※名前変換はございません

 オペラ・ゴーストなんて怖くない、と豪語するバレエ団の少女がいた。
 彼女はいたずら好きで詮索好きである。オペラ・ゴーストをとっ捕まえて正体を暴いたらとことんいたずらしてやる、と周囲に言い張り、微塵も怯えた態度をとらなかった。
 子どもの言うことなど相手にするまでもない。私も最初は気にも留めなかった。壁の向こう側から得意そうな声が聞こえても、生意気な娘だと聞き流すだけに終わっていた。
 だが、彼女はだんだん大きくでるようになった。
 ゴーストは臆病者、ゴーストは禿げたおっさん、ゴーストはとんでもなく臭う奴……。
 彼女は、子どもじみた根拠のない悪口を周囲に言いふらし始めた。そうして私が、怒りのあまり地上に姿を現すのを待っていたようだ。
 誓っても良いが、私はチキンでも、つるっぱげのおっさんでも、とんでもなく加齢臭がひどい奴でもない。だからこそ、私の片眉が一瞬くいと上がっても、その手には乗るまいと余裕ありげに微笑むことができた。
 どうせ子どもの戯言だ。どうせ子どもの寝言だ。どうせ子どもの――。
『ねえみんな知ってる? ゴーストって実はドーテー! ドーテーなのよ!』
 おおお、そうか! そんなにも私に会いたいか! 良いだろう! 連れて行こうじゃないか音楽の王国へ!
 私は決して怒ってなどいない、いないぞ。童貞と揶揄されたからといって、雄叫びをあげたり枕を引きちぎったり姿見を割ったりなど、愚かなことはしていないぞ! 断じて! 断じてしていないからな!
 鼻息を荒げて、私はこの無礼極まりない娘をさらった。彼女がひとりになったタイミングで床の切穴を開け、一緒に飛び込み、長い階段と回廊を越え、ボートを漕いでやって湖を渡った。
 そうして地下の楽園へ――もとい彼女にとっては地獄の大穴へ――、娘を招待してやったわけだ。
 自分の身になにが起きているか分からず目を瞬く愚かな娘に、私は顔を近づけて言ってやった。
「おまえは罰としてこれから一生ここで過ごすのだ! おまえはもう地上には出られない。温かな日の光も、舞台の眩しいライトも、金輪際浴びられまい。家族や友人らと二度と会えぬままここでくたばるのだ! さあ、これがおまえの望んだ結末だ! この私を散々罵倒したこと、死ぬまで後悔するが良い……!」
 ロウソクの灯が、彼女の顔を淡く照らした。数多の火を映してきらめくその目に、後悔の涙が浮かぶのはもうすぐだ。
 彼女はどんなふうに許しを乞うだろう? 失意のまま? 震えながら? それともぐちゃぐちゃに泣き喚いた後、瞼を腫らして私に謝罪し続けるだろうか?
 さあ、己の浅はかさを悔やむが良い!
 娘は口元を覆い、目をみはった。
「本当に!? 嬉しい!!」
 ……は?
「ってことは、おじさんがゴーストなんでしょ? うわー、嘘みたい! 私、ずっと会いたかったから! っていうか、えっ、本当におじさんだったんだ〜! うわぁ、嬉し〜!」
 ……んっ。
「それにね、私、こんな秘密基地みたいなところに住むの、夢だったんだ! 地上に出なくて良いってことは、バレエの練習もなしでしょ? やったあ! ピルエットしくじって爪先痛めてから、ずっと練習休みたくて! でもジリー先生は厳しいから、なかなか言い出せなかったんだよねー!」
 ……。
 ……いや、待て待て。私はこんな展開を予想していたのではない。もっとこう、怯えたり、泣いたり、懺悔したりだとかなあ……。
 しかし、彼女は高揚した様子で無邪気に声を上げ、綺麗に揃った前歯を見せる。
「私ってすっごいラッキーかも! みんなと会えないのは寂しいけど、おじさんがいてくれるんだよね? じゃあ、別にいいや!」
「良いのか!? おまえ、本っ当にそれで良いのか!?」
「うん! よろしく、おじさん!」
 屈託のない笑顔を向ける少女に、私はなにも言えず、思わず額を押さえて目を伏せた。
 ――どうしてこうなった……。


Afterword

ギャグ風に。少女とおじさんが性癖です。
(20201116)




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