笑顔とは到底異なる。彼女は純粋で、強かだ。その存在は私には眩しすぎる。だからきっと、私は彼女を疎んでしまうに違いない。
「……それを」
 彼女が左手に持っている缶を一瞥する。
「ココア、ですか?」
「ええ。喉が渇きました」
 飲みかけのココアを受け取り、ぐっと缶を傾ける。ぬるく、甘ったるい味が口内に広がった。決して美味しそうに飲まない、そして喉が渇いているというのに一口しか飲まない私を見て、彼女は小首を傾げている。たいして飲みたくもないそれを飲んだのは、勘の良い彼女なら何故だかすぐに分かるはずだ。
「ありがとうございます」
 にこやかに笑顔を貼りつけ、ココアを返す。彼女はそれをもう一口飲もうとして固まった。
「き、キンブリーさん、今の、これって……!」
「全部飲んでしまいなさい。飲み終えたら帰りますよ」
 言葉の意味に気づいた彼女はこくこく、とロボットのように頷いて、頬をぽっと染めながら缶に再び口をつけた。

(結局、彼女の思い通りですか)


(了)20171112
(改)20180430


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