理想のひとかけら
「呪術師だけの世界を作り上げるらしいよ、アイツ」

夏油に会ったんだって?そう尋ねた私へ、五条は眉間を皺くちゃにしながら言った。現在地は寮の共有スペースである。差し込む月明かりがその横顔を冷たく照らしていた。「ほんっとバカ」ぶっきらぼうに吐き出された言葉には、やるせなさが見え隠れする。

術師だけの世界。
それはまた、極端な話だ。でも『夏油が非術師を殺した』その一報を受けたときからなんとなくそんな気はしていた。だからか、思ったより驚きはない。それよりも納得の方が大きかった。


「やっぱり、そうだよね」
「……やっぱりってオマエ、」
「五条、私さ」


その声を遮るように、そいつの目は見つめないまま、言葉を落とす。


「夏油に会いに行こうと思って」
「っ、ハア?んなこと、」
「五条も硝子も会ったんでしょ?ずるいじゃん。私だけ仲間外れはよくなーい。……だから、」


ばいばい。硝子にもそう伝えておいて。
告げるだけ告げて共有スペースを後にすれば、「オイ!」背後に五条からの声がかかる。けれど、私が彼を振り返ることはなかった。



 ◇



夏油に会うと簡単に言ったはいいものの、私が有力筋を所持しているというわけではない。あったのは根拠のない確信と、自信だけ。でもなんとなく会えるだろうなぁと思っていた。伊達に同級生をやってないのだ。
そうしてその確信に従った結果、共有スペースを飛び出したあの日から数日。今私の目の前には、夏油傑その人がなんともいえない表情で佇んでいるのである。


「お、夏油じゃん。奇遇」
「……なんで君が高専の外にいるんだい?」
「夜のお散歩?」


呆れた顔の夏油はたった今そいつが倒した呪霊を真っ黒の玉にしてしまい込んだ。先ほど私へ向かって襲い掛かってきた2級の呪霊である。

私の確信はつまりこういうことだった。あの夏油が、彼を捕まえようと躍起になっている高専周辺の動きを窺っていないはずがない。呪霊か本人かが近くで見張っているのはまず間違いないだろう。
そこで、彼の監視下でこの前まで何をするにも一緒だったような人間が何かしら騒ぎを起こしたら呆れて……というか、夏油に会うためにバカをやっていることを察して、様子でも見に来るんじゃないか、という仮説を立てたのだ。結果、それは成功した。

移動用の呪霊から地上へ降り立った夏油は「そんなに私に会いたかったかい?照れちゃうな」いつもとなんら変わらない口調でおどけてみせている。私も同じ調子で肩を上下させた。


「だって五条にも硝子にも会ったくせに、私のとこには来てくれないんだもん。妬いちゃった」
「……他意はないよ。あの二人と会ったのだって偶然だし」


二人に会ったのは偶然。確かにその言葉に嘘はないのかもしれない。でも私に会わなかったのは、きっと偶然ではないんだろう。


「――私に会ったら、殺さないといけなくなるから?」


ほら。その証拠に、夏油の瞳が一瞬揺らいだ。


私が生まれたのは呪術師の家系だった。家柄が良いわけではないけれど、先祖代々呪霊が見えて呪力を使えるような。だから私に呪霊が見えても当たり前のように受け入れられたし、呪霊を呼びやすい体質だとわかったときも、まぁそういうこともある、程度の認識だった。術師ならば多少呪霊を呼んだとて問題ない、だけど呪術をきちんと修めて自力で祓えるようにしなければならないよ、そう教えられたのを覚えている。でもその一点において、私は我が家の当たり前から外れてしまっていたのだ。
なにしろ私には呪力を扱うことができなかった。

幸い、だからと言って家族から縁を切られるとか突き放されるというようなことはなかった。しかし日常生活においては如実に困難が現れる。
呪力を扱えないくせに呪霊を引き寄せやすい体質だということは、命の危機に頻繁にさらされるけれど自衛ができないということだ。当然ながら一般社会でやっていけるはずもなく、中学卒業までは殆どの時間を結界の張られた我が家で過ごしていた。そして中学を卒業後は安全に通える学校がそこしかないという理由で高専へ進学。こんな体質では進路を選ぶ余地がないのである。なんなら将来の進路もほぼ自動的に高専職員で確定してしまっていた。

そんなこんなで、呪力を使わない範囲で高専の授業を受け、同時に将来へ向けた資格試験だとか高専職員の諸作業について学ぶことになった。もちろん基本的には高専の敷地内もとい結界の範囲内を出られない生活である。よりによって特級レベルの術師やら反転術式の使い手やら、近年稀にみる有望株揃いの学年に入ってしまったと知ったときは流石に腰が引けたけど、それも最初だけ。案外すぐに馴染んでいた。最強だ逸材だといえど結局皆根はただのガキんちょで、くだらないことをして腹を抱えて笑って、いたって健全に、そして平和に、日々を過ごしていたのである。

そのときが、くるまでは。

多分、日常にヒビが入った明確なきっかけは後輩の死だったのか。いや、それ以前にもきっと兆候はあった。私たちが気づけなかっただけで。
でも屈託なく笑っていた彼がいなくなってしまってから、永遠に続くような気がしてしまっていたあの愛しい日々に翳がさし始めたのは事実である。

そしてその延長線上に、今がある。



「私を止めに来たのかい?」


私に会ったら殺さなければならないから、積極的には会おうとしなかったのか。
その問いに答えることはなく、飄々と尋ねる夏油。それはきっと聞かれると思っていた問いだった。そうでなくても迷わず答えることができる。


「私に、夏油を止める資格はないよ」


私は死線をくぐらない側の人間だ。守ってもらっている側、呪力がない側、夏油が、憎む側。
実際守られることしかできない自分に対しては歯がゆさだけでなく嫌悪感も抱えていた。後輩が死んだときも私に悲しむ資格はないような気がした。だって彼が死んだのは、呪術師が傷つくのは、死ぬのは、いつだって非術師を――私たち力のない者を、守ろうとするから。


「じゃぁ、どうして。私は君に会ってしまったら殺さないといけないんだよ」
「うん、知ってる。でも今動かないと一生会えなくなる気がして」


会えないまま一生が終わるなら、会って話して殺された方がいいじゃん。言えばため息を吐かれた。


「君は、本当ヘンなところで肝が据わってるよね」
「ありがとう」
「あんまり褒めてはいないよ」


呆れた口調のまま夏油は一体の呪霊を出現させる。最近はずっと高専の中にいたからこちらに敵意をもつそれを目にするのは久しぶりだった。特有の瘴気が肌をさすけれど、この状況のせいか恐怖心は湧いてこない。
こちらの様子を窺うように、夏油が真っ直ぐ私の目を見た。


「悟も硝子も私を見逃してくれたからね、一度はチャンスをあげよう。今逃げるなら、次会うときまでは殺さない」
「でも今逃げたら話せないでしょ。どうせ私のことまた避けるくせに」
「……私は本気だよ」
「残念、私も本気」
「……そうか。それは残念」


瞬間、おどろおどろしい見た目をしたそれがこちらへ向かってくる。呪霊から伸びた管のようなものが身体に巻き付いた。当然立ち向かう術はないし、そもそも立ち向かう気がない。全身に感じるのは圧倒的な力と、圧迫感。足の先が地面から離れるのがわかった。同時に刃物を突き刺されたような痛みが走って、思わず身体が硬直する。


「ごめんね。ちょっと痛いかもしれないけど、生気を吸って生体を吸収する呪霊だよ。そんなに話したいなら君が死ぬまで話そうか」
「……ッ、さ、すが、優男だね」
「……この状況で私を優しいなんて言うのは君くらいだと思うよ」


それで、そこまでして何を話したかったんだい?と夏油がその場にしゃがみこんだ。自らの膝に頬杖をつきながら私を見上げるようにして首を傾げている。

私が死ぬまで、あとどれくらいだろうか。時間は文字通り有限なのだ。痛みに歯を食いしばってなどいられない。フゥと震える息で深呼吸をして、ゆっくり口を開いた。


「はなしたいこと、きまってない」
「……」
「夏油にあいたかっただけ」
「……君は、バカなのかい?」


心底呆れたように彼が言った。拍子抜けしたようなその表情はどこか間抜けだ。今までなら夏油の間抜け面なんて爆笑もんだったのに、今はどうしてかひどく悲しかった。


「ひど、私だけじゃなくて、私たち4人、みんなバカじゃん」
「硝子が聞いたら即座に訂正を求めてきそうな表現だね」
「私をお前らと括るな、ってね、ぜったい言うなー……」


こちらへゴミを見るような視線を投げる硝子が容易く想像できる。クスクス笑いたかったけど身体が痛んで叶わなかった。夏油は何を考えているのかわからない声色で「君を殺したら、私は硝子に恨まれるんだろうなあ」そんなことを呟いている。


「でも殺すんでしょ?」
「それが、大義なんだ」
「うん、そっか」


夏油をおびき寄せることに成功してから、今まで。ずっと夏油の瞳には翳がさしている。無駄だとわかっていても、後悔は止まらなかった。

私たちはどうしてこの翳に気づけなかったんだろう。どうしてこれを掬いとれなかったんだろう。私には大したことができないくせに、否、できないから、余計に、様々な思いが溢れた。だって、もっと他の形もあったんじゃないかな、四人で笑える形が。バカやるならみんなでやりたかった。ひとりだけで大バカになってどうすんの。言葉にならないそれらが、喉元に詰まる。

夏油が苦しんでるなら私にも教えてほしかった。力になれないかもしれないけど、一緒に悩みたかった。道を違えるなら散々ぶつかった後が良かった。だって私たちは友達で、それに、私は――。

視界の端にちらつく指先が、白い。もしかしたら走馬灯にも近いのかもしれないけれど、自分勝手な独白がぐるぐると回る中。不意にそこで何かが腑に落ちた。私は、そうか。そうなんだ。


あーあ。こんなときに気づくなんて嫌になっちゃうな。
心底自分に呆れて、苦笑い。きっと表情は伴っていないけれど。


――私は、なんにも守れないんだよね。いつの日か漏らしてしまったそんな弱音を受け止めて、零れた涙を拭ってくれたのは誰だったか。
灰原が亡くなったという報せを受けて、泣けなかった私の背を摩ってくれたのは誰だったか。
テスト前、放課後の教室で問題の出しあいっこをした。資格試験でヒイヒイ言っていた私にホットココアを差し入れてくれた。髪の毛を切るたび、真っ先に気づいて「いいね、似合ってるよ」と褒めてくれた。先生に内緒で、たまに街へ連れ出してくれた。私の愛おしい日々の真ん中には、いつもいつも、その姿。


「わたし、夏油のことすきだったみたい」


呪霊に殺されるときって、きっと辛くて苦しいんだろうな。ずっとそう思っていたけどそんなことはないらしかった。最初に感じた痛みも今はあまり感じない。感覚がマヒしてきているのか、もしや夏油がそうしてくれているのか。ありえるなぁ。優しい奴だからさ、本当に。

段々鈍くなっていく思考だとか、もうそこらじゅうの感覚がないことだとか、じわじわと死が近づいている感覚はある。死にたくないな、と思わないわけではないけど、夏油のいない世界で生きたいとも思えなかった。なによりそいつの望む世界に私はいないのだ。だから、


「そんなにかなしい顔しないでよ」


あ、結構いっぱい話せたな。こんなにじっくり殺しにくる呪霊、あんまいないでしょ。すぐに殺す手もあっただろうに、優男なんだから。そんな夏油に出会えて、良かったよ。
霞んでいく視界の中、最期まで痛そうな顔をしたままの夏油に、ちょっとは笑えよ色男、と声にならない冗談をぶつけたのだった。



 ◇



彼女が、この世界からいなくなった。そしてまたひとつ、この世界が私の理想に近づいた。

出現させていた呪霊をしまい込みながら、細く息を吐く。この間まで隣で笑っていた彼女は私の呪霊に生気を吸われて、もうひと欠片もここには残っていなかった。
残っていないのに、先ほどまで彼女がいた空間から目をそらすことができない。


「……呪ってくれたら、まだ良かったのにね」


そうしたら彼女も愚かな猿だと思えたのに。最後まで微塵も私を呪わないんだ、彼女は。呪いになってくれたら食べることもできたのに、それすらもさせてくれない。最後まで清廉な弱者で居続けたその姿を、私は消化することができない。最後まで、こちらに向けられた瞳にはあたたかさしかのせられていなかった。

『わたし、夏油のことすきだったみたい』

命の消えかける彼女が遺した言葉が、蘇る。随分前から気づいていたよ、そんなこと。君以外の全員が。それに。


「それは、私から言うつもりだったんだけどなぁ」


一体どこでボタンを掛け違ったのか。どこかやるせなくて苦笑が漏れた。
だが、後悔することは許されないのだ。彼女のいない世界を選んだのはほかならぬ私なのだから。掲げた大義に異存はない。信じてただ進むのみ。……でも、今だけは。

彼女が私の隣で笑っている世界――あのあたたかさを私に許してくれなかったその正義を。許せなかった自分の選択を。ほんの少しだけ、呪いたかった。


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