来世に期待

『ちょっとアンタ!  就職は決まりそうなの?』
 
 聞こえた声に、ぎええ、と思わず顔をしかめたのは私である。
 本日は貴重な休日だ。休日といえば私のオアシス、お布団とカップラーメン、再放送のサスペンスドラマで彩られる素晴らしい日である。……本来ならば。
 アラームという呪縛から解放され、健やかに安らかに惰眠をむさぼっていた私は、普段ならば鳴ることもないスマートフォンの着信音によって叩き起されたのだ。これは国際法でも禁止されている重罪にあたる。
 そして、その忌々しい電話相手はというと、
 
 
『黙ってちゃわかんないでしょ!  それとももう一生フリーターでいるつもり?』
「そんな悲しい人生送りたくないことは確か」
『悲しいのはこっちよ、なんでいい歳した娘の尻叩かなくちゃいけないのよ』
 
 
 ―――母である。
 正確に言うと、娘の就職状況諸々を心配して我慢できず電話をかけてきた母である。別名を、面倒くささグランプリ覇者という。
 午前中の、まだ昼前というよりは朝と形容するにふさわしいこの時分を切り裂くその声はガンガン頭に反響した。叩かれているのは尻などではなく私の繊細なハートである。
 
「一応自分で生活は出来てるんだからお母さんに文句言われる筋合いはないでしょ」
『まぁーたこの子はそんなこと言って!  周りの子たちはしっかり大人になってるっていうのに……』
 
 
 近所に住んでたみっちゃん、今度結婚するそうよ、だとかなんとか。みっちゃん。誰だっけそれ、と一瞬頭を回すと浮かんできたのは小柄な少女である。確か小学校と中学校が同じだった。そんなに関わったことはなかったけれど所謂女の子らしい¥翌フ子だったような記憶がある。で、そんな彼女が、結婚、と。
 予想外の方向へ転換された話題に思わず冷や汗が伝った。顔をしかめながら、予想され得る母の追撃に備えて心のガードを固めていると、
 
 
『就職する気ないならせめて結婚相手でも見繕いなさい!  誰かいい人いないのアンタ!』
 
 
 悲報、ガード失敗。思いのほか深く心へ突き刺さった左ストレートに、一発ノックダウン。#name二##name一#、享年二四歳。追悼。
 わかってはいたけれどやっぱり放たれた結婚云々のお説教を、現実逃避でなんとかしのぐ。いい人。いい人ってそんなの、ねえ。ここ数ヶ月の自身の生活を振り返り、そのあまりの色味のなさにため息をついた。そもそも異性どころか他人の介入をほぼほぼ受けない日々だ。まぁ、多少の例外は、ないでもないけれども。
 
 例外≠ニして不意に頭に浮かんでしまったのは、某銀髪天パの姿であった。
 彼と酒を酌み交わしたのはつい先日の話だ。いや酒を飲んだと言っても全然そんなアレではないけど。全然そんな感じではないアレだけれど。
 でも、あのとき呑んだ酒は、美味しいものだったような、気がする。寒かったからかもしれないけど。でも寒い寒い中に少しのあたたかさを感じたような、気も。
 
 
<font color=#a九a九a九=пu――へェ、そりゃよかったね」</font>
 
 
 あの夜を思い出すとき、付随して蘇るのは坂田さんのそんな台詞である。ゆるく上げられた口の端と、少しうすめられた瞳。いつもこちらを小馬鹿にしたような色を乗せているその眼差しは、相変わらず気だるげではあるものの、どこか面白いものを見るようであり、やさしげであるようでもあった。
 坂田さんは不思議な人だ。ロクデナシのクソヤロウかと思っていたけれど、どうにもそれだけではないらしい。どうにも、少なくともあの夜の私は、多少、わずかに、ちょびっとだけ、彼に救われてしまった。心底気に食わないことに。
 
 ハア。回想からやってきた僅かな不機嫌を纏ってため息を吐いた私を、『ため息吐きたいのはこっち!』電話の向こうの怒気が現実へ引き戻す。そういうえば母と電話中だったのだ、いい人だなんだと言われて思考がトンでしまっていた。
 あぁだこうだとこちらへ心配をとばすその声をなんとかなだめつつ、脳裏の銀髪を吹き飛ばすように首を振る。「就職もちゃんと考えるから、大丈夫だから」ちなみにコレは口だけの台詞である。
 まだ納得のいかない様子を見せていた母だけれど、これ以上何を言っても無駄と察したのか「とにかく、体にだけは気をつけなさいよ」そう締めくくって電話口から退場していって、そして。
 
「――ねむ」
 
 残ったのは、眠気と虚無。
 そもそも私は現在絶賛爆睡中の予定だったのだから無理もない。仕方ない。寝るほかない。
 脱力するようにベッドへ身を投げ、意識も投げる。明日の夜からはまた仕事が始まるのだ、今のうちにこの解放感を思う存分味わっておかなければ。
 視界の端へ放り出したスマートフォンに罪悪感を感じないではないけれど、それも今更だ。とりあえず私は、眼前の休日を、満喫する。
 
 ごめんなさいお母さま。私はちょっともう現実に疲れたので、しばらくはバイトでいいです。
 そしていい人はいません。断じていません。まんじりたりともいません。来世は石油王と結婚できるようにがんばります。
 
 期待してっからな、と来世の自分に希望を託し、私は夢の世界へ落ちていったのだった。


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