春夏秋冬勝たんしか酒

 真意のみえない――というか、そんなもの存在しないようにも思われる――坂田さんと、冷えた夜風に押されるようにして辿り着いた、小さな居酒屋。奥の座敷席へと腰を落ち着けた私たちは、お世辞にも綺麗だとは言い難い、味のある汚れを身に纏ったテーブルを挟んで向かい合うこととなった。……といっても、気まずい空気やら沈黙やら、意外にもそのようなものが蔓延することもなく、
 
「#name二##name一#、正直に答えろよ。……おでんと焼き鳥ならどっち派?」
「普段なら肉ですけど、この寒さですし。おでんで」
「わかってんじゃねーか」
 
 蔓延するのは、そんな中身のない会話ばかりであった。運ばれてきたおでんはホクホク湯気をたてている。味のしみたつみれを噛み締めれば、ジュワと出汁がほどけた。たぶん、私が坂田さんと交わした言葉たちの数万倍は身が詰まっていると思われる。
 おでん美味しい、ビバおでん。小さなお猪口にお酒を注ぎ足し飲み干せば、これもまた美味しかった。ビバ熱燗、ビバ日本酒。「やっぱり冬は酒とつまみですよ」「春もな」「夏もでした」「秋もじゃね?」そして、また中身のない会話が構築されていく。
 
「まあ酒とつまみがあれば人生は大概なんとかなりますからね」
「お前も人生の真髄に気づいちまったか」
 
 めちゃくちゃな理論の上、坂田さんが得意気ににいと笑った。私もなんだか楽しくなってきてしまう。どうやら中身のない会話といっても、必ずしも味気までないという訳ではないらしい。茶色く染まった大根に負けず劣らず味が染み染みである。無論酒の力は加味されているけれど。
 
 
 
 
 先程までの寒さも忘れ、お猪口を空にすること、また数杯。イイカンジに出来上がってきているのを自覚しながら、他愛のない、なさすぎる会話の流れの中、口を開いたのは私だった。
 
「――そういえば坂田さん、センセイやってるんでしたっけ」
「あ?  そーだって何度も言ってんだろ。お前は腐ったミカンだ」
「ハイハイ。その死んだ眼で何教えてんのか微妙に気になってて」
 
 とりあえず道徳でないことだけはわかっている。「闇の魔術とかですか」聞けば「バカヤロー俺はグリフィンドールに決まってんだろ」と。
 坂田さんはどちらかといえばアズカバン寄りだと思うけれど、まぁコレは口に出さず、「で、何教えてるんですか」重ねて尋ねた。彼はお猪口をまた一杯空にすると、
 
「国語」
「こく、……国語?」
 
 予想外にメジャーな科目が返ってきてしまって驚く。え、国語?  国の語?  ……っていうと、アレだ、なんというか、基礎教養。なんかみんな習うやつ。大多数が受験で使うやつ。
 で、それを、……坂田さんが教えているって?
 
「それ大丈夫なんですか?  コンプライアンス的に」
「誰がコンプライアンス的にマズイ教師だコノヤロー!!」
「シルエットからもうアウトじゃないですか」
「コンプライアンスに引っかかるシルエットって何だよ!」
 
 正直コンプライアンスが一体何なのか理解はしていないけれども、まあ多分坂田さんは引っかかっているだろう。そんな確信に基づき毅然とした態度で応戦していれば、「つーかそういうお前は高校国語ちゃんと覚えてんのかよ」と。なんとも私をナメくさった質問である。いくらフリーターといえどつい五年?  六年?  ほど前に高校を出たばかりだ。高校国語などお手の物である。だからつまり、アレでしょアレ。
 
「……ありをりはべり?」
「お前がバカなことはわかった」
 
 呆れたようにこちらを見つめる坂田さん。心外である。
 
「高等教育なんて受けたの何年前だと思ってんですか。忘れてますよ大体は」
「お前はババアか」
「ピチピチギャルです」
 
 おでんの牛モツを口へ放り込みながら睨みつける。「牛モツと日本酒がそこまで似合うギャルがいてたまるかよ!」ギャンギャン吠える銀髪だけれどこの人だけには言われたくない。こんな教師がいてたまるかを具現化したような人間のくせに何を言っているのだという話だ。
 
「こんなピチピチ美女と酒飲めることに感謝しろよ」
「どこに美女がいんだよ。死んだ目のフリーターしか見えねーんだけど」
「それそのまま返していいですか」
 
 私だって叶うことならデ○カプリオ様とかと盃を交わしたいもんである。断じてこんな、顔に微塵の引き締まりもないような男ではなくって。……いやまぁ私がその気になれば叶うんだけど。余裕のヨッチャンでデ○カプリオ五人くらい侍らせられるんだけども。今はただちょっとアレ、本気出してないだけ。そうそれ。
 
 実現可能性はこの際置いておくこととして、脳裏に無数のデ○カプリオを浮かべる。日本酒は最早冷やと化しつつあるけれど、提供される適度な酔いは変わらず心地よかった。
 そして、何ということもない会話の狭間、その心地よさをまた幾度か味わっていると、「――で」確信めいた、したり顔。坂田さんの瞳が不意にこちらを覗き込んだ。
 
「そろそろ酒の力を思い知ったか」
「……はい?」
「忘れただろ、疲れ」
 
 ――疲れ。その言葉が一瞬突拍子のないものに思えて、頭の中を探る。結果見つけたのは先程のやり取りの一片だった。
 ……そういえば、疲れを癒やすものもないとかって言ったっけ、私。
 そんなの覚えてたんだ、この人。もしかしたら、そんなことを考えてお酒を勧めてくれたのか。それはとてもすごく意外で、なんというか。
 
「……さーあ」
 
 なんだっけ。ギャップってこういうのを言うんだっけ。なんだか違う気もするけれど、長らく放置してきた胸の奥の奥の方であたたかな何かが湧いたことは確かである。
 
 なんとなく、彼の方を見ることができなくて、空を見つめて発した言葉に坂田さんは笑った。「めんどくせー女」面倒くさくてなにが悪い。これだけ遠回しに、双眼鏡で覗いてやっとわかる程度の優しさをぶつけられたことなどないのである。器用に対応などできるものか。そんなもんできるほど器用だったなら、私は今頃そこらで正社員を謳歌していることだろう。そもそも面倒くささならお互い痛み分けだ。多分。――なんて、どうしてか、どこからか湧いてきた気恥ずかしさを誤魔化すように、頭の中を屁理屈が駆け巡る。 
 
 坂田さんは本当に不思議な人だ。面倒だし変態だしとても尊敬なんてできやしない。深夜の問題客の筆頭だ。……だけど、深夜の問題客と一括には、どうしてかしたくない。迷惑なくせに、嫌いにはなれない。へんなやつ。
 
 どういうわけか今現在も目の前で気の抜けた顔をしているそのひとへ目を向ける。向けながら、また酒を呷った。
 ホント、人生ってどう転ぶのかわからない。フリーターとかわけがわからない。まさかコンビニバイトで生計を立てることになるなんて思わなかったし、この人と酒を飲むなんて、尚更。
 
「……コンビニバイトのネーチャン引っ掛けて、酒でも飲ませてワンナイト」
「あ?」
「とか考えちゃってんですか、もしかして」
「んなワケねーだろ!  俺にも選択の自由ってモンがあんの!」
「討伐」
 
 繰り出した邪推は失礼な言葉で一刀両断された。思わずメニュー表を右手に構え脳天チョップの姿勢をとるも、そのフサフサの天パで覆われた脳天にメニューの角が直撃する寸前で邪魔をされた。大きな、骨ばった手のひらに捕らえられた右手首は、どうにもびくともしてくれない。
 
「坂田さん、離してもらえますか。メニューがぶつかりたがってるので」
「逆に聞くけどお前そう言われて離す奴がいると思うの?  バカなの?」
「うるせえ離せ」
「やだね」
 
 いかにもバカにしていますと言うような顔でこちらを見下ろすその男。え、腹立つ。横目で見上げた掛け時計は深い時間をさしていて、そろそろお開きだろうか、と頭の隅の冷静な部分が考えていた。憤る私は彼を睨みつけ、右手へググと力を込めつつ、「坂田さん、」眼力はそのままに口を開く。
 
「楽しかったです」
 
 心なしか、彼の力が少し緩んだ気がした。
 こちらをバカにするものとはまた少し雰囲気の違った笑みが、その顔を覆う。
 
「……へェ、そりゃよかったね」
 
 メニューを構える私と、阻止するようにその腕を掴む坂田さん。この奇妙な状況に落とされたのは、どこまでも他人事な響きであり――……坂田さん、らしいな。自然とそう考えてしまう。
 
 前も思ったとおり、坂田さんはロクデナシのバカヤロウだ。これはもう確信に変わった。――でも、どうしてか憎めない。ふしぎな心地良さが、どこかに見え隠れしている。……ような、気がする。
 もしかしたら、気のせいかもしれないけれど。
 
「そりゃもう、よかったですよ」
 
 寒い寒い夜は、あたたかな後味を残して朝に消えていった。


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